世宗(金)(読み)せいそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「世宗(金)」の意味・わかりやすい解説

世宗(金)
せいそう
(1123―1189)

金の第5代皇帝(在位1161~89)。祖父は阿骨打(アクダ)。父は宗輔。上京会寧(かいねい)府(黒竜江省)に生まれる。女真(じょしん)名は烏禄(うろく)。諱(いみな)は雍(よう)。1161年、金の第4代皇帝海陵(かいりょう)王が、南宋(なんそう)を滅ぼして中国を統一するため南征軍を起こしたが、国力と人々の意向を無視した動員であったため、契丹(きったん)人の間から反乱が起こり、女真人も海陵王に背いた。東京(とうけい)留守として遼陽(りょうよう)にいた烏禄は、渤海(ぼっかい)人の後裔(こうえい)や海陵王に反感をもつ女真豪族に支持され、帝位につき大定と改元した。海陵王は南征の途中で部下に殺された。62年、烏禄すなわち世宗は燕京(えんけい)(北京(ペキン))に遷都し、契丹人の反乱を鎮定し、65年、宋と和議を結んだ。長年にわたる宋との交戦や契丹人反乱の鎮定のため、金国は財政難に陥っていたが、世宗は自ら倹約を実行し、仏教教団に度牒(どちょう)、師号を売り、富民に米粟(べいぞく)を上納させて官を与え、財政を立て直そうとした。また64年、民衆財産を査定して一定の税をとる物力銭(ぶつりきせん)の徴収を始めた。財産査定のことを通検推排(つうけんすいはい)といった。

 世宗は女真の固有の風俗の作興に努め、1164年、女真文字によって漢籍を翻訳し、女真語により試験を行って女真進士を登用し、京師に女真国士学を設け、女真語の普及に努めた。また、貧窮した猛安(もうあん)・謀克(ぼうこく)戸の救済のため、80年に改めて土地調査を行い、豪族の土地を没収し、土地をもたぬ女真戸に分配した。しかしその効果は一時的であって、女真人の貧困と政府財政の窮乏を救うに至らず、金国の基盤は崩壊しつつあった。

[河内良弘]

『三上次男著『金代女真の研究』(1937・座右宝刊行会)』『外山軍治著『金朝史研究』(1964・東洋史研究会)』

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旺文社世界史事典 三訂版 「世宗(金)」の解説

世宗(金)
せいそう

1123〜89
金の第5代皇帝(在位1161〜89)。金朝第一の名君で,小堯舜 (ぎようしゆん) とも呼ばれた
南宋攻撃中の海陵 (かいりよう) 王に反対して遼寧 (りようねい) (遼陽)で即位し,中都(北京)に進出。契丹 (きつたん) 人の反乱を平定し,官紀の粛正,財政の緊縮,民生の安定などの諸政策を実施し,南宋に対して平和政策をとった。

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