ポルトガル文学(読み)ポルトガルぶんがく

改訂新版 世界大百科事典 「ポルトガル文学」の意味・わかりやすい解説

ポルトガル文学 (ポルトガルぶんがく)

ポルトガルの文学は,その人口の少なさ,国土の狭さからみると,ギリシアに次いで豊かなものをもっているといわれる。13世紀に始まるポルトガル文学について,ここでは個々の作品より,ポルトガル文学の流れを時代的に概観したい。

 現在知られている最古の文学的作品が13世紀前半のものであるところから,この時期をポルトガル文学の最初期とするのが一般的である。13世紀から14世紀半ばころまでにおいて,最も重要な文学作品は抒情詩であった。南フランス吟遊詩人の影響下に成立したカンティガ・デ・アモール(美しい婦人に心を寄せる男性のうた)と風刺詩,そして伝統的な口承文芸の流れをくむカンティガ・デ・アミーゴ(愛する男性を慕う女性のうた)がそれである。これらは現在三つの《古歌集》に収められている。これらの抒情詩はすべてポルトガル北部とスペインのガリシア地方において成立したことばガリシア・ポルトガル(ポルトガル語とガリシア語との母親にあたることば)によってつくられている(ポルトガル語)。このことばは当時イベリア半島の大半における抒情詩のための言語であった。国王ディニス(在位1279-1325)をこの時期の最後の代表的な抒情詩人として,この韻文の時代が終わり,14世紀後半から散文の時代に入る。この時期を代表するのはフェルナン・ロペスである。彼は年代記作者であったが,彼の年代記は単なる歴史書をこえ,独立した一つの文学作品としても十分鑑賞に耐える。国王ジョアン1世(在位1385-1433),その子ドゥアルテ(在位1433-38),ペドロもこの時期を代表する散文作品を残している。

 やがて大航海時代が始まり,ポルトガルがアフリカ,アジアへと進出するにおよんで,ジョアン・デ・バロスを代表とする〈500年代の歴史家〉と呼ばれる一群の人びとが,海外におけるポルトガル人の〈事績〉を記録にとどめる。こうした記録は厳密な意味での文学とは言いがたいが,大航海時代におけるポルトガル人の,とくに航海中の悲劇的なドラマはゴメス・デ・ブリトBernardo Gomes de Britoによって《海難記》(1735-36)としてまとめられた。すぐれた描写力によって語られる悲劇のかずかずは,読む人の心を激しく打つ。この時代の生んだ重要な文学作品にメンデス・ピントの《東洋遍歴記》(1614)がある。記されている内容のすべてが事実であるか否かについては議論があるが,ピカレスク小説的側面も有し,事実とフィクションを巧みに織りまぜて,単にポルトガル文学だけでなくヨーロッパ文学のなかでも特異な存在である。さきに触れたジョアン1世以下の人びとを代表者とする〈アビス王家の散文家〉たちと時代をほぼ等しくするガルシア・デ・レゼンデGarcia de Resendeは14世紀の詩を中心として集めて《総歌集》(1516)を編んでいる。

 16世紀はポルトガルのルネサンス期であり,この時期に生まれた文学作品の量の多さ,その質の高さからポルトガル文学史の〈黄金時代〉と呼ばれている。この時代を代表する作家としては数多くの宗教劇,風俗劇などの作品を残したジル・ビセンテがおり,ルネサンス期のヨーロッパ文学を代表する叙事詩ともいわれている。《ウズ・ルジアダス--ルシタニアの人びと》(1572)を著したルイス・デ・カモンイスがおり,イタリアに滞在しイタリアから新しい詩型と詩法のかずかずをポルトガルに紹介した抒情詩人サ・デ・ミランダFrancisco de Sá de Miranda(1481?-1558),ポルトガルの近代小説の幕開けを告げた人ともいわれるリベイロBernardim Ribeiroなどがいる。

 1580年から1640年までポルトガルがスペインに併合されていたこと,さらには反宗教改革運動,異端審問制度などが原因となって,16世紀末期には文学活動は突然ともいえるほど急速に沈滞した。17世紀はバロック文学の時代と呼ばれ,この時期を代表する人としてロドリゲス・ロボFrancisco Rodrigues Lobo(1580ころ-1621)とマヌエル・デ・メロFrancisco Manuel de Melo(1608?-66)を挙げることができる。この世紀はまた〈スペインの世紀〉とも呼ばれているように,スペイン文学の影響の強い時代であった。しかしそれと同時にポルトガル文学がスペイン語訳を介し,ピレネー山脈を越えてひろくヨーロッパに知られるようになった時代でもある。

 18世紀になるとポルトガル人は前の世紀ほどスペイン文学に魅力を感じなくなり,フランス文学が強い関心の対象となる。ラファエル・ブリュトー,アントニオ・ベルネイなどによる百科全書的な壮大なる著作が現れ,種々のアカデミーが設立された。そのなかで最も重要なものは詩人コレア・ガルサンを理論的指導者とするアルカディア・ルジターナ(1756創設)で,このアカデミーによって新古典主義的作品が多く現れた。

 新古典主義的雰囲気の支配するなかで,次のロマン主義文学の先駆者として重要な役割を果たしたのが,ウィーン,ロンドンで新しい思想に接した女流詩人レオノール・デ・アルメイダLeonor de Almeida(1750-1839)である。ポルトガルのスタール夫人とも呼ばれるこのアロルナ侯爵夫人のサロンに集まった詩人のなかで,前ロマン主義を代表する詩人がゴンザーガTomás António Gonzaga(1744-1810),ボカージェManuel Maria Barbosa du Bocage(1765-1805)である。前ロマン主義は政治的には興隆しつつあった自由主義的な思想に基づくものであった。次のロマン主義の時代を代表する2人の作家ガレトエルクラーノも思想的には同じ系譜に属する人びとであった。前者は新古典主義者として出発したが,ポルトガルにロマン主義を紹介・定着させた人物であり,後者は詩人・歴史小説家としても,歴史家としても高名である。やがてポルトガルの文学は,小説家カミーロ・カステロ・ブランコ,ジュリオ・ディニス,詩人ジョアン・デ・デウスJoão de Deus(1830-96)が出現するにおよんで,徐々にロマン主義から写実主義へと移行する。〈60年代作家〉と呼ばれるこれらの人びとの作品は強い社会的関心と登場人物の心理描写を特徴とする。ポルトガルに写実主義を確立したのは,のちに〈70年代作家〉と呼ばれる一群の作家たち--アンテロ・デ・ケンタルAntero de Quental(1842-91),エッサ・デ・ケイロス,文学史家テオフィロ・ブラーガTeófilo Braga(1843-1924)ら--である。世紀末を代表する詩人としてはゲーラ・ジュンケイロ,ゴメス・レアルAntónio Duarte Gomes Leal(1848?-1921)らがいる。フランスの象徴主義運動をポルトガルに移入したのはエウジェニオ・デ・カストロEugénio de Castro(1869?-1944)で,これをゆるぎないものとしたのはカミーロ・ペサーニャCamilo de Almeida Pessanha(1867-1926)である。

 1910年にポルトガルで革命が起こり共和政になると,それに呼応するかたちで一群の知識人が雑誌《鷲》(1910創刊)によって活動を開始した。のちにこのグループは分裂し,アントニオ・セルジオ,ラウル・プロエンサ,ジャイメ・コルテザン,アキリノ・リベイロなどが雑誌《セアラ・ノーバ》(1921創刊)によって文学活動を展開した。雑誌《オルフェウ》(1915年3月,6月)はわずか2号で廃刊になるという短命なものであったが,カモンイスとならぶ詩人といわれるフェルナンド・ペソア,アルマダ・ネグレイロ,アンジェロ・リマらによるモダニズム運動の拠点となった雑誌で,その影響は現在でも無視できないものがある。1927年には雑誌《プレゼンサ》が創刊され(1945廃刊),当時一部の人にしか知られていなかった《オルフェウ》の重要な詩人たちの作品を掲載しひろく人びとに知らしめたほかに,ジョゼ・レジオ,ジョアン・ガスパル・シモンイス,ブランキニョ・デ・フォンセカらの活動拠点ともなった。

 30年代の半ばころから,とくに散文の分野でネオ・レアリズムの作品を著す若い作家が登場した。ソエイロ・ペレイラ・ゴメス,アルベス・レドル,マヌエル・デ・フォンセカらがそれである。

 現代ポルトガルの文学状況は,作家の関心と思想的傾向が多岐にわたっており,概観することは容易でない。散文の分野では,ネオ・レアリズムの系譜に属しすぐれた作品を数多く発表して現代ポルトガル文学を代表する一人となっているフェルナンド・ナモーラ,ネオ・レアリズムから出発し実存主義的な作品を書いているベルジリオ・フェレイラ,さらにはアウグスティナ・ベサ・ルイス,ジョゼ・カルドゾ・ピーレス,ウルバノ・タバレス・ロドリゲス,アルメイダ・フェリアなどが挙げられる。詩人ではジョルジェ・デ・セーナ,エウジェニオ・デ・アンドラデ,エルベルト・ヘルデルらがいる。

詩や小説などでは豊かな歴史をもつポルトガルも,演劇になると必ずしもその歴史は華々しいものではない。ポルトガル人は独自の演劇を創造する才能に恵まれていないのだ,と主張する人もいる。これは一種の誇張であるが,ポルトガルの他の文学ジャンルの成果の豊かさにくらべれば,単なる独断として退けることはできない。

 ポルトガルの演劇史は決して華やかなものではないが,とくに重要な作家として3人は挙げなければならない。それはジル・ビセンテ,アントニオ・フェレイラAntónio Ferreira(1528?-69),アルメイダ・ガレトである。

 なかでもジル・ビセンテがとくに重要な作家であるが,それは単に彼がポルトガル演劇の創始者とされているためではない。当時のヨーロッパには,比肩できる人がいなかったといわれるほど傑出した力量の持主であった。アントニオ・フェレイラがポルトガル演劇史において果たした最も重要な役割は,ギリシア・ローマ劇の実質的な紹介者であったことと,そうした古代劇にならった作品を残したことである。とくに代表作である悲劇《カストロ》(1587)は,ギリシア悲劇の構造に基づいた作品で,16世紀西ヨーロッパにおけるギリシア悲劇再興の具体的表れとしても最高級のものの一つに数えられている。アルメイダ・ガレトはポルトガル演劇の改革者・旗手として重要な役割を果たした人である。彼の作品は史劇が中心であるが,政治的関心が強く,政治活動に参加し,そのため国外に追放されたこともあった。このことからもわかるように,その史劇は単なる懐古趣味を満足させる類のものでなく,当時のポルトガルの政治・社会に対する鋭い批判を含むものであった。

 演劇活動そのものはつねに活発で,翻訳劇を含め伝統的な劇はもちろん実験的なものも上演されている。それと同時に,上演を目的としない〈劇〉が現在のポルトガルで書かれつつある。これが一つの〈新しい文学ジャンル〉として定着するか否かはまだ判断できないが,きわめて興味ある動きとして注目される。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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