正岡 子規(読み)マサオカ シキ

20世紀日本人名事典 「正岡 子規」の解説

正岡 子規
マサオカ シキ

明治期の俳人,歌人



生年
慶応3年9月17日(1867年)

没年
明治35(1902)年9月19日

出生地
伊予国温泉郡(現・愛媛県松山市)

本名
正岡 常規(マサオカ ツネノリ)

別名
幼名=処之助,通称=升,号=獺祭書屋主人(だつさいしょおくしゅじん),竹の里人(たけのさとびと)

学歴〔年〕
松山中〔明治16年〕中退,帝大〔明治26年〕中退

経歴
明治16年に上京し、翌年大学予備門(一高)に入学、夏目金之助(漱石)を知る。18年頃から文学に接近し、当初は小説を書いていたが、24年「俳句分類」の仕事に着手し、25年「獺祭書屋俳話」を発表、俳句革新にのり出す。28年3月日清戦争に従軍したが、5月に喀血し、以後病床生活に入る。この年以降、文学上の仕事は充実し、29年には3000句以上を残した。30年「古白遺稿」を刊行。同年松山から「ホトトギス」が創刊され支援する。31年「歌よみに与ふる書」を発表して短歌革新にのり出すと共に根岸短歌会をはじめ、ホトトギス発行所を東京に移した。32年「俳諧大要」を刊行。34年「墨汁一滴」を発表、また「仰臥漫録」を記しはじめ、35年に「病牀六尺」の連載をはじめたが、9月に死去した。死後になって作品がまとめられ、「筆まかせ」「寒山落木」「竹乃里歌」などが刊行され、命日には獺祭忌が営まれている。大学予備門(のちの一高)時代から野球に熱中し、弄球(野球)、打者走者死球飛球など現在でも使われている用語、ルールの翻訳も手掛けた。平成14年新世紀特別枠として野球殿堂入り。松山市道後公園に子規記念博物館がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「正岡 子規」の解説

正岡 子規 (まさおか しき)

生年月日:1867年9月17日
明治時代の俳人;歌人
1902年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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