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イスラム美術 イスラムびじゅつ Islamic art

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イスラム美術
イスラムびじゅつ
Islamic art

イスラム世界で展開した美術。7世紀以来,ビザンチンササン朝ペルシアの伝統に各地方の要素を融合しながら発展し,10世紀から 16世紀にかけて最盛期に達した。建築は,ミナレットマドラサキャラバンサライなどが発達した。

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世界大百科事典 第2版の解説

イスラムびじゅつ【イスラム美術】

イスラム美術は,西アジア北アフリカをおもな舞台として広くイスラム世界で,7世紀から,その独自性が失われていく18世紀ころまでの約1200年間につくられた建築,絵画,工芸を指していう。しかし,その内容が聖俗両面にわたっているため,たとえイスラムの発展と歩みを共にしたとはいえ,キリスト教美術仏教美術などと同列に置いて考えることはできない。 イスラム美術は,ササン朝ペルシア(ササン朝美術),古代地中海世界などの美術を母胎として出発し,征服地の土着的伝統を吸収しながら,独自の様式を確立した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イスラム美術
いすらむびじゅつ

7世紀から18世紀までの約1100年の間に、イスラム世界の中心である西アジア、北アフリカを主要な舞台としてつくりだされた美術工芸全般をさす。それは、イスラム文化の発展と歩みをともにしているが、聖俗両面にわたる内容を含んでいるため、キリスト教美術、仏教美術などの宗教美術とは性格を異にする[杉村 棟]

イスラム美術の特質

イスラム美術は、その形成過程で各地の文化を吸収したが、なかでもササン朝ペルシアと古代地中海世界の美術が基礎となった。イスラム美術が多様な一面をもつのは、このような理由による。
 厳格な一神教であるイスラム教では、偶像崇拝が徹底して排斥された。しかも、神は不可視的な存在であるから、神の具象的表現は完全に抑制された。宗教図像の表現を基本とするいわゆる宗教美術とイスラム美術との違いがここにもある。聖典コーランは、美の本質や造形についてなにも言及していないが、預言者ムハンマド(マホメット)の言行伝承録(ハディース)は、偶像と紛らわしい彫像・絵画の制作、あるいはその所有に対しても、否定的態度を表明している。造形芸術に関するイスラム法学者や支配者の解釈は、時代、地域によって異なるとはいえ、一般に、具象的・写実的表現よりも、抽象的・観念的・二次元的・装飾的表現が好まれた。幾何文、様式化した植物文、アラビア文字などを主要な構成要素とするいわゆるアラベスクは、このようなイスラム美術の装飾志向を端的に示すものである。
 以上の諸要素とともに、イスラム美術の画一性を助長した要因の一つは、アラビア語とアラビア文字である。それは思想の伝達という第一義的な機能のほかに、いわゆる宗教図像にかわる役割を果たした。モスクの内壁を飾る種々の銘文がそれを示唆している。第二は装飾要素としての機能で、その広範な使用は他に類をみない。イスラム教における神の啓示は、アラビア語で下され、アラビア文字で記録された。これが聖典コーランであり、アラビア文字が神聖視されるゆえんはここにある。アラビア文字が装飾要素として重きをなしたのは、文字そのものがリズミカルで、装飾性に富む美しい形をしているからであり、肥痩(ひそう)、直線、曲線を自由自在に表すことができるからでもある。また表音文字に共通した抽象的な形体が、幾何文、アラベスクなど他の抽象性の強い装飾要素と調和しやすいことも見逃してはならない。
 イスラム世界における創作活動はさまざまなレベルで行われていたが、とくに、ほとんどいつの時代にもパトロンである王侯貴族の保護を受け、宮廷工房を中心に行われ、完成された多くの作品はパトロンの趣味を強く反映していた。このためにイスラム美術は、しばしば宮廷美術として説明される。
 イスラム美術における諸分野の位置づけは、東アジアやヨーロッパの美術のそれと異なり、書道がもっとも高い位置を占め、いわゆる絵画、彫刻が発達しなかったこともあって、工芸(金工、陶器、染織、ガラス、木工など)がこれに次いで高い評価を得ていた。[杉村 棟]

建築

異色ある宗教建築としてまずあげられるのは、記念碑的役割を果たした「岩のドーム」(エルサレム、7世紀)である。メッカのカーバ神殿と同様に巨石が納められているが、建築的にはビザンティンの影響が大きい。宗教建築の諸形式のなかでは、礼拝所モスク(マスジッドまたはジャーミー)がもっとも重要である。礼拝堂の奥壁には、ほとんどの場合メッカの方角(アル・キブラ)の表象である壁龕(へきがん)(ミフラーブ)が設けられる。そのほか、玉座をかたどった説教壇(ミンバル)、王侯のための特別席(マクスーラ)がモスクの内部に設けられ、信徒に祈祷(きとう)への参加を呼びかけるために使われる塔ミナレット(マナーラ)、潔斎のための泉亭が外部に設置されることが多い。
 モスクには主として三つのタイプがある。
(1)シリア、イラクを中心に発達した多柱式で、アーケードを三方に巡らした中庭と、多数の柱が屋根を支えている礼拝堂からなる。これは預言者ムハンマドの住まいをモデルにしたもので、ミヒラーブ前方の主軸上に、象徴的にドームを架けた例もあり、シリアのダマスカスのウマイヤ・モスク(706創設)やチュニジアのカイラワーンの大モスク(836創設)がこれにあたる。
(2)イーワーン、つまりトンネル形の穹窿(きゅうりゅう)(ボールト)を架けた前方開放式のホールを中庭の4辺の中央に設けたタイプ。これはイランに多く、イスファハーンのマスジッド・イ・ジャーミー(主要部は11世紀)に代表される。
(3)ビザンティン建築の影響による中央会堂式ともいうべきタイプで、オスマン帝国領内で普及した。やや縮小された中庭に隣接して、大小のドーム、半ドームを架けた大ホールが配置されている。著名な建築家スィナンによるイスタンブールのスレイマン・モスク(1550~1557)、あるいはアフメト1世のモスク(17世紀初期)などがある。
 学林(マドラサ)は通常、中庭を多数の個室と教場、礼拝室などが取り囲む構成をとり、その典型的な例はバグダードのマドラサ・ムスタンスィリーア(1233)にみられる。墓廟(ぼびょう)には、聖者を葬った聖廟のほか、王侯貴族を葬った廟があり、イランではゴンバディ・カーブース(1007)のように、後者に円筒状の高い塔を有する傾向がある。
 世俗建築の代表的な形式は宮殿で、中央に池、噴水、花壇などを設けた中庭を中核として、周囲に公私の各種の部屋を建てる構成が伝統的にとられてきた。ヨルダンのヒルバト・ル・マフジャール(740~750)、スペインのアルハンブラ宮殿(13~14世紀)などがある。隊商宿(キャラバン・サライ、ハーン)は、ウマやラクダを置く中庭の周囲に客室(階上)、倉庫、店舗を配置し、なかにはイランのリバート・イ・シャラフ(1114~1115)のようにモスクを設けた例もある。城砦(じょうさい)(カスル)は、古代ローマ帝国の辺境の駐屯所(リメス)を範としてスタートした。イスラム世界の周辺に配置されたラバート(リバート)がこれにあたる。丘陵の周囲に堀を巡らしたシリアのアレッポの壮大な城砦(11~13世紀)は、中世アラブの築城法を示すよい例である。世俗建築としてはこのほかに病院、浴場、修道場、市場、橋梁(きょうりょう)の遺構が知られている。以上に述べた建物の材料は、西方イスラム世界では石材が、また東方ではおもにれんがが使われている。
 建築装飾には、大理石、タイル、漆食(しっくい)などが使われ、アラベスク、幾何文、アラビア文字が表されている。いずれの場合にも、構築性、機能性よりも、装飾効果をつねに優先させる傾向が強く、その結果、建築物本来の性格が損なわれてしまう。[杉村 棟]

絵画

イスラム絵画には、カリフの諸宮殿の装飾として発達した壁画と、11、12世紀ごろから製紙法の伝播(でんぱ)に呼応して発達した、手書きの写本挿絵(ミニアチュール)という独特の形式の2形式がある。壁画では、シリアのカスル・アル・ハイル・アル・ガルビ(8世紀)や、イスファハーンのチェヘル・ストゥーン宮(17世紀)のものなどが知られている。
 写本挿絵は、ギリシアの自然科学書、技術書のアラビア語訳の冊子形式の写本に付されたのが最初で、のちには史書や文学書の挿絵が重きをなした。肖像画や画冊など単独の作品は近世に入って初めて制作された。写本は、その多くが宮廷直属の工房における書家、絵師、彩飾師、箔置(はくおき)師、装丁師らの工房制作である。絵師の関心は装飾効果の増大、構図のパターン化などに集中し、個性的表現、感情表出、遠近法、陰影法にはほとんど興味を示していない。[杉村 棟]
ペルシアの絵画
ペルシア絵画の特徴としては、抒情(じょじょう)性、洗練された色彩感覚、高度の技法などをあげることができる。モンゴル時代以前には『ワルカとグルシャー』(13世紀)、モンゴル時代には、中国の宋(そう)・元(げん)の絵画の影響を示すラシード・ウッディーンの『ジャーミ・アッタワーリーヒ(集史)』(1307および1314)やフィルドウスィーの英雄叙事詩『シャー・ナーメ(王書)』(1010)などの装飾写本の傑作がつくられた。ティームール朝はペルシア絵画の隆盛期で、ヘラートやシーラーズを中心に、装飾性と緻密(ちみつ)さを加えたニザーミーの『「五部作」(ハムセ)』(12世紀後半)などの装飾写本が制作された(1494)。絵師ビヒザードが伝統的手法を完成し、新たに肖像画や風俗画への道を開いた。さらに、サファビー朝のリザー・イ・アッバースィー一派は、これをいっそう発展させるとともに、優れた線描画を残している。しかし、17世紀後半における急速な西欧化と古来の伝統の喪失は、ペルシア絵画の終焉(しゅうえん)を意味した。[杉村 棟]
アラブの絵画
すでに12世紀ごろのバグダード、モスル、バスラなどで、アラブ最初の画派であるメソポタミア派が活発な制作活動をしていた。現存する最古の作例は『キターブ・スワル・アル・カワーキブ(恒星論)』の11世紀の挿絵(線描画)である。代表作として『マテリア・メディカ(薬物志)』、寓話(ぐうわ)『カリーラとディムナ』、ハリーリーによる冒険譚(たん)『マカーマート(集会)』(以上13世紀)などの挿絵がある。後者はヤヒャー・アル・ワースィティーの筆になり、従来の帝王主題と異なって、当時の都市生活をつぶさに描き出している点で重要である。マムルーク朝(エジプト、シリア)には、主題、様式ともにメソポタミアの伝統が踏襲されたが、図像の類型化、諸要素の抽象化、装飾化が著しい。[杉村 棟]
トルコの絵画
15世紀ごろからオスマン帝国の支配下で、ペルシア的性格の濃厚な写本挿絵が描かれたが、16世紀に入ってトルコ独自の様式が形成されていった。抒情性の強いペルシア絵画とは対照的に、オスマン帝国の絵画は現実性が強く、主題も史実に基づいたものが少なくない。『スレイマーン・ナーメ』『ズブダトッ・タワーリーヒ(歴史精髄)』『スル・ナーメ(祭典の書)』(以上16世紀)などでは、単純で画一的な画面構成と生硬な図像が特色となっている。また、スルタンたちの肖像画も盛んに描かれた。早くからヨーロッパとの交渉が頻繁だったトルコでは、すでに17世紀初頭において伝統芸術の衰退が甚だしく、トルコ絵画もペルシア絵画と同じ凋落(ちょうらく)の道をたどらざるをえなかった。[杉村 棟]

工芸

いわゆる絵画、彫刻の自由な発達が抑えられてきたイスラム世界では、芸術家の創作意欲はひたすら工芸や装飾に注がれた。したがってそこでは、工芸のもつ意味は、東アジアやヨーロッパよりもはるかに大きい。そのなかでも金属工芸は、陶芸、染織とともにもっとも重要な位置を占める。工芸諸分野における共通した特質の一つは、建築装飾と同様、過剰な装飾を施すことにより、器物本来の機能性や質感などが著しく損なわれていることである。[杉村 棟]
金属工芸
青銅、真鍮(しんちゅう)のほか、金、銀、銅、鉄を素材とし、鋳造、打ち出し、彫金、象眼(ぞうがん)、めっき、金箔(きんぱく)、透(すかし)彫りなどの技法によって、燭台(しょくだい)、香炉、水差し、ペンケースなど多様な作品がつくられた。象眼には、金、銀、銅が使われ、とくに鉄、鋼鉄製の武器・武具に金線や銀線で象眼を施したタイプは、ダマスコ細工(ダマスキーン)として知られている。イスラム金工の淵源(えんげん)はササン朝ペルシアとビザンティンにある。東方イスラム世界(イランのタバリスターン、ホラサーン)には、いわゆる「ポスト・ササン」の作品が数多く残存しているのに対し、西方イスラム世界の初期の作品は少ない。最盛期のセルジューク朝からモンゴル時代にかけて銀象眼の技法が流行し、16、17世紀まで続いた。その中心はしだいに西漸し、イラクのモスル、続いてダマスカスとカイロが有力な製作地となった。ペルシアでは具象的な狩猟図、鳥獣図などが、またシリア、エジプトではアラベスク、銘文など抽象的なデザインが盛行した。[杉村 棟]
染織
技法、デザインともにササン朝ペルシアとビザンティンの伝統を引き継いだ。紋織、綴(つづれ)織、錦(にしき)、ビロードなどのほか、刺しゅうも盛んに行われた。装飾としては、アラベスク、幾何文、鳥獣文が好まれ、アラビア語の銘文も欠かせない装飾要素であった。8世紀にさかのぼる王室直属の織物工房ティラーズは、エジプトのみならず、のちに各地に設置された。ここではリンネル類がつくられたが、とくに論功行賞としてカリフから臣下に下賜された上衣(ヒラート)が織られている。イスラムの染織のなかでもっとも重要な位置を占めるのは、じゅうたんである。各種のパイル織じゅうたんのなかで、ペルシアじゅうたんが質量ともに群を抜き、トルコと中央アジア諸地域のものがこれに続く。パイル織じゅうたんには、竪機(たてばた)か水平機が使われ、経(たて)糸に文様となる色糸を結ぶのを特色とする。結び方にはペルシア結びとトルコ結びがある。装飾によって、メダイオン、幾何文、アラベスク、花瓶文、庭園文、狩猟文、鳥獣文、聖樹文、アーチ(祈祷(きとう)用)などのタイプに分類することができる。[杉村 棟]
ガラス
古代ローマとササン朝ペルシアのガラスの伝統を継承している。8~11世紀には、おもにペルシアやメソポタミアで、浮彫り、線彫りやカット技法が盛行し、一方、12~14世紀には、地中海沿岸地方、とくにシリア、エジプトで多彩なエナメル彩画の技法が新たに流行した。イスラム・ガラス独特の形式としては、モスク・ランプ、各種のバラ水瓶、扁壺(へんこ)形巡礼瓶などがある。[杉村 棟]
象牙細工
古代から長い伝統が踏襲されてきたが、イスラム時代には地中海沿岸のシリア、エジプト、スペイン、南イタリアがおもな製作地となった。小箱、角笛、チェスなどのゲームの駒(こま)、櫛(くし)のほか装身具類がつくられ、これに浮彫りでアラベスク、鳥獣図、狩猟図などが表現された。現存する遺品は、大半が11世紀から13世紀の間にもっぱら西方イスラム世界で製作されたものである。[杉村 棟]
陶器
西アジアは中国と並ぶ二大製陶地であり、施釉陶(せゆうとう)の技術を世界に先駆けて開発くふうした実績がある。古代文明の発祥の地であるこの地方は施釉陶器の面でも画期的な発明を行っており、アケメネス朝ペルシアの多彩釉陶はことに名高い。その後も施釉陶の伝統は続いたが、イスラム教が勃興(ぼっこう)して清新な文化が生み出されたのち、9世紀ごろから西アジア~エジプト各地に新窯の胎動が始まった。この時期がイスラム陶器の黎明(れいめい)期である。この新しい焼物作りにはササン朝ペルシアやビザンティンの製陶活動を基礎にして、多量に輸入され始めた中国陶磁の影響が色濃く反映しており、大きな刺激となったことは疑いない。鉛釉を使った各種の色釉をかけあわせた三彩、錫(すず)を溶媒剤に使った失透性の白釉では、その形や文様は明らかに9~10世紀の中国陶磁を手本としたものが圧倒的に多い。ただ、黄褐色の素地に白化粧して自由闊達(かったつ)な線描の文様を加えたり、銅によるラスター彩、コバルト顔料で下絵付して後の染付の始原をなすなど、すでにこの段階でイスラム陶らしい斬新(ざんしん)な創意が示されている。
 11世紀から15世紀にかけてイスラム陶器はもっとも発達し、豊富な実りがもたらされた。やはり中国陶磁が重要な祖型となっているが、作風は多様な展開を示している。色彩豊かな三彩が消え、青、藍(あい)、白などの明晰(めいせき)な単色釉が主となり、装飾技法もすこぶる複雑である。トルコ・ブルーの青釉はその典型で、呈色剤には炭酸銅が用いられた。前代からの染付やラスター彩、掻(か)き落し文様のガブリ手、色彩で文様を表したラカビ手、白釉面に絵付したミナイ手、青藍(せいらん)釉地に上絵付したラジュベルディナ手、白釉面に上絵付して再度透明釉をかけた白釉藍黒彩陶など加飾法はきわめて多彩で、百花繚乱(りょうらん)の感がある。14世紀の終わりにイル・ハン国が倒れたのち、一時期、作陶は総体に低調であったが、16世紀のイランにサファビー朝が興り、ペルシア人による帝国が興ると、製陶も復活して旧来の伝統がよみがえった。しかし新味はやはり明(みん)代中国製の染付磁器の模倣にあった。イランのメシェッドやトルコのイズニーク窯が名高いが、いずれも磁器ではなく、陶胎か半磁胎で柔らかく、独特の風韻(ふういん)がある。なかでも各種の色絵の具を使って文様を透明釉下に描いた明るく温雅な色絵陶器は、俗にクバチとよばれて珍重されている。これはイラン西部のアゼルバイジャン方面で焼造されたものと推測されている。[矢部良明]
『岩村忍編『グランド世界美術8 イスラムの美術』(1976・講談社) ▽深井晋司編『大系世界の美術8 イスラーム美術』(1976・学習研究社) ▽E・J・グルーベ解説、杉村棟訳『イスラムの絵画――トプカプ・サライ・コレクション』(1978・平凡社) ▽R・J・チャールストン著、杉村棟訳『西洋陶磁大観4 イスラム陶器』(1979・講談社) ▽メトロポリタン美術館著『メトロポリタン美術全集10 イスラム』(1991・福武書店) ▽杉田英明著『事物の声 絵画の詩――アラブ・ペルシア文学とイスラム美術』(1993・平凡社) ▽『世界美術大全集17 イスラーム』(1999・小学館) ▽ジョナサン・ブルーム、シーラ・ブレア著、桝屋友子訳『岩波世界の美術 イスラーム美術』(2001・岩波書店)』

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