ラムゼー(読み)らむぜー(英語表記)Sir William Ramsay

デジタル大辞泉 「ラムゼー」の意味・読み・例文・類語

ラムゼー(William Ramsay)

[1852~1916]英国の化学者。アルゴンヘリウムネオンなどの希ガス族元素を発見。また、ラジウムからのヘリウムの放出を確認し、放射性元素崩壊説を出した。1904年ノーベル化学賞受賞。

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精選版 日本国語大辞典 「ラムゼー」の意味・読み・例文・類語

ラムゼー

  1. ( Sir William Ramsay サー=ウィリアム━ ) イギリスの化学者。物理化学を研究。希ガス類を発見、また放射性元素崩壊説を確認した。一九〇四年ノーベル化学賞受賞。(一八五二‐一九一六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラムゼー」の意味・わかりやすい解説

ラムゼー(Sir William Ramsay)
らむぜー
Sir William Ramsay
(1852―1916)

イギリスの化学者。グラスゴーの生まれ。グラスゴー大学で文学を学び1869年卒業。ついでタトロックRobert Tatlock(1837―1934)の研究室で分析化学に従事し、化学を志す。1870年ハイデルベルク大学でブンゼンに師事し、1872年チュービンゲン大学でフィティッヒの指導で博士号を取得。1874年グラスゴー大学助手となり、ピリジン誘導体の生成など有機化学分野の研究を行い、のちに物理化学の研究に転じた。1880年ブリストル大学化学教授に迎えられ、1881年には学長に任命される。ブリストル大学では助手にヤングSydney Young(1857―1937)を得て液相気相系の研究を行い、圧力と液体の融点に関するラムゼー‐ヤングの法則を発見(1886)、のちにシールズJohn Shields(1818―1879)と協力して液体温度と表面張力との関係を扱ったラムゼー‐シールズ式を発表(1893)するなど化学量論の諸定理を発見した。

 1887年ロンドン大学化学教授に迎えられ、気体密度の精密測定を精力的に行い、1894年レイリーと共同で希ガス元素アルゴンの存在を発見、これが一原子分子であることを明らかにした。翌1895年にはクレーベ石を加熱し放出される気体の吸収スペクトルを測定し、ヘリウムを同定した。これらの発見から周期表に原子価ゼロの希ガス元素グループが存在することを予測し、トラバーズの協力のもとで液体空気を注意深く分留することにより、1898年にはクリプトン、ネオンに次いでキセノンを発見。1903年にはソディと協力してラドンを単離して周期表中0(ゼロ)族を完成させた。

 その後もソディらと協力し、ラジウムからヘリウムが放出されることを確認、放射性元素崩壊理論の研究を行った。1912年退職後も自宅に実験室を設備し研究に没頭した。1881年学士院会員に選出された。1904年には希ガス元素の研究によりノーベル化学賞を授与された。主著に『System of inorganic chemistry』(1891)、『The Gases of the Atmosphere』(1896)、『Elements and Electrons』(1912)などがある。

[後藤忠俊]


ラムゼー(Norman Foster Ramsey)
らむぜー
Norman Foster Ramsey
(1915―2011)

アメリカの物理学者ワシントン市に生まれる。コロンビア大学で数学と物理学を学び、1935年に卒業、ケンブリッジ大学に留学ののち、コロンビア大学でラービの指導を受ける。第二次世界大戦中はマサチューセッツ工科大学(MIT)でレーダー開発に従事、のちマンハッタン計画(原子爆弾開発計画)にも参加した。終戦後、教授としてコロンビア大学に戻ったが、1947年ハーバード大学に移り分子線研究室を創設、1986年まで務めた。

 分子線を利用して核磁気共鳴四極子モーメントなどの研究を行い、それらを精密に測定する方法(分離振動場法またはラムゼー共鳴法とよばれる)を発明した。この方法により、分子線の高分解能分光を得ることが可能となり、原子周波数が高精度で測定できるようになった。さらに水素原子線メーザーの開発に成功した。この気体メーザーはきわめて精度の高い発振器で、周波数を10-12のレベルで測定可能となり、原子時計に応用されるようになった。これらの業績により、1989年にノーベル物理学賞を受賞、イオン捕捉(ほそく)技術を開発したデーメルト、パウルとの同時受賞であった。

[編集部]

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改訂新版 世界大百科事典 「ラムゼー」の意味・わかりやすい解説

ラムゼー
William Ramsay
生没年:1852-1916

イギリスの化学者。希ガス類の発見者として著名。グラスゴーで生まれ,当地の大学や研究所で学んだのち,1870年チュービンゲン大学に留学し,フィティヒR.Fittig(1835-1910)の有機化学研究室でニトロトルイル酸の研究を行い,19歳で学位を得た。帰国後,グラスゴーのアンダーソン・カレッジ助手となり(1874),ピリジン誘導体の研究など,有機化学分野の研究を行った。80年にブリストル大学教授になり,化学量論や熱力学の研究,助手ヤングS.Youngとともに液体の蒸気圧や臨界状態の研究など物理化学的研究を行い,実験技術の改良も進めて,彼ののちの研究の基礎をこの時代に築いた。87年から1912年までロンドン大学教授。この間,はじめはジケトン類やエチレンの錯化合物の研究などを行ったが,その後,希ガス類の研究に入った。その契機となったのは,空気から得られた窒素がアンモニアからの窒素より大きい密度を示すことを報告したレーリーの論文であった。1894年に助手ウィリアムズP.Williamsの協力を得て,空気からの窒素を高温マグネシウムで処理して得られた残存気体から未知の元素アルゴンを発見した。さらに,あるウラン鉱石を加熱して得られる不活性ガスをスペクトル分析して,それが太陽に存在することが知られていたヘリウムであることを確認し,96年にアルゴンとヘリウムの関連を考察して周期律表中に既知の七つの族以外の新元素群があることを示唆した。その後,トラバーズM.Traversとともに液体空気の分留によって未発見の希ガス元素,クリプトン,ネオン,キセノンを98年に発見し,諸性質を研究した。最後の希ガス元素ラドンは放射性物質で,臭素化ラジウムから得られた試料からグレーW.Grayとともに1912年に確認し,ラジウムがラドンとヘリウムに変化することを発見して放射性物質壊変説を出した。1904年にノーベル化学賞を受けた。
執筆者:


ラムゼー
Frank Plumpton Ramsey
生没年:1903-30

イギリスの数学者,論理学者,哲学者。ケンブリッジ大学を卒業後,21歳でケンブリッジ大学のキングズ・カレッジのフェローとなり,論理学,哲学,経済学の分野で大きな足跡を残したが,夭折した。ラムゼーの主要な関心は,哲学,および数学,論理学の領域であり,数学基礎論において,B.A.W.ラッセル,A.N.ホワイトヘッド,L.ウィトゲンシュタインの残したいくつかの問題を解決した。この分野での業績は《数学基礎論》(1931)にまとめられている。またこの書物中の確率に関する業績は,後のJ.vonノイマンやO.モルゲンシュテルンの効用や主観確率についての貢献に影響を与えた。ラムゼーはまた,若いころから経済学者と親交をもち,数理経済学の分野でも大きな業績を残した。論文《貯蓄の数学理論》(1928)は,さまざまの条件下での動学的最適貯蓄計画を分析したもので,現代における動学的最適計画問題および最適成長論を先取りしたものである。J.M.ケインズはこの論文について,〈その内容の重要性とその問題の困難さという二つの観点から,数理経済学の分野でなされた最も驚嘆にたえない業績の一つ〉といっている。一方,《租税理論への一貢献》は最適な物品税体系を初めて数学的に明らかにした業績で,現代の最適課税,最適料金理論の先駆的業績である。
執筆者:


ラムゼー
Allan Ramsay
生没年:1713-84

イギリスの画家。同名の詩人を父にエジンバラに生まれる。ロンドン,ローマ,ナポリで画業を修めた後,ロンドンに定住し肖像画家として活動。同時代フランスのロココ風肖像画の影響を感じさせる優雅で洗練された作風をもち,ことに女性の肖像画を得意とした。1760年ライバルのJ.レーノルズをさしおいてジョージ3世の御用画家となるが,68年のローヤル・アカデミー設立時には実質的に画業から引退しており,彼が端緒を開いたイタリア的〈グランド・マナーGrand Manner(大様式)〉の肖像画の完成はレーノルズによって行われた。
執筆者:


ラムゼー
James Rumsey
生没年:1743-92

アメリカの蒸気船発明家。メリーランドの生れ。水車大工をしていたが,船の新しい推進法の研究を始め,1787年には蒸気機関を用いた水ジェット推進方式による蒸気船を建造し,4ノットの速力を得た。これは,船首より取り入れた水を船尾から噴射して前進する方式で,噴射用の水を通す管がポンプの筒の口径に比し非常に小さかったため能率はよくなかったといわれる。その後渡欧して,92年にはテムズ川での実験にも成功したが,志半ばにしてロンドンで客死した。
執筆者:


ラムゼー
Arthur Michael Ramsey
生没年:1904-88

英国国教会の聖職者,カンタベリー大主教。ケンブリッジ出身。リンカン神学校副校長(1930-36),ダラム大学神学教授を経て,1950年ケンブリッジの欽定神学講座担当教授。2年後ダラム主教に選ばれ,ヨーク大主教を経て,61年第100代カンタベリー大主教に就任,聖公会とローマ・カトリック教会の話合いを促進した。79年,立教大学のウィリアムズ主教記念講座の第1回講師として来日。著書は《キリストの甦り》(1944)ほか多数。
執筆者:

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化学辞典 第2版 「ラムゼー」の解説

ラムゼー(ラムジー)
ラムゼーラムジー
Ramsay, William

イギリスの化学者.グラスゴー大学で古典語を専攻.在学中自然科学に引かれ,1869年から1年半地元の分析家R. Tatlockのもとで修業した後,1871年チュービンゲン大学のR. Fittig(フィッティヒ)のもとで有機化学を学び,1872年学位を取得.帰国後,アンダーソンズ・カレッジで助手を務め,1874年からグラスゴー大学助手,1880年ブリストルのユニバーシティ・カレッジ化学教授となる.1887年にA.W. Williamson(ウィリアムソン)の後継者としてロンドン大学のユニバーシティ・カレッジ化学教授になり,1912年の引退まで務めた.グラスゴー大学時代には有機化学,ブリストル,ロンドン大学時代には液体・気体の臨界状態,ロンドン大学時代前期には希ガス,ロンドン大学時代後期には放射能をそれぞれおもに研究した.とくに1894年J.W.S. Rayleigh(レイリー)が発見した大気起源の窒素と化学的に製造した窒素との比重の違いの原因を共同研究し,アルゴンを発見した.翌年にはすでに1868年に太陽のスペクトルの分析からその存在が知られていたヘリウムを地上で発見.以後,周期律に従って周期表の新しい族(希ガス元素)の存在を予想して,M.W. Traversとともに1898年までにネオン,クリプトン,キセノンを単離した.1903年にはF. Soddy(ソディ)と共同で,ラジウムからの放出物中にヘリウムを発見した.1904年には希ガス元素の研究によりノーベル化学賞を受賞.小川正孝はかれの研究室で新元素ニッポニウムを発見した.

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラムゼー」の意味・わかりやすい解説

ラムゼー
Ramsay, Sir William

[生]1852.10.2. グラスゴー
[没]1916.7.23. ハイウィカム
イギリスの化学者。ドイツに留学 (1870) ,ハイデルベルク大学の R.ブンゼンのもとに学び,帰国後アンダーソン大学助手 (72) ,ブリストル大学教授 (80) ,ロンドン大学教授 (87) 。ロイヤル・ソサエティ会員 (88) 。 1886年の圧力と融点の関係式 (ラムゼー=ヤングの規則) ,93年の表面張力と温度の関係式 (ラムゼー=シールズの式) の発見など化学量論に関する貴重な業績,アルカロイドの生理作用に関する研究などが知られるが,彼の最大の業績は,J.レイリーとの共同になるアルゴンの発見をはじめとする,ヘリウムネオンクリプトンキセノン (94~98) ,ラドン (1912) と不活性気体元素の理論的予測と実験的確認である。また,F.ソディとともにラジウムからできる放射物資がヘリウムを生成することを明らかにし,元素転換の事実を証明した (03) 。 1902年ナイトの称号を贈られ,04年ノーベル化学賞を受賞。

ラムゼー
Ramsey, Norman Foster

[生]1915.8.27. ワシントンD.C.
[没]2011.11.4. マサチューセッツ,ウェーランド
アメリカ合衆国の物理学者。1940年コロンビア大学で物理学の博士号を,1954年にケンブリッジ大学で理学博士号を取得した。アメリカの各大学で教鞭をとり,1947年ハーバード大学に招かれ,1966年にはヒギンズ記念物理学教授に就任した。1949年,離れた 2ヵ所にかけた電磁場分子線を通して磁気共鳴(ラムゼー共鳴)を起こすことにより,原子や原子核をきわめて高い精度で調べられることを見出した。またマイクロ波を同調させて超精密な時間計測を可能にし,今日,時間標準の決定に使われているセシウム時計の開発に道を開いた。1950年代には水素メーザーの研究にも業績を上げた。ハンス・G.デーメルト,ウォルフガング・パウルとともに 1989年にノーベル物理学賞を受賞した。

ラムゼー
Ramsey, Frank Plumpton

[生]1903.2.22. ケンブリッジ
[没]1930.1.19. ケンブリッジ
イギリスの哲学者,数学者。ケンブリッジ大学で数学を修め,同大学講師をつとめた。 A.ホワイトヘッドと B.ラッセルによる命題関数の理論の修正とそこに示されているタイプ理論の簡約化を主張。また L.ウィトゲンシュタインの初期思想の影響を受け,そのトートロジー理論や説明理論を発展させた。主著『数学の基礎と論理学的諸論文』 The Foundations of Mathematics and Other Logical Essays (1931) 。

ラムゼー
Ramsay, George

[生]1800.3.19. パートシャー,エイルス
[没]1871.2.22. エイルス
イギリスの哲学者,経済学者,医師。ケンブリッジのトリニティ・カレッジ卒業。経済学面では大陸の諸思想を取入れてリカード派の理論を批判した。主著"An Essay on the Distribution of Wealth" (1836) 。理論的には,古典派経済学から一歩脱却する資本の絶対性の否認,可変資本と不変資本の区別とそれに基づく資本の有機的構成の高度化,フランス経済学からイギリス経済学への企業家という概念の導入などがあげられる。資本主義確立期のイギリスにおける貧困者の存在を経済学的に問題とし,その解決の道を経済学そのものに求めた点に彼の業績があるが,必ずしも大きな影響力をもったとはいえない。

ラムゼー
Ramsay, Sir Bertram Home

[生]1883.1.20. ハンプトン
[没]1945.1.2. パリ
イギリスの海軍軍人,大将。 1898年海軍兵学校入学,第1次世界大戦中は中佐でドーバー海峡の駆逐艦隊を指揮した。 1935年少将となり,海軍参謀総長となったが3年で引退。第2次世界大戦でドーバー海峡司令官として復帰,ダンケルク撤収作戦 (ダンケルクの戦い ) を,各種船舶 850隻を動員してやりとげ,英仏その他の連合軍 33万 8000人以上をドイツ軍の追撃から救った功によりナイト爵に叙せられた。その後も北アフリカ作戦,シチリア島上陸作戦,ノルマンディー上陸作戦と,イギリス海軍を率いて転戦した。 45年パリ上空で墜落死。

ラムゼー
Ramsey, Arthur Michael

[生]1904.11.14. ケンブリッジ
[没]1988.4.23. オックスフォード
イギリスの聖職者。第 100代カンタベリー大主教。ケンブリッジ大学,カデストン神学大学で学び,各地で牧師をしたのち,1940年ダラム大学,50年ケンブリッジ大学の神学教授。 52年ダラム主教,56年ヨーク,61年カンタベリー各大主教。教会統一に尽力し,66年教皇パウルス6世と正式に会見,平和の口づけをかわした。新約聖書の研究にも力を注いだ。 74年引退。主著『福音とカトリック教会』 The Gospel and the Catholic Church (1936) 。

ラムゼー
Ramsay, Allan

[生]1713.10.13. エディンバラ
[没]1784.8.10. ドーバー
スコットランドの肖像画家。詩人 A.ラムゼーの子。エディンバラで学んだのち,1734年にロンドン,36~38年にイタリアで修業。帰国後はロンドンで活躍したが,55~57年には再びイタリアに旅行。 60年代は王室の肖像画などを描きながら,文豪 S.ジョンソンらと交友をもち,古典の研究や政治問題の論争などに関心を示した。主要作品は『ミード博士像』 (1747,ロンドン,ファンドリング病院) 。

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百科事典マイペディア 「ラムゼー」の意味・わかりやすい解説

ラムゼー

英国の化学者。グラスゴー大学に学び,ブリストル大学教授,同学長を歴任後,1887年ロンドン大学教授。液体の蒸気圧や臨界点における性質,表面張力に対する温度の影響などを研究。また1894年レーリーとともにアルゴンを発見,次いでヘリウムを地球上に初めて発見し,さらに1898年トラバースとともにネオン,クリプトン,キセノンと次々に希ガス元素を発見した。のちソディとともに放射能の研究を行い,放射性元素の崩壊説を提唱。1904年ノーベル化学賞。
→関連項目ヘイロフスキーレーリー

ラムゼー

米国の物理学者。1947年ハーバード大学教授。セシウム原子の共鳴振動数を利用し,10兆分の1秒まで時間を正確に測れる方法を開発。1967年,国際度量衡委員会で1秒はセシウム原子の振動数で定義されるようになった。1989年原子分光学の開発により時間と空間を超精密に測定し,量子力学や相対性理論の検証に道を開いたことにより,デーメルトパウルとともにノーベル物理学賞。

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世界大百科事典(旧版)内のラムゼーの言及

【貸本屋】より

… さて,こうした貸本業のはしりは18世紀の大衆文芸の発達をもってはじまる。1726年詩人で,書籍商でもあったラムゼーAllan Ramsay(1686‐1758)が,エジンバラの町にはじめたのを最初とするが,すでに17世紀のロンドン市中では,書籍商が自家の蔵書を貸し出していたともいわれる。日本での貸本業が城崎のような湯治場と無縁でなかったように,イギリスにおいてもローマ支配時代からの温泉場バース(文字どおり温泉の意)をはじめとする保養地には欠かせないものとして栄える。…

【貸本屋】より

… さて,こうした貸本業のはしりは18世紀の大衆文芸の発達をもってはじまる。1726年詩人で,書籍商でもあったラムゼーAllan Ramsay(1686‐1758)が,エジンバラの町にはじめたのを最初とするが,すでに17世紀のロンドン市中では,書籍商が自家の蔵書を貸し出していたともいわれる。日本での貸本業が城崎のような湯治場と無縁でなかったように,イギリスにおいてもローマ支配時代からの温泉場バース(文字どおり温泉の意)をはじめとする保養地には欠かせないものとして栄える。…

【キセノン】より

…周期表元素記号=Xe 原子番号=54原子量=131.29±3安定核種存在比 124Xe=0.096%,126Xe=0.090%,128Xe=1.919%,129Xe=26.44%,130Xe=4.08%,131Xe=21.18%,132Xe=26.89%,134Xe=10.4%,136Xe=8.87%融点=-111.9℃ 沸点=-107.1℃気体の密度=5.85g/l(0℃,1気圧)液体の比重=3.52(-109℃)固体の比重=2.7(-140℃)臨界温度=16.538℃ 臨界圧=57.64気圧水に対する溶解度=21.80ml/100ml(0℃),11.09ml/100ml(20℃),8.78ml/100ml(50℃)電子配置=[Kr]4d105s25p6 おもな酸化数=0周期表第0族に属する希ガス元素の一つ。1898年7月,イギリスのW.ラムゼーとトラバースMorris William Traversは液体空気を分留し,クリプトンKr,ネオンNeを除いた最後の部分に沸点の低い,重い気体の新元素を発見した。ギリシア語のxenos(異国の)にちなんでキセノンと命名した。…

【クリプトン】より

…周期表元素記号=Kr 原子番号=36原子量=83.80安定核種存在比 78Kr=0.354%,80Kr=2.27%,82Kr=11.56%,83Kr=11.55%,84Kr=56.90%,86Kr=17.37%融点=-156.6℃ 沸点=-152.3℃気体の密度=3.74g/l(0℃,1気圧)液体の比重=2.155(-153℃)臨界温度=-63.8℃ 臨界圧=54.3気圧水に対する溶解度=11.05ml/100ml(0℃),6.26ml/100ml(20℃),3.75ml/100ml(60℃)電子配置=[Ar]3d104s24p6 おもな酸化数=0周期表第0族に属する希ガス元素の一つ。1898年5月,イギリスのW.ラムゼーとトラバースMorris William Traversは,液体空気を分留してアルゴンArをとり出した後に残る液体から,重い気体の新元素を発見し,ギリシア語のkryptos(隠れたもの)にちなんでクリプトンと命名した。空気中の含有量は1.1×10-4体積%。…

※「ラムゼー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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