関東平野の北端に位置する。あかぎさんともいい、上毛三山の一。勢多郡八町村と
大沼の水は沼尻付近で環壁を破り
赤城山は八世紀頃は「くろほのねろ」とよばれていたようである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
関東平野の北西縁,群馬県東部にある第四紀後半に活動した成層火山。榛名山,妙義山とともに上毛三山と呼ばれる。すそ野の発達はよいが山頂近くは激しく浸食され,複数の峰に分かれている。最高峰は黒檜山で標高1828m。山頂部には小カルデラ(径2~4km,深さ60~300m)があり,その中に2個の溶岩円頂丘の地蔵岳,小沼(この)火山と火口原湖大沼(おの)がある。小沼火山頂部には爆裂火口跡の小沼がある。形成の歴史は,20万~30万年前に溶岩流,スコリアが繰り返し噴出して,標高2500mほどの円錐火山(古期成層火山)が形成されたが,浸食などにより破壊された。その残骸が黒檜山,船原山,荒山,鍋割山などである。このころ,磐梯山(1888),セント・ヘレンズ火山(1980)の例に似た噴火による山体大崩壊が起こった。南西麓の橘山などの小丘はこの時の崩壊物質がつくった流れ山である。その後,噴火が繰り返され,浸食が進んだ古期成層火山体頂部に火砕岩からなる新期成層火山が形成された。5万年ほど前に小カルデラが形成され,4万年前,溶岩円頂丘が形成される前に鹿沼土と呼ばれ盆栽に広く用いられる鹿沼降下軽石が小カルデラから噴出した。1万年前の小沼をつくった爆裂活動以後,目だった活動はないが12世紀に噴火したという記録が《吾妻鏡》に〈上野国赤城岳焼〉として記されている。小カルデラから流出する火口瀬粕川,深山(みやま)川をはじめ,荒砥川,白川,深沢川などの放射谷が山体を深く浸食している。1947年カスリン台風通過時に各放射谷で山腹崩壊,土石流が発生,火山麓扇状地に押し出して多くの死者を出した。北・西・東麓は片品川,利根川,渡良瀬川に境され,南麓斜面は関東平野に連続し,近年前橋市の拡大に伴って都市化が進んでいる。大沼湖畔まで有料道路が通じ,地蔵岳頂上までロープウェーがかかり,観光客が多い。南側中腹にある赤城温泉(旧称湯ノ沢。重曹泉,44℃)は元禄年間(1688-1704)に宿があったという歴史のある温泉で,赤城山の登山基地となり,近くに忠治・滝沢の2温泉がある。
執筆者:守屋 以智雄
赤城山は古くから信仰の対象とされており,三夜沢(みよさわ)(前橋市の旧宮城村)の赤城神社を中心として,社家の布教活動によって関東一帯に信仰圏を形成する一方,赤城山周辺には数多くの赤城神社がまつられている。赤城山神は880年(元慶4)に従四位上に叙せられたが,この時には赤城石神と記されている。石神と称されたのは,三夜沢赤城神社の北西尾根に櫃石(ひつぎいし)と呼ぶ巨石があるためで,これは古代祭祀遺跡の一つで磐座(いわくら)とみなされている。しかし今日では赤城山信仰の中心は沼神におかれており,《神道集》の赤城山縁起や後の《赤城山御本地》などでも沼神が中心になっている。《神道集》には赤城大明神(大沼,本地千手観音),高野辺大明神(小沼,虚空蔵菩薩)の二所明神に覚満大菩薩(地蔵岳,地蔵菩薩)を加えて赤城三所明神が成立したと記されている。大沼,小沼からは平安時代から江戸時代に及ぶ多数の鏡が出土しており,また小沼には赤城山南麓に住んだ赤堀道元の娘が16歳の時に入水して沼の主となったという女人入水伝承や,それにもとづく習俗も伝えられている。
執筆者:宮本 袈裟雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
群馬県、関東平野の北西部にそびえる截頭円錐(さいとうえんすい)型(コニーデ)の二重式火山。「あかぎさん」ともいう。榛名山(はるなさん)、妙義山(みょうぎさん)とともに「上毛三山(じょうもうさんざん)」とよばれて、古来群馬県民に親しまれている。外輪山は、最高の1828メートルを示す黒檜(くろび)山と、長七郎(ちょうしちろう)山、荒(あら)山、桑柄(くわがら)山などを結ぶ山嶺(さんれい)で、この内側に東西3キロメートル、南北4キロメートルのカルデラがあり、鐘状(しょうじょう)型(トロイデ)の中央火口丘地蔵(じぞう)岳(1674メートル)や、火口原湖の大沼(おの)、湿原の覚満淵(かくまんぶち)、火口湖の小沼(この)がある。黒檜山からの眺望はまことによく、鍋割(なべわり)山、鈴ヶ岳などの寄生火山もある。山体の基底直径は約30キロメートルで、基盤は古生層、中生層、第三紀層であるが、上部は複輝石(ふくきせき)安山岩からなる溶岩や集塊岩、凝灰角礫(ぎょうかいかくれき)岩などで構成されている。1947年(昭和22)9月のカスリーン台風では、中腹以上の崩壊箇所から巨岩や土砂を流下して、南斜面の荒砥(あらと)川や白(しら)川、西斜面の沼尾(ぬまお)川の沿岸地域では多くの倒壊流失家屋や死傷者を生じた。
大沼付近の気温は年平均7.9℃、1月零下3.4℃、8月20.0℃で、冬季は降雪がみられ、夏季は雷を発生しやすい。また、低山帯から亜高山帯に属する樹相が豊富で、ブナ、カエデ、ミズナラ、ダケカンバ、シラカバおよび高山植物がみられる。標高約1400メートルの新坂平(しんさかだいら)一帯は、6月中旬県花のレンゲツツジの大群落が満開となり、観光客でにぎわう。この付近では夏季に乳牛やメンヨウの放牧も行われる。裾野(すその)は農牧業が盛んで、放射谷には水田、原形面には桑、小麦、野菜、酪農が目だつ。とくに南斜面には養蚕のための赤城型民家があり、第二次世界大戦後の開拓地も1957年(昭和32)にはすでに34か所に、700戸が入植していた。また1935年(昭和10)県立公園に指定され、観光地として急激に発達し、前橋から大沼湖畔の大洞(だいどう)まで赤城道路(県道前橋赤城線)でバス1時間半となり、さらに1982年大洞から北斜面を縦断して片品(かたしな)川中流の薗原(そのはら)ダム、老神(おいがみ)温泉方面に通ずる自動車道が開通した。1971年には国立赤城青年交流の家ができた。白樺牧場(しらかばぼくじょう)、畜産試験場やスキー場もあり、南側山腹には忠治、梨木(なしぎ)、赤城の温泉や赤城神社もある。
[村木定雄]
『『みやま文庫1 赤城』(1961・群馬県立図書館)』▽『村木定雄著『裾野の地理』(1967・前橋・煥乎堂)』
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
…古く上毛野(かみつけぬ)国と呼ばれた群馬県にある赤城山,榛名(はるな)山,妙義(みようぎ)山の三山の総称。関東平野北部から望むことができ,いずれも名山として古来上州の人々に親しまれてきた。…
…群馬県の中央部にある複式成層火山。赤城山,妙義山とともに上毛三山と呼ばれる。《万葉集》には伊香保嶺(いかほね)の名で詠まれる。…
…ハガチ,ムカゼなどの方言があり,天部の一つである毘沙門天の使わしめという信仰があって,これを尊敬する寺(鞍馬寺)や地方がある。また関東では赤城山の神がムカデの姿であると伝えられ,赤城神社の鳥居にはこの虫が彫刻されている。日光二荒山神社の古伝に以下のような話がある。…
※「赤城山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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