デジタル大辞泉の解説
2 人を恐れさせる強大な勢力。武威。「虎の
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
「緒(お)通し」の意で、札(さね)の穴へ緒を通し上下に連ねて甲冑(かっちゅう)を形成すること。縅とも書く。威し立てられた緒の配列が、鳥の羽毛や解き下げられた毛に似るところから威毛(おどしげ)とよび、毛ともいう。ただし、古く『肥前国風土記(ふどき)』に「貫緒(つらお)」とあり、756年(天平勝宝8)の『国家珍宝帳』には「組貫(くみつら)」と記されている。威や威毛とよぶようになったのは平安後期のことと考えられる。
威の手法は毛引(けびき)と素懸(すがけ)とに大別される。毛引威は小札(こざね)ごとに威毛の通るもので、上下の札板(さねいた)の間を左から右へ横に順次威していくが、札頭(さねがしら)の緘(から)み方により縦取(たてどり)と縄目取(なわめどり)とに分かれる。縦取は札頭の上の2孔に縦に緘む手法で、古く愛媛県大山祇(おおやまづみ)神社の逆沢瀉威大鎧(さかおもだかおどしおおよろい)と伝聖徳太子玩具(がんぐ)逆沢瀉威鎧雛型(ひながた)にみられるほか、室町初期ごろまで大鎧の弦走下(つるばしりした)に用いられ、また、耳糸(みみいと)(威毛のうち、両端の1筋の糸)は江戸末期まで行われた。縄目取は平安後期以降普遍的に用いられた手法で、上の2孔を利用することは縦取と同じであるが、次列の札との間を交互に斜めに緒が通り、表面には縄目状の美しい配列がみられる。素懸威は室町時代に始まり江戸時代を通じ多く板物(いたもの)製の甲冑に行われた。威毛2本を1単位とし、札頭で菱(ひし)に緘み、縦に下へ威し立て、その配列はまばらになる。
威毛の材料は、平打(ひらう)ちのおもに絹の組糸、鹿(しか)の染韋(そめかわ)を細く断った緒、綾(あや)や平絹を細く畳み麻布の芯(しん)を入れた緒などで、おのおの糸威(いとおどし)、韋(かわ)威、綾威などと称される。威毛は、白のほか赤、緋(ひ)、紅(くれない)、紫、浅葱(あさぎ)、萌黄(もえぎ)、縹(はなだ)、黒などに染められ、1色あるいは数色を組み合わせてさまざまの美しい色目を表現した。これには甲冑の形式、着用者の身分や好み、時代の好尚が反映され、合戦絵巻の描写にみられるように甲冑美を盛り上げ、華やかに軍陣を彩った。威毛とその色目の情緒的な美しさは日本甲冑の一大特色といえよう。平安後期から鎌倉時代には、赤、緋、紫、黒などのほか、腰を白あるいは淡くし、その上下をしだいに濃くする匂威(においおどし)や、裾濃(すそご)という上白く裾を漸次濃くした公家(くげ)装束の色目に由来する暈(ぼかし)風の色目、歯朶(しだ)や桜花を韋に散らし染めした歯朶韋威・小桜威・小桜黄返(きがえし)、沢瀉の葉の形を色糸で表した沢瀉・逆沢瀉威などが行われ、鎌倉末期から室町初期にかけては、袖と草摺(くさずり)の片側を数色の糸で斜めに彩った妻取(つまどり)威が流行した。
南北朝時代以降は黒韋(くろかわ)威が好まれたほか、肩白(かたじろ)、肩取(かたどり)、中白(なかじろ)、腰取(こしどり)、色々(いろいろ)威、緂(だん)(段)威などがおもに胴丸(どうまる)、腹巻(はらまき)に行われた。近世には、日の丸、桐(きり)、巴(ともえ)、万字、扇などの文様や紋章を表した技巧的な紋柄(もんがら)威が一時期流行した。しかし、甲冑の形式が板物(いたもの)を主とする当世具足(とうせいぐそく)に変わり、威毛の使用が少なくなったため、甲冑の表面は、皺革包(しぼかわづつみ)、金銀箔(はく)押し、鉄錆(かなさび)、象眼(ぞうがん)、蒔絵(まきえ)などとし、威毛を用いたものも黒糸や紺糸が主流となり、中世に甲冑美の中心をなした威毛は色彩感覚を低下し、情緒的な美しさを失い、雅趣の乏しいものとなった。
[山岸素夫]
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
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