セーラー服(読み)セーラーフク

デジタル大辞泉 「セーラー服」の意味・読み・例文・類語

セーラー‐ふく【セーラー服】

水兵服。また、それに似た婦人・子供服女学生制服にも多く使われる。
[類語]水兵服洋服和服ころも衣料品衣料衣服衣類着物着衣被服装束お召物衣装ドレス洋品アパレル略服ふだん着略装軽装着流しカジュアルよそゆき一張羅街着礼服式服フォーマルウエア礼装正装既製服レディーメード既製出来合い吊るしプレタポルテ注文服オーダーメード私服官服制服ユニホーム学生服軍服燕尾服喪服背広スーツ

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精選版 日本国語大辞典 「セーラー服」の意味・読み・例文・類語

セーラー‐ふく【セーラー服】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 水兵服。背にたらした方形の大きなセーラーカラーと裾の広いズボンが特徴。
    1. [初出の実例]「浪子はセイラ服(フク)の青い眼の水兵、女海坊主は振袖の日本娘、それが白布の手綱をあやつって、手ぶり身ぶり、恋人ごっこをするのだが」(出典:浅草紅団(1929‐30)〈川端康成〉四五)
  3. 水兵服をまねた上着にスカート、またはズボンを組み合わせた女性・子ども用のツーピース。女学生の制服に多く用いられる。
    1. [初出の実例]「セーラー服の彼女を」(出典:欅の芽立(1936)〈橋本英吉〉七)

セーラー服の語誌

( 1 )は、もと水兵・水夫の着る軍服および仕事着であった。一八五七年にイギリス海軍が制服に定め、一九世紀には世界中に広まった。
( 2 )は、一八六四年にイギリスのエドワード王子が着てから子供服として流行し、日本でも明治一八年(一八八五)に明宮(はるのみや)(=大正天皇)が着用し、上流階級の子供服として広まった。

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改訂新版 世界大百科事典 「セーラー服」の意味・わかりやすい解説

セーラー服 (セーラーふく)

水兵・水夫(セーラーsailor)の着る軍服および職能服。またそれをまねた子ども服婦人服とくに女学生制服をいう。前をV字形に開き上背部を覆う四角い襟と,スカーフやタイを,襟をくぐらせて前で結ぶのが特徴。この襟の起源は,18世紀ヨーロッパの男の辮髪(ピッグ・テール)による服の汚れを防ぐためにつけた別布で,海上では襟を立てると音声が聞き取りやすいので髪形変化後も存続し,セーラーのシンボルとなった。スカーフははじめ汗拭き布であった。19世紀中期~20世紀前期の海軍水兵服の一組は,庇がなく平らな形で鉢巻に艦名入りのリボンを巻いた水兵帽,頭からかぶって着るセーラー襟がついた上衣,その下に着るボートネックのシャツ,裾広がりで前あきがドロップ・フロント(蛙股)のズボンで代表される。色は春秋冬が濃紺,夏は白,襟は青で白線の縁飾をめぐらす。スカーフは黒。袖に階級兵科などを示すマークを縫いつける。1857年にイギリス海軍はこの服を制服に定め,19世紀中には世界中で模倣され,伝統的海軍服として定着した。細部のデザインは国ごとに異なり,たとえば1940年のイギリス海軍では襟の白線は3本で,帽子のリボンは左脇で飾結びにする。アメリカ海軍では線に加えて両角に星章を入れ,三角のスカーフは長く結び垂れ,白木綿のゴブ・ハットをかぶる。フランスでは水兵帽の頂に赤いポンポンをつけ,ドイツ海軍の帽子のリボンはひじょうに長い。同様に長いリボンをさげたソビエト水兵のシャツは横縞である。日本では幕末に幕府海軍の一部で用いた。維新後イギリス式を採用した日本海軍は,作業衣として水兵服を支給したが,1872年(明治5)〈海軍服制〉で正式に制定した。襟の白線は1条,シャツには青い縁取りがある。水兵服を日本海軍の俗語でジョンベラといった。現在の海上自衛隊では海士長以下の服として,ズボンはふつうのズボンの作り方に,襟もとにのぞいたシャツは胸当てに変化した。

 子ども服としては,1864年にイギリスのエドワード王子が,水兵の献上した服を着てから,世界中に流行し,活発な愛らしさでズボンをスカートにかえて少女服,若い女性の遊び着ともなった。20世紀初頭に,海軍御用テーラーのピーター・トムソンがワンピースの通学服にデザインして売り出し,多数の女生徒がこれを着た。日本では欧化熱のさかんな1880年代に上流階級は子どもに洋服を着せ,85年に明宮(はるのみや)(大正天皇)が水兵服を着用したところから一般にも広がり,明治・大正・昭和と一貫して学齢前の子ども服の主流を占めた。第1次世界大戦直後に和服の非活動性が論議されはじめ,1919年にはセーラー服など洋服の女生徒通学着を発売する既製服店もあらわれ,運動服に採用する女学校もあった。関東大震災(1923)後,お茶の水女高師付属高女,雙葉高女などセーラー服着用を許可するところはかなりの数となり,昭和初頭にかけて制服に定める女学校は急速に増え,大都市から地方へと伝播した。女学生のセーラー服は,水兵服型の上衣と紺色のひだスカートのツーピースで,襟の線やタイの色は学校によって独自のくふうをこらしている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セーラー服」の意味・わかりやすい解説

セーラー服
セーラーふく

日本ではセーラーブラウスとセーラースーツの2通りの意に用いられる。前者はもとイギリス,アメリカの海軍少尉候補生,海軍兵学校生徒の服装。一般に白の厚手綿ツイル,または密な綿布で仕立てられた,ゆったりしたオーバーブラウスで,うしろに垂れ下がった濃紺のウールの角襟 (セーラーカラー) に,2本ないし3本の白い綿のブレード飾りがある。ミディブラウスともいう。セーラースーツは,これに長ズボン,半ズボンまたはスカートを組合せたもの。 1850年代イギリスのビクトリア女王の王子の通学服にこのデザインが応用された。その後アメリカの一般の学校やスポーツ選手の制服に取入れられ,また婦人服にも 1910~20年代には,スカートと組合せたものが流行した。日本では 1918年前後に女学生の制服として導入され,冬用は紺,黒,えんじのサージ製,夏用は厚手綿布製のものが,サージのプリーツスカートとともに普及した。そのほかにもこのスタイルの特異性は種々に応用され,婦人服デザインの源泉にもなっている。

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百科事典マイペディア 「セーラー服」の意味・わかりやすい解説

セーラー服【セーラーふく】

水兵・水夫の軍服や,それをまねた婦人・子ども服。背に幅の広い角形の衿(えり)をたらし,三角の布を衿の下に通して前で結ぶ。1857年にイギリス海軍の制服とされ,1872年には日本でも正式に採用された。1864年にイギリスのエドワード王子が用いたことから子ども服として流行し,20世紀初頭から女子学生服として広まった。日本では欧化熱のさかんだった1880年代に上流階級の子ども服となり,1885年に,のちの大正天皇が着用してから普及し,1930年代からはスカートと組み合わせて女学生の制服として多く用いられている。
→関連項目制服ブレード

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「セーラー服」の意味・わかりやすい解説

セーラー服
せーらーふく
sailor suit

セーラーカラー(水兵襟)のついたスーツ。前がVネックで後ろが四角の襟をセーラーカラーといい、一般にブレードの縁どりがつき、スカーフやリボンを伴う。19世紀後期に制定されたイギリス海軍の水兵服からきており、海浜着として子供服や婦人服にこの襟が用いられ、その後スポーツ服に広がっていった。日本でも20世紀初頭の子供服に散見され、昭和初期にはひだスカートと組み合わせて、女子学生服に採用されていった。

[辻ますみ]

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世界大百科事典(旧版)内のセーラー服の言及

【学生服】より

…だがこの洋装化は短期間で終わり,90年代前半には和服に復帰し,体操の必要から独特の女袴が開発され,それが20世紀初頭から高等女学校,女子師範等の制服として普及した。運動服としてセーラー服型は1906年文部省から府県に通知されたが,服装の民族性を配慮した植民地の学校や国内のキリスト教主義学校を除いて,〈婦徳〉養成の観点から和服への執着が続いた。しかし関東大震災(1923)の経験から和服の非機能性が問題視され,30年代ころから運動服としてのセーラー服型が女子用通学服として制服化されるに至った。…

※「セーラー服」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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