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ヒューム ヒューム

17件 の用語解説(ヒュームの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヒューム
ヒューム

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ヒューム
ヒューム
Hulme, Thomas Ernest

[生]1883.9.16. スタッフォードシャー,エンドン
[没]1917.9.28. ベルギー,ニウポルト付近
イギリスの詩人,批評家,哲学者。乱暴なふるまいによってケンブリッジ大学を放校となり,ベルリンで哲学と心理学を学ぶ。第1次世界大戦で戦死。生前は E.パウンドを介してイマジズムの運動を興したほか,ベルグソンの『形而上学入門』や G.ソレルの『暴力論』の翻訳,雑誌論文,数編の短詩を公表しただけであるが,友人 H.リードの編集による遺稿集『省察』 Speculations (1924) が出版されて,原罪をふまえた宗教的世界観,古典主義的芸術観により,T.S.エリオットをはじめ詩人や作家に大きな影響を与えた。

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ヒューム
ヒューム
Hume, David

[生]1711.5.7. エディンバラ
[没]1776.8.25. エディンバラ
スコットランドの外交官,歴史家,哲学者,政治および経済思想家エディンバラ大学に学んだ。 1734~37年フランスに滞在し,『人性論』A Treatise of Human Nature (1739~40) をまとめた。

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ヒューム
ヒューム
Hume, Joseph

[生]1777.1.22. モントローズ
[没]1855.2.20. ノーフォーク
イギリスの政治家,社会改革家。エディンバラ大学で医学を修めたのち,1797年にインドに渡り,同地で富を築いた。 1812年に帰国し政界に進出,下院議員をつとめる。自由貿易を信奉し,機械輸出禁止法,労働者の海外渡航禁止法,団結禁止法などの廃止に尽力した。

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ヒューム
ヒューム
Hume (Home), Patrick, 1st Earl of Marchmont

[生]1641
[没]1724
スコットランドの政治家。 1665年より政界に入り,ローダーデール (公) の政策に反対して5年間入獄。 85年モンマス (公) の反乱に加担してオランダに亡命。 88年名誉革命に際しオランニェ公ウィレム (ウィリアム3世 ) とともに帰国。

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ヒューム
ヒューム
Hume, John

[生]1937.1.18. ロンドンデリー
イギリスの政治家。社会民主労働党党首。アイルランド国立大学卒業後,ハーバード大学国際政治学を専攻。教員を経て,1960年代末から北アイルランドの非暴力市民権運動を指揮し,1970年カトリック穏健派政党の社会民主労働党の創設に参加,1979年からは党首を務めた。

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デジタル大辞泉の解説

ヒューム(fume)

《「フューム」とも》物質の加熱や昇華によって生じる粉塵、煙霧、蒸気、揮発性粒子。

ヒューム(David Hume)

[1711~1776]英国の哲学者・歴史家。ロックバークリーとともにイギリス古典経験論を代表する。精神的実体や因果関係の客観性を否定。懐疑論の立場をとった。著「人性論」「英国史」など。

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百科事典マイペディアの解説

ヒューム

英国保守党の首相(在職1963年−1964年)。イートン校オックスフォード大学の出身。1931年下院議員となり,チェンバレン首相の秘書官(1937年−1940年)としてヒトラーとの交渉にあたる。

ヒューム

英国の詩人,批評家。第1次大戦で戦死。人間は原罪を負った不完全な存在であると見てロマン主義ヒューマニズムを否定し,古典主義的な態度を主張。詩の領域でイマジズム先駆けとなる一方,キュビスムなど新しい美術運動を擁護した。

ヒューム

英国のインド行政官。急進派の政治家ジョゼフ・ヒュームの子。1849年ベンガル行政官としてインドに渡り,要職を歴任したが,インド統治のありかたをめぐってしばしば本国政府と対立,1882年の退官後も1894年までインドに滞在。

ヒューム

英国の哲学者,歴史家。スコットランドのベリクシャー生れ。初め法律を学んだが,哲学や文学への欲求強く,1734年―1737年フランスに渡り,《人性論》を著す。1748年《人間知性研究》を発表,1752年エディンバラ図書館の司書となり,《イギリス史》6巻(1754年―1761年)を書く。
→関連項目イギリス経験論因果律カント観念連合啓蒙思想自我自然宗教ベッカリーア

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世界大百科事典 第2版の解説

ヒューム【Alexander Frederick Douglas‐Home】

1903‐95
イギリスの保守党政治家。1931年下院に入り,37‐39年A.N.チェンバレン首相秘書。51年スコットランド相,55年イギリス連邦関係相,60年外相を歴任,63年部分的核実験停止条約に調印した。14代ヒューム伯爵として51年以来上院議員であったが,マクミラン辞職に伴い,63年爵位を返上し下院より首相に就任した。翌年総選挙に敗れて辞任,65年ヒースに党首の座を譲った。【池田 清

ヒューム【Allan Octavian Hume】

1829‐1912
イギリスの政治家,社会改革者。1849年ベンガル文官としてインドに渡り,94年まで滞在。この間,収税・農務長官などのインド政庁の要職を歴任するが,植民地行政をめぐりしばしば本国政府の意向と対立した。また婦人の教育問題など社会改革の分野でも幅広い活躍をしたが,政治権力を奪われているかぎり社会改革は徒労という考えから,インド国民会議派の創設と発展に尽力した。【四宮 宏貴】

ヒューム【David Hume】

1711‐76
18世紀のイギリスを代表するスコットランド出身の哲学者。その多面的な思考活動のうち,従来は,懐疑論に基づく独断的形而上学批判,宗教現象の実証的分析,社会契約説批判,歴史主義的思考態度などの側面がとくに注目されてきたが,最近では,むしろA.スミスやスコットランド啓蒙思想(スコットランド学派)との関連を重視する立場から,近代〈市民社会〉の存立メカニズムを経験科学的に解明した思想家として評価しようとする傾向が有力になっている。

ヒューム【Thomas Ernest Hulme】

1883‐1917
イギリスの批評家。反ロマン主義の姿勢を強固に主張し,保ったことで知られる。1904年ケンブリッジ大学を放校され,独学ののち,カナダやベルギーを放浪。ロンドンに戻って〈詩人クラブ〉を創立するが,09年脱会して文学サロンを開き,イメージの明確な短詩を発表,〈イマジズム〉創始の一端を担う。H.ベルグソンの知遇を得て,彼の哲学を信奉,《形而上学序説》の英訳を出し,またG.ソレルの《暴力論》の英訳も出版。第1次大戦勃発とともにフランス戦線に従軍,17年戦死する。

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大辞林 第三版の解説

ヒューム【David Hume】

1711~1776) イギリスの哲学者・歴史家。ロックの経験論を徹底させた懐疑論の立場に立ち、因果法則や実体の観念の客観性を否定し、自我は「知覚の束」にすぎないと主張するなど、伝統的形而上学に破壊的な批判を加え、カントの批判哲学の成立に重大な影響を与えた。著「人性論」「英国史」など。

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世界大百科事典内のヒュームの言及

【煙】より

…また,自動車排気中の汚染物質が太陽光線の作用をうけて生成する白いスモッグをロサンゼルス・スモッグといい,55年の夏には300人以上の死者を出したという。このような大気汚染で問題になるのは粒径が10μm以下の浮遊粒子状物質で,ダスト,ヒューム,ミストに分類される。ダストは固体粒子,ヒュームは凝縮固体粒子,ミストは液体粒子である。…

【国民会議派】より

…他はイギリス人官吏のリベラルな部分であった。この流れを背景に,A.O.ヒュームら退職官吏,すでにイギリスで活動していたD.ナオロージーらが尽力して創設したのが国民会議派で,前記協議会も86年以降これに統合された。 こうした背景から,初期の国民会議派はきわめて限られた階級・階層の利害を代弁する穏健な組織で,しばしばイギリス統治の安全弁といわれた。…

【イギリス経験論】より

…多くの場合,大陸合理論と呼ばれる思想潮流との対照において用いられる哲学史上の用語。通常は,とくにロックG.バークリーD.ヒュームの3人によって展開されたイギリス哲学の主流的傾向をさすものと理解されている。通説としてのイギリス経験論のこうした系譜を初めて定式化したのは,いわゆる常識哲学の主導者T.リードの《コモン・センスの諸原理に基づく人間精神の探究》(1764)とされているが,それを,近代哲学史の基本的な構図の中に定着させたのは,19世紀後半以降のドイツの哲学史家,とりわけ新カント学派に属する哲学史家たちであった。…

【因果関係】より

…われわれが経験の中に見いだすことができることは,事象Aが起こった,そしてそれにひき続いて,事象Bが起こった,ということのみである。そこでヒュームは,因果関係から〈ひき起こす〉とか〈力〉とかいう概念を排除し,それは〈恒常的連接〉という関係にほかならないとした。すなわち,事象Aと事象Bの間には因果関係がある,ということは,事象Aが起こればつねにそれに伴って事象Bも起こる,ということにほかならない,というのである。…

【懐疑論】より

…近世においては,ルネサンスの豊かな思想的混乱の中で懐疑思想も復活し,伝統的な思想や信仰を批判する立場からも,逆にそれを擁護する立場からもさまざまなニュアンスの懐疑論が主張されたが,その中でもモンテーニュのそれはたんに否定的なものにとどまらず生を享受する術となっている点で,またパスカルのそれはキリスト教擁護の武器として展開されているにもかかわらず作者の意図を越えて人間精神の否定性の深淵を垣間見させてくれる点でそれぞれ注目に値する。なおD.ヒュームはしばしば懐疑論者のうちに数えられ,彼に刺激を受けたカントについても懐疑論との関係で論じられることもある。不可知論【塩川 徹也】。…

【観念】より

…しかし,他方で彼は精神を唯一の実体と認め,しかも究極的にはそれを神と考えて被造物によって知覚されていないときの観念の原型を神の心の中に永遠に存在するとみる,新プラトン派的な万有在神論の一面をも見せた。バークリーに続くヒュームは,心の対象を知覚と命名し,それを印象と観念とに二分したが,前者は外的感覚から得られた直接の与件であり,後者は記憶,想像におけるその再生であるが,さらに,前者から直接的にか,後者から間接的に心の中に生じるのが反省の印象だとする。観念と印象との差は力と生気の点で後者が前者にまさることに求められる。…

【観念連合】より

…観念連合説の古典的形態は古くから見られるが,顕著な代表例は近代イギリス経験論で,ホッブズ,ロックらにも発見される。しかし,たとえば,ロックなどのまだ消極的な傾向とは別に,観念連合に積極的な意義を与えたのはヒュームである。彼は観念間の関係として三つの自然的関係,すなわち,類似,接近,因果を考える。…

【啓蒙思想】より

…啓蒙の認識論のスタンダードを定めたといってもよいロックの経験論から,さらには自然科学的説明方式の力により全面的に依拠したドルバックらの唯物論,人間機械論の哲学にいたるまで,この動向をぬきにしては考えられない。ロックの経験論は,イギリスでは,ヒュームの懐疑論にまで徹底され,またフランスに移植されてコンディヤックの感覚論を生む。ロックやコンディヤックにおいて,エピクロス,ストアの哲学から中世の唯名論を通じて受け伝えられた記号学ないし記号論の発想には,その後今日に通じる新たな展開をみせていることをはじめ,多くの注目すべき点がある。…

【現象主義】より

…われわれの認識の対象は知覚的現れ,すなわち〈現象〉の範囲に限られるとする哲学的立場。ヒュームにおいて一つの明確な哲学的主張となって現れ,現代の経験主義に受け継がれている。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し,現象主義は意識内在主義の立場を取り,世界および自我を〈知覚現象の束〉として説明する。…

【功利主義】より

…彼はこれを立法の原理とすることによって,従来の政治が曖昧な基礎にもとづく立法に依拠していたのをただそうとしたのである。〈功利utility〉という語はすでにヒュームの《人間本性論》(1739‐40)で用いられており,幸福(快楽)をもたらす行為が善で不幸(苦痛)をもたらす行為が悪だとする考えは,常識のなかには存在していたといえるが,ベンサムはそれを学問的な原理に高めようとしたのである。そして〈最大多数の最大幸福〉という原理は,個人の利害と一般の利害とを合致させることをめざしている。…

【心】より

…心が固有の精神現象であるなら,その成立ちや機能を改めて考える必要があり,17世紀後半からの哲学者でこの問題に専念した人は多い。心を〈どんな字も書かれていず,どんな観念もない白紙(タブラ・ラサtabula rasa)〉にたとえた経験論のロック,心ないし自我を〈観念の束〉とみなした連合論のD.ヒューム,あらゆる精神活動を〈変形された感覚〉にすぎないと断じた感覚論のコンディヤックらが有名で,こういう流れのなかからしだいに〈心の学〉すなわち心理学が生まれた。ただし,19世紀末までの心理学はすべて〈意識の学〉で,心の全体を意識現象と等価とみなして疑わなかった。…

【想像力】より

… 近世においては,例えばデカルトは,想像力による数学的命題の証明を否認しながらも,それが純粋知性の洞察を形象的に直観化してくれるところから,想像力を知性の不可欠な補助手段とみなしている(《省察録》)。D.ヒュームも,〈想像のほとばしりほど理性にとって危険なものはない〉としながら,他方では〈想像力の一般的でより確定した特質〉が悟性にほかならないともいっている(《人性論》)。これらには,ともに,想像力に含まれる矛盾した諸契機を調停しようとする努力が見られる。…

【当為】より

…なお,〈である〉と〈べし〉の区別はしばしば〈存在〉と当為の区別として表現されるが,この場合の〈であるsein,is〉は存在ではなく特定の判断様相を表現しており,〈である〉判断は狭義の存在判断(〈黒い白鳥が存在する〉)だけでなく,全称判断(〈すべての白鳥は白い〉)や単称判断(〈この白鳥は白い〉)も含む以上,当為に〈存在〉を対置する用語法は不正確であり,避けたほうがよい。 方法二元論の基本的発想は古代ギリシアのソフィストにおけるノモス(人為的秩序)とフュシス(自然)との区別の内にすでに見られるが,当為判断が〈である〉判断から論理的に演繹しうるかという問いを明示的に提起した最初の重要な哲学者はヒュームである。しかし,ヒューム自身が方法二元論にくみしているか否かはヒューム解釈上論争がある。…

【人間科学】より

… 人間的諸事象の探求は,もちろん古くから行われたが,西欧近世になって自然科学が発展するとともに,とくに18世紀のイギリスやフランスで,自然科学の方法を人間的諸事象にも適用して探求することが試みられるようになった。たとえばD.ヒュームは,旧来の道徳哲学moral philosophyに代わって,モラルの領域(社会を含む人間の諸活動)に自然科学の方法を適用する〈人間の学science of man〉を主張し,あるいはサン・シモンは,生理学と心理学を基礎に人間精神の進歩の歴史(社会理論)を探求する〈人間科学〉を構想した。このころにはすでに,ルネサンス以来の〈人文学humanities〉の継承発展のなかで,文献学(言語学)や心理学や民族誌的な研究も発展するとともに,市民社会の〈解剖学〉としての経済学もその探求領域を確立していたが,生物学,生理学,解剖学,医学などの発展とあいまって,〈人間〉を対象とする諸科学の総合としての人間科学の確立への関心がいっそう高まった。…

【人間本性論】より

…18世紀イギリスを代表する哲学者D.ヒュームの主著。《人性論》とも訳される。…

【民主主義】より

…このように,民主主義を統治の一形式ととらえ,しかもそれを否定的にしか評価しないという考え方は,その後近代にいたるまで,ヨーロッパ各国の統治構造が例外なく王政的ないし貴族制的であった事実と対応して,少なくとも18世紀末まで,ほとんど揺るぎのない共通の了解であった。たとえば,18世紀中ごろにD.ヒュームが,統治の基礎を無定見な人民の同意に求めることは,結局,専制への道を開くと論じ,またモンテスキューが,民主主義を作動させる原動力は人民の徳性にあると論じながら,しかもそうした徳性は少なくとも同時代には存在しないと判断したことなどは,いずれもこうした了解の例証にすぎない。今日みられるように,民主主義がプラスの価値として自明化したのは,19世紀中を通じて戦われた,それまで政治の世界から排除されてきた民衆による権力参加,または権力奪取の激烈な運動と,その帰結である20世紀前半における各国での普通選挙制実現以後のことである。…

【イマジズム】より

…1910年代,エズラ・パウンド主唱の下に起こった英米の自由詩運動。1909年3月,反ロマン主義の詩論家T.E.ヒュームは,〈詩人クラブ〉を脱会して,仲間の詩人たちと毎週,ロンドン市内のソーホー地区の安レストランに集まり,フランスの象徴詩や日本の俳句にヒントをえて,イメージを重んじた自由詩の実験を試みた。この集りは1年ほどしかつづかず,彫刻家から社会運動家までを含む広範な社交の集りに変わってしまった。…

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