花,葉,枝などを使って花を生けること。フラワー・デザインflower designともいい,近年使われるようになった言葉である。古くはブーケ・アートbouquet artなどと呼ばれていた。これらは日本古来のいけばなに対し〈西洋風いけばな〉として区別して扱われている。フラワー・アレンジメントでは花を対称および非対称に配置するなど幾何学的な象徴性や哲学性を重視し,さらに自由な創意に基づき花の形や色彩の組合せによって,高い装飾性が目ざされる。しかし花々を単に取り合わせただけのブーケbouquetと異なり,花瓶や置き場所,また貝殻や蝶などの寓意的な付属装飾品も対象となる。
ヨーロッパにおけるフラワー・アレンジメントの最も古い記録は,古代エジプトの古王国時代の王の墓から出た,スイレンをあしらったものとされている。またスイレンが大きな鉢に生けられ,イシスに捧げられている情景を描いた壁画もある。古代ギリシアでは植物に関する多くのシンボリズムも成立し,結婚式などには壺に生けた花がたくさん並べられた。このように,古代では花を生けることは祝祭と深くかかわり,ハレの日を彩る重要な景物であった。しかし花を愛したローマが没落して,西洋中世は〈花〉は修道院,教会のみで栽培され,観賞よりもむしろ薬効が目的となり,庶民の庭からは姿を消した。上流社会を中心に家に花を取り入れることがヨーロッパで発展したのはルネサンス期以降であり,植物を含む自然物への全般的な関心の盛り上がりと対応している。とくにイタリアをはじめ当時のヨーロッパの先進国においては,観賞用の花を栽培する花園が造られたが,その切花が室内に飾られるきっかけになったのは,アジアやアメリカからもたらされた熱帯の花々であった。さらにテラスと芝生が建築に取り入れられ,住居と花園が接近する環境が成立したことも重要な要素であった。フラワー・アレンジメントの様式が確立するのもこの時期で,イタリアではブーケのように花だけを集める様式が好まれた。一方フランスのバロック期には茎の曲線美や葉の形の面白さにも重点を置く様式が発達し,近代的なフラワー・アレンジメントの方向を定めた。また16~17世紀のオランダでは静物画が発達し,とくに花を描いたものが広くヨーロッパに流布し,その生け方も模倣された。なおオランダの静物画は宗教性に富んだもので,西洋のフラワー・アレンジメントに精神性や寓意性をもちこむ原動力ともなっている。18~19世紀にかけては新古典主義やロマン主義の下で花を愛でる風潮がさらに高まり,ブルジョアの邸宅から一般市民の家屋まで,花瓶に生けた花が家庭のあたたかさを表すシンボルにまでなった。
アメリカでは18世紀の植民地時代に,生活環境が整えられるにおよんで,花々を楽しむ習慣が生まれた。この時代,冬を彩る花として,室内にドライフラワーが飾られていた。また生活も豊かになり,フラワー・アレンジメントはヨーロッパのバロック・ロココの時代同様に花ひらき,室内にあでやかに飾られた。1830~1900年代はヨーロッパのロマン主義の影響もあって,花をたくさん使い,優雅な生け方で室内を飾ることが好まれた。1900年代初期にはアール・ヌーボーの洗礼を受け,次の1930年代ころはさらに東洋の影響を強く受け日本のいけばなの基本を取り入れた。ことに第2次世界大戦中は,花が少なかったために,従来のように花をたくさん使う生け方から,線の美しさを強調する日本的な生け方が取り入れられた。戦後は,アメリカの生活様式,室内様式にあわせて,ヨーロッパのフラワー・アレンジメントと日本のいけばなをあわせて取り入れた,アメリカ独得のスタイルが発達した。
一方,日本では,明治時代にヨーロッパの園芸が取り入れられるのと同時に,宮中における晩餐会の卓上装飾にヨーロッパ風の装飾が行われるようになった。しかしヨーロッパ経由のフラワー・アレンジメントは民間にまで広がるにいたらなかった。ただ,昭和初期にアメリカから新しい様式がフラワー・デザインという名称で紹介された。これは国内にも定着しはじめ,第2次世界大戦期の断絶を経て戦後は大いに普及しつつある。原因としては日本の家屋構造や生活習慣がアメリカ的になったことが挙げられる。
執筆者:荒俣 宏+百瀬 和子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加