郵便葉書の裏面に、絵画や写真などが描かれ、または印刷されたものの総称。郵便葉書は1869年オーストリアにおいて初めて発行されたが、その翌年にはドイツにおいて、葉書に簡単な絵を印刷したものが現れた。これは私的に使用されたものであったが、1875年には絵葉書が商品として発売されるに至った。その後、欧米においては絵葉書の発売、使用が、年を追って盛んとなった。やがて日本へも伝えられ、官製葉書に絵を描いたものが1890年代には使用され始めた。しかし当時は葉書の私製が認められていなかったため、絵葉書が流行するまでには至らなかった。1900年(明治33)10月、逓信(ていしん)省令によって、私製葉書の発行が認められ、これに貼(は)るための1銭5厘切手も発行された。これ以降、絵葉書の製作が容易となり、民間の業者が全国の名所絵葉書や、美人葉書、年賀葉書などの製作、販売に乗り出し、雑誌の付録にも絵葉書が登場した。
官製の絵葉書も1902年6月、万国郵便連合加盟25年を記念して、6種が逓信省から発行された。日露戦争(1904~05)に際しては、士気を高揚するため、逓信省は「戦役記念」絵葉書を、戦局の進展に応じて次々に発行した。これは空前の絵葉書ブームをおこした。戦争が終わると、陸海軍の凱旋(がいせん)を記念する絵葉書も発行され、ブームは最高潮に達した。発売の当日、郵便局の前には夜明け前から長い行列ができ、殺到した群衆のなかに負傷者まで出る騒ぎであった。その後も官製の絵葉書は、皇室や国家の大きな行事のあるごとに発行され、紙質や印刷もしだいに豪華となった。民間の絵葉書にも、さまざまな趣向を凝らした華麗なものが現れ、その使用が流行したほか、収集も盛んになり、絵葉書の交換会や展覧会も催された。
ところで、絵葉書の絵画や写真は、最初の規則によれば、裏面に限られ、表面には名宛(なあて)人と差出人の住所、氏名しか書くことはできなかった。それが1907年4月から、表面の下部、3分の1以下に通信文を書くことができるように改正された。さらに1918年(大正7)4月から、通信文を書きうる範囲が2分の1に拡大された。これらの規則改正によって、絵葉書の使用はすこぶる便利となり、いよいよ流行するようになって今日に至っている。
[山口 修]
手紙の便箋や封筒に絵をあしらうことは古くから行われ,郵便はがきが制度化される以前にも,封筒に入れないカードが郵送された例(1868)が北ドイツなどにある。1870年の普仏戦争のとき,絵入りの慰問はがきがフランスやプロイセンでつくられたといわれ,同年ドイツのA.シュワルツが官製はがきに兵士と大砲を印刷したものが一般には最初の絵はがきといわれている。風景を印刷したものとしてはチューリヒのロシャーJ.H.Locherの手になるものが最古という。イギリスで私製絵はがきが自由に売られるようになったのは1894年で,そのころからヨーロッパでは絵はがきの収集が流行し,多くのクラブが生まれた。とくに絵はがきの製作の中心地ドイツが盛んだった。初期のものは裏面にあて名以外を書くことができず,絵の面に通信文用の余白を残さなければならなかったが,1902年イギリスで初めて裏面を二分した絵はがきが許可され,他の国々がこれに続いた。日本では1900年に私製はがきの発行が認められたのが始まりで,02年には万国郵便連合加盟25年記念の官製絵はがきが発行されて人気を呼んだ。04-06年に数回にわたって発行された日露戦争戦勝記念官製絵はがきでブームはピークに達し,発売日に殺到した群衆の中に負傷者が出たほどであったという。
執筆者:山田 和子
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