日本大百科全書(ニッポニカ)「宝積寺」の解説
宝積寺
ほうしゃくじ
京都府乙訓(おとくに)郡大山崎町にある寺。真言(しんごん)宗智山(ちさん)派に属する。山号は天王山。略称宝寺(たからでら)。本尊十一面観音(かんのん)。神亀(じんき)年中(724~729)聖武(しょうむ)天皇の勅願により行基(ぎょうき)開創と伝える。1001年(長保3)寂昭(じゃくしょう)(寂照)が入宋(にっそう)前に法華八講(ほっけはっこう)を修し、藤原定家(ていか)も訪れている。本尊の胎内に、1233年(天福1)の造営関係文書や十一面観音摺仏(すりぼとけ)4840枚(国重要文化財)が納められ、前年の火災後の復興状況が知られる。鎮守社に板絵着色神像(鎌倉後期)、山門に金剛力士像2躯(く)(鎌倉時代)、閻魔(えんま)堂に閻魔王・司録・司命坐像(しめいざぞう)を安置する。また倶生(ぐせい)神・闇黒(あんこく)童子坐像(鎌倉時代。京都国立博物館寄託)などがあり、本尊十一面観音像、三重塔とともに、いずれも国重要文化財。また、1864年(元治1)会津勢と戦い敗れた真木和泉守(まきいずみのかみ)ら17名の墓がある。4月18日の厄除追儺(やくよけついな)式は「鬼くすべ」ともいわれる独特の民俗行事である。
[田村晃祐]