デジタル大辞泉 「飴」の意味・読み・例文・類語
あめ【×飴】
[類語]飴玉・水飴・晒し飴・千歳飴・金太郎飴・鼈甲飴・キャンデー・ドロップ・キャラメル・ヌガー
たがね【×飴】
「われ今まさに
( 1 )「千歳飴(ちとせあめ)」のように口の中でなめて溶かす固飴、「すはま」「求肥飴(ぎゅうひあめ)」のような柔らかい練り菓子など多様であるが、江戸時代以降粘りけのある褐色の水飴(江戸時代の上方では「汁飴(しるあめ)」)が一般的で、「飴状」「飴色」などの「飴」も水飴のことである。
( 2 )砂糖で作るものは西洋で発達し、南蛮菓子として一六世紀末にポルトガルなどから伝えられたが、「コンペイ糖」「アルヘイ糖」のように多く「糖」の字が用いられ、「飴」とは区別されていた。「たがね」は「あめ」の古語だが、餠の類とする見方もある。
菓子の一種。飴菓子のこと。飴は甘い意で、「あまめ」または「甘水(あまみ)」の約転ともいわれる。糯米(もちごめ)、糯アワ、トウモロコシなど、デンプンを含む原料を、麦芽に含まれるデンプン分解酵素のジアスターゼ(糖化酵素)で糖化させると、甘味と粘りのある食品、つまり飴ができる。具体的には、糯米1升(約1.8リットル)を柔らかく蒸し、人肌の温度に冷めたら、麦芽粉1合(約0.18リットル)と、同温の湯8合を加えてかき混ぜ、約5時間ねかせる。甘酒のようにどろりとしたら布袋で漉(こ)し、絞り汁を煮詰めれば水飴ができる。これを汁飴ともいう。水飴をさらに火にかけ、いっそう練って冷却したものが固飴(かたあめ)である。古名に飴を「たがね」とも称したのは、槌(つち)を振るって飴にたがねを打ち込むほど固かったからである。このようにして容器から飴をおこすところから、「おこし飴」の名もある。
[沢 史生]
菓子としての飴は、大まかに分類すれば、水飴か固飴かである。固飴は古代からの麦芽飴(さらし飴)のほか、細工飴に供された有平(あるへい)、朝鮮飴、翁(おきな)飴などの求肥(ぎゅうひ)飴、洋菓子に属するキャンディー(ドロップ、ボンボン、キャラメル、ヌガーなどの総称)類に分けられる。
[沢 史生]
『日本書紀』には、神武(じんむ)天皇が「われ、いままさに八十平瓫(やそひらか)(たくさんの平たい土器の皿)をもって、水無しに飴(たがね)をつくらん。飴成らば、われ必ず鋒刃(つわもの)の威(いきおい)を仮(か)らずして、坐(い)ながら天下を平げん」と天つ神に戦勝を祈願したとある。そうした固飴が上古に存在したかどうかはさだかでない。具体的に飴が記録されたのは奈良時代である。762年(天平宝字6)の『食物下帳』には、白米を原料として煮糖することが記されているが、この糖は今日の飴とみられる。もとより水飴であったことは、『延喜式(えんぎしき)』に「糖料、糯米一石、萌(もやし)小麦二斗、得三斗七升」と記されているのをみても明らかである。また『和名抄(わみょうしょう)』は飴について「米蘖(もやし)為之」と記しているので、10世紀初めには麦もやしも米もやしも使われていたようである。奈良・平安時代の飴は非常に高価で、間食としての菓子には回らず、もっぱら調味料、薬用であった。後代に「飴を舐(ねぶ)らす」が、まず喜ばせておいて欺く手段、あるいは買収手段の表現に用いられたのは、それほどにも飴が貴重であったからにほかならない。水飴の時代は長く、古代から戦国時代までたいした発展もなく続いた。ただ弘安(こうあん)年間(1278~1288)に豆飴(まめあめ)(後の洲浜(すはま))がつくられている。これは水飴と干し柿(がき)を煮て、冷ましたところへきな粉をあわせたものという。豆飴はきな粉飴の前身である。水飴の栄養は高く評価されてきた。諸大名が御用菓子司を任命したのは、単に折々の茶菓をつくらせるばかりが目的ではなく、合戦や籠城(ろうじょう)に際して、陣中糧食として飴を考えていたからだという。また会津若松(福島県)や、東海道の佐夜の中山(静岡県)には、子持ち幽霊が乳がわりに飴を買いにきた伝説がある。
[沢 史生]
(1)麦芽糖系 水飴の製法は前述のとおりだが、これに砂糖を加えると加熱中に赤みがかってくる。そのまま冷却したのが赤飴であるが、冷却する前に棒にひっかけて伸ばす作業を繰り返すと、飴に気泡が入り、白飴になる。いわゆるさらし飴(痰切(たんきり)飴ともいう)である。
(2)有平糖系 有平はポルトガル語のアルフェロアalfeloaから名づけられた。戦国時代末期に南蛮菓子として渡来した飴で、白砂糖に飴を加え、煮詰めて冷ましたものを棒状とし、花や果実などに細工する。
(3)求肥飴系 白玉粉を蒸し、白砂糖と水飴を加え、練り固める。しなやかな感触が特徴で、のちに上生菓子の材料に移行した。
(4)キャンディーcandy 素材は砂糖と水飴。この糖液を煮詰める温度により、ソフト・キャンディーとハード・キャンディーになる。また砂糖と水飴にゼラチン、寒天、バター、牛乳、香料、チョコレート、コーヒー、木の実、着色料を加え、さまざまなキャンディーがつくられる。
[沢 史生]
バター飴(北海道)、黄精(おうせい)飴(岩手県)、五郎兵衛飴(福島県)、梅干飴(東京)、高田飴(新潟県)、みすず飴(長野県)、日坂(にっさか)飴、茶飴(静岡県)、犬山げんこつ飴(愛知県)、甘甘棒(かんかんぼう)(岐阜県)、おこし飴(石川県)、吸坂(すいさか)飴(石川県)、御所飴(京都)、那智黒(なちぐろ)(和歌山県)、松魚(かつお)つぶ(高知県)、朝鮮飴(熊本県)、文旦(ぼんたん)飴(鹿児島県)など。
[沢 史生]
昭和初期に紙芝居屋がべっこう飴、水飴、さらし飴を売ったが飴と子供のつながりは深く長い。江戸時代から屋台を担いだ飴売り、頭上に藁(わら)製の輪を担ぎ、風車をこれに挿して、太鼓をたたきながらやってくる飴屋がおり、衣装は奇抜で、はでであった。また、ヨシの茎に白飴をつけ、空気を入れて膨らましながら、鋏(はさみ)でさまざまに花鳥、動物を細工する飴細工屋もあった。現代に残る風俗としては、七五三祝いの千歳(ちとせ)飴、長野県松本市の飴市などがある。
[沢 史生]
デンプンを酵素または酸で分解糖化してつくる甘味物質で,麦芽糖,ブドウ糖,マルトトリオースなどを主成分とする。しかし,現在では砂糖を用いたキャンデー類や有平糖(あるへいとう)のようなものも,あめと呼ぶことが多い。中国では6世紀の《斉民要術》にすでにくわしい製法の記載があり,日本の文献では《神武紀》に飴とあるのを初見とする。古くは餳,糖などの字も用いられ,《延喜式》には諸国から貢納されていたこと,平安京の西市に〈糖廛〉があって市販されていたこと,また,もち米1石,萌小麦(コムギのもやし)2斗を原料として糖3斗7升をつくったことなどが書かれている。当時のあめは液状の汁あめ(湿飴(しるあめ)とも),つまり水あめで,のちにこれを加工して種々のあめをつくるようになった。室町期には〈砂糖飴〉の語が見られるようになり,また,あめの行商人も現れた。《三十二番職人歌合》の中で,糖粽(あめちまき)売と組み合わされている地黄煎(じおうせん)売がそれである。糖粽のほうはあめ色になったもち米のちまきであるが,地黄煎のほうはあめである。もともとは薬とされたジオウの煎汁をいうのだが,やがてそれを水あめに加えたものをいうようになり,さらにジオウを入れぬあめそのものの呼称になり,なまって〈ぎょうせん〉ともいった。江戸初期,京都では東福寺門前の菊一文字屋のものや桂の里の桂あめ,大坂では平野あめなどが有名で,これらは江戸で〈下(くだ)りあめ〉〈下りぎょうせん〉と呼んで珍重された。
水あめを練って水分をへらしたのが固あめ,これを人がふたりで引き合って気泡を含ませて白くしたのが白あめである。江戸や豊前小倉で名物とされた三官あめ,いまは七五三の祝いのつき物となった千歳あめも白あめで,後者は元禄・宝永(1688-1711)ごろ江戸浅草の七兵衛なる者が売り歩いたと柳亭種彦は書いている。まるい棒状のあめのどこを切っても金太郎の顔が現れる金太郎あめは,縁日の夜店などで人気があった。白あめを色とりどりに染めて目,口,鼻,眉毛などにして組み合わせ,かたく密着させて長く引きのばしたものである。加工あめは水あめに砂糖,デンプンなどを加えるもので,求肥(ぎゆうひ)あめ,翁あめ,有平糖その他種類が多い。求肥あめは白玉粉などのデンプンや砂糖などを水あめに加えて練りあげるもので,肥後の熊本や江戸のものが知られた。熊本のそれは朝鮮あめと呼ばれ,藩主から将軍に献上される例であった。江戸では寛永年間(1624-44)に京都からくだった中島浄雲がはじめたといい,〈以て官家の用と為す〉と《本朝食鑑》は記している。
→飴売
(1)麦芽による製法 麦芽の糖化酵素を利用するもので,古来の伝統的な製法である。麦芽原料には糖化酵素の力の強い大麦が用いられる。現在では原料デンプンに水を加えてデンプン乳をつくり,これに液化酵素を加えて液化し,さらに乾燥麦芽の浸出液を混入して糖化液をつくる。糖化が完了したのち加温し,表面のあくを除去して糖液を清澄化する。この糖液を中間濃縮し,さらに仕上濃縮して製品とする。主成分は麦芽糖で,一般に酸糖化水あめより粘度が高く,風味も強いことから,キャラメル,キャンデー,和菓子などの用途に供される。
(2)酸糖化水あめ デンプンを酸により加水分解してつくる。甘藷デンプン,馬鈴薯デンプンおよびコーンスターチなどに,触媒としてシュウ酸,硫酸,塩酸などを加えて加温した後,炭酸カルシウム,炭酸ソーダなどで中和して糖化液をつくる。これをろ過して清澄液をとり,中間濃縮して活性炭,イオン交換樹脂などで脱色精製し,さらに仕上濃縮を行って製品とする。この製法はかつて水あめの主流を占めてきたが,近年は減少している。
(3)酵素水あめ 原料デンプンを液化酵素により液化し,さらに糖化酵素によって糖化してつくる。イオン交換樹脂,活性炭による精製脱色と濃縮の工程は酸糖化法と同じである。酸糖化法に比べて製造効率がすぐれ,品質も安定していることから現在では水あめ製造の主流を占めている。砂糖と異なる風味や粘稠(ねんちゆう)性をもっていることから,幅広い用途をもっている。
(4)粉あめ 水あめを脱水乾燥したもので,製造法には噴霧乾燥法と真空乾燥法がある。噴霧乾燥法は噴霧乾燥装置(スプレードライヤー)であめの原液を噴霧してつくるもので,製品は球状あるいは中空球状になる。真空乾燥法は真空缶の中で,二つのドラムを回転させてあめの原液をフィルム状に圧延・乾燥し,これを粉砕して製品とする。流動状のあめを粉末にすることにより,従来の水あめの利用分野を大幅に拡大し,とくに冷菓,酒造用などに供される。
執筆者:谷口 学+鈴木 晋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…しかし,現在では砂糖を用いたキャンデー類や有平糖(あるへいとう)のようなものも,あめと呼ぶことが多い。中国では6世紀の《斉民要術》にすでにくわしい製法の記載があり,日本の文献では《神武紀》に飴(たがね)とあるのを初見とする。古くは餳,糖などの字も用いられ,《延喜式》には諸国から貢納されていたこと,平安京の西市に〈糖〉があって市販されていたこと,また,もち米1石,萌小麦(コムギのもやし)2斗を原料として糖3斗7升をつくったことなどが書かれている。…
※「飴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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