広瀬(読み)ひろせ

  • 島根県

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

島根県東部、能義郡(のぎぐん)にあった旧町名(広瀬町(まち))。現在は安来市(やすぎし)の南西部を占める地域。旧広瀬町は1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)比田(ひだ)、山佐(やまさ)の2村、安来(やすぎ)市の一部と合併、1957年布部(ふべ)村を編入。2004年(平成16)安来市、伯太(はくた)町と合併、安来市となる(なお、この合併で能義郡は消滅)。旧町域は南部を鳥取県に接し、山地に囲まれ、中央部を北流する飯梨(いいなし)川と支流山佐川が沖積平野をつくる。国道432号が通じる。中世は出雲(いずも)の中心で、守護は代々旧町域北東部の富田城(とだじょう)(月山(がっさん)城)を根拠地とした。1478年(文明10)ごろ、京極(きょうごく)氏の守護代尼子経久(あまごつねひさ)は主家に抗し富田城を占拠し中国全域に勢力を拡大したが、孫晴久は毛利(もうり)氏に敗れ、衰退した。江戸時代、藩政の中心が松江に移るとともに富田は衰微した。1666年(寛文6)松江支藩として広瀬藩3万石が設置され、広瀬に藩邸が置かれた。
 現在米作のほか、乳牛・和牛飼育、花卉(かき)園芸、林業が行われる。藩政期に始まる広瀬絣(かすり)は明治期には大阪や東北地方まで販路を広げたが、今日ではわずかに技術保存されている。富田城跡(国の史跡)の発掘調査が行われ、出土品は安来市立歴史資料館に展示されている。歴史資料館に併設された広瀬重要民俗資料収蔵庫にある「東比田の山村生産用具」は国指定重要有形民俗文化財。[江村幹雄]
『『広瀬町史』上下(1968・広瀬町)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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