翻訳|cotton
木綿は綿(わた),綿花とも呼ばれ,ワタになる種子についた繊維。綿織物を指すこともある。全紡織繊維中最大量の5割弱が消費される。ワタの花が落ちると子房がふくらみ始め,6~7週間でその皮が破れると,コットンボールと呼ばれる白い柔らかい種子毛繊維があふれてくる。コットンボールはそれぞれ数粒の種子の入った3~5室に分かれており,綿繊維は種子にくっついている。繰綿機(くりわたき)にかけて繊維を種子と分離する。繰綿を終わったワタの繊維は原綿(げんめん)と呼ばれ,種子と繊維のついた実綿(じつめん)から重量で3分の1得られる。原産地はインドとアメリカで,インドでは前2000年ころからワタが栽培されていたらしい。紀元前にメソポタミア,エジプトに渡り,その後ギリシア,ジャワ,中国,スペインでも綿が栽培され,ヨーロッパ諸国にも伝わった。
綿は繊維の長さと細さで品質が決まり,アメリカ東部・中部で栽培されるカイトウメン(海島綿)Sea Island cottonは平均38~50mmと最も長く,最高の品質である。エジプトメンEgyptian cottonがこれに次ぎ,平均28~38mmの長さであり,ペルーメンもエジプトメンに匹敵する品質をもつ。アメリカメンは平均22~28mmで,アメリカ西部で灌漑栽培され,南アメリカ,インド,アフリカ,旧ソ連,中国などへも移植されている。在来種のインドメンは20mm以下しかなく,比較的短い繊維である。綿はセルロースからできており,たくさんのセルロース分子が集まってミクロフィブリルを形成し,さらにこれが集合して綿繊維を作っている。繊維は扁平で,ねじれたリボン状となっており,この形状は紡績のときにからみ合いをよくし,製品になったときにほつれにくくする特徴をもつ。綿糸は綿紡績法で作られ,カード糸と精梳機にかけた高級なコーマー糸がある。伸びにくいじょうぶな繊維で,染色性,吸湿性や肌ざわりもよい。欠点は縮むこととしわになりやすいことである。酸には弱いがアルカリには強い。
執筆者:瓜生 敏之
8世紀末の延暦年間(782-806)に崑崙人が三河国に漂着したとき木綿種をもたらし,栽培が行われたが,結局は失敗したという(《日本後紀》)。しかし鎌倉時代以降には日宋・日元貿易における重要輸入品とされ,15世紀室町時代には日朝貿易における朝鮮側の重要回賜品となった。16世紀の天文年間(1532-55)には日明密貿易による唐木綿の輸入が増え,朝鮮産木綿の輸入にとって代わった。木綿は肌ざわりがよくて暖かく,染色しやすく,じょうぶなこともあって,当初は武家など支配階級の奢侈的衣料とされていたが,戦国時代には兵衣・陣幕・軍旗,さらには鉄砲の火縄用など軍需物資としての性格が強くなった。庶民の間にも普及し,また船舶の藁草帆に代わる布帆として用いられるに至って,船舶の速度や輸送量などに大きな進歩をもたらした。室町・戦国時代には国内での移植・栽培にも成功した。1494年(明応3)のころ,越後上杉家領内には〈ミわた〉が現れ,16世紀には三河木綿商人が伊勢と近江を結ぶ千草街道などを通って,木綿を畿内地方に搬送・売却していた。戦国末期には関東から太平洋・瀬戸内海沿岸地方一帯に栽培が普及し,とくに大和・摂津・河内・和泉・播磨などが特産地として著名となった。17世紀初頭の俳諧書《毛吹草》によると,畿内各国をはじめ濃尾,但馬・丹波が綿の特産地とされ,18世紀には白木綿,嶋木綿,綛糸(かせいと),繰糸,生綿などの特産地が定まった。大坂は綿関係商品の一大集散市場となり,有力綿問屋が活躍した。江戸中・末期には伊勢松坂・河内・摂津産の木綿が上質とされ,関東の結城や桐生の木綿,青梅縞,松坂縞,小倉織,尾張の桟留(さんとめ)縞などが有名となり,19世紀には桐生・尾張地方でマニュファクチュア生産も始まった。明治時代には綿糸は海外から輸入されるようになり,明治20年代には機械紡績業が近代化され,織布も紡績会社で行われるようになった。
→綿織物 →ワタ
執筆者:佐々木 銀弥
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
木綿は、アオイ科ワタ属gossypiumに属する繊維作物のワタの種子に密生する細い繊維を採取、加工したもの。ワタは多くの種類があり、大きく分けて多年生の樹木のもの、一年生の草本のものがあるが、現在では草本一年草が栽培の中心である。とれた繊維の長さ、太さ、光沢などの違いから生産地名でよばれており、米綿(べいめん)(アメリカ綿)、インド綿、エジプト綿、ブラジル綿、ペルー綿、中国綿、などがある。なかでも米綿の生産量がいちばん多く、アップランド綿(主産地は南北カロライナ、ジョージア、アーカンソー、アラバマ州など)やガルフ綿(ミシシッピ、ルイジアナ州など)およびシーアイランド綿(一名海島(かいとう)綿ともいわれる。主産地は西インド諸島など)に分類される。とくにシーアイランド綿は木綿のなかで最高級品であり、しなやかでソフトな感覚、絹のような光沢があり、そのうえじょうぶであり、古くからヨーロッパの王室などで珍重されていた。
木綿はインドにて古くから実用繊維として利用され、その起源は紀元前2300年ごろとされている。日本に木綿が伝来したのは799年(延暦18)で、崑崙(こんろん)人が三河国に漂着して種をもたらしたが、栽培技術が伴わず絶滅したといわれている。その後、室町時代になって朝鮮あたりから伝来したものが全国に広まり、一時は大量に生産された時代もあった。
種子に綿毛のついたままのものを実綿(みわた)seed cottonといい、種子からとった綿毛を繰綿(くりわた)ginned cottonという。繰綿したのちの種子に残った地毛をさらにかきむしり採取した繊維長2センチメートル以下のものをリンターとよび、キュプラ・アセテート繊維の原料に使われている。綿繊維の長さは品種、栽培地などで大きく違うが、繊維長の平均は2~4センチメートルである。綿毛は1本が単細胞であり、完熟して綿花となる前は、中空の円筒状をしており、露出して乾燥すると、細胞膜がしだいに収縮してねじれをおこしながら、扁平なリボン状となる。これを、天然撚(よ)りとよぶが、天然撚りは可紡性のよしあしの判断とされる。
[並木 覚]
楮(こうぞ)の皮を剥(は)いで、その繊維を蒸し、水にさらしたうえ、細かく糸状に裂いたもの。美しい白色をしており、「白木綿(しらゆう)」ともいう。神事において、幣帛(へいはく)として捧(ささ)げ、榊(さかき)や斎瓮(いわいべ)(神祭用酒饌(しゅせん)陶器)に掛けたり、襷(たすき)(木綿襷)とした。四手(しで)も本来は木綿を使い(木綿四手)、「木綿畳(だたみ)」はこれを編み畳んだもので、神事に用いられた。また、「木綿花(はな)」という造花もつくる。なお、「木綿襷」「木綿畳」「木綿裏(つつみ)」「木綿花の」などは枕詞(まくらことば)でもあり、それぞれ「掛く」「手向(たむけ)」「栄(さか)ゆ」にかかる。
[兼築信行]
Gossypiumなどに属する植物の種子毛繊維である.これは長い綿毛(lint)と短い地毛(fuzz)の2種類よりなる.前者は紡績して綿糸をつくり,おもに衣料に用いる.後者は主としてセルロースエーテル用,キュプラ(銅アンモニア法レーヨン)用のコットンリンター([別用語参照]リンター)として,工業上重要なセルロース原料となっている.綿繊維の第一次細胞膜は7~8 nm の明確なミクロフィブリルからなる環状構造を示し,セルロースを主体成分とするが,ペクチン質,ろう質も存在する.第二次細胞膜も同様に7~8 nm のミクロフィブリルからなり,これは繊維軸に対し,約30°の傾斜角をもつらせん構造を示す.これらの構造が綿繊維にみられる自然より(コンボリューション,約100回/cm)の原因とみられている.第二次細胞膜はさらに多数の同心円状に重なった0.12~0.35 μm 程度の薄膜(ラメラ)からなっている.未漂白の綿繊維は90% 以上のセルロースを含み,エーテル,アルコールで抽出後1% 水酸化ナトリウムで10時間煮沸し,精製すると99.98% 以上のセルロースからなる標準セルロースが得られる.重合度,結晶化度ともに再生セルロースレーヨンに比べてきわめて大きい.
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植物性の繊維で織った布,またはその繊維で作られた幣帛(へいはく)。麻・苧(お)・楮(こうぞ)・科(しな)・藤・葛などが代表的な原料。幣帛や榊(さかき)につけた場合,先に垂れた部分を木綿垂(ゆうしで)とよんだ。神聖視されていたためか幣帛以外にも祭礼・葬儀に用いることが多く,木綿襷(ゆうだすき)・木綿鬘(ゆうかずら)などの衣装にも使った。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし,樹皮繊維は堅く粗々しいものであったから,川にさらし,灰汁(あく)で煮,槌でたたいて繊維をほぐすという採糸の苦労があり,いつしか一般的でなくなり,やわらかく,紡ぐことのたやすいチョマやタイマが植物繊維の主要な原料となってきたのである。近代になって化合成繊維が出現するまで,天然繊維の主要なものは植物性の麻と木綿,動物性の絹と毛であった。エジプトでは亜麻と木綿,西アジアでは亜麻と羊毛,ヨーロッパでも亜麻と羊毛,インドでは木綿,中国では麻と絹と木綿,日本では麻と絹というのが,中世までの各地の民族の主として利用してきた繊維である。…
…たとえば白無垢(しろむく)の肌着は四位以上,それも大名は嫡男とかぎられ,熨斗目(のしめ)(腰に横縞または縦横縞のあるもの)は身分ある武士の式服であり,綸子(りんず)は一般武士には許されないなどである。地質(じしつ)の順位は綸子,羽二重(はぶたえ),竜文絹,二子(ふたこ)絹,紬(つむぎ)の順で,以下,麻および木綿となる。農民は特殊なものでないかぎり紬以上を禁じられた。…
…川柳評前句付作者。俳号木綿。号は御了簡可有(あるべし)の口ぐせを,呉服商に当てた戯号。…
…朝鮮,高麗末の文臣。朝鮮への木綿の移入者。字は日新。…
…【近田 淳雄】
[中国の近代以前の紡績]
繊維材料に手を加え,糸にし,それに撚りをかけることを意味する紡績の語は古くからあり,たとえば《漢書》には〈男子力耕,……女子紡績……〉とある。中国における材料として,絹,葛,麻,木綿,毛などがあげられよう。そのうち生糸にする技術は古くから発達したものである。…
…小作制度地主 農業経営については,大規模経営もなくはなかったが,通常は小経営であって,大土地所有者の場合も,佃農に貸しつけて小経営をやらせるのが普通であった。また明初は農家に耕地の一部に木綿または桑を植えることを義務づけ,自給自足を奨励したが,流通経済が発展するにつれ,農家もしだいにその中に組み込まれた。地域によってはもっぱら商品的作物を栽培し,食糧は他から購入するといった現象も見られ,明末には肥料を他から購入することも行われた。…
…近世以降,木綿織物を扱った問屋商人。木綿が日本で織り出されるようになったのは,15世紀末~16世紀中葉といわれるが,江戸時代に入って広く庶民層にまで衣料として利用されたことから,これを扱う商人たちも多くなり,問屋群が集散地に生成した。…
…昭和の初めまで苧屑類を〈わた〉と呼ぶ地方があったほどである。しかし江戸中期以降木綿綿が普及するにつれて,綿といえば木綿綿を指すようになった。化繊類の綿が著しく普及している現代では,ふたたび〈木綿の綿〉と特記する必要が生じている。…
※「木綿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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