日本歴史地名大系 「長興寺」の解説
長興寺
ちようこうじ
長興寺
ちようこうじ
国道三四〇号に面して山門があり、脇の大公孫樹は九戸政実の手植えと伝える。曹洞宗で、鳳朝山と号する。本尊聖観音。「南部根元記」などには長光寺・長久寺と誤記されることも多い。当地はもと九戸村と称したが、当寺が隆盛をみるに伴い、長興寺村に変わったという。寺伝では永正年間(一五〇四―二一)加賀金沢の宗徳寺恵善が奥州巡錫の途次、九戸信仲の請いにより同氏の菩提寺として創建したと伝える。末寺に陸奥
長興寺
ちようこうじ
長興寺
ちようこうじ
を開山とする。開基は勝田(勝間田)十郎政次。天正一七年(一五八九)二月吉日の榛原郡勝間田中村長興寺領御縄水帳写(長興寺文書)によると寺領は二町四反半、山門内は一千四五二坪。慶長五年(一六〇〇)山内一豊から寺領三五石が寄進された(榛原郡誌)。翌六年安藤忠次からこの寺領を安堵され(同年一〇月二日「安藤忠次手形写」長興寺文書)、伊奈忠次からも三五石の当所務を渡されている(年未詳一一月二九日「伊奈忠次書状」同文書)。年月日未詳の茶阿消息(同文書)にみえる「けんさがや」は当寺のことで、茶阿局(徳川家康側室)は当寺や
長興寺
ちようこうじ
之済家宗ニテ、戸田全久公一色七郎様ノ御菩提ニ宝童寺ノ塔ヲ引、寺ヲ大久保ニ移、門前五十貫目ヲ寄進並加治村清友名ヲ買付」とある。
長興寺
ちようこうじ
長興寺
ちようこうじ
長興寺
ちようこうじ
長興寺
ちようこうじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報