出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
〈緒通し〉の意で,甲冑(かつちゆう)の𩊱(しころ)の威毛(おどしげ)をいう。古く《東大寺献物帳》には貫(ぬき),《延喜式》には懸緒(かけお)と記してある。すなわち甲冑を構成するのに,小札(こざね)を端から半ば重ね合わせて並列し,下方の緘孔(からみあな)で横綴じした小札板を一段一段上下に連ねて綴じる線を威毛といい,とくに小札板の両端を通す線を耳糸,草摺(くさずり)や𩊱の裾板(すそいた)の下方の孔を横にたすきに綴じたのを菱縫(ひしぬい)と称している。
威毛の手法を大別すると,縦取威と縄目威があり,縦取威は小札頭の1段目と2段目の孔の表に威毛が縦に通っているもので,古墳出土の挂甲(けいこう),正倉院伝来の挂甲残欠にみられ,上代甲冑のいちじるしい特色である。なお,大山祇神社の沢瀉威鎧(おもだかおどしよろい),法隆寺伝来御物の沢瀉威鎧雛形の威毛もこの手法で,挂甲のなごりをとどめている。縄目威は,小札頭の第1孔から次の小札の第2孔にかけて斜向状に威毛があらわれているのをいい,中世甲冑の特色であり,ながく後世まで行われた手法である。なお室町時代以後の当世具足にみる,威毛の間隔をおいて2本あるいは3本ずつ威した素懸(すがけ),三筋懸(みすじがけ)と称する簡略化したものもある。
威毛の材質についてみると,革威,糸威,綾威の類がある。革威には虎の皮(《平治物語》),牛革(《保元物語》)などもあるが,主として鹿のなめし革で,それに洗革,黒革,藍韋(あいなめし),紫韋,薫韋(ふすべなめし),小桜韋,小桜黄返韋(きがえしなめし),歯朶韋(しだなめし)などの染韋(そめかわ)がある。糸威は絹の組紐を主とし,正倉院伝来の挂甲残欠には二本(にほんない)の縄がみられ,大山祇神社の沢瀉威鎧は三つ打の組糸であり,猿投神社の樫鳥糸威鎧は四つ打の組糸である。このように古式の鎧の威毛は手数が少なく幅が狭いのにくらべて,平安末期から鎌倉時代の鎧の組糸は八つ打ないし六つ打の組糸で,さらに南北朝時代以後のものはほとんど六つ打の組糸に限られる。しかも前代よりいちじるしく厚さが薄くなっており,時代の趣向がうかがわれる。
糸威の色目は,白,黒,紺,赤,紅,緋,紫,黄,浅葱(あさぎ),縹(はなだ),萌黄(もえぎ)などの一色のものと,これらの色を配合して威したのがある。これは宮廷婦人の小袿(こうちぎ)の襲(かさね)色目の趣にも比すべき武門のいちじるしい装飾で,その意匠をあげると,下濃(すそご),村濃(むらご),匂(におい),肩異色(かたがわりいろ),片異色(かたがわりいろ),中異色(なかがわりいろ),伏縄目(ふしなわめ),沢瀉,逆沢瀉,敷目(しきめ),褄取(つまどり),腰取(こしどり),耳取(みみどり),色々,段々などがある。村濃は群濃の意でここかしこに濃色のあるもの,匂は濃色から薄色に漸移させたもの,肩・片・中異色はその部分を白赤などにし他の威毛とは色を異にしたもの,伏縄目は縄目のように斜向状に色糸で威したもの,沢瀉はその葉をかたどり色糸で威したもの,敷目は市松文様のような石畳文を威したもの,褄取,腰取は衣服の褄を取り,腰をからげたように色糸をちがえて威したもの,耳取は両端の耳糸の部分を色がわりに威したものである。なお,色々威の中には韋威と糸威を配合したものもある。綾威は麻裂(あさぎれ)を心に綾をたたんで威した優美なもので,厳島神社の浅葱綾威鎧,大山祇神社の紫綾威鎧,浅葱綾威鎧がその遺品である。特殊な部分の威である耳糸は亀甲打,畦目(うねめ)は啄木(たくぼく)を使用するのを普通とし,菱縫は紅糸もしくは紅韋を使用しており,中には描菱(かきびし)といって,朱描のものもある。
→甲冑
執筆者:尾崎 元春
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「緒(お)通し」の意で、札(さね)の穴へ緒を通し上下に連ねて甲冑(かっちゅう)を形成すること。縅とも書く。威し立てられた緒の配列が、鳥の羽毛や解き下げられた毛に似るところから威毛(おどしげ)とよび、毛ともいう。ただし、古く『肥前国風土記(ふどき)』に「貫緒(つらお)」とあり、756年(天平勝宝8)の『国家珍宝帳』には「組貫(くみつら)」と記されている。威や威毛とよぶようになったのは平安後期のことと考えられる。
威の手法は毛引(けびき)と素懸(すがけ)とに大別される。毛引威は小札(こざね)ごとに威毛の通るもので、上下の札板(さねいた)の間を左から右へ横に順次威していくが、札頭(さねがしら)の緘(から)み方により縦取(たてどり)と縄目取(なわめどり)とに分かれる。縦取は札頭の上の2孔に縦に緘む手法で、古く愛媛県大山祇(おおやまづみ)神社の逆沢瀉威大鎧(さかおもだかおどしおおよろい)と伝聖徳太子玩具(がんぐ)逆沢瀉威鎧雛型(ひながた)にみられるほか、室町初期ごろまで大鎧の弦走下(つるばしりした)に用いられ、また、耳糸(みみいと)(威毛のうち、両端の1筋の糸)は江戸末期まで行われた。縄目取は平安後期以降普遍的に用いられた手法で、上の2孔を利用することは縦取と同じであるが、次列の札との間を交互に斜めに緒が通り、表面には縄目状の美しい配列がみられる。素懸威は室町時代に始まり江戸時代を通じ多く板物(いたもの)製の甲冑に行われた。威毛2本を1単位とし、札頭で菱(ひし)に緘み、縦に下へ威し立て、その配列はまばらになる。
威毛の材料は、平打(ひらう)ちのおもに絹の組糸、鹿(しか)の染韋(そめかわ)を細く断った緒、綾(あや)や平絹を細く畳み麻布の芯(しん)を入れた緒などで、おのおの糸威(いとおどし)、韋(かわ)威、綾威などと称される。威毛は、白のほか赤、緋(ひ)、紅(くれない)、紫、浅葱(あさぎ)、萌黄(もえぎ)、縹(はなだ)、黒などに染められ、1色あるいは数色を組み合わせてさまざまの美しい色目を表現した。これには甲冑の形式、着用者の身分や好み、時代の好尚が反映され、合戦絵巻の描写にみられるように甲冑美を盛り上げ、華やかに軍陣を彩った。威毛とその色目の情緒的な美しさは日本甲冑の一大特色といえよう。平安後期から鎌倉時代には、赤、緋、紫、黒などのほか、腰を白あるいは淡くし、その上下をしだいに濃くする匂威(においおどし)や、裾濃(すそご)という上白く裾を漸次濃くした公家(くげ)装束の色目に由来する暈(ぼかし)風の色目、歯朶(しだ)や桜花を韋に散らし染めした歯朶韋威・小桜威・小桜黄返(きがえし)、沢瀉の葉の形を色糸で表した沢瀉・逆沢瀉威などが行われ、鎌倉末期から室町初期にかけては、袖と草摺(くさずり)の片側を数色の糸で斜めに彩った妻取(つまどり)威が流行した。
南北朝時代以降は黒韋(くろかわ)威が好まれたほか、肩白(かたじろ)、肩取(かたどり)、中白(なかじろ)、腰取(こしどり)、色々(いろいろ)威、緂(だん)(段)威などがおもに胴丸(どうまる)、腹巻(はらまき)に行われた。近世には、日の丸、桐(きり)、巴(ともえ)、万字、扇などの文様や紋章を表した技巧的な紋柄(もんがら)威が一時期流行した。しかし、甲冑の形式が板物(いたもの)を主とする当世具足(とうせいぐそく)に変わり、威毛の使用が少なくなったため、甲冑の表面は、皺革包(しぼかわづつみ)、金銀箔(はく)押し、鉄錆(かなさび)、象眼(ぞうがん)、蒔絵(まきえ)などとし、威毛を用いたものも黒糸や紺糸が主流となり、中世に甲冑美の中心をなした威毛は色彩感覚を低下し、情緒的な美しさを失い、雅趣の乏しいものとなった。
[山岸素夫]
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