デジタル大辞泉 「明星」の意味・読み・例文・類語
みょう‐じょう〔ミヤウジヤウ〕【明星】
2 その分野で最もすぐれ、人気がある人。「楽壇の
[類語]暁星・宵の明星・明けの明星・一番星・太陽系・水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星
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文芸雑誌。与謝野鉄幹主宰の新詩社の機関誌として,1900年(明治33)4月に創刊され,08年11月通算100号で終わった。初めは新聞型で6号から四六倍判の雑誌となる。史的にみれば,明治20年代の《文学界》に続く浪漫主義の牙城で,高村光太郎,石川啄木,北原白秋ら多くの新人を育てた。詩歌に主力が注がれ,長編叙事詩の制作や海外の象徴詩の移入など,新体詩界に貢献した。この雑誌を母胎として生まれた詩集としては上田敏《海潮音》,啄木《あこがれ》,白秋《邪宗門》などをあげることができる。短歌では〈明星調〉の表現の確立をみて歌壇に浪漫歌風の流行をもたらした。鉄幹の《紫》,晶子の《みだれ髪》などが代表的歌集である。また洋画壇の新人,藤島武二らとの提携も緊密で,アール・ヌーボー風の版画などが誌面を華やかに彩り,美術評論も多く載った。その他,小説,戯曲,文芸評論,翻訳など多面にわたる活動がある。鉄幹は妻晶子とともに編集・経営に尽くし,森鷗外など師友の支援下に困難な経済面をやりくりし8年余持続しえたが,自然主義の勃興にあい,白秋ら7人の新人たちの連袂(れんべい)脱退などもあって,ついに終焉した。1921年(大正10)に第2次《明星》が,鷗外,与謝野夫妻らを中心に刊行されたが,高踏的で文壇に与えた影響は明治のそれにははるかに及ばず,27年4月廃刊した。なお他に,集英社刊の芸能娯楽誌《明星》(1952年10月創刊)がある。
執筆者:新間 進一
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与謝野鉄幹(よさのてっかん)の主宰した新詩社の詩歌雑誌。第一次は1900年(明治33)4月創刊、8年11月廃刊。
第一次『明星』は新詩社に集まった人材によるわが国の浪漫(ろうまん)主義運動の中核として新しい詩歌の時代を展開した。その内容は詩や評論、古典の研究、海外文学の紹介などで、装丁や挿絵などの点でも特色を示しながらとくに浪漫詩から象徴詩の時代にかけて大きな役割を果たした。鉄幹は早く和歌革新を叫んでいたが、本誌の短歌欄における与謝野晶子(あきこ)の活躍は明星派の歌風を築くうえに大きな功績を示し、短歌に近代性を与えて、当時の歌壇で主導権を得た。さらに浪漫主義、芸術至上主義、唯美主義の傾向を明らかにして、北村透谷(とうこく)、島崎藤村(とうそん)らの『文学界』を継承する浪漫主義の牙城(がじょう)となった。上田敏(びん)、蒲原有明(かんばらありあけ)らによる象徴詩の紹介と実践も意義深く、山川登美子(とみこ)、山本露葉(ろよう)、水野葉舟(ようしゅう)、相馬御風(そうまぎょふう)、前田林外(りんがい)、平出修(ひらいでしゅう)、薄田泣菫(すすきだきゅうきん)、小山内薫(おさないかおる)、石川啄木(たくぼく)、北原白秋(はくしゅう)、吉井勇(いさむ)、木下杢太郎(もくたろう)らも活躍し、広く文学美術評論の詞華人を輩出したことにも功績があった。なお鉄幹の『紫』、晶子の『みだれ髪』は本誌を母胎とする著作である。復刻版(1964・臨川書店)がある。なお第二次(1921.11~27.4)、第三次(1947.5~49.10)も出されている。
[古川清彦]
『『明治文学全集51 与謝野鉄幹・与謝野晶子集』(1968・筑摩書房)』
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明治後期の文芸雑誌。1900年(明治33)4月創刊,08年11月通巻100号で終刊。5号まで新聞型で,以後雑誌型。発行所は新詩社。内容は詩歌を中心とし,創作・評論・翻訳なども掲載。おもな執筆者は主幹与謝野鉄幹(てっかん)・与謝野晶子・落合直文・河合酔茗(すいめい)・薄田泣菫(すすきだきゅうきん)・蒲原有明(かんばらありあけ)らの同人のほか,上田敏・馬場孤蝶(こちょう)・石川啄木らも寄稿。芸術至上主義・唯美主義の色彩をもち,日本の浪漫主義を代表する雑誌として詩壇・歌壇に君臨したが,自然主義運動の勃興のなかで廃刊。21年(大正10)に創刊された第2次「明星」(与謝野鉄幹主宰,27年廃刊),47年(昭和22)に創刊された第3次「明星」(与謝野光主宰,49年廃刊)がある。
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…当(あて),当身,当技(あてわざ)ともいう。人体の急所とされる天倒(てんとう)(頭頂部),烏兎(うと)(みけん),霞(かすみ)(こめかみ),人中(じんちゆう)(鼻下),水月(すいげつ)(みぞおち),明星(みようじよう)(下腹部),電光(でんこう)(右ひばら),月影(げつえい)(左ひばら),釣鐘(つりがね)(睾丸),ひざ関節などを,こぶし,指先,ひじなどで突いたり,こぶし,手刀などで打ったり,ひざ,蹠頭(せきとう),かかとなどでけったりして相手に苦痛をあたえ参らせる技である。現在は乱取(らんどり)(自由練習)や試合における勝敗が中心となり,投げ技と固め技だけが使われ,当身技は危険であるので禁じられているため,活用がおろそかになっている。…
…黒田から刺激を受けた杉浦非水(1876‐1965)は,日本でグラフィック・デザインの分野を切り開いた。1900年に発刊された《明星》では,一条成美(1877‐1910),藤島武二らがアール・ヌーボー様式の表紙,挿絵を描いた。また,1903年ロンドンから帰国した夏目漱石は橋口五葉に,新しい装飾の傾向を伝えている。…
…洋画家が多く挿絵界に進出するのは96年の白馬会結成,東京美術学校西洋画科新設のころからである。第2次《新小説》は96年7月の創刊号に浅井忠の石版口絵,中村不折と川村清雄の挿絵を用いているが,与謝野鉄幹が1900年創刊した《明星》は,〈画入月刊文学美術雑誌〉と謳ったように,洋画家を大いに起用している。表紙を手がけたのは長原孝太郎,一条成美,藤島武二,和田英作であり,白滝幾之助,黒田清輝,岡田三郎助,青木繁,中沢弘光ら数多くの洋画家の挿絵,カットが誌面をにぎわせた。…
…花と女を曲線によって平面的に描く彼のスタイルはアール・ヌーボーの典型であった。日本でも雑誌《明星》(1900創刊)の表紙やさし絵を描いた一条成美,藤島武二などにミュシャの作風があらわれている。13年ロシアに旅してスラブ民族の血を呼びさまされ,晩年は故国で大作《スラブ叙事詩》に全力を傾けた。…
… 絵画と比べて,彫刻におけるロマン主義は,それほど華やかな成果を見せてはいないが,パリのエトアール凱旋門の《義勇軍の出発》の作者リュードや,《怒れるオルランド》のデュセニュール,《戦争》のプレオーなどが挙げられる。 日本においては,文学において明星派や島崎藤村の活躍した明治30年代に,藤島武二や青木繁が,歴史趣味や華やかな幻想性に満ちた華麗清新な作品をつくり出したが,日本における西欧文化輸入の時代のずれにより,そこには,西欧の世紀末的雰囲気が色濃く反映されている。【高階 秀爾】
[近代日本のロマン主義文学]
明治期の日本の文学は,ヨーロッパのロマン主義の影響を強く受けた。…
※「明星」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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