フィンランド文学(読み)ふぃんらんどぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フィンランド文学」の意味・わかりやすい解説

フィンランド文学
ふぃんらんどぶんがく

フィンランドは、西のスウェーデン(1155~1809)、次いで東のロシア(1809~1917)治下を経て1917年に独立する。言語は、フィンランド語とスウェーデン語を公用語とし、両言語に加えて北方先住民族が用いるサーミ語で文学作品が著されている。文学の歴史は、13世紀以降キリスト教書物の翻訳に始まり、1831年に独自の文化機関であるフィンランド文学協会が設立され発展を遂げる。長年他国の治下にあった歴史を反映してフィンランド文学の全般的な特徴は、世代を問わず作中で国民像を追い求めている点、また表現技法では四脚の強弱格からなる固有のカレバラ(カレワラ)韻律が民俗詩に用いられる点などがあげられる。

[末延 淳 2017年8月21日]

19世紀

独自の文学は、19世紀初頭、啓蒙(けいもう)思想の流布、ロシア治下への移行など環境が変化するなか、民族ロマン主義が興隆し誕生する。作家たちは、民族の意義を探求し、フィンランドの民族や自然、歴史に根ざした作品を描き始める。この時代を代表する作家のヨハン・ルドゥビ・ルーネベリは、フィンランドの民衆の実態を詩集『詩』Dikter(1830)に観念的に描写し、またエリアス・レンルート(ロンルート)は民族の根源を求め、フィンランドの民族叙事詩ともいうべき『カレワラ』Kalevala(カレバラともいう。1835、増補版1849)を編纂(へんさん)しフィンランド文学の礎を築いた。そのほかに、ザクリス・トペリウスは、歴史小説『軍医物語』Fältskärns berättelserⅠ~Ⅴ(1851~1866)や児童文学『子供のための読み物1~8』Läsning för barnⅠ~Ⅷ(1865~1896)で、アレクシス・キビィは、戯曲『クッレルボ』Kullervo(1864)や長編小説『七人兄弟』Seitseman veljesta(1870)でそれぞれのジャンルを開拓した。

[末延 淳 2017年8月21日]

20世紀前半

19世紀末から20世紀前半の文学は、近代化、ロシアの圧制、独立と時代が変遷するなか、散文では写実主義的に、また自然主義的に社会や民衆の生活が描かれ、叙情詩では独立気運のなか、民族ロマン主義の再来であるカレリアニズムが興隆する一方で、新たな時代へ向けてモダニズムが起こる。この時代、小説ではユハニ・アホやフランツ・エミール・シッランパーなどが活躍し、とくに後者は独立に伴う内戦を舞台に、あるフィンランド人の生涯を自然主義的に綴(つづ)った『聖貧』Hurskas kurjuus(1919)を著し、1939年にノーベル賞を受賞した。叙情詩では、エイノ・レイノの『聖霊降臨祝歌』Helkavirsiä(1903)などの新民族ロマン主義の詩集がフィンランド語詩を代表し、スウェーデン語詩ではエーディット・ショーデルグランが詩集『詩』Dikter(1916)でモダニズムを開拓した。そのほかに、戯曲ではミンナ・カントやヘッラ・ブオリヨキHella Wuolijoki(1886―1954)が、児童文学ではアンニ・スバンAnni Swan(1875―1958)が優れた作品を残している。

[末延 淳 2017年8月21日]

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後の文学は、散文では時代を反映して戦争を舞台に人間の心理を描いたり社会を風刺したりする作品、あるいは過去や幻想の世界に現実を描き出す作品が盛んに著される。叙情詩では、西洋で興隆したイマジズムを背景に詩の改革が進められ、フィンランド語詩のモダニズムが花開く。この時代を代表する小説として、古代にロマンを求めたミカ・ワルタリの『エジプト人シヌヘ』Sinuhe, egyptiläinen(1945)や、戦争を介して新たな社会への解決策を模索したバイノ・リンナの『無名戦士Tuntematon sotilas(1954)、ベイヨ・メリの『マニラ麻のロープ』Manillaköysi(1957)など国際的に評価の高い作品を輩出している。叙情詩では、パーボ・ハービッコの『遠のく道々』Tiet etäisyyksiin(1951)やエーバ・リーサ・マンネルの『この旅』Tämä matka(1956)などにより、フィンランド語詩のモダニズムが開花する。そのほかに、児童文学では、トーベ・ヤンソンのムーミン物語が国際的に知られ、独特の挿絵を効果的に配置して幻想的な世界を描き出した。

[末延 淳 2017年8月21日]

1960~1970年代

1960年代から1970年代の文学は、散文では政治、フェミニズム、犯罪など多岐にわたり題材を求めた革新的な作品が盛んに著された。叙情詩では散文と同様に政治や文化に題材を求める作品や、ダダイズムシュルレアリスムなどの芸術表現を追求する作品が著される。この時代を代表する小説として、戦時の政治集団の動向を綴ったハンヌ・サラマHannu Salama(1936― )の『犯人ありし所、目撃者あり』Siinä näkijä, missä tekijä(1972)や、女性問題を取り上げたマルタ・ティッカネンMärta Tikkanen(1935― )の『強姦された男』Män kan inte våldtas(1975)などがあげられる。叙情詩では、ペンッティ・サーリコスキPentti Saarikoski(1937―1983)の政治的な詩集『実際には何が起こっているのか』Mitä tapahtuu todella?(1962)やカリ・アロンプロKari Aronpuro(1940― )の言語表現を追求した『メッキ天使』Peltiset enkelit(1964)などがフィンランド語詩を代表し、スウェーデン語詩ではボ・カルペランBo Carpelan(1926―2011)、サーミ語詩ではニルス・アスラク・バルケアパーが高い評価を得た。児童文学ではハンヌ・マケラHannu Mäkelä(1943― )などが活躍した。

[末延 淳 2017年8月21日]

1980年代以降

1980年代から1990年代の文学は、小説が主軸をなす。作家達は、善と悪、都市と地方、親と子など現代人の新たな価値観を秤(はかり)に掛け始める。この時代を代表する作家として、レーナ・クローンやロサ・リクソムRosa Liksom(1958― )がいる。前者は、『ウンブラ』Umbra(1990)の作品で現代社会を魔(術)的リアリズムで表現し、後者は、『忘却の1/4』Unohdettu vartti(1986)などポスト・モダニズムに通ずる文体で現代人像を表現して国際的に高い評価を得ている。その他の小説ではアンッティ・トゥーリ、アンニカ・イダストロームAnnika Idström(1947―2011)、ユハ・セッパラJuha Seppälä(1956― )、そしてサーミ人作家キルスティ・パルットKirsti Paltto(1947― )などが優れた作品を残し、児童文学ではマウリ・クンナスMauri Kunnas(1950― )が色彩豊かな『サンタクロースと小人たち』Joulupukki(1981)などの絵本で国際的な絵本作家の仲間入りをしている。今後、期待される作家として、現代社会の空虚さを子供と大人の対話を通して屈託なく描いた小説『シーアへのごほうび』Kiltin yön lahjat(1998)で数々の賞に輝いたマリ・モロなどがいる。

[末延 淳]

『エリアス・リョンロット著、小泉保訳『カレワラ――フィンランド叙事詩』上下(岩波文庫)』『P・ラウスマー著、高橋静男訳『フィンランドの昔話』(1985・岩崎美術社)』『カイ・ライティネン著、小泉保訳『図説 フィンランドの文学――叙事詩「カレワラ」から現代文学まで』(1993・大修館書店)』『Koskela, LasseSuomalaisia kirjailijoita. Jons Buddesta Hannu Ahoon(1990, Tammi, Helsinki)』『Laitinen, KaiSuomen kirjallisuuden historia(1994, Otava, Porvoo)』『Varpio, Yrjö(toim.)Suomen kirjallisuushistoriaⅠ~Ⅲ(1999, SKS, Helsinki)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フィンランド文学」の意味・わかりやすい解説

フィンランド文学
フィンランドぶんがく
Finnish literature

フィンランドにおいてフィンランド語,スウェーデン語で書かれた文学作品の総称。フィンランドは 12世紀中頃から 1809年までスウェーデンの支配下におかれ,19世紀末までスウェーデン語が上流階級の言語として使われていた。また他の北欧諸国と同様に,キリスト教が伝来してから宗教改革までの文学用語はラテン語であった。
フィンランドの民族詩は非常に豊富で,その詩型もさまざまである。神話や英雄譚をテーマとする叙事詩や歌謡がほとんどで,天地創造の物語や,魔法の臼 (うす) サンポ,レンミンカイネンの冒険,悲劇の英雄クッレルボなどを描いた一連の詩がある。その多くに主人公として登場するワイナモイネンは,伝説上の人物とも実在の人物ともされている。これらの物語はフィンランドを代表する叙事詩『カレワラ』の構成要素となっている。抒情詩はその多くが女性の作で,日常生活の喜びや悲しみをテーマに愛や魂の孤独を歌ったものが多く,ほとんどの場合,田園の森や湖,農村を舞台にしている。これらは口伝えに伝承される過程で,内容が変化したり,ほかの話と混同したりしたものも多い。最も古いものはキリスト教伝来以前 (地方では 12世紀頃まで) の神話が元になっているが,多くは中世に生れたもので,時代を特定できる人物や出来事が含まれている場合もある。 18世紀後半になって体系的に編纂され,なかでも E.リョンロートは,数々の叙事詩を採録し,みずからの創作をつけ加えた『カレワラ』 (1849) を完成し,フィンランドの民族意識や芸術,文化に大きな影響を与えた。
フィンランド語による文学の創始者は,宗教改革派でフィンランド最初のルター派主教 M.アグリコラである。彼は『ABC入門』 (1543頃) を書き,新約聖書をギリシア語から翻訳した (48) 。完全なフィンランド語訳の聖書は 1642年に出版されている。 1831年にフィンランド文学協会が創設され,文化の媒体としてフィンランド語の再興を目指す運動が活発になった。 J.V.スネルマンはヘーゲル哲学を信奉し,民族固有の文化を尊重する考えを発展させた。 63年にフィンランド語が公用語としてスウェーデン語と同格にされたのは,スネルマンの尽力によるところが大きい。 A.キビの『7人兄弟』 (1870) はフィンランド語による最初の小説であり,ここで示されたスタイル (ユーモアで味つけされた写実主義) とテーマ (フィンランドの民衆) は,以後のフィンランド文学の伝統となっている。写実主義文学は劇作家の M.カントによって推し進められた。 J.アホは自然を抒情的に描いた小説で知られ,熱烈なトルストイの信奉者である A.ヤルネフェルトは学生の生活を描いた小説『祖国』 (93) で注目を集め,『わが両親の物語』 (1928~30) では,フィンランド文化の発展に貢献した両親を描いている。フィンランドを代表する詩人の一人 E.レイノは,幻想的,神秘的な『祝祭歌』 (03,16) から,時事小説,論説,評論記事にいたるまで幅広く才能を発揮した。新ロマン主義の作家としては,フィンランド版ドン・フアンの恋愛遍歴を描いた『真紅の花の歌』 (05) の J.リンナンコスキがいる。 A.カッラスはエストニアに取材した小説で知られるが,最高傑作は『レイギの牧師』 (26) ,『狼花嫁』 (28) など,不道徳な恋愛を擬古体で綴った散文バラードである。
多くの作家が「民族の肖像」を描き続けたが,1918年の内戦後は,自己批判の姿勢が広まった。代表的な散文作家 J.レヒトネンは,『狭隘地』 (1919~20) で,農村の貧しい生活を色彩豊かに,ユーモアを交えながらもきびしい目で描いた。 V.キルピの傑作『アラスタロ家のホールで』 (33) は,内的独白や長いフラッシュバックで描かれるエピソード,正確で詳細な描写などが駆使されており,6時間の出来事が 900ページの大作となっている。キルピは実験小説の提唱者であり,時間の流れや過去の再生に興味をもったことから,M.プルーストや J.ジョイスと比較される。 F.E.シッランパーは,登場人物を生態学的な見地から描き,周囲の環境と切り離せないものとしてとらえた。この姿勢は彼の代表作『聖貧』 (19) ,『若くして逝きし者』 (31) によく表われている。この時期のすぐれた詩人としては,瞑想的,厭世的でアカデミックな作風の V.A.コスケンニエミ,簡単明瞭で圧縮された文体を得意とし,ギリシア古典やゲーテ,イプセンなどの翻訳でも知られた O.マンニネンがいる。第1,2次世界大戦間に活躍した詩人では,厳格な道徳律を支持した U.カイラスと,こだわりの名文家で美を繊細に追求した K.サルキアがいる。韻に関して古典的スタイルを発展させた A.A.ヘッラーコスキは,第2次世界大戦後に偉大な詩人として認められた。代表的な散文作家としては P.ハーンパーと T.ペッカネンがあげられる。ハーンパーは短編において,貧しい人々の生活を観察し,アイロニーに満ちた独特の手法をもつ巧みな名文家であることを証明した。プロレタリア作家ペッカネンは工場労働者の実態を描き,みずからの若き困苦の時代を描いた『わが少年時代』 (53) が代表作とされる。多才多作の M.ワルタリは『大いなる幻想』 (28) が出世作となり,のちに古代,中世を舞台にした歴史大作が国内外でベストセラーとなった。
第2次世界大戦は大きな転換期であった。大戦前あるいは大戦中に創作を始め,この困難な時代を生延びた作家は数少なかったが,まもなく自由韻や無韻詩,象徴的イメージやモダニズムによる詩的でないテーマなどを特徴とする若手詩人の一派が登場した。小説では新しい道が模索された。 V.メリは『マニラ麻のロープ』 (1957) のようなグロテスクな戦争小説を書き,V.リンナは古典的な物語風のスタイルを採用した戦争小説『無名戦士』 (54) や,社会批判小説『ここ北極星の下で』 (59~62) を発表した。 1960年代初期以降,多くの詩人が率直で洗練された会話体のスタイルを使い,社会や政治に関する問題についても立場を明確に示すようになった。散文では,知的実験や官能的ロマン主義,ドキュメンタリー風の小説,古典的な物語スタイル,日常生活の写実的な表現などが特徴となっている。
スウェーデン語で書かれたフィンランド文学は 19世紀に盛んになった。 J.L.ルネベルイは,フィンランドの人と自然をいきいきと描き出し,国民的詩人として不動の地位を得,Z.トペリウスは『軍医物語』 (1853~67) などの歴史小説や詩,児童文学で活躍した。 19世紀末に向って,スウェーデン語によるフィンランド文学は次第に下火になっていった。 1920年代になって,幻想的な詩で知られる E.ショーデルグランの登場をきっかけに,詩の世界でモダニズムが注目され,スウェーデン語によるフィンランド文学は再生した。 E.ディクトニウスの計算された辛辣な抒情詩は,それまでにない政治的な口調で表現された。 R.A.エンケルは自然を印象派風に描いた。 R.パルラン,B.G.B.カルペランといった第2世代のモダニズム詩人たちも同じようなスタイルをとった。 60年代にはモダニズムの耽美主義や個人主義を嫌う詩人たちが,これに反対する動きをみせ,より批評的,社会的な議論を導入した。 20世紀の数多い散文作家のなかでは,T.コリアンデルは宗教的な作品を創作した。また T.ヤンソンは想像力に富んだ物語「ムーミン」シリーズで世界的な名声を得た。若い世代では C.キールマンが傑出している。

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