ロー(英語表記)Law, Andrew Bonar

  • Andrew Bonar Law
  • John Law
  • Law, John
  • Law, William
  • Loew, Marcus
  • Low, Seth
  • Low, Sir David Alexander Cecil
  • Lowe, Robert, Viscount Sherbrooke
  • Lowe, Sir Hudson
  • RAW
  • Roe, Sir Thomas
  • Thomas Roe
  • William Law
  • law
  • low
  • row
  • Ρ/ρ/rho

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]1858.9.16. ニューブランズウィックキングストン
[没]1923.10.30. ロンドン
イギリスの政治家。通称ボナ・ロー。 12歳のときスコットランドのグラスゴーに移り,16歳で実業界に入って鋼鉄業者として成功。保守党員として下院に入り (1900) ,A.バルフォアの跡を継いで保守党下院首領となって (11) ,アイルランド自治法案に反対。第1次世界大戦勃発後,植民相 (15~16) ,蔵相 (16~19) ,国璽尚書 (19~21) を歴任,講和全権団の一員としてベルサイユ条約調印 (19) 。 1922年ロイドジョージ連立内閣に代って保守党内閣を組織し,植民地出身の最初のイギリス首相となったが,23年5月病のため辞任
[生]1671.4.16. エディンバラ
[没]1729.3.21. ベネチア
スコットランド生れでフランス財政指導した財政家。ロンドンに移住し,1694年決闘で相手を殺し,死刑の宣告を受けたが脱獄してヨーロッパ大陸に逃れ,アムステルダムで銀業務にたずさわった。 10年後スコットランドに戻り,その経験をもとにスコットランドの財政改革を提案する論文を執筆。その改革案を実施するために,1716年フランス政府の認可を受けてフランス国内に一般銀行を設立し,18年それを王立銀行に改組した。またフランス領アメリカにルイジアナ会社を設立して,17年西インド会社に発展させ,ミシシッピ川流域の広大なフランス領の開発を企てた。の財政体系はフランスでブームを引起したが,紙幣乱発と投機によって信用を失い,20年銀行は支払い停止に陥った。そのためベネチアに逃れて客死。
[生]1686. キングスクリッフ
[没]1761.4.9. キングスクリッフ
イギリスの神秘主義的宗教家,イギリス国教会高教会派に属する臣従拒誓者。ケンブリッジ大学に学び,同大学エマニュエル・カレッジのフェロー (特別研究員) をつとめ (1711) ,歴史家ギボン家の家庭教師 (27~37) 。宗教の感情的・実践的要素を強調,J.ウェスリーに大きな影響を与えた。 1737年頃より新プラトン主義的神秘主義,特に J.タウラー,J.ベーメなどの弁護者となった。主著"Practical Treatise Upon Christian Perfection" (26) ,"Serious Call to a Devout and Holy Life" (28) ,"The Way to Divine Knowledge" (52) ,"The Spirit of Love" (52) 。
[生]1891.4.7. ダニディン
[没]1963.9.19. ロンドン
ニュージーランド生れのイギリスの漫画家,風刺画家。独学で絵を習い,1911年にシドニーの『ブレティン』紙の漫画家となり,19年ロンドンに渡り雑誌『スター』の専属となる。 27年から『イブニング・スタンダード』紙の政治漫画と風刺画を担当。第2次世界大戦中ヒトラー,ムッソリーニ,ゲーリングなどの似顔絵を描き活躍した。 50年に『デイリー・ヘラルド』紙,53年に『ガーディアン』紙に移り,62年にナイトに叙せられた。主要作品は『怒りの年』 (1949) ,『恐るべき 50年代』 (60) 。
[生]1850.1.18. ニューヨークブルックリン
[没]1916.9.17. ニューヨーク,ベドフォードヒルズ
アメリカ合衆国の政治家,教育家。1870年コロンビア・カレッジ卒業後,貿易業に従事。1881~85年ブルックリン市長を務め,税制改革,公立学校拡充をはじめ市政改革に成功。1890~1901年コロンビア大学学長を務め,キャンパスの移転などいくつかの制度改革を行ない,コロンビア大学を総合大学として発展させることに貢献した。1899年ハーグ平和会議アメリカ代表団の一員となり,1901年ニューヨーク市長に選ばれた。その後もタスキーギ工業師範学校理事長,ニューヨーク州商工会議所会長などのにあった。
[生]1769.7.28. ゴールウェー
[没]1844.1.10. ロンドン
イギリスの軍人。 1793年以降フランス革命戦争従軍して,1814年にナイト爵を叙爵セントヘレナ島へ流されたナポレオン1世の管理役を命じられ,16年同島総督として着任。この重大な任務を厳格に遂行しようとしたため,ナポレオンとの間に摩擦が生じた。 21年ナポレオンがすると帰国し,25年セイロン島軍副司令官となった。 30年陸軍中将。
[生]1811.12.4. ノッティンガムシャー,ビンガム
[没]1892.7.27. サリー,ウォーリンガム
イギリスの政治家。 1852年下院に入る。自由党所属。 55年商務院副総裁。 59年枢密院教育委員会副委員長。 66年党内アダラム派の指導者として,自由党政府の議会改革法案をつぶすために活躍。 W.グラッドストン内閣で 68~73年蔵相,73~74年内相。 80年シャーブルック子爵の爵位を授かる。
[生]1581頃.エセックス,ウォンステッド近郊
[没]1644.11. サマセットシャー,バス
イギリスの外交官。 1615年イギリス東インド会社からインドのムガル宮廷大使として派遣され,インドにおけるイギリス勢力の基礎を築いた。のちオスマン・トルコ帝国大使に就任
[生]1870.5.7. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]1927.9.5. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国における映画興行の先駆者。映画館経営者の草分け的存在。既存の劇場チェーンを拡大するとともに,映画制作会社を統合して映画の中心地ハリウッドの確立に貢献した。オーストリア移民の子に生まれ,家計を助けるために 9歳で学校を辞めて働き,長じて毛皮商人としてささやかな財をなした。映画の興隆に着目して 1905年にはニッケルオデオン(5セント劇場)のチェーンを所有し,各地の主要な劇場を買収して大衆向けのボードビル演芸と映画の上映を組み合わせて興行した。ローの経営する興行会社ローズは,1920年に映画制作会社メトロ・ピクチャーズを買収し,1924年にサミュエル・ゴールドウィン退陣後のゴールドウィン・ピクチャーズを吸収合併。翌 1925年にはルイス・B.メイヤー・ピクチャーズ傘下に収め,社名をメトロ=ゴールドウィン=メイヤー MGMに改めた。ロー自身巨額のを築くとともに,没後,MGMは世界最大の映画制作会社へと発展した。

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デジタル大辞泉の解説

法律。法。法則。「アウトロー
自動車などの変速機で、低速用のギア。発進や登坂に用いる。ローギア。「ローに入れて発進する」
他の外来語の上に付いて複合語をつくる。
㋐高さ・位置などが低い意を表す。「ローヒール」「ローアングル」
㋑数量・程度などが少ない、低い意を表す。「ローティーン」「ローカロリー」「ローコスト」
《未加工品のの英語rawから》デジタルカメラのデータ形式の一。CCDなどのイメージセンサーで得られた信号を直接デジタルデータにしたもの。JPEGなどの画像形式に変換せずデータ圧縮もしていないため、ファイルサイズが大きいが、二重加工による画質劣化が生じない。デジタルカメラ固有のデータ形式のため、画像データの加工には専用のソフトウエアを必要とする。CCD-RAW。
〈Ρ・ρ〉ギリシャ文字の第17字。
〈ρ〉物理で、密度または電気抵抗率を表す記号
[1671~1729]英国出身の財政家。フランスへ渡り銀行を設立。同行がフランス王立銀行に改組されると、総裁として銀行券を積極的に発行し経済の活性化に成功したが、後にインフレーションを招き失脚
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百科事典マイペディアの解説

英国の政治家。ボナ・ローは通称。カナダ生れ。スコットランドに移り鉄鋼業者として成功。1900年保守党下院議員,1911年保守党下院院内総務。第1次大戦勃発(ぼっぱつ)後,連立内閣の植民相,蔵相,国璽尚書を歴任。パリ講和会議代表。1922年―1923年首相。
スコットランド生れでフランスの財政の指導にあたる。1716年フランスで銀行設立の特許を得,翌年アメリカのフランス領植民地の貿易独占のためルイジアナ会社を設立。1720年フランス財政総監となり敏腕をふるったが,紙幣乱発と投機により信用を落とし,全土を恐慌にまきこみ,辞職放浪の末ベネチアで客死。
英国の漫画家。ニュージーランドに生まれ,同地およびオーストラリアで政治漫画を発表。のち渡英し,《スター》(1919年),《デーリー・ヘラルド》(1950年),《ガーディアン》(1953年)など諸新聞に寄稿極左極右を批判する軽妙な1コマ漫画で知られた。
17世紀イングランドの外交官晩年エリザベス1世の宮廷に入り,ついでジェームズ1世に使えて1605年ナイト爵を授かる。1610年から3回にわたって金を求めて西インド,アマゾン川流域を探検。1615年大使としてムガル帝国に派遣され,1618年までインドに滞在して,商館設置の交渉にあたるなど,後年の英国のインド支配の基礎を固めた。1621年からはオスマン帝国に赴き,コンスタンティノープルにあって英国の商圏の拡大に努めた。また三十年戦争終結にあたって外交面で活躍した。

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世界大百科事典 第2版の解説

1858‐1923
イギリスの保守党政治家。ボナ・ローとも呼ばれる。カナダのニューブランズウィック生れ。12歳のときスコットランドのグラスゴーに移り教育を受け,16歳でここの実業界に入り鉄鋼業で成功した。1900年保守党(自由統一党)から下院に入り,02年商務院政務次官となる。J.チェンバレンの関税改革論を支持し,09年のロイド・ジョージの予算案に反対,11年バルフォアに代わって保守党下院院内総務に就任した。第1次世界大戦中には自由党と提携し,15年アスキス連立内閣に植民相,16年ロイド・ジョージの第2次連立内閣に蔵相として入閣
1671‐1729
フランスで銀行設立などの活動をしたスコットランドの財政家。フランスでは彼のラスと発音される場合が多い。スコットランドのエジンバラで貴金属商兼金融業者の家に生まれ,ロンドンとアムステルダムで金融および財政の実務理論を学び,一時フランスに滞在したあとスコットランドに戻った。そこで彼は,1705年に《貨幣および商業に関する考察Money and Trade Considered》を発表し,貨幣の不足がスコットランドの経済的苦境を招いていると考え,豊富な貨幣供給こそが経済発展の土台をなすという理論に基づいて,金属貨幣の不足を補うために,土地を担保にした一種手形ないし紙幣(土地貨幣)を発行することを提案した。
1581?‐1644
イギリスの外交官。ジェームズ1世に仕え,2度にわたってアマゾン川流域を探検した。次いでムガル帝国への使節に任じられ,1615年スラトに到着し,アジュメールにいるジャハーンギール帝と会い,イギリスの商館設置などにつき交渉し,18年までインドに滞在した。21年にオスマン帝国に使節として赴き,商業特権の拡大に努め,またオスマン帝国とポーランドとの講和条約を仲介した。三十年戦争では外交面で活躍し,戦後の三つの会議にはイギリスの代表となった。
1686‐1761
18世紀イギリスの神秘思想家。〈理性の世紀〉にあって〈熱狂者〉とさげすまれることも恐れず,一貫して信仰とは何かを説きつづけた。理神論者などを相手に数々の論争を行い,また初期の有名な著作《真摯なる呼びかけ》(1729)はキリスト教信者の生活の実態を鋭く批判して,心のあり方自体を変革し真の信仰を求めるよう促している。1734年ころベーメの思想を知るようになり,それは彼の考えを大きく発展させ,また深い基盤を与えることになった。

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367日誕生日大事典の解説

生年月日:1671年4月16日
イギリスの財政家
1729年没
生年月日:1769年7月28日
イギリスの軍人
1844年没
生年月日:1790年9月8日
イギリスの政治家
1871年没
生年月日:1811年12月4日
イギリスの政治家
1892年没

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 (law) 法。法律。法則。「コモンロー」「ロースクール」 〔舶来語便覧(1912)〕
[一] (Andrew Bonar Law アンドルー=ボナー━) カナダ生まれのイギリスの政治家。保守党所属下院議員。鉄鋼業者。一九一五~二一年、連立内閣の植民相、蔵相、国璽尚書を歴任。パリ講和会議全権。一九二二年一〇月~二三年五月、保守党内閣の首相。(一八五八‐一九二三
[二] (Sir Thomas Roe サー=トーマス━) イギリスの外交官。ムガール帝国に使節として派遣され、東インド会社の特権拡大に努めた。滞在日記は貴重な史料とされる。一六四四年没。
[三] (John Law ジョン━) スコットランド生まれのフランスの財政家。オルレアン公の保護をうけ、フランス銀行設立の特許状を得、またルイジアナ会社を設立・拡大してミシシッピ体制(ロー体制)を確立。財政総監として重商主義理論に基づく財政再建を行なったが、紙幣乱発と投機で恐慌を招き、ベルギーに逃亡した。(一六七一‐一七二九
(low)
[1] 自動車の変速ギヤの第一速。
※マイ・カー(1961)〈星野芳郎〉三「ギアをセカンドにいれたり、ローにいれたりで」
[2] 〘語素〙 高さや程度が低い、また、少ないなどの意で、他の語と複合して用いられる。「ローカロリー」など。

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世界大百科事典内のローの言及

【摂政】より

…政治外交面では枢機卿にもなった宰相デュボアが実権を握り,イギリス,オランダと同盟してスペインに対抗する政策をとった。経済面ではスコットランドの実業家ジョン・ローが財務長官になり植民地経営,銀行設立を推進したが,結局失敗して財政破綻をきたした。美術の面でも独特な装飾様式を生み出し,新思想も芽生えたので,フランス革命の淵源・萌芽の時代と見られることもある。…

※「ロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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