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ベルナール ベルナールBernard, Claude

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ベルナール
Bernard, Claude

[生]1813.7.12. サンジュリアン
[没]1878.2.10. パリ
フランスの生理学者。代謝生理や神経生理に関して数多くの業績を上げたほか,実験生物学の基礎理論を立てたことでも有名。父はブドウ栽培家であったが事業に失敗し,ベルナールは貧苦のなかで育つ。中等学校修了後,劇作家となり,脚本を書いたが,劇評家 S.M.ジラルダンの忠告に従ってパリの医学校に入学 (1834) 。のち,コレージュ・ド・フランス教授 F.マジャンディの助手となり,1846年頃から次々に重要な研究業績を上げる。膵臓が脂肪を分解することを発見し,消化における膵臓の役割を明らかにした。肝臓によるグリコーゲン合成の発見は彼の博士論文となった。植物毒のクラーレに関する研究も行い,これが運動神経のみに麻痺を生じ,知覚神経に影響がないことを見つけ,神経研究の手段として利用可能であることを示した。これらの業績が認められ,54年,彼のためにパリ大学に一般生理学教授のポストが新設され,また科学アカデミー会員に選ばれた。マジャンディの跡を継いでコレージュ・ド・フランスの教授 (55) 。 60年頃より病気のため一時実験から退いて,医学,生物学の方法論を構築することに専念。従来は実験を行う前にあらかじめ仮説を立てることの必要性が意識されていなかったのに対し,ベルナールは仮説の正否を検証するのが実験にほかならないと考え,仮説の重要性を強調した。 65年に著わした『実験医学序説』 Introduction à l'étude de la médecine expérimentaleで,生理学は物理学・化学に立脚すべきこと,生命力の概念は無効であること,生体解剖は生理学研究に不可欠なこと,生物学は科学的決定論に従うものであることなどを論じ,その後の生物学の発達にとって方法論上の基礎を与えた。内部環境の概念をつくりだしたこともベルナールの功績の一つとされており,それは内分泌学成立にとって理論面での準備となった。

ベルナール
Bernard, Émile

[生]1868.4.28. リール
[没]1941.4.16. パリ
フランスの画家,著述家。パリで F.コルモンのアトリエに入る。印象派の影響を受け,ゴーガンとともにクロアゾニスムに力を尽した。 1905年に季刊紙『美の革新』を発行。画家としてよりも詩人,美術評論家として,ゴッホ,セザンヌなどを紹介したことで知られる。

ベルナール
Bernard, Jean-Jacques

[生]1888.7.30. アンギアンレバン
[没]1972.9.12. パリ
フランスの劇作家。小説家 T.ベルナールの子。真実は語られる言葉の陰にあることを標榜した「沈黙派」の一人で,代表作は『マルチーヌ』 Martine (1922) 。

ベルナール
Bernard, Tristan

[生]1866.9.7. ブザンソン
[没]1947.12.7. パリ
フランスの劇作家,小説家。本名 Paul Bernard。パリ大学法学部卒業後,さまざまな職業を経たのち,戯曲『ニッケルめっきの足』 Les Pieds nickelés (1895) で成功を収め,軽妙な風刺のきいた作品を多数残した。代表作,喜劇『英語を話せばこんなもの』L'Anglais tel qu'on le parle (99) ,『三本足』 Triple-patte (1905) ,『プチ・カフェ』 Le Petit café (11) ,小説『堅実な青年の回想』 Les Mémoires d'un jeune homme rangé (1899) 。

ベルナール
Bernhardt, Sarah

[生]1844.10.22/23. パリ
[没]1923.3.26. パリ
フランスの女優。本名 Henriette-Rosine Bernard。 1862年コンセルバトアールを卒業後,コメディー・フランセーズの『オーリッドのイフィジェニー』 (J.ラシーヌ作) で初舞台。 1869年オデオン座で F.コペの『行人』の吟遊詩人を男装して演じ,一躍脚光を浴びた。 1879年にはヨーロッパ,南北アメリカを巡演。 1893年にはルネサンス座の座長,1897年にはみずからの名を冠した劇場の座長となる。あたり役は『フェードル』のフェードル,『椿姫』のマルグリット。 1905年『トスカ』のラストシーンで飛び降りたときのけがが遠因となって 1915年足を切断したが,演劇への情熱は衰えなかった。 1914年レジオン・ドヌール勲章を受章。

ベルナール

ベルナルドゥス[クレルボー]」のページをご覧ください。

ベルナール

ベルナルドゥス[シャルトル]」のページをご覧ください。

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デジタル大辞泉の解説

ベルナール(Bernard de Clairvaux)

[1091~1153]中世フランス修道士シトー会に入り、のちクレルボーに大修道院を創設

ベルナール(Claude Bernard)

[1813~1878]フランスの生理学者。膵液(すいえき)の消化作用、肝臓グリコーゲン生成作用の発見、神経による血管運動解明など、多くの業績がある。著「実験医学序説」など。

ベルナール(Sarah Bernhardt)

[1844~1923]フランスの女優。コメディー‐フランセーズに専属、のち「椿姫」「トスカ」などを演じて世界的名声を博した。

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百科事典マイペディアの解説

ベルナール

フランスの生理学者。パリで医学を修め,のちコレージュ・ド・フランス教授とパリ大学教授を兼任。実験医学,一般生理学の創始者といわれる。業績は多方面にわたるが,肝臓がグリコーゲンを生成し,血液中の糖量を調節していることを発見,また消化生理の研究を進歩させたこと,内分泌や,毒物による神経作用の研究等も名高い。
→関連項目自然主義ゾラ

ベルナール

フランスの画家。ポンタベン派の一人。リール生れ。ゴッホゴーギャンセザンヌと交友,彼らの影響を強く受けて前衛的な作品を制作したが,1900年前後からルネサンス期のベネチア絵画にひかれて保守的画風に変わった。
→関連項目サンテティスム

ベルナール

フランスの女優。国立演劇学校(コンセルバトアール)卒業後不遇だったが,1872年コメディ・フランセーズに招かれ,《フェードル》《リア王》などのヒロイン役で有名となった。
→関連項目ドゥーゼトスカナダールミュシャ

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世界大百科事典 第2版の解説

ベルナール【Claude Bernard】

1813‐78
フランスの生理学者。ソーヌ川に沿ったサン・ジュリアン村でブドウ栽培を業とする家に生まれ,初等教育を受けたのち,リヨンのある薬屋に雇われたが,劇作家になる夢を抱いてパリに出た。しかし,こと志とくいちがい,やがて医学の勉強に身を入れるようになり,コレージュ・ド・フランスの生理学教授F.マジャンディの知遇を得て,1841年その助手に採用され,2年後には胃液の作用に関する論文で学位を受けた。54年ソルボンヌ大学生理学初代教授,同年アカデミー・デ・シアンス会員,翌55年恩師急逝のあとを継いでコレージュ・ド・フランス教授となり,69年フランス学士院会員に推挙されたが,すでにそのころから病気がちの日々を過ごすようになり,78年2月10日尿毒症で没した。

ベルナール【Sarah Bernhardt】

1844‐1923
フランスの女優。本名はロジーヌ・ベルナールRosine Bernard。〈黄金の声voix d’or〉とたたえられた美声の持主で,19世紀末の名優〈聖なる怪物〉たちの一人。パリに生まれ,国立演劇学校(コンセルバトアール)を卒業し,1862年コメディ・フランセーズにデビュー。75年に同座の正式座員(ソシエテール)になる。77年,J.ラシーヌの《フェードル》のヒロイン役は大当りをし,同じく《アンドロマック》のヒロイン,V.ユゴーの《エルナニ》のドニャ・ソルを演じ,さらに79年のユゴーの《リュイ・ブラス》(初演)の女王役などは,名優ムーネ・シュリーとの共演でも評判となった。

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大辞林 第三版の解説

ベルナール【Bernard】

〔B. de Clairvaux〕 (1090~1153) フランスの神秘思想家。シトー会に入り、クレルボーに修道院を創設。アベラールらの弁証学的傾向を攻撃、キリストへの愛と帰依を強調した。「蜜流るる博士」と称される。
〔Claude B.〕 (1813~1878) フランスの生理学者。膵液の脂肪消化や肝臓のグリコーゲン製造分解などを発見し、一般生理学の創始者といわれる。著「実験医学序説」など。

ベルナール【Sarah Bernhardt】

1844~1923) 〔本名 Rosine Bernard〕 フランスの女優。「椿姫」などの悲劇を得意とし、世界各地を巡演し国際的名声を得た。

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367日誕生日大事典の解説

ベルナール

生年月日:1866年1月17日
フランスの彫刻家
1931年没

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世界大百科事典内のベルナールの言及

【環境】より

…さらには,生物主体が〈適応〉過程を通じて環境の中で最適な条件を選ぶという能動性を強調する立場も登場している。 クロード・ベルナールは外界の環境が激しく変化しても生物が生きていけるのはその〈内部環境milieu interieur〉(この場合の主体は細胞や組織)を一定に保つ能力があるためであるということを指摘し,この能力をホメオスタシスと呼んだ。今日この概念は外部環境にも逆輸入され,生態系のホメオスタシスといった使い方もされるようになっている。…

【クラーレ】より

…【山本 紀夫】
[医薬としてのクラーレ剤]
 クラーレに含まれる種々の物質のうち,ツボクラリンなどの有効成分の構造式が決定され,クラーレ剤の名で医薬として用いられる。 クラーレの作用部位が中枢神経系ではなく,神経筋接合部という運動神経と骨格筋との接合部位であることが,すでに1856年C.ベルナールによって示唆された。その後,さらに詳しい作用機序として,運動神経終末から遊離した伝達物質アセチルコリンの筋側の受容体への作用を,クラーレが競合的に妨げることが明らかにされた。…

【自然主義】より

…また,小説執筆のかたわら,ゾラは自らの自然主義文学理論を《実験小説論》(1880)にまとめあげた。バルザックの《人間喜劇》にならった〈ルーゴン・マッカール叢書〉全体の構想が,P.リュカの遺伝理論など生理学・生物学の成果に多くを負っているのと同じように,〈実験小説論〉は,クロード・ベルナールの《実験医学研究序説》に示された医学上の方法論をほとんどそのまま小説に適用することを主張するもので,ある環境に置かれた一定の遺伝的・生理的条件をもつ人間の変化反応を描く〈実験としての小説〉を提唱する理論であった。この理論はただちに多くの批判と反論を呼び起こし,科学的な実験と小説における想像上の〈実験〉を同一視するという基本的な誤りはその後も何度となく指摘された。…

【実験医学序説】より

…フランスの生理学者C.ベルナールの著書。生物と無生物とは,ちがった科学原理で支配されているとする生気論が登場していたフランス生理学界にあって,実証的思考を導入して実験を重視したF.マジャンディに師事し,実験生理学研究を推進してその後任者(1855年コレージュ・ド・フランスの医学正教授)になったベルナールが1860年,健康を害して郷里で約2年間静養中に,過去20年余にわたる研究をふまえて,実験的医学研究の方法論を執筆したのが本書で,65年パリで出版された。…

【糖尿病】より

…アラビア医学ではラージーとイブン・シーナーがこの病気について述べており,16世紀のパラケルススも知っていた。糖尿病を初めて近代医学的に研究したのは17世紀のイギリスの医学者T.ウィリスであり,19世紀のフランスの医学者C.ベルナールは血糖をとりあげ,糖尿病が病理学的に解明される道を開いた。 糖尿病は文明国ほど多く,また文字に親しむ人に多いともいわれる。…

【ドゥーゼ】より

…1879年ナポリでゾラ作《テレーズ・ラカン》のテレーズを演じ最初の成功を得る。80年トリノ市劇場の主演女優となり,同じころイタリアにやって来たS.ベルナールの《椿姫》を見て触発され,すぐにS.ベルナールの得意とした《バグダードの姫君》を上演して,まったく異なった役づくりで圧倒的好評を得た。85年以降,世界を巡演,S.ベルナールと人気を二分する国際的名女優となったが,当時の外面的な演技術を批判し,〈物の内面〉からの創造を目ざした彼女の演技は,〈人生そのものである〉とも評された。…

【トスカ】より

…1900年1月ローマのコスタンツィ劇場で初演。フランスの劇作家V.サルドゥーが名女優サラ・ベルナールのために書きおろした5幕からなる同名の戯曲からG.ジャコーザとイリカLuigi Illica(1857‐1919)が台本を共作。 1800年,オーストリア支配下のイタリアでナポレオン軍を迎えて各地で戦闘が行われているさなか,独立運動家たちの活動も加わって政情不安なローマを背景に,歌姫トスカと恋人の画家で自由主義者カバラドッシ,さらにトスカによこしまな思いを寄せる体制派の警視総監スカルピアの恋と葛藤を描いている。…

【ブルックス】より

…しかし真価を示した代表作は,G.W.パプスト監督に招かれて出演したドイツ映画《パンドラの箱》《淪落の女の日記》(ともに1929)であり,とくに《パンドラの箱》(原作はドイツの劇作家フランク・ウェーデキントの連作戯曲《地霊》《パンドラの箱》)で演じた娼婦ルルによって世界的に注目を浴び,その後もルルはウェーデキントの原作よりもむしろこの映画によって伝説的な存在となり,のちにジャン・リュック・ゴダールは,彼の映画《男と女のいる舗道》(1962)でアンナ・カリーナが演じた娼婦ナナに,ルルのヘア・スタイルとメーキャップをさせたといわれる。ブルックス本人は,パプスト原案,ルネ・クレール脚本によるフランス映画《ミス・ヨーロッパ》(クレールが監督する予定だったがプロデューサーと折り合わず,イタリア人のアウグスト・ジェニナ監督作品になった)に出演したあとハリウッドに帰るが,作品に恵まれず,ナイトクラブのダンサーやセールスガールになるなど不遇の時代を送り,40年代後半から世間の目を避けて隠棲するうち,50年代半ばに《パンドラの箱》を中心にした旧作がヨーロッパとアメリカでリバイバル上映されたのを機に〈ルル・フィーバー〉が高まり,55年には〈シネマテーク・フランセーズ〉のアンリ・ラングロアが映画生誕60年記念展に〈不滅の女優〉としてブルックスの写真を飾り,またサラ・ベルナール主演の《ギーズ公の暗殺》(1908)がつくられてから50年後の記念の催しにも彼女を招待した。こうしてルイズ・ブルックスとその神話は復活した。…

【ミュシャ】より

…ミュンヘンのアカデミーで学び,1887年パリに出る。94年サラ・ベルナールの《ジスモンダ》のポスターを描いて,一躍,世紀末の代表的なグラフィック・アーティストになった。1904年まで,《椿姫》《ロレンザッチョ》《ハムレット》など,ベルナールのためのポスターを描きつづける。…

※「ベルナール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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