顔は顔面ともいい,ヒトを中心として高等な哺乳類についていうことばであるが,その他の動物に対して用いることもある。ふつう顔は頭部の前半の表面,いいかえれば,頭部を正面から見たとき視界に入る部分を漠然とさすが,〈横顔〉という場合はヒトの頭部の側面観の全体をさすことがある。
解剖学上の顔
解剖学でいう広義の頭は,狭義の頭と顔とに分けられる。しかし一般には頭の前面を漠然と顔といい,この場合には狭義の頭部に属する前頭部もその中に含められている。顔は体表のうちではその形態の最も複雑な部分であるが,それはその皮膚に4種7個の窓があいているからである。すなわち,(1)顔の上部には1対の目があり,その皮膚の窓のことを目の切れ目または眼瞼裂という。眼瞼裂を上下から囲む皮膚のひだはすなわち眼瞼(まぶた)である。(2)鼻は顔面の中央部に突き出している錐体状の突起であるが,広義の鼻という部分はさらに顔面の奥深く繰り広がっているから,外に突き出している部分だけをとくに外鼻という。外鼻の下面には1対の鼻孔がある。(3)口は顔面の下部にある一つの大きな窓で,口腔への入口をなしている。この入口すなわち口裂を囲んで上下に口唇(こうしん)(上唇と下唇)があり,左右にほお(頰)がある。ほおと上唇との境には左右あわせて八字形の鼻唇溝があり,また下唇とおとがい(頤)との間には一字形または弓形の頤唇溝(いしんこう)がある。(4)耳は頭,顔,くびの3部の相合する点にある貝殻状の皮膚のひだである。正しい解剖学名は〈耳介〉(介は貝の意)で,一部は軟骨を芯にしている。耳介の中央からやや下前に寄った所に耳の穴(外耳孔)がある。このように形態要素が多く,しかもそれらが後で述べるように筋肉の働きによりきわめて微妙な運動をして表情を生ずるのであるから,顔面は人体中で最も個性の著しく現れている部位である。
顔の形の特徴を数量的に表すために人類学では種々の測度と指数とが規定され,個人の間の,あるいは集団の間の比較が行われる。測度や指数の種類ははなはだ多く,また研究者によってまちまちであるが,そのなかで最も必要なものは面相的顔面高height to crinion(頭髪のはえぎわからおとがいの下縁までの直線距離),形態的顔面高anatomical face length(鼻のつけ根から,おとがいの下縁までの直線距離),頰骨弓の幅,下顎骨の幅,鼻の高さ,鼻の幅,粘膜唇の高さ(口を閉じたときの赤いくちびるの部分の高さ),口裂の幅とそれらに関する指数である。面相を規定する要素はこのほかにも多数あるが,大体からいうと,白人は顔が細長く中高で,目がへこんでいるのに対し,日本人その他の蒙古人種では,顔は広くて短く,頰骨の所がとび出して鼻が低いから,全体として中低である。ヒトでは顔には生毛がはえていて,終生毛としてはまゆげとまつげがあるのみである。ただし男子では青春期になると口のまわり,ほお,おとがいなどの生毛が終生毛に変わって須毛(ひげ)となる。なぜサルとヒトとだけが顔に生毛がはえているのかは不明である。顔の支柱をなす骨格は頭蓋のうちの〈顔面頭蓋face cranium〉という部分で,鼻骨,頰骨,上顎骨,下顎骨などがこれをつくるおもな骨である(頭蓋のうち脳を包んでいる部分を〈脳頭蓋〉という)。顔にある筋肉は咀嚼(そしやく)筋と顔面筋の2群に分けられる。前者は下顎骨に着いて咀嚼運動にあずかるもので,いずれも強大な筋肉である。後者は顔,目,鼻,口,耳の周囲の皮膚に着いている多数の小筋で,目や口を開閉したり,鼻をもぐもぐさせたり,動物では耳を動かしたりする。高等な動物ことにヒトでは,顔面筋は感情の変化に伴っても運動して表情を起こすので,この筋群をまた〈表情筋mimic muscle〉ともいう。顔に分布する血管はおおざっぱにいうと,表層が顔面動脈,深層が顎動脈で,いずれも外頸動脈の枝である。これらの灌漑(かんがい)範囲の血液は主として顔面静脈と下顎後静脈に集まる。リンパは頤下リンパ節,顎下リンパ節,耳下腺リンパ節,深顔面リンパ節などを経て頸リンパ節に集まる。神経は知覚神経としては三叉(さんさ)神経の枝(前頭部には眼神経,上顎部には上顎神経,下顎部には下顎神経)が皮膚や粘膜に,運動神経としては表情筋群には顔面神経が,咀嚼筋群には三叉神経の運動枝が分布する。
→顔示数 →顔面角
執筆者:田隅 本生+藤田 恒夫
顔の文化史
〈人間にだけ顔prosōponがある,鳥の顔とか牛の顔とはいわない〉とアリストテレスはいう(《動物誌》1巻)。彼は続けて,大きな額の人は無精,小さな額は気まぐれ,広い額は興奮しやすく,おでこは短気であると述べる。彼の著とされるが実は後代の作である《人相学》は,顔貌と牛・獅子・犬・猫などの動物と比べながら性格を論じている。キケロ《トゥスクルム論叢》に,ゾピュロスがソクラテスの顔に数々の悪徳を見,他のだれもソクラテスにこれを認めず嘲笑したが,ソクラテスはゾピュロスの言を認め,それら悪徳は生来自分にあったが理性で遠ざけたと言ったという話がある。占星術は人相学を重要な部門として発展させた。シェークスピアやミルトンなども作品に人相学の影響をみせ,カントやルソーも顔つきに関心をよせた。ラーファターの《人相学断章》(1775-78)は一世を風靡(ふうび)し,多くの信奉者を得て20世紀に至っている。
多くの神話が人は神の姿に似せてつくられたとしている。顔は神性を象徴する。〈願わくは主がみ顔をあなたに向け,あなたに平安を賜るように〉(旧約聖書《民数記》),〈主のみ顔は悪を行う者に向かい,その記憶を地から断ち滅ぼされる〉(同《詩篇》)。古代イスラエルの秘密教義カバラには〈セフィロトの木〉という原理がある。10個の球(セフィロト)が3列に並んで22本の径で連結しあうが,頂上のケテル(王冠)というセフィロトは他の九つを生む最初の崇高な力でこれを〈大いなる顔macroproporus〉という。九つのセフィロトはそれぞれ知恵,理解,慈悲などの観念を表し,三つ集まって頭をつくり,第4から9までのセフィロトは〈小さな顔microproporus〉を成すとする。大いなる顔を〈大アダム〉,小さな顔を〈小アダム〉ともいう。そして10番目のマルクト(王国)というセフィロトは小さな顔の〈花嫁〉であり,天上のイブとした。天地創造は無にして全なる状態から大いなる顔が生まれることに始まる,とするカバラ思想は,セフィロトの木によって旧約聖書も解釈している。
サタンが三つの顔をもつことは中世を通じて民衆に信じられていた。一つは赤面でヨーロッパまたは憎悪を象徴し,一つは黄白色でアジアまたは無力を,一つは黒くアフリカまたは無知を表すとする。ダンテ《神曲》地獄篇には3面のサタンがおのおのの口にキリストを裏切ったユダ,カエサルを裏切ったブルトゥスとカッシウスをかみ砕く姿がうたわれている。3面は三位一体と関連するというが,ギリシア神話の冥界の女神ヘカテも3面または3体をもつとされる。
顔の色調と性格については〈赤い顔には心を明かし,茶色い顔には茶をすすめ,青白い顔にはナイフをかざし,黒い顔からワイフを隠せ〉というし,また〈赤い顔は賢く,日焼け顔には信用がおけるが,青白い顔は嫉妬深く,黒けりゃ強健〉ともいう。
ベルツは日本人の体型を3種族に分け,在日本満韓種族は上流社会に多くみられてその顔は長くて頰骨はあまり秀でず,広く平らな顔で頰骨のそびえた在日本固有蒙古種族は下流社会によくみられ,在日本マレー人種が日本では優勢で,顔は円いか角立って頰骨が出ているといった(《日本人の体格》)。長州型と薩摩型という語も彼に由来する。C.H.シュトラッツは日本人の顔の本質的な特徴を顔の楕円形が伸びて長細くなる傾向だとした(《生活と芸術にあらわれた日本人のからだ》)。L.ハーンは〈日本美術に描かれた顔について〉の中で,日本絵画では顔の表情を描かず紋切型だと指摘した上で,西欧近代画やギリシア芸術と比較し,日本絵画がギリシア美術に共通すること,個人の表情のもつ意味は道徳と関係しないことを共に認めていることを述べている。
→人相学
執筆者:池澤 康郎