家父長制は次の三つに分類できる。
(1)家族類型としての家父長制家族におけるいっさいの秩序が,最年長の男性がもつ専制的権力によって保持されている場合,こうした家族は〈家父長制家族patriarchal family〉と呼ばれる。家父長paterfamiliasは,奴隷ばかりでなく妻や子どもに対しても(極端な場合)生殺与奪を含めて無制限で絶対的な権力をふるう。家族内のいっさいの権威は家父長にのみ帰属する(父権制)。家族の財産(土地と動産)はすべて家父長によって専有され,父から息子へと相続される(父系制)。このような家族類型は,とくに遊牧民族,とくに古代においてしばしば見られるが,しかしその典型は,法的透徹性ゆえに古代ローマに求められるのが通例であろう。
(2)政治的支配としての家父長制 家父長制家族は,一方では,〈父と子〉の特殊なあり方を内包することによって,政治的支配のための正当性原理をつくりだす。〈家族国家〉理念と呼ばれるものがその典型である(M. ウェーバーはとくに(1)と区別して〈家産制Patrimonialismus〉と呼ぶ)。家父長制家族における結合の根本は,血縁性ではなく,家父長権patria potestasという権力である。それゆえ本来家族〈外〉的存在であり,血縁性に由来しない〈政治的〉支配が,家父長権に基づく支配と容易に同一視されうる。人民は,家父長である君主に対し,その人格に対する畏敬(恭順Pietät)に基づき無制限に服従すべき政治的義務を負う。政治的支配者は,支配権を自分のものとして専有し,子どもである臣民に対し,保護と抑圧,温情と懲戒というアメとムチを自由に行使することができる。政治的正当性原理としての家父長制は,アジアでは〈東洋的専制〉の問題として依然として重要であるが,西欧では絶対主義を打倒した〈市民革命〉によって最終的に克服されたといわれている。
(3)性支配としての家父長制 家父長制家族は,他方では〈男と女〉の特殊な関係を内包することによって,家父長制的〈文化〉patriarchal cultureをつくりだす。妻をはじめすべての女性は,男子の場合と異なり家父長になりえない。女性には独立の意思決定の主体,すなわち〈個人〉になる道は永遠に閉ざされている。それゆえ実現を期待される価値体系は男と女の間で異なるばかりでなく,優劣がある。家父長制を,性的抑圧を正当化する文化的(あるいはイデオロギー的)装置ととらえたのは,フェミニズム運動(女性解放)の功績である。性的差異が性差別に転化している点で現代と古代は変りなく,家父長制は決して過去のものとはいえない。
執筆者:厚東 洋輔
家族の中で家長(男系尊属。多くは父,ときに祖父,曾祖父)が他の家構成員に対して強い権限を有する家族のあり方は,近代に至るまで,その権限に違いはあるが,ヨーロッパ世界にも広く見いだされる。ことに古代ローマでは,氏族が比較的早くその私法上の重要性を失い,家族が法的単位として現れ,そこでは家長が家構成員に対し絶対的権力を有し,また,家族の唯一の裁判上および裁判外の代表者として家長のみが完全な法的人格を有した。すなわち,家長は,その家に属し家長権manus/patria potestasに服する妻,子,その妻,孫などに対し,その売却,質入,殺害の権限(生殺与奪の権jus vitae necisque)をも有し,家から離脱しないかぎり子などはその性別,年齢,婚姻の有無のいかんを問わずこれに服した。ただし,政治的権利については,成年男子である家子は軍事的役務を負うと同時に,民会での投票権および政務官就任権を認められていた。
また,家長は,家に属する財産について,ゲルマン法とは異なり,家構成員の意思とは関係なく自由に生前行為または遺言により処分することができた。他方,家長は家構成員の行為に基づいて責任を負うことはなく,構成員の不法行為に基づく被害者側からの賠償要求に対してもその加害者を相手方に委付することによっていっさいの責任を免れた。もっとも,家長のこれらの法的に強大な権限も,その行使については,宗教法的制約,家裁判の慣行,不当な行使に対する監察官(ケンソル)による懲戒などから,事実上は大きな制約に服していた。また,家長権は家長の死亡(ないし自由身分または市民権喪失)により消滅し,その後は,従来家長権に服していた子はそれぞれ自らを家長とする新たな家族を法的単位として発足させ,同時に,法定〈非遺言〉相続が生ずる場合は,子は男女の区別なく平等に財産を相続するにいたる。
古代ローマは法的にはこのような強大な家長権というたてまえを長く維持したが,時代の進展に伴い,妻については家長権(手権)に服さない婚姻の一般化により早くその実質を失い,また,子については,家長が事実上子にその財産として管理処分を認める特有財産の許容,のちには,法的にも子の財産である軍営(ないし準軍営)特有財産制度の承認,他方では,遺言自由を遺留分の限度で制限する不倫遺言の訴の展開,さらには,コンスタンティヌス帝が家長による家子殺害を殺人として取り扱うことにしたこと,などにより実質的には大きな変容を被った。ゲルマン法については,〈ムント〉の項目を参照。
執筆者:西村 重雄
甲骨文や金文では,〈父〉字は権威のシンボル(斧,杖,火などの諸説あり)を手に持った形といわれ,子に対する父の権威は早くから成立していた。しかし殷代の父は一面で実父の世代に与えられた類別的親族称呼でもあった(多父)。殷の中期以後,王位の継承は兄弟相続から父子相続に変化し,周も嫡長子を宗家の継承人とする宗法が発達したが,殷・周時代の父子関係にはまだ宗族組織が強くからんでいた。住居と財産を共用する家族が政治体制に編成されて社会の基本単位となるのは春秋戦国以後である。漢代以後,民衆の家は〈五口之家〉と呼ばれる小規模の家族が普遍化し,父と子,およびそれぞれの妻子が同居し,奴婢をもつこともあった。父は家長としての権威をもち,家産の処分権も父にあったが生殺権のような強い権力はなく,唐律では父が子を殺したときは罰せられた。
儒家思想では父子を関係づける原理は〈親〉であるとし(父子親有り),子の孝行に対し父は慈愛でなければならぬと教えた。儒家のこのような家族倫理は,家族間の自然の感情にもとづいてこれを秩序化したものである。中国におけるこのような温情的家族関係を家父長制の概念で律することは適切でないという説もある。家父長権の弱さは家族を完結した社会集団として収斂させることを妨げ,一方,種々のレベルの集団における支配関係が家族関係の擬制として現れる。とくに国家は一種の家族関係として観念された。伝統的政治思想において皇帝は民の父母であり,民は皇帝の赤子であるといわれるように,君民の関係が親子の間の慈愛と思慕の間柄であることが理想であった。《大学》の修身・斉家・治国・平天下は,家の秩序と国家の秩序とを士大夫の当為の意識の下で連続的にとらえたものである。
啓蒙思想以後のヨーロッパ思想でも,中国社会を家族制度との関わりで論じた。たとえばモンテスキューは,中国の専制政治が家庭内の隷属関係を支えとして成り立っているとし,ヘーゲルもまた,中国人を家庭に隷属し,孝悌の倫理に支えられた国家に隷属するという二重の意味で自由なき存在ととらえた。M.ウェーバーは中国を家父長制支配の展開形態である家産官僚制国家の一類型として理解した。ウェーバーの家産官僚制の概念は封建制と対立する一面をもち,後者の双方的主従関係に対し,家父長の家族に対する,あるいは君主の臣下に対する一方的関係を特質とする。中国の家族関係をはたしてそのように規定しうるか否かは,なお検討すべき課題である。伝統的な家族関係は中国近代の解放思想にとって克服すべき対象とされ,その思想はとくに五・四運動以後顕在化した。毛沢東の農民運動における女性の夫権打破の思想もそこにつながる。それらの中には,家族制度からの個人の解放,家族制度を支柱とする前近代的権力からの民衆の解放,という二重の課題がからみ合って存在している。
執筆者:谷川 道雄
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原義は,父系家族集団にあって,一人の年長男子が他の構成員(親族に限らず家内奴隷あるいは自由身分の使用人をも時に含む)および集団帰属の財産を包括的に支配する体制と,それをよしとするイデオロギーとをさす。成員に対する生殺与奪の権を含む強大な家父長権を軸に成り立つとされる古代ローマの家族をモデルとして,法学・社会学・人類学・歴史学の各分野で用いられてきた概念。十二表法採録の規定により著名な生殺与奪の権についても,行使の確かな事例が知られず,共同体的な習俗による制約が想定されるローマの場合をはじめ,「家父長制」の実態は時代・地域・身分階層別にさまざまで,議論の余地が多く,ヨーロッパでは,中世をへて近世に入っても産業革命成熟期まで,この概念の適用が可能な事象がみられる。中国でも父子が同居している場合,父が家長として家族に対して権威や法的な責任を持った。家族の生殺与奪の権限はなく,また財産の所有権の主体でもない。唐代の律令法によれば,家長の父が子を殺した場合は罰せられるし,財産は父子共産ともいえる。古代には家父長的家内奴隷制があったとし,豪族と奴婢(ぬひ)との非血縁的関係を家父長制の概念でとらえることもある。中国ではまた,子は父母に対して孝行すべしという儒教的道徳観によって,家父長の権威が守られていた。「家父長制」は,核家族を超える規模と構造を持つ家族集団を説明する際に用いられることが多いが,一人の強力な首長の下に立つより大きな社会集団,とりわけ専制君主政国家の支配形態を分析する概念として適用されることもある。家族を国家にまで拡張させて,中国諸王朝の国家権力を家父長的専制主義としてとらえる場合などは,その典型である。
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西欧の古代や中世の家(いえ)共同体において家長が家父長(パトリアーク)としての権力を行使し、成員を統率支配する制度。その家の成員は、この家父長(かふちょう)に対し厳密に個人的な恭順関係において服従する。この家父長がもつ権力は無制限かつ恣意(しい)的で、しきたりとなっている伝統的規範が侵しがたいものだという信念に基づく個人的な服従によって正当性を与えられている。それゆえ、他の伝統によって制限されたり、または競合する他の権力によって妨げられたりしない限りは、まったく自由気ままに行使される。古代ローマの家父長制家族はその典型であり、家父長の権力は、家の成員が男であれ女であれ、子であれ奴隷であれ、財産同様に取り扱い、生殺与奪の権さえもっていた。子は自由人として奴隷とは区別されたが、家父長権は自分の子を奴隷として売ることも、遺言に基づいて奴隷を子とし同時に相続人とすることさえもできた。
家父長権は、このように家に属するものに対するいっさいの支配権を集中した単一のものであったが、のち、子孫に対する家父権、妻に対する夫権、奴隷に対する奴隷権、物に対する所有権などに分化した。家父長制家族は近代家族と対比され、日本の家における家長もこれに準ずるようにみる説がある。また家父長制の概念は、その分権化された家権力による家産制支配などと同様に、社会の支配構造の型としても用いられる。
[中野 卓]
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家族に対する秩序が,家父長である年長の男性のもつ専制的な権力によって支配される制度。家父長制家族では,家父長が財産および妻子や奴隷に対して絶対的な権力をもった。古代ローマ,ゲルマンや中国が家父長制の代表とされるが,家父長権の内容はそれぞれ異なる。また家父長制の理念を国家に援用し,家父長としての君主が支配権を専有することによって民衆を支配し,民衆は無条件に服従するという政治的支配体制としての家父長制もある。日本では明治政府によって,家父長的家族制度を理念とする家を基盤にして,天皇と「臣民」の関係を父子関係に擬制させる家父長制的思想から,家族国家観が形成された。
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… 日本の武家社会を中心に親子間の規範秩序を歴史的にみると,古くから儒教の影響が強い。8世紀初頭,律令の継受により中国思想の影響を受け,親子は同籍同財の密接な関係ではあるが,親には子の婚姻に対する同意権や教令懲戒権が広く認められ,子に対しては孝養の義務が課され,家父長制的規範秩序が形成されていた。その後,戦国分国法では領主権により親の権利に制約が加えられたこともあったが,近世の後半からは,再び儒教的家父長制原理が強化され,男尊女卑,嫡男子優先が顕著になった。…
… ウェーバーは正当的支配を,合法的,伝統的,カリスマ的支配の三つの純粋型に分類するが,家産制は伝統的支配に属する支配の類型である。彼によれば,この伝統的支配の〈第一次的類型〉は長老制Gerontokratieと第一次的家父長制primärer Patriarchalismusとである。長老制とは複数の家から成る団体において長老のおこなう支配であり,家父長制とは家において家父長のおこなう支配である。…
…
[家族]
このような身分制下にあって租税をになった人々がどのような家族を構成していたのかは,まだ解明されていない点が多い。従来から有力な学説として認められていたのは,戸籍にみえる50戸1里の単位となった郷戸を家父長制的世帯共同体とみ,これが農業労働の重要な単位として存在していたとする説である。その説によれば,このような家族は竪穴住居5~6棟の小グループに対応するもので,家父長が絶対的権力をもち,田宅,奴婢などの私有財産の処分権を掌握していたものとされている。…
※「家父長制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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