モーツァルト(年譜)(読み)もーつぁるとねんぷ

  • モーツァルト
  • 年譜

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

17561月27日午前8時ザルツブルクに誕生
1761最初のクラビア作品を作曲
17621月最初のミュンヘン音楽旅行(24日間)。9月父に連れられ、第1回ウィーン旅行(約4か月)。10月13日シェーンブルン宮殿で御前演奏
17636月9日パリ―ロンドン旅行(約3年半)
1764最初の出版作品『クラビアとバイオリンのためのソナタ』。4月イギリスに渡り、J・C・バッハと知り合う
1765腸チフスにかかる
17679月11日第2回ウィーン旅行(約15か月)。10月天然痘になる
1768ジングシュピール『バスティアンとバスティエンヌ』、『荘厳ミサ曲ハ短調』(通称「孤児院ミサ」)
176910月ザルツブルクの大司教宮廷のコンサートマスターに就任(無給)。12月13日第1回イタリア旅行(約15か月)
17704月11日ローマ到着。サン・ピエトロ大聖堂の秘曲を採譜。6月教皇クレメンス14世より黄金拍車勲章を受ける。12月26日オペラ『ポントの王ミトリダーテ』ミラノ初演
17718月13日第2回イタリア旅行(約4か月)
17728月ザルツブルクで有給のコンサートマスターとなる。10月24日第3回イタリア旅行(約4か月)
17733月イタリアでの就職活動に失敗し、帰郷。7月14日第3回ウィーン旅行(約2か月)。弦楽四重奏曲第8~13番(通称「ウィーン四重奏曲」)。交響曲第25番
17744月交響曲第29番。12月6日オペラ『偽りの女庭師』上演のためミュンヘンへ赴く(約3か月)
17778月ザルツブルク宮廷への休暇願受理されず、彼自身による辞職願提出。9月23日職を求め、母とマンハイム―パリ旅行(約16か月)。アウクスブルクで従妹マリア(ベーズレ)と知り合う
17781月マンハイムで写譜家ウェーバーの次女アロイジアに恋。3月父の叱責にあい求職のためパリへ。6月交響曲第31番「パリ」パリ初演。7月求職果たせず。母死去。8月父によるザルツブルク宮廷への復職運動成功
17791月宮廷オルガニストとして復職。3月ミサ曲ハ長調「戴冠式ミサ」
178011月5日オペラ『クレタの王イドメネオ』上演のためミュンヘンへ出発
17811月29日同オペラ、ミュンヘン初演。5月9日帰郷問題をめぐって大司教と決裂。宮廷オルガニスト辞職。8月ウィーン定住を決意し、ウェーバー家のそばに転居。同家の三女コンスタンツェに恋
17827月16日ジングシュピール『後宮からの逃走』ウィーン初演。8月4日コンスタンツェと結婚。交響曲第35番「ハフナー」
178310月26日ザルツブルク聖ペテロ教会でミサ曲ハ短調(未完)初演。ウィーンへの帰途、交響曲第36番「リンツ」
17843月彼主催の予約演奏会で、毎回新作のピアノ協奏曲を発表するなど演奏活動盛ん。12月秘密結社フリーメーソン入団
1785ゲーテの詩による歌曲『すみれ』。ピアノ協奏曲第20~22番。9月ハイドンに弦楽四重奏曲第14~19番(通称「ハイドン・セット」)献呈
17862月7日後世にその関係が話題となった作曲家サリエリとの初めての競演。5月1日オペラ『フィガロの結婚』ウィーン初演。交響曲第38番「プラハ」。弦楽四重奏曲第20番。ピアノ協奏曲第23~25番
17875月父死去。8月セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。10月20日オペラ『ドン・ジョバンニ』プラハ初演。12月ウィーンの宮廷作曲家就任
17886月経済的に困窮し、知人に借金依頼の手紙を書く。交響曲第39番、40番、41番「ジュピター」。ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」
17894月ベルリン、フランクフルト訪問。7月妻病気になり、経済状態さらに悪化。弦楽四重奏曲第22番。クラリネット五重奏曲「シュタトラー」
17901月26日オペラ『コシ・ファン・トゥッテ』ウィーン初演。弦楽四重奏曲第22番、23番
17917月レクイエムの作曲を依頼される。9月6日オペラ『ティトゥス帝の慈悲』プラハ初演。9月30日ジングシュピール『魔笛』ウィーン初演。11月20日病床につく。12月5日レクイエムを未完のまま、午前0時55分死去。享年35歳

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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