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ミッチェル Mitchell, Arthur

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ミッチェル
Mitchell, Arthur

[生]1934.3.27. ニューヨーク
アメリカの舞踊家。ドナルド・マッケイル舞踊団,ジョン・バトラー舞踊団を経て,1956年ニューヨーク・シティー・バレエ団に唯一の黒人ダンサーとして参加。『アゴン』『夏の夜の夢』のパックなど G.バランシン作品を演じた。 68年黒人だけから成るハーレム・ダンス・シアターを設立,芸術監督となり本拠地ニューヨークのほか世界各地で公演している。

ミッチェル
Mitchell, Donald Grant

[生]1822
[没]1908
アメリカの随筆家。筆名 Ik Marvel。独身者が結婚,恋愛,友情などについて感傷的に語るという体裁のエッセー集『独身者の空想』 Reveries of a Bachelor (1850) などで知られる。

ミッチェル
Mitchell, Margaret

[生]1900.11.8. ジョージアアトランタ
[没]1949.8.16. ジョージア,アトランタ
アメリカの女流作家。『風と共に去りぬ』 Gone With the Wind (1936,ピュリッツァー賞) 一作でその名を知られている。父はアトランタ歴史協会の会長をつとめた弁護士で,南北戦争は一家のお好みの話題であった。医師を志望してスミス大学に入学したが,母の死にあい1年で帰郷。 1922年から『アトランタ・ジャーナル』紙に勤務,Peggy Mitchellの筆名で記事を書いた。 25年結婚。翌年足を病んで同紙を去り,以後 10年間,幼時から心を占めていた主題を練り,発表したのがこの小説で,南北戦争を背景に,勝ち気な女性スカーレット・オハラと偽悪家レット・バトラーを配したこの大型ロマンスは,発表と同時に大好評を博し,国の内外に多数の読者を獲得した。自動車事故で不慮の死をとげた。

ミッチェル
Mitchell, Peter Dennis

[生]1920.9.29. ミッチャム
[没]1992.4.10. コーンウォール,ボドミン
イギリスの生化学者。ケンブリッジ大学卒業 (1943) 後,助手として母校で研究を続け,1950年学位取得。エディンバラ大学 (55) を経て,グリン研究所所長 (64) 。学生時代から生物のエネルギー変換について研究を進め,61年に生体膜の内部に存在する酵素の1つが,アデノシン二リン酸からアデノシン三リン酸への転換を引起すという「化学浸透圧理論」を発表し,理論の完成に努め,実験を重ねた。この業績に対し,78年にノーベル化学賞が授与された。

ミッチェル
Mitchell, S(ilas) Weir

[生]1829.2.15. フィラデルフィア
[没]1914.1.4. フィラデルフィア
アメリカの医学者,小説家。パリで医学を修め,毒物学,神経学に関するすぐれた業績を残すとともに,文筆にも手を染め,専門を生かして心理分析を中心とした歴史小説を多く書いた。代表作は,独立戦争を背景にクェーカー教徒を描いた『ヒュー・ウィン』 Hugh Wynne,Free Quaker (1897) 。ほかに南北戦争を舞台とする『戦時に』 In War Time (85) ,『ローランド・ブレーク』 Roland Blake (86) ,女性の仇討ち物語『コンスタンス・トレスコット』 Constance Trescott (1905) など。

ミッチェル
Mitchell, Thomas

[生]1892.7.11. ニュージャージー,エリザベス
[没]1962.12.17. カリフォルニア,ビバリーヒルズ
アメリカ合衆国の俳優。1913年『あらし』でニューヨークにデビュー。その後『西の国の人気者』 (1921) ,『夜の来訪者』 (1947) ,『セールスマンの死』 (1950) などに主演。1936年以後映画への出演も多く,ジョン・フォード監督の『駅馬車』Stagecoach(1939)でアカデミー賞助演男優賞を受賞した。同年映画化された『風と共に去りぬ』Gone with the Windでは,スカーレット・オハラの父親役を務めた。またフロイド・デルの小説『未婚の父』を作者とともに脚色,上演した。

ミッチェル
Mitchell, Sir Thomas Livingstone

[生]1792
[没]1855
スコットランドの探検家。ナポレオン戦争で測量の経験を積み,1827年オーストラリアのニューサウスウェールズ植民地で測量指導にあたり,35年同植民地の測量図を公刊。 36年 C.スタートの見出したダーリング川を南下してマリー川に達し,次いでポートランドにいたり,そこからビクトリア植民地を横切ってシドニーに戻った。この探検によって開拓可能な地域の範囲とその地勢を解明した。

ミッチェル
Mitchell, Wesley Clair

[生]1874.8.5. イリノイ,ラッシュビル
[没]1948.10.29. ニューヨーク
アメリカの経済学者。シカゴ大学で学び,母校で講じ,1902年カリフォルニア大学教授,13年以降コロンビア大学教授 (1944名誉教授) 。この間に全米経済研究所 NBER所長 (20~45) ,フーバー大統領の社会情勢調査会議長 (29~33) 。ことに全米経済研究所で精力的に景気変動の研究に取組み,膨大な時系列の統計的分析,そこから得られた仮説の検証,歴史的資料の集積などに多大の成果をあげ,また研究所の運営と指導にも大きな業績をあげた。主著『景気循環 I.問題とその設定』 Business Cycles: The Problems and its Setting (27) ,A. F.バーンズとの共著『景気循環 II.景気循環の設定』 Measuring Business Cycles (47) ,『景気循環 III.景気循環の過程』 What happens during Business Cycles (51) 。

ミッチェル
Mitchell, William

[生]1879.12.29. ニース
[没]1936.2.19. ニューヨーク
アメリカの陸軍軍人。 1898年アメリカ=スペイン戦争勃発時に,大学を中退し陸軍に志願,以後キューバ,フィリピン,アラスカなどで軍務についた。 1915~16年飛行訓練を受け,第1次世界大戦中の 18年,当時としては史上最大の約 1500機から成る米仏連合航空隊を指揮。イギリスの H.トレンチャード将軍の主張する戦略爆撃に共鳴し,19~25年陸軍航空部隊副司令官をつとめたが,空軍の独立を強く主張して,これに反対する陸海軍首脳部を激しく非難したため,25年 12月軍事裁判で軍の身分と職務を5年間停止され,26年2月には陸軍から退いた。死後,彼が生前主張していた戦略爆撃,空挺作戦など,航空機の重要性を強調した政策が実現した。しかし海上作戦における航空母艦の圧倒的な価値については,認識不足であった。 46年議会は彼に名誉の勲章を贈ることを決定し,48年新設されたアメリカ空軍の参謀長から彼の息子に手渡された。

ミッチェル
Mitchell

アメリカ合衆国,サウスダコタ州南東部の都市。ジェームズ川の谷にある。 1879年に鉄道の町として発足し,シカゴ・ミルウォーキー・セントポール鉄道会社の社長の名を取って命名された。トウモロコシの生産,家畜酪農を中心とする経済から,軽工業とキジ狩猟期のスポーツ中心地に変った。ダコタウェスリー大学 (1885創立) の所在地。人口1万 3798 (1990) 。

ミッチェル
Michell, John

[生]1724. ノッティンガムシャー
[没]1793.4.21. ソーンヒル
イギリスの地質学者,天文学者。地震学(→地震)の父の一人とみなされている。1760年にロンドンのロイヤル・ソサエティ会員となり,1762年にケンブリッジ大学のウッドワーディアン地質学教授に就任した。1767年にソーンヒルの教区牧師となった。1750年に人工磁石に関する大規模な論文を発表。フランスの物理学者シャルル=オーギュスタン・ド・クーロンクーロンの法則を見出す以前に,ねじり秤の原理を発見した可能性があり,ミッチェルはこれを使って地球の平均密度を測定しようと考えていた。研究の道半ばで死去したが,実験装置を引き継いだイギリスの物理学者ヘンリー・キャベンディッシュが,万有引力定数の値を測定した。1760年には,1755年のリスボン地震の研究結果を発表した。この論文で,リスボン地震の震源は大西洋海底下にあったことを示したうえで,地震の原因は,海水が地下熱に接して高圧の水蒸気がつくられたためだとする誤った説を提唱した。天文学の分野では,地球から恒星までの距離を現実的に推定する方法を初めて提唱した。また,連星は二つかそれ以上の恒星が物理的に近接し,互いのまわりを回っているものだとする見方を示した。この説はのちにイギリスの天文学者ジョン・F.W.ハーシェルによって証明された。

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百科事典マイペディアの解説

ミッチェル

米国の女性小説家。ジョージア州アトランタの弁護士の娘。一家が米国の歴史に興味を示し,彼女も南北戦争についての物語を1926年から書き始め1936年に《風と共に去りぬ》として完成,名声を得た。
→関連項目アトランタ

ミッチェル

英国の生化学者。ケンブリッジ大学卒。エディンバラ大学講師などを務めたのち,1964年退職。その後は,英国南西部ボドミンに牧場を買い取り,自宅に設立したグリン研究所の質素な実験室で研究を続けた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ミッチェル【William Mitchell】

1879‐1936
アメリカの陸軍少将。空軍創設に力を注いだ先駆者の一人で,第1次世界大戦直後に陸軍,海軍に対する航空戦力の優位と,陸軍,海軍から空軍の独立を主張し,戦略爆撃を提唱した。フランスのニース生れ。1898年陸軍に志願し米西戦争従軍。1909年陸軍指揮幕僚学校を卒業。15年飛行技術を修得し,第1次大戦中は在フランスのアメリカ陸軍航空部隊指揮官(パイロット)として功績を立てる。21年陸軍航空隊副司令,同年,艦艇を爆撃によって撃沈できることを実験により証明した。

ミッチェル【Wesley Clair Mitchell】

1874‐1948
アメリカの経済学者。景気循環についての実証的研究を行った。シカゴ大学で経済学者T.ベブレンおよび哲学者J.デューイの影響を受け,コロンビア大学などで経済学を教えた。1920年に全国経済調査会National Bureau of Economic Research(NBER)を組織し,45年までその会長を務めた。また戦時産業局物価部主任(第1次大戦中),フーバー大統領の社会趨勢(すうせい)調査会委員長,全国計画局メンバー(1933),全国資源局メンバー(1934‐35)として活躍した。

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大辞林 第三版の解説

ミッチェル【Mitchell】

〔Juliet M.〕 (1940~ ) イギリスの精神分析医・フェミニスト。現代フェミニズム理論の発展にマルクスとフロイトが不可欠であることを指摘し、大きな影響を与えた。著「女性の身分」「女性―もっとも長き革命」など。
〔Margaret M.〕 (1900~1949) アメリカの女流小説家。南北戦争を背景に情熱的な女主人公を描いた「風と共に去りぬ」を著した。
〔Peter Dennis M.〕 (1920~1992) イギリスの生化学者。生体におけるエネルギー源である ATP 生成の仕組みを研究。1961年、「化学浸透圧説」を提唱、水素イオンの濃度勾配によって生じる膜電位を ATP 合成の原動力として示した。
〔Wesley Clair M.〕 (1874~1948) アメリカの経済学者。制度学派の創始者の一人。アメリカの紙幣史研究と景気循環についての統計的研究で有名。著「景気循環論」など。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

367日誕生日大事典の解説

ミッチェル

生年月日:1874年8月5日
アメリカの経済学者
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内のミッチェルの言及

【空軍】より

…第1次大戦における航空機の活躍に関心をもったイギリスは,資源と予算の効率的使用をも考慮して,18年4月,第3の軍種として空軍を独立させ,敵領土攻撃のための爆撃機と国土防衛のための戦闘機の整備を推進した。1920年代イタリアのG.ドゥエやアメリカのW.ミッチェルなどが,大型爆撃機で敵の軍事,工業,政治の中心を反復爆撃することにより軍需生産を崩壊させ,国民の抗戦意志を挫折させることが可能であり,航空戦力が戦争の勝敗を決定するという空軍万能論を展開した。第1次大戦以来の作戦教訓,航空兵器の進歩は空軍万能論と相まち,従来の陸・海軍支援(協同)作戦とともに独立して行う戦略航空作戦思想を定着させ,逐次イタリア,カナダ,ドイツ(1935年再軍備時)などが空軍を独立させた。…

【景気循環】より

…すなわち景気循環とは,生産物,資金,労働の3市場における物価,利子率,賃金率という価格変数のインフレ率,および産出量,資金量,雇用量という数量変数の成長率に,ほぼ同時的に現れる循環的変動状況であり,それにはある程度安定した1年以上の周期がある(藤野,1965)。これに対してバーンズA.F.BurnsとW.C.ミッチェルは,1947年に次のように定義している。景気循環は,主として私的企業により,その活動を組織する国々での全体としての経済活動にみられる変動の一つの型である。…

【経済予測】より

…その先行―遅行関係を使って,先行的に動く経済量の動きから,それに遅れて動く他の経済量の動きを予測するいき方で,それは原則的に短期予測の手法である。この予測手法はW.C.ミッチェル,バーンズArthur Frank Burnsらアメリカ制度学派の人たちを中心に,その研究が進められてきた。 ここで使われる経済量間の先行―遅行関係は,一つずつの経済量の間の時間的前後関係の代りに,それぞれ複数経済量から成る先行グループ―遅行グループといった,異なった経済量グループ間の時間的前後関係をとることもできる。…

【制度学派】より

…これに加えて,ソーシャル・ダーウィニズムの社会観やプラグマティズムの認識論の影響もあって,アメリカに特有のインスティチューショナリズムつまり制度主義の経済学派が成立したわけである。その先史としては,R.T.イリーやJ.B.クラークといったドイツ歴史学派の洗礼を受けた経済学者の仕事を挙げることができるが,制度学派を確立したのはT.ベブレン,J.R.コモンズそしてW.C.ミッチェルである。この3者の間にも多くの理論的および思想的な違いがあるが,おおまかにくくれば,功利主義的な快苦の心理法則にもとづく個人主義的社会観にかえて,政治的,社会的そして文化的な諸要因との深いつながりのもとに創造され進化していくものとして経済制度をとらえる観点を採用するところに,制度学派の本質がある。…

※「ミッチェル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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