イギリスの細菌学者。ペニシリンの発見で知られる。スコットランドで8月6日に生まれる。小学校卒業後、ロンドンの工芸学校に進んだが、のちセントメリー病院医学校で教育を受け、1908年にロンドン大学で学位を取得した。セントメリー病院ではワクチン研究所で、オプソニン(補体や抗体など、白血球の食作用を促す物質)説の提唱で有名な免疫学者ライトAlmroth Edward Wright(1861―1947)の助手になり研究に従事した。第一次世界大戦中はライトとともに創傷感染に関する研究を行った。1928年にロンドン大学教授となり、ペニシリンを発見し、ライトの死後1944年にライト・フレミング微生物研究所長となり、同年ナイトの称号を受けた。ペニシリンの研究によってフローリー、チェインとともに1945年ノーベル医学生理学賞を受けた。ロンドンの自宅で心臓発作のため1955年3月11日死去。
細菌による感染症の対策に革命的な変革をもたらす端緒となったペニシリンが実際に医療上に使用され始めるのは第二次世界大戦中のことであるが、この物質の発見の源泉をたどると、第一次世界大戦のときにフレミングが創傷の問題、とくにその消毒法に関心をもつようになったことにさかのぼる。戦後も彼は継続して、正常な組織には無害な抗菌剤の探究に専念した。1921年にリゾチームを発見しているが、この物質の殺菌作用は強くない。その後1929年にブドウ球菌を培養しているときに、空気に数日間さらしたためにカビが生えた培養基で、カビの菌叢(きんそう)の周囲の寒天が透明でブドウ球菌が生育していないことをみいだし、カビの出す代謝産物が細菌の生育を阻止していることに気がついた。このカビは青カビ(ペニシリウム)であることが同定され、カビの出す有効物質を彼はペニシリンと命名した。この物質は人畜には毒性をもたず、多くの有害菌に対して成長抑制作用があることがわかり、論文として1929年に発表した。これがペニシリン発見の経緯である。しかしフレミングは、この物質の化学的処理については十分なことができず、治療用の広範な応用には至らなかった。
カビの大量培養と、培養液からのペニシリンの精製が可能になったのは、フレミングの発見後12年を経てからであって、フローリーとチェインとによる。ペニシリンの発見は、その後のストレプトマイシンなどの多くの抗生物質発見の端緒となった歴史的な事件である。主論文に「ペニシリウム培養の抗菌作用について」(1929)がある。
[宇佐美正一郎]
イギリスの電気工学者、二極真空管の発明者。牧師の子としてランカスターに生まれる。1870年ロンドン大学を卒業し、一時商社に勤めた。マクスウェルの『電磁気学』に感銘し、1877年奨学金を得てケンブリッジ大学に入学、キャベンディッシュ研究所のマクスウェルの下で学んだ。ここで標準抵抗値と精密比較するための抵抗ブリッジ、通称「フレミングのバンジョー」を組み立てるなど電気測定や変圧器の設計に取り組んだ。1880年ロンドン大学で博士号を取得、1885年同大学最初の電気工学教授となり、1926年まで在籍した。大学では発展しつつある電気技術の基礎をわかりやすく教えることに苦心し、「フレミングの法則」を考案した。
実地の技術にも関心が深く、1881年から10年間ロンドンのエジソン電灯会社(後のゼネラル・エレクトリック社)の技術顧問を務め、イギリスにおける電灯と電話の開拓者の一人になった。また1900年から25年間マルコーニ無線電信会社の技術顧問を務め、1901年大西洋横断通信のニューファンドランド受信局の設計、1904年「振動バルブ」すなわち二極真空管の特許取得、1906年アンテナの指向性の理論づけを行うなど無線電信の実用化に貢献した。エジソン効果(熱電子放出)を思い出して開発したといわれる二極真空管の開発は、高周波交流の検波を可能にしただけにとどまらず、今日の電子工学への第一歩を切り開いた。1930年からはテレビジョン学会の会長として活躍、1945年4月18日死去。
[高橋智子]
ドイツの細胞学者。ザクセンベルクに生まれる。ゲッティンゲン大学、チュービンゲン大学およびベルリン大学に学び学位を受け、プラハ大学やキール大学の教授を歴任。細胞分裂、とくに両生類細胞を材料として有糸核分裂について詳細な研究をなし、細胞遺伝学の基礎を築いた。動物染色体を研究するためにオスミック酸(四酸化オスミウム)を含む特有の固定液を開発した。これは「フレミング氏固定液」とよばれ、往時の哺乳(ほにゅう)類、鳥類、両生類などの染色体研究のための固定液として多くの細胞遺伝学者によって愛用された。またフレミングの三重染色法など、細胞形態学や細胞遺伝学研究上のいくつかの方法も考案している。
[吉田俊秀]
イギリスのスパイ冒険小説作家、ジャーナリスト。陸軍士官学校に学び、外交官を志したが試験に落第、1939年には海軍予備隊に志願し、第二次世界大戦中は海軍情報部に関係した。スーパー英雄007ことジェームズ・ボンドJames Bondを創作したが、最初の登場作品は『カジノ・ロワイヤル』(1953)で、その後『ダイヤモンドは永遠に』(1956)、『ロシアから愛をこめて』(1957)、『ドクター・ノオ』(1958)などを発表、とくに63年に『ドクター・ノオ』が映画化されて大評判をとり、続々と映画化されて爆発的人気をよんだ。007はイギリス情報部のスパイ暗号名で、上の二つのゼロは任務のために殺人も許されていることを示し、事実、一作品のなかで最低3人は殺しているといわれる。ハンサムで無類のタフガイ。賭博(とばく)が好きで、食事や酒にうるさく、女性に弱いという、現代男性の欲望の象徴のような存在で、このシリーズは長編12冊、短編集二冊がある。
[梶 龍雄]
『井上一夫訳『ロシアから愛をこめて』『ドクター・ノオ』(ハヤカワ文庫)』
カナダの土木技術者、政治評論家。スコットランドのカークカルディ生まれ。1845年カナダへ移住。1864年ノバ・スコシア国有鉄道技師。1867年自治領カナダが成立するや同政府の主任技師として1880年まで勤め、その間の1867~1876年インター・コロニアル鉄道、1871~1880年カナダ太平洋鉄道の建設に貢献するなど、カナダにおける鉄道建設の基礎を築く。1880年カナダ太平洋鉄道の民間への委譲に伴い一線を退く。その後、大英帝国の電信の国有システムの確立、世界の時間制の統一などを提唱。1902年カナダ―オーストラリア間の太平洋海底ケーブル開通に参画したほか、数々の政策を提言した。ノバ・スコシアのハリファックスにて没。
[高橋 裕]
ドイツの詩人。ザクセン出身。遠隔の地へのあこがれに誘われ、モスクワ(1633~34)およびペルシア(1636~39)への遠征使節団の一員となる。オーピッツの影響から出発したが、バロック詩特有の超個人的形式性、思想性、大げさな形象はみられず、生活と作品を統一する詩人の自意識から生まれた素朴な心にしみ入る叙情性は、ギュンターやゲーテの体験詩につながってゆく。
[小泉 進]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イギリスの細菌学者。スコットランドのロッホフィールドに生まれ,1897年にリージェント工芸学校卒業後,商船会社に4年間勤めた。1901年,ロンドン大学のセント・メアリーズ病院医学校に入学,卒業後引き続いて同校のライトAlmorth E.Wright(1861-1947)の研究室で細菌学を専攻した。第1次大戦の勃発とともに陸軍軍医団に加わり,フランスの野戦病院に派遣されたが,18年再び母校に戻り,29年に細菌学教授となった。早くから抗細菌性物質の研究を行い,1922年には溶菌酵素,リゾチームの発見などの業績をあげたが,最大の功績はペニシリンの発見であった。28年,使用済みとして放置しておいたブドウ球菌の培地にカビが混入し,そのカビの周りでは菌の発育が阻止されていることに気づき,そのカビを培養して得られたブドウ球菌発育阻止物質にペニシリンと名づけ,翌29年に発表した。この報告は発表当時は注目されなかったが,41年,H.W.フローリーとE.B.チェーンによって,臨床的に有効であることが確認された。45年,抗生物質第1号のペニシリン発見に対し,フローリー,チェーンとともにノーベル生理学・医学賞が授与された。
→ペニシリン
執筆者:川口 啓明
イギリスの電気工学者。1877年にケンブリッジ大学に入学,J.C.マクスウェルの指導のもとにキャベンディシュ研究所で標準電気抵抗の研究を行った。85年にロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの電気工学の教授となり,以後41年間この職にあった。一方,1882年からロンドンのエジソン電灯会社などの技術コンサルタントを務め,アメリカにエジソンを訪ねた後,89年にエジソン効果(熱電子放出現象)の研究を行った。
99年からは新興の無線電信会社マルコーニ社の技術コンサルタントになり,受信機の改良を手がける中で再びエジソン効果を取り上げ,1904年に整流作用をもつ二極真空管を発明した。その後は電気工学の教育に取り組み,29年にはナイトの称号を与えられた。磁場中で電流が受ける力の向き,磁場中を運動する導体に生ずる誘導起電力の向きを示す〈フレミングの法則〉の確立でも知られている。
執筆者:河村 豊
イギリスの小説家。ロイター通信社モスクワ特派員を務めた後,第2次世界大戦中は海軍秘密情報部に勤務。戦後はその体験を生かして,イギリス秘密情報部のスパイ〈007(ダブルオーセブン)〉ことジェームズ・ボンドを主人公とした,《カジノ・ロワイヤル》(1953)をはじめとする14冊のアクション小説を次々に発表した。フレミングにとっては文学的野心よりも,金もうけが執筆の動機であり,超人的な能力を備えた主人公が,ほとんど非人間的なまでに残忍,凶悪な異国の悪漢と死闘を繰り広げ,ついに勝利をおさめるという単純な筋立ての物語だが,いずれもベストセラーとなって,世界的人気を博した。作品の中に見られるように,彼は自動車,銃器,美酒,世界の風物に精通していた。
執筆者:小池 滋
ドイツ・バロック時代の抒情詩人。詩学の最大の理論家オーピッツの愛弟子であるが,師の冷徹な思索性を超克し,個人的感情と体験を民話調で吐露しながら,敬虔な生命,愛の喜び,自然の豊かさ,祖国の平和をうたい上げた。この早世した詩人の詩作にはペトラルカ風のラテン詩も多いが,彼は〈ソネットの名匠〉ともいわれ,そのいくつかは現在でも時代の隔りを感じさせないものがある。
執筆者:島田 勝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
スコットランド生まれのイギリスの細菌学者.ロンドンの工芸学校(Polytechnic)の商学科で学んだ.卒業後,4年間商船会社に勤務したのち,ロンドン大学St.Mary's病院医学校に入学して医学を学んだ.1906年同校の有名な細菌学者A. Wrightの助手となり,1928年細菌学教授となった.鼻の分泌液がある種の細菌を溶解することから,生体中に抗菌作用をもつ酵素リゾチームを発見した(1922年).1928年培養基に生えたアオカビが,まわりのぶどう状球菌を溶解することに気づき,アオカビよりペニシリンを抽出した.オックスフォード大学のH.W. ForeyとE.B. Chainは,ペニシリンを精製する技術を開発し,その結果,ペニシリンは化学療法剤として広く用いられるようになった.この業績により,1945年Forey,Chainとともにノーベル生理学・医学賞を受賞.晩年はエジンバラ大学の総長を務めた.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1881~1955
イギリスの細菌学者。ブドウ状球菌の研究中,青かびが生えるとその周囲のブドウ状球菌が溶かされる現象を認め,1929年その有効成分を抽出し,ペニシリンと名づけた。第二次世界大戦中アメリカの協力で量産された。45年ノーベル賞受賞。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…まもなく,このプロントジルの有効成分は体内で分解されて生ずるスルファニルアミドであることがわかり,以後今日まで,その誘導体は数千種以上も合成され,そのうちサルファ剤の総称で各種細菌性疾患の治療に用いられてきたものも多数に及ぶ。このドーマクの発見に先だつ1929年,イギリスのA.フレミングは,たまたま寒天培地上の黄色ブドウ球菌の集落が,その周辺にできたアオカビの集落によって溶けることを観察し,アオカビの培養濾液の中に各種細菌の発育を阻止する物質(ペニシリン)のあることを報告した。10年後,この報告から出発してイギリスのチェーンErnst B.Chain(1906‐79)とフローリーHoward W.Florey(1898‐1968)は,ペニシリンの再検討と実用化にのり出し,さらにアメリカの協力を得て工業生産にも成功した(1941)。…
…日本では,これに〈抗生物質〉という語をあてている。1929年のA.フレミングによるペニシリンの発見,38年から41年にかけてのH.W.フローリーらによる〈ペニシリンの再発見〉以降,新しい抗生物質の探索が世界的に始まった。したがって,抗生物質という言葉も物質も比較的新しいものである。…
…イギリスの作家I.フレミング作《カジノ・ロアイヤル》(1953)から《オクトパシー》(1966)までの小説の主人公として登場する,イギリス情報部のスパイ007。美男子で超人的能力の持主で,しかもイギリス紳士の典型のような彼は,世界をまたにかけて活躍し,多くの女性たちを魅了する。…
…この研究はのちの1905年の日本海海戦の信濃丸の通報に大いに役だっている。 他方,1904年には,イギリスのJ.A.フレミングにより二極真空管が,06年にはアメリカのL.デ・フォレストにより三極真空管が発明され,これらの電子デバイスの発明に助けられて,無線通信は急速に発展していった。 電波は通信に利用されただけではない。…
…後者については右手が用いられ(右手の法則という),磁場の方向に人差指を向け,導線の運動の向きに親指を向けると,中指の方向に電流が流れるような誘導起電力を生ずる(図)。いずれの法則もJ.A.フレミングによって明らかにされたものであるが,最近では電流のまわりに生ずる磁場の向きが,右ねじの法則(磁場の向きは,電流の方向に右ねじを進めるとき,その右ねじの回転する方向になる)に従うことだけを基本にして,次のように記憶することがふつうになっている。すなわち,電流が磁場から受ける力は,電流によって生ずる磁場が外部磁場と平行な側から反平行な側へ向かう方向である。…
※「フレミング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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