

風、載馳〕に「旋(かへ)り濟(わた)ること能はず」のように、古くは水を渡ることを意味した。水を渡る意から、成就・救済の意となった。〔爾雅、釈言〕に「濟は渡るなり、濟は
るなり、濟は
すなり」の訓がある。
立〕濟 タスケム・スクフ・サダマル・ワタリ・ワタル 〔字鏡集〕濟 ヒトシ・ナガル・トトノフ・ナス・マス・カカム・サダマル・アサシ・ウラヤム・スクフ・ワタル・キハマル・イク・ナル・セム・ハル・フネ・ワタリ出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
「宋書」倭国伝に記される倭の五王の1人。5世紀半ば頃の王で,興(こう)と武(ぶ)の父。2番目の珍(ちん)との続柄が記されていないことから,系譜のうえでつながらない可能性がある。名前からは積極的な根拠がないが,記紀系譜との比較からみて允恭天皇である可能性が強い。反正(はんぜい)天皇とする説もある。443年,中国南朝の宋に遣使して太祖文帝から安東将軍号を与えられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…讃の死後,弟の珍が立ち,438年,使者を派遣して国書を送った。珍はこの国書の中で,使持節・都督倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王と自称して,この官爵号を授けて欲しいと願い出た。しかし,この希望はかなえられず,安東将軍・倭国王に任じられるにとどまった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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