改訂新版 世界大百科事典 「サル」の意味・わかりやすい解説
サル (猿)
ヒトにもっとも近縁な動物で,ヒトとともに哺乳綱霊長目をなす。もともとニホンザルを指すことばであったが,現在ではヒト以外の霊長類の総称として用いられ,狭義には,真猿類のオマキザル科とオナガザル科の種を指す。英語では,尾の長いサルをmonkey,尾のないサルをape,原猿類をlemur,またはprosimianといっている。
いわゆるサルということばから連想するイメージは,賢そうな顔つきや目つきをもち,木登りがうまく,手先が器用で,果実や木の実を好み,群れをなして森の中でくらしている動物といったものであろう。もちろん,後述のように,これからはずれる種も少なくないのだが,このようなイメージは,顔の前面に並んだ両眼,あまり突出していないあご,大きな頭,物を握ることのできる手,人のような平づめ,雑食に適した歯などという形態上の特徴に基づいている。分類学のうえでも,このような特徴を総合してサル類の位置づけが行われ,その特異な進化史的背景の検討が行われている(分類と分布については〈霊長類〉の項目を参照)。
生態
サル類のおもな生息環境は熱帯の森林であるが,ニホンザル,アカゲザル,ラングールなどのように,その一部が冷温帯に進出しているものや,パタスモンキーやヒヒ類のように乾燥した草原に生息するものもいる。活動の時間帯は,原猿類では夜行性のものが多いが,真猿類では南アメリカ産のヨザルを除いてすべてが昼行性である。サルの祖先は原始的な夜行性の哺乳類から派生し,それがしだいに樹上の生活に適応していく過程でサルらしさを獲得したと考えられる。原猿類の多くと新世界ザルのすべては完全な樹上生活者である。旧世界ザルのコロブス亜科も樹上生活者であるが,オナガザル亜科の種は地上をも利用するものが多い。類人猿はどの種も上肢が下肢に比べて長く,樹上生活への適応を示すが,テナガザルとオランウータンは完全な樹上生活者であるのに対して,ゴリラとチンパンジーは地上で活動する割合が大きい。つまり,サルは樹上に生活の場を得てサルとして完成されたのち,あるものは再び地上に向かったのである。とくにヒトの祖先は,この地上生活への再適応を直立二足歩行という新たな移動様式の獲得によって成し遂げたと考えることができ,このような視点からサル類の移動様式(ロコモーション)の進化とヒトの直立二足歩行の起源が検討されている。
サルの主要な食物は植物であるが,多くのものが雑食の傾向をもつ。原猿類では,夜行性のものは昆虫,小動物を好む雑食性,昼行性のものは植物食である。新世界ザルの多くも雑食性であるが,マーモセット科は昆虫,小動物を好み,オマキザル科のホエザルは葉食,クモザルは果実食に偏る。旧世界ザルのコロブス亜科は葉食性で,オナガザル亜科は雑食性である。採食される植物の種類は多様で,葉,芽,茎,花,果実,樹皮などさまざまな部位が利用され,昆虫や小動物もアリ,バッタ,セミ,甲虫類,カニ,貝,鳥の卵など,またヒヒはレイヨウなどの幼獣を捕食する。類人猿の中で,テナガザルとチンパンジーは雑食,オランウータンは果実食に偏り,ゴリラは植物食である。チンパンジーは,アリ,シロアリなどの昆虫,アカコロブス,ブッシュバックや野ブタの幼獣などをとらえてその生肉を食べる。
夜行性の原猿類は,巣をつくりそれをねぐらとし,睡眠や育児のために用いるが,真猿類で巣をつくるのは大型類人猿だけで,それもただ一夜を過ごすための,あるいは昼寝のためのものにすぎない。サル類のほとんどは定まった泊り場(ねぐら)をもつことなく,日々,集団のなわばりの中を遊動してくらしているのである。草原にすむゲラダヒヒやマントヒヒでは,集団のなわばりは完全に重複し,特定の岩山や崖を共同の泊り場として用いることがある。
原猿類やマーモセット科には,皮脂腺の分泌物や排泄物を木の枝などにぬりつけて印づけ,つまりマーキングをするものがあるが,真猿類にはこのような行動はほとんど見られない。ホエザルやテナガザルは,朝,大声を発してそれぞれの集団の居場所を示しあい,また,ニホンザルなどの行動域には,林床によく踏まれた移動経路(サル道)ができているが,このように高等なサルでは音声や地形などによってなわばりを区別し,集団間の配置の調和を保っている。
繁殖と寿命
原猿類と旧世界ザルは決まった繁殖期をもつものが多いが,類人猿ではそのような繁殖の季節性は消失している。新世界ザルの繁殖行動についてはまだ十分に明らかにされていない。真猿類の多くには雌の月経周期が見られ,発情に伴う雌の性皮の腫張は,ヒヒやマカックの多くおよびチンパンジー,ピグミーチンパンジーに見られる。ピグミーチンパンジーの雌の性皮の腫張はとくに顕著でかつ長期に及ぶ。原猿類には2~3対の乳頭をもつものがあり,出産子数も1~3頭であるが,真猿類の乳頭は1対で,1回の産子数はマーモセット科が2子であるのを除いて,ほとんどは1子である。マーモセット科を除く新・旧世界ザルは,雌は生後4~5年で性的成熟に達し子を生み始める。雄の性的成熟は雌より1~2年遅れる。類人猿の性成熟年齢は7~10歳で,初産年齢はそれよりさらに数年遅れ,出産間隔は3~4年,8年という例も知られている。飼育下での寿命は,ニホンザルが27年,チンパンジーが37年,ゴリラが35年とされ,オランウータンでは56年という記録がある。
社会生活
大型類人猿を除いたサル類の社会的単位には,その構成から見て,単独生活型,1組の雌雄とその子どもからなるペア型,異なった性,年齢のより多くの個体からなる群れ型の3型がある。原猿類にはこれら三つの型が見られる。
新世界ザルでは,マーモセット科とオマキザル科の一部はペア型で,クモザル,ホエザルなど残りのオマキザル科は複雄複雌群をもつ。旧世界ザルのすべては群れ型の社会単位をもつが,集団構成には複雄群と単雄群の2型が見られる。また,いくつもの単雄群が集合した複合的な社会も見られる。
類人猿のうちでテナガザルは典型的なペア型であるが,大型類人猿各種の社会組織は種ごとに異なっており,それぞれ上述の三つの社会単位のいずれでもない。オランウータンはこれまで単独生活者とみなされてきた。しかし,一時的な10頭以上もの集りが観察されたり,近隣の個体どうしは互いに見知り合っていると思われる行動が知られるようになり,個体間の交渉の頻度は少ないながらも,顔ぶれの定まったどうしがある地域と結びついて生活している可能性もある。ゴリラの集団は1頭の大きな雄(シルバーバック)と複数の雌とその子どもからなり,ときには,数頭の若い雄(ブラックバック)を含む。チンパンジーの単位集団は,複数の雄,雌,子どもからなるが,その全員がつねに集まってくらしているわけではなく,集団の遊動域内でときに集合しときには分散するというきわめて柔軟な結びつきを保っている。ゴリラとチンパンジーの社会単位は,構成だけを見るとそれぞれオナガザル類の単雄および複雄の集団と区別できないが,若い雌が出自(しゆつじ)集団(生まれ育った集団)を離れて他集団に移籍するという点で,雄が集団間を移籍する母系的なオナガザル類の単位集団とはその維持機構が根本的に異なっている。チンパンジーの雄は雌とは対照的に出自集団の遊動域を離れることはなく,また他集団に加入したという例は知られていない(ただし母親についていった子どもの例は少数ある)。サル類は,その形態,生態,社会生活などの諸側面を通じて,原始的な段階からヒトに連なる高等な段階まで,さまざまな進化の段階を示す。このこと自体が,サル類の大きな特徴といってよいであろう。
サルは,医学,薬学,神経生理学,心理学などにとってかけがえのない実験動物であり,小児麻痺ワクチン製造にサルが用いられたことはまだ記憶の新たなところであろう。近年,各国に,人類の進化を探るための研究や医学などの研究のために,サル類の研究所が建てられたが,日本の京都大学霊長類研究所もその一つである。また,愛知県犬山市の財団法人日本モンキーセンターは,博物館機能を備えた同様の民間施設で,80種以上のサルを保有,一般に公開し,世界一を誇っている。
執筆者:増井 憲一
猿をめぐる神話,伝説,民俗
ヨーロッパにはヒト以外の霊長類は産しないので,ギリシア・ローマの人々は,アフリカから輸入した猿を餌育,愛玩しつつも神格化することはほとんどなかった。キリスト教が支配的になると,猿は邪悪なもの,悪魔的なものとして忌みきらわれた。しかし,ジブラルタルに移されたバーバリーエイプは,18世紀初めにここを占領したイギリス軍によって幸運のシンボルとされ,今日に至るまで手厚く保護されている。一方,多くの猿を産するアフリカでは,猿を神格化するのがふつうで,古代エジプト人はマントヒヒを聖獣とみなし,死後はミイラにさえした。知恵の神トートも,マントヒヒの頭をもった姿に描かれることがある。またミイラ製造の過程で死者の内臓をはかるはかりの上に座すハピ神も,マントヒヒを原型とする猿である。今日でも中央アフリカのコンゴ民主共和国のバクバ族が語る創造神話では,猿のフームーを原初の人間としている。
とはいえ,古代から現代に至るまで一貫して猿を神聖視しているのはインドであろう。なかでもハヌマンラングールは,古代叙事詩《ラーマーヤナ》に登場する神通力の持主ハヌマット猿将のモデルとして神聖視されている。《ラーマーヤナ》が伝わった東南アジア各地でも同様である。仏典にも聖なる猿の話は多く,例えば猿が如来の鉢をもち釈尊にみつを奉ったという,いわゆる獼猴献蜜の故事などは,いくつもの石窟寺に彫られているほか,中央アジア経由で中国にもたらされた。中国でも古代から猿に関する伝説は多い。
しかし,古代から唐代ころまでは,猿(えん)(猨,蝯など)と呼ばれるテナガザルの系統がとくに神秘化され,猴(こう)と呼ばれるマカック属の系統は卑しいとされた。とくに白猿は,神仙にもたとえられるほどで,人間の女をかたって妻にすることさえ許された。宋代ころからは猿の神秘性はうすれ,代わって猴をめぐる話が優勢となる。小説《西遊記》に登場するサル孫悟空は,宋代以降にわかに優勢になった猴の代表者であるが,そのイメージには,猿をめぐる伝承も,また遠くインドのハヌマットの要素も,ともに揺曳(ようえい)している。中国の奥地の山中にすむシシバナザル(金糸猴,仰鼻猴)も,その美しい金毛や特異な容貌(青い顔とあおむきの鼻孔)のゆえに多くの伝説をもっているし,野人,野女と呼ばれる猿も,今日まで話題を提供し続けている。
執筆者:中野 美代子
日本の民俗
日本の猿は尾が短く体も小さくて猴と書くべき種類に属する。縄文時代から食用にされ,貝塚から骨が出るほか,古くから人に飼養されて愛玩用ともされ,銅鐸(どうたく)の絵画や埴輪(はにわ)の像の中にも猿をかたどったものがある。古くはマシ,マスなどと呼び,現代でも青森県,岩手県北部,秋田県鹿角郡,山形県庄内地方,和歌山県日高郡などの方言となって残り,一部では忌詞(いみことば)として用いられる。またエテという名称も忌詞として用いられるが,猿が巧みに物をつかむところから得手と称したといわれる。
猿の毛皮は敷物や矢を収納する靱(うつぼ)を覆うのに用いられ,第2次世界大戦には防寒帽にも使用された。肉は食用で軟らかく,塩漬として薬用にも供せられた。身体を温め下痢を止めるという。頭部は壺にいれて蒸焼きにして脳の薬とされる。サンコウ焼と呼ぶ黒焼きである。しかしながら,狩人は猿を撃つことをきらい産子(うぶご)にたたるとか,火事になるなどと信じていた。ことに西日本でこの風が著しい。
猿を飼いならして芸を教え,舞わせて銭を乞う猿曳(さるひき),猿回しなどの職は12世紀ころから知られ,《三十二番職人尽歌合》にも載せられている。狂言には《靱猿》があり,また近世には大名その他の厩祈禱(うまやのきとう)に猿曳を業とする者が訪れて猿を舞わせ,そのついでに町家を訪れて祝言を述べた。その機会は多く正月であって俳諧の季題ともなっている。猿を厩に飼って馬を守らせ病災を除くまじないとすることは中国やインドから伝えられたもので,日本の猿使いは陰陽師が民間に降って職となったものと考えられ,主として大都市に近い土地に集団で居住することが多かった。
庚申(こうしん)は中国から伝えられた信仰で,この日の夜に身体にすむ三尸(さんし)虫が天に登って天帝にその人の悪事を告げるといわれ,それを防ぐために集まって語りあかす庚申講が中世以来盛んになった。この際に庚申の猿にちなんで青面金剛の神像下に3頭の猿(三猿(さんえん))を描き,これを俗に〈言わざる,見ざる,聞かざる〉と称し,このような行為をつつしむことで人生を安全幸福におくることができるとする教えが尊ばれた。庚申信仰はもと日吉神社の神使が猿であるとされたように,山の神の使わしめを猿と考える民間信仰を基礎とし,中国伝来の教義をもって形をととのえたために,貴賤をとわず全国的に信仰されるに至ったものではなかろうかと考えられている。3年ごとに庚申供養の儀礼を行い,庚申塔を建立する風習は江戸時代に盛行し,神道でも庚申を猨田彦大神(さるたひこのおおかみ)(猿田彦命)と説くようになったが,これも庚申と猿との関連を無視しえなかったためであろう。
猿は動作,姿が人に似るため昔話や伝説の主人公としても人気があり,猿神譚,猿聟入(さるむこいり),猿地蔵,猿蟹合戦などの口承伝承の主人公としても活躍している。
執筆者:千葉 徳爾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報