前頭部の一部の称。これを〈ひたい〉と呼ぶようになったのは平安時代以降で,それ以前は〈ぬか〉と言った。〈我妹子(わぎもこ)が額(ぬか)に生ひたる双六(すぐろく)の牡牛(こといのうし)の鞍の上の瘡(かさ)〉(《万葉集》巻十六,3838)。額を地につけて神仏などを拝礼する中国の〈叩頭礼〉は日本では〈額突(ぬかず)き〉である。米搗虫(こめつきむし)は叩頭虫(ぬかずきむし)と呼ばれた。《和玉篇(わごくへん)》では顙(そう),(せん),(つい),題(てい)をひたいのこととしているが額をあげていない。だが《和名類聚抄》では額を比太比と読ませて,これを東斉では顙といい幽州では顎(がく)というと述べており,《和漢三才図会》も額(がく)は顙や顎と同じだとして,人の眉間(みけん)の間が顔で髪際の前が額だと説明している。なお,ここであごは顎でなく〈頷(がん)〉である。これらのほか,顔(がん)も(がく)や顚(てん)と同様,ひたいを指すことがあるからややこしい。英語ではforehead,browであるが,browはもとまつげ,さらに眉から額になった点,眉間と似ている。《荘子》内篇に真人は〈其顙頯〉,つまりひたいが高く秀でているとあり,英語でも知識人をやや軽蔑的にハイブラウhighbrowと言ってローブラウlowbrowと対比するが,額の高さを決めるのは難しい。正中線上の前頭部頭髪の限界を髪際(かみぎわ)点と言い,この点の高さが額の高さだから,はげていけば額はどんどん高くなってしまう。
井原西鶴《好色一代女》で,女が化粧の際,硯(すずり)の墨で額の際を染めているように,江戸時代の女性は額の形容にも心を配った。生れつきのままで良いのもあるが,額のなりが悪いと愛嬌がないから髪の生え際を剃れと《女鏡秘伝書》にあるように,額を剃ったり生え際に際墨(きわずみ)を薄くぬって形を整えた。奥田松柏軒編《女用訓蒙図彙(おんなようきんもうずい)》に言うように,生まれつき額は10人中8,9人は左に歪みがあると当時信じられ,髪際点と鼻すじを結ぶ線を対称軸として左から墨をいれたり,もみあげをそろえたりした。こうした際化粧の結果,大額,小額,生え際の丸い丸額,素焼の火灯のように上が狭く下が広い火灯額,すりあげ額などができあがる。火灯額は富士額のことで,さらに髪際点が岬状に下がって雁の飛ぶ姿に似たのを雁額(かりがねびたい)と言う。英語でone pointと称される雁は西欧の人々に注目され,日本人や中国人の特徴と思われたが,王朝物語絵巻などや能面には雁はない。一方,F.ブーシェ《オダリスク》やJ.L.ダビッド《野菜作りの女》などには雁がみられる。
人の頭は頭部と顔部とに分けられ,額は頭部の一部分である。新生児の多くは額にもかなり濃い産毛(うぶげ)が残っていて,なかにはどこからが眉なのかわからない場合もある。他の哺乳類では顔面頭蓋の後方にある脳頭蓋が,人間では大きくなった後に短頭化し球形となって顔面頭蓋の上に乗り,額が垂直に張るようになった。
額の形は,脳の形状ばかりかその活動状態も推測させたので,古来人相学や骨相学では額と性格や知性との関係を論じてきた。人相学の一部門には観額術なるものまであった。ヘーゲルも額には思念や反省や精神の内向作用がうかがわれると述べた。また横から見て垂直な直線となるかわずかに曲がって額から鼻に移るギリシア的プロフィールを人間の頭部の理想的造形としている(《美学》第3部)。
この線をオランダの解剖学者P.カンペルは顔の〈美の線〉と呼んだ。スイスの医師M.ピカートは,人間の根源性のほとんどは額に集中して存在しており,正面から見ると額が顔の上に君臨して支配していると言う(《人間とその顔》)。〈額縁〉の額も堂の正面を飾って荘重さを加える題額で,つまりひたいに由来する。古くはアリストテレスが《動物誌》で額が狭いのは気まぐれ,丸くふくらんでいれば気短で,秀でた額は知性ある徴としており,彼の作と誤解された《人相学》には,小さい額は豚のように無教養,あまりに大きい額は牛のように鈍重,丸い額は驢馬のように鈍感などとある。
カントは男の額は平たいが女の額は丸いのが常であるという説を引いているが(《実用的見地における人間学》),日本人でも一般に成人男子の額は平らで女性や幼児の額は丸い。女形の横顔が総じて女らしくないのは,突出した喉頭部のほかに丸みのない額のせいである。小児の顔は上・下顎骨が未発達であるため,額が相対的に大きい。仏の額は広く厳かに平らで,眉の間に白毫(びやくごう)という白い毛が右巻きに渦巻いている。さまざまな功徳(くどく)の業(わざ)を勤め修めた結果この白毫を得たと言うが,その位置はヒンドゥー教のシバ神がもつ3眼のうち,光を放って人を焼く中央の眼とほぼ等しく,しかも白毫も強い光を出すから,シバの第3眼が仏教に入って白毫になったとも考えられる。仏像では頤(おとがい)に手首を置いて中指の先が当たるところに白毫を刻む。鉢巻の正面にある紋や帽子の徽章は白毫より高い位置で,人相学で言う天庭にあるが,白毫がもつ効果と似たものがある。達磨(だるま)大師が編んだと伝えられる《達磨相法》には天庭がそびえて広ければ若くして栄達するとある。徽章などはこの天庭を強調しているとも言えよう。
額にあって皮膚に皺(しわ)をつくる前頭筋と皺眉筋は人間の表情を豊かにしている。前頭筋が収縮してつくる横皺は青年期までは筋の弛緩とともに消えるが,中年期以降は皮膚の弾性が乏しくなるので弛緩しても皺が残る。多くの欧米人は前頭筋を片側だけ動かして意識的表情の一つとしているが,日本人には少ない。前頭筋の収縮は眼を見開いて恐怖,驚愕,緊張,威圧などの感情を表し,歌舞伎の筋隈(すじぐま)はこの筋肉を図案化したものである。舞楽面にも抜頭(ばとう)の面のように前頭筋を思わせる2条の筋がある。また古代ギリシア彫刻のラオコオン像のように,額の中央に斜めに皺を寄せて悲痛と苦悩を表すのは前頭筋と皺眉筋の協働による。日本でも小牛尉(こうしじよう),皺尉(しわじよう)その他の老翁や老媼の能面の多くにこのような皺がある。尉面は神的な性格をもち,神と一体化した人が解脱するために苦悩する表情をこの皺が表すとされる。
生後間もない小児の頭を前後から板で圧迫して細長くし,額が眉の上から斜め後に伸びるようにする風習は,古代エジプト,南米アンデス地方,マヤ族などにみられた。ほかに西アジア,東ヨーロッパからクリミア半島,バルカンを越えてハンガリー,イタリア,ドイツ,フランスに至る広範な地域に出土する先史人類の頭蓋骨にも,これと似た額の変形が残されている。
ギリシア神話の知の女神アテナはゼウスの額から生まれたとされるが,《異苑》には臨月の女の額に瘡ができ,その瘡が破れて子が生まれた話がある。江戸時代の観相書《南北相法》は額に3本の横皺をみて,これを天の三星に対応する三紋と称し,3本より多いのは三星が乱れている証で苦労が多いと述べる。著者水野南北は,額は天に応じ天はまろやかで豊かなのだから,額も角ばるのは良くなく,狭くて肉づきの薄いのも運が悪く,額に疵のある武士は目上の全体を傷つけるから浪人となるなどと言う。なお手足がしびれたとき,額に唾(つば)や藁しべをつければ治るという類の俗信は巷間に多い。
→頭 →顔
執筆者:池澤 康郎