( 1 )中国における琵琶の語源は、演奏法をあらわす「琵」(弦を手前から外の方へはじく)と「琶」(その反対方向へはじく)とを組み合わせたものとされる。
( 2 )日本では、古代、弦楽器を「こと」と総称したため、雅楽琵琶は「琵琶の琴」とも呼ばれた。
( 3 )近世になって明・清から渡来した琵琶は、他と区別して「唐琵琶」と呼ぶ。
中国、朝鮮、日本のリュート属撥弦(はつげん)楽器。中国、朝鮮では「ピパ」とよばれる。日本へは奈良時代に中国から伝来したが、その起源はおそらくペルシアにあると考えられる。ササン朝ペルシア(3~7世紀)のバルバットbarbatという木製・曲頸(きょくけい)洋ナシ形胴の弦楽器がイスラム時代にウードとなり、アラビア商人によって広く伝播(でんぱ)し、ヨーロッパではリュートに、アジアでは琵琶となった。琵琶の名はこのバルバットに由来するという説、弾弦の往復運動を表す漢語という説などがある。
[シルヴァン・ギニアール]
唐代の琵琶については、正倉院に保存されている五つの楽器が資料として重要である。これらのうち四つが四弦曲頸洋ナシ形胴の楽器で、残りの一つが五弦直頸洋ナシ形胴の螺鈿紫檀五絃(らでんしたんごげん)琵琶である。前者がイラン起源、後者がインド起源と考えられる。またこのほかに四弦直頸円形胴の阮咸(げんかん)(唐代以前は秦(しん)琵琶とよばれた)が二面保存されている。いずれも美しい装飾が施され、撥(ばち)面にはラクダやゾウの図もみえる。宋(そう)代には独奏および伴奏楽器として広く愛好され、とくに南部では叙事物語の朗唱(弾詞(だんし))の伴奏に用いられた。明(みん)代にはさらに室内音楽および劇場音楽としても使われたが、清(しん)代に入って三弦の胡弓(こきゅう)に似た楽器によってとってかわられた。
今日の中国の琵琶は、曲がった棹と洋ナシ形の胴をもつ四弦16柱(じゅう)(17柱、24柱のものもある)の楽器で、普通A2-D3-E3-A3に調弦される。奏者は椅子(いす)に座り、膝(ひざ)の上に楽器を垂直に立てるように置いて、指の爪(つめ)で弾奏する。親指と人差し指によるトレモロおよびクレッシェンドやデクレッシェンドが特徴的である。
[シルヴァン・ギニアール]
朝鮮にも3種類の琵琶があり、これらはもっぱら宮廷音楽(雅楽)に用いられた。第一のタイプは四弦曲頸洋ナシ形胴の琵琶で、新羅統一(676)前後に唐から輸入されたものと考えられる。唐琵琶(タンピパ)とよばれ、唐楽の中心的弦楽器であった。高麗(こうらい)朝(10~14世紀)には宮廷雅楽が唐楽と郷楽(きょうがく)(朝鮮固有の音楽)に分かれ、唐楽には唐琵琶、郷楽には第二のタイプである五弦直頸洋ナシ形胴の郷琵琶(ヒヤンピパ)が使われ始めた。李朝(りちょう)(15~19世紀)に入ると郷楽にも唐琵琶が用いられ始め、その際、柱の数も4から12に増えるなどの変更を受けた。この楽器は現在ではまったく使われていない。第三のタイプは月琴(げっきん)である。これは現在使用される中国の月琴よりむしろ阮咸に似た長棹円形胴の楽器で、郷楽にのみ用いられたが、これも今日では使われていない。
[シルヴァン・ギニアール]
今日、日本では次の5種の琵琶が用いられている。すべて曲がった棹と洋ナシ形の胴をもち、撥で弾奏する。
[シルヴァン・ギニアール]
雅楽で用いる琵琶。もっとも起源が古く、奈良時代にまでさかのぼる。現在、雅楽のなかでは旋律楽器としてではなく、和音や単音を弾奏して拍節表示をするリズム楽器として位置づけられている。しかし、かつては独奏曲も輸入されたこともあり、833年(天長10)に藤原貞敏(さだとし)は唐から『流泉』など3曲を持ち帰ったが、それらが秘曲とされていたこともあって、近世には消失してしまった。楽器は5種の琵琶中もっとも大きく、奏者は楽器を水平に構え、弦の上を押さえて弾奏する。
[シルヴァン・ギニアール]
盲目の僧侶(そうりょ)が『地神経(じしんきょう)』などの経文を琵琶伴奏で唱えるもので、「地神琵琶」「荒神(こうじん)琵琶」ともいわれる。楽琵琶と同時か遅くとも9世紀には成立し、当時は天台宗の仏教儀式に用いられ、主として九州で栄えた。今日でも九州地方にのみわずかに残る。現在、筑前(ちくぜん)盲僧琵琶、薩摩(さつま)盲僧琵琶の二大系統があり、福岡の成就院、鹿児島の常楽院がそれぞれの中心地となっている。楽器は携帯の便のため小形で、奏者は楽器をやや斜めに立てて構え、柱と柱の間を押さえて弾奏する。
[シルヴァン・ギニアール]
平曲、つまり『平家物語』を語る音楽の伴奏楽器。平曲は室町時代に全盛期を迎え、江戸時代に前田流(江戸)と波多野流(京都)に分裂した。江戸幕府によって能と同じく式楽として保護されていたため、三味線の流行にも駆逐されることなく、明治時代まで存続し、今日も名古屋、仙台などに奏者が残っている。楽器はやや大形で、奏者は楽器をほぼ水平に構え、柱の上を押さえて弾奏する。
[シルヴァン・ギニアール]
室町時代末期に薩摩盲僧琵琶から派生した琵琶で、今日、正派(せいは)、錦心(きんしん)流、錦(にしき)琵琶、鶴(つる)派など多くの流派がある。薩摩(鹿児島県)島津藩の島津忠良(ただよし)が、武士の道徳教育の目的で薩摩盲僧淵脇寿長院(ふちわきじゅちょういん)に琵琶歌を作曲させたのが始まりで、江戸時代末期に名手池田甚兵衛が今日の正派様式を確立した。明治維新後、東京を中心に全国に広まり、男性的な楽器としてもてはやされた。明治後期、東京の永田錦心が都会的趣味の錦心流を開き、分派。以後、本来の薩摩琵琶を正派とよぶ。さらに昭和初年、錦心流から水藤錦穣(すいとうきんじょう)が錦琵琶を考案し、1980年代にはやはり錦心流から鶴田錦史(つるたきんし)が鶴派を開いて分派した。正派と錦心流の琵琶はやや大ぶりで、奏者は楽器を立てて構え、柱と柱の間を押さえてたたくように激しく弾奏する。男性奏者が多い。錦琵琶は薩摩琵琶と筑前琵琶を融合したもので、曲調面からも両者の折衷といえ、奏者は女性が多い。鶴派琵琶は、曲折した柱、撥での擦奏など、楽器機構・奏法に斬新(ざんしん)なくふうを加えている。
[シルヴァン・ギニアール]
明治維新後の当道座廃止によって衰微した筑前盲僧琵琶の伝統を基に薩摩琵琶、三味線音楽の要素を取り入れて、明治20年代に北九州で創始された新琵琶楽。橘智定(たちばなちじょう)(初世旭翁(きょくおう))、鶴崎賢定(けんじょう)、吉田竹子らによって始められた。とくに上京して活躍した橘旭翁の尽力で明治後期から昭和初めにかけて盛行し、薩摩琵琶と人気を二分するに至った。楽器は薩摩琵琶よりやや小さく、曲調も全体的に女性的である。しかし、大正時代に薩摩琵琶の影響で考案された五弦琵琶の曲には勇壮な男性的曲調のものもみられる。奏者にはいまなお女性が多い。
薩摩琵琶楽、筑前琵琶楽はともに大正から昭和初年にかけて大流行したが、戦記物語を題材とする曲が多いため、第二次世界大戦後その人気は急速に衰えてしまった。しかし今日では、短く詩的な内容をもつ「琵吟(びぎん)」とよばれる新しいジャンルが筑前琵琶橘会の山崎旭萃(きょくすい)によって始められたり、武満徹(たけみつとおる)ら現代音楽の作曲家によって琵琶が積極的に取り入れられるなど新たな展開をみせている。
[シルヴァン・ギニアール]
西アジアから伝来し,東アジアに広く伝播(でんぱ)変容した撥弦(はつげん)楽器で,楽器学では棹付きリュート属の弦鳴楽器に分類される。外形から区別される,(1)4弦4柱曲頸洋梨型胴,(2)5弦5柱直頸(ないし緩やかな曲頸)細長胴(五弦琵琶),(3)4弦14柱直頸円形胴(阮咸(げんかん))の3種が本来あったと思われるが,各地で多様に変形されてきた。通常,琵琶といえば曲頸洋梨型(大きな茄子(なす),またはしずくの形とも)のものを指し,その意味でも,アラブ諸国のウードや中世ヨーロッパのリュートと共通の祖型から出たとする説が有力となる。〈琵琶〉の語源として中国では,古くから演奏法を表す〈琵(批)〉(弦を手前から外の方向にはじく)と,〈琶(把)〉(反対方向にはじく)を組み合わせたものといわれている。また起源をさかのぼってペルシアの古楽器バルバットやビバットに関連づける説もある。
すでに唐代の中国で前記3種の広義の琵琶が形を整え(その流行は白楽天の詩《琵琶行》などで裏付けられる),それらが周辺諸国に伝えられた。奈良の正倉院に保存されている4弦の曲頸琵琶と5弦の直頸琵琶がそのなごりである。曲頸琵琶は主として管絃合奏の中で旋律の節目ごとに分散重音を奏する拍節表示楽器として奏され,対照的に直頸琵琶は声楽曲の伴奏をし,持続低音,句読法的楽句区分,リズム,旋律を奏するのに使われたと推定することができる。曲頸琵琶はベトナムで弾琵琶(ダンテイバ),朝鮮で唐琵琶(タンピパ),日本で楽琵琶と呼ばれる形で,それぞれ変容をとげながら受け継がれた。中国では宋代以後,古い形にとらわれずに新しい琵琶様式をつくりあげていった。ことに南部では声楽曲の伴奏用に広く愛用され,語り物としての〈弾詞(だんし)〉になくてはならないものとなり,また明代以後は他の楽器と組み合わされて新しい合奏音楽をつくるのに役立てられた(この合奏形態は日本にも伝えられ〈明清楽(みんしんがく)〉と呼ばれた)。一方,北部ではむしろ独奏楽器として発達し,純器楽的表現のみならず,自然現象を模倣する写実技法を織り交ぜながらフラメンコ風の華麗な技巧をこらした指爪弾法を応用するようになった。
日本の琵琶楽の歴史を通じ際立った事実として,大陸から輸入された楽器と音楽を本質的に変化させることなく保存し続ける雅楽の伝統とならんで,宗教・娯楽・武士道・芸術表現のために琵琶をつくりかえ新しい音楽様式を次々と確立してきた傾向をあげることができる。また,日本では4弦の曲頸琵琶が諸ジャンルにまたがって主流となってはいるものの,柱(じ)のはたらき(表)や持続・反復低音の利用のしかたなどに直頸琵琶の痕跡が残されていると解釈することもできる。琵琶の形態はジャンルごとに多少の違いはあるものの,およそ共通したつくりをみせている。たとえば,硬さが要求される裏側の槽(そう)に紫檀(したん),紫藤(しとう),花櫚(かりん),桑,桜などを用い,軟らかさの必要な表側の腹板には塩地(しおじ)や桐を使い,さらに腹板の一部分に皮を張ったり漆を塗ったりして撥(ばち)面と称する。撥はおおむね黄楊(つげ)でつくり,ジャンルにより寸法がまちまちなのは(表),音楽様式の違いとも関連している。この撥利用の多様さこそがまさに日本の琵琶楽を特徴づけるものであり(たとえば打楽器的効果をあげて),また三味線音楽に大きな影響を及ぼした側面でもある。以下,日本で行われる琵琶楽について述べる。
(1)楽琵琶 雅楽の琵琶は楽琵琶とも呼ばれ,楽箏とともに特異な響きのために,合奏の音響複合の中で旋律楽器ではなくむしろ拍節表示ないしリズム楽器として位置づけられている。楽琵琶の技法としては,1本の弦だけを弾ずる〈一撥(ひとつばち)〉,複数弦をポロロンと弾ずる分散重音の〈搔撥(かくばち)〉,撥の方向を通常と反対にする〈返し撥〉,左手の指で弦を打ち,すぐに軽くはじく〈弛す(はずす)〉など,後世の琵琶楽の基本となるものがほぼそろっている。合奏用だけでなく琵琶独奏曲の輸入もわずかにあったらしく,《流泉》《啄木(たくぼく)》《揚真操(ようしんそう)》の秘伝3曲が藤原師長(もろなが)の《三五要録》に収められているので,林謙三(1899-1976)により復元が試みられた。声楽と琵琶との結びつきは雅楽との関連でもいくつかの様相を示し,後代の声楽中心の琵琶楽を暗示するものがあった。たとえば管絃合奏における篳篥(ひちりき)の主要旋律を唱歌(しようが)でうたいながら琵琶のパートを奏したり,催馬楽(さいばら)の曲を伴奏する形態などである。また,宮廷や寺社を背景とする雅楽とは別の世界の民間では,語り物芸能としての平家琵琶(平曲)の伝統が生まれた。
(2)盲僧琵琶 さらに雅楽や平曲とは異なる伝統による琵琶楽が宗教音楽としてもすでに奈良時代から行われていたらしい。それは北九州を中心に西日本に散在していた盲僧琵琶(盲僧)である。これは豊作を祈願するときなど竈神(かまどがみ),三宝荒神(こうじん)に対して〈地神経(じしんきよう)〉や〈荒神経〉を琵琶の伴奏で読誦するものなので,〈地神琵琶〉〈荒神琵琶〉とも呼称されている。また寺院の法会(ほうえ)に際しても他の発音用の法器とともに使用されたし,檀家を巡回する回檀法要でも平易な経文読誦が琵琶の伴奏で行われた。その担い手たちは座興として語り物琵琶,歌謡琵琶も行い,その伝統は門付芸(かどづけげい)の〈滑稽琵琶〉ないし〈座頭琵琶〉につながっている。こうした盲僧琵琶の音楽的活動は筑前盲僧と薩摩盲僧に大別されてわずかに現存し,その傍系の山口県や熊本県の小型の笹琵琶を使う肥後琵琶はほとんど絶えた。
(3)薩摩琵琶 このように盲僧琵琶はすでに世俗化の傾向を示したが,別の世俗的な琵琶楽を近世に生み出すきっかけをも提供した。それは16世紀後半に始まった薩摩琵琶と19世紀末からの筑前琵琶を代表とするいわゆる〈琵琶歌〉である。薩摩琵琶が始まった動機は,薩摩藩の島津忠良(ただよし)が武士の士気を鼓舞する目的で盲僧の楽器を借用して教訓歌を歌わせたことであったと伝えられている。江戸時代には町人も行うようになり,〈士風琵琶〉と〈町風琵琶〉とが様式的に区別された。明治以後はこれらをまとめて〈薩摩琵琶〉という名称のもとに男性的なたしなみとして全国に広まった。これに手を加え繊細な節回しの様式が20世紀初頭永田錦心によって確立され錦心流と称したので,従来のものは正派と呼ぶようになった。さらに新しく錦心流の中から水藤錦穣(すいとうきんじよう)が錦(にしき)琵琶を,鶴田錦史(1911-95)が鶴田派の新様式をつくり出した。
(4)筑前琵琶 琵琶歌のもう一つの系統筑前琵琶はもと筑前盲僧の橘旭翁らにより薩摩琵琶や三味線音楽にならって明治期に確立され,女性的な優雅さをたたえた音楽として全国的に流行した。とくに石村涼月,高峰筑風らの独特の味わいが人気を呼んだ。
以上の琵琶歌はおよそ歴史的題材による語り物的要素も強く,歌謡的側面とつりあって邦楽の中で特異な位置を占めている。日本の琵琶は現代音楽の中にも積極的にとり入れられ,とくに筑前琵琶と薩摩琵琶のための独奏曲・合奏曲が多数作曲されている。なかでも鶴田錦史と作曲家武満徹の組合せからは,世界的に好評を博した作品《ノベンバー・ステップス》《エクリプス》などが生まれた。
執筆者:山口 修
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雅楽や平曲などに使用した弦楽器。ふつう4弦・曲頸の琵琶をいうが,同種に5弦・直頸の五弦琵琶,4弦・直頸で丸胴の阮咸(げんかん)があり,いずれも7~8世紀に中国から伝来した。このうち4弦・曲頸の琵琶が管弦などに盛んに奏された。9世紀には別に,九州地方に四弦・曲頸の盲僧琵琶が伝えられ,中世以降,薩摩琵琶・筑前琵琶として成立する。中世には琵琶法師が現れ平曲が発展するが,これは雅楽琵琶の系統を引くとも,盲僧琵琶の祖型からうまれたともいわれ,定説はない。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報
…催馬楽,朗詠で用いるときには〈一竹(いつちく)〉または〈一本(一管)吹き〉といって,単音旋律を奏する。〈弾きもの〉のうち箏(そう)と琵琶は管絃,催馬楽で使われ(《輪台(りんだい)》《青海波》を除く舞楽では用いない),アクセントの効いた独特の音型で旋律線のリズム感を強調する。後世の俗箏,平家琵琶などと区別するため,とくに楽箏,楽琵琶ということがある。…
…同時に京胡その他ある特定のタイプの胡弓を指す場合がある。唐・宋代では,北方および西方各民族から伝わった撥弦楽器(たとえば琵琶,忽雷(こつらい)など)を指した。現在の各種胡琴の直接の祖といわれるのは奚琴(けいきん)で,その擦弦楽器としての最も古い記録が《夢渓筆談》に見える。…
…サラスバティーは学問と芸術をつかさどるヒンドゥー教の女神で,日本の七福神の一人である弁才天の源流とされる。インドで興った仏教は中央アジアを経て中国へ広まっていったが,当時,サンスクリットで書かれた仏典の漢訳が行われ,そこではサンスクリットのvīṇāが〈琵琶〉と訳されている。日本に伝来した中国の琵琶は西アジア系のものと考えられているが,ビーナーが中国に入り,なんらかの影響を与えたであろうことも十分推測できる。…
…リュート属楽器といえば広義には棹(さお)と共鳴胴をもち,弦を指ではじくことによって音を出すすべての楽器が包括される。それらの中で,棹が長い三味線型の楽器を〈長いリュート属〉,棹が短めの琵琶型の楽器を〈短いリュート属〉として大別することができる。狭義のリュート属楽器は,この後者の一部である。…
※「琵琶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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