出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
日本社会で,一般に息子の妻をさして使われる語。自己の妻,あるいは新妻をさす場合もある。日本の婚姻は,個人よりも,家と家との関係でむすばれることが多く,配偶者の選択にあたっては家格のつりあいが重視された。嫁入婚の場合,女は婚出して夫の両親とともに生活することが多く,男の妻としての嫁よりは,家の嫁,夫の両親との関係における嫁としての意味が強かった。つまり日本の〈家〉制度のもとでは,嫁は夫婦関係よりは,むしろ家長夫婦であるしゅうと,しゅうとめに仕える従属的な親子関係が必要とされ,このことは嫁入儀礼がしばしば夫婦盃よりは,嫁と夫の親との盃事を中心に展開されていることにも示されている。こうして嫁は家風に合うことが強いられ,家風に合わぬ嫁や,嫁として最も重要な家の継承者としての子(男子)を生まない嫁は,一方的に離婚されることもあった。また緊張関係は,とくにしゅうとめと嫁との間に著しかった。しゅうとめはすでに家長の妻として主婦の座にあり,新たに婚入してきた嫁は,やがて主婦の座につくものであるから,しゅうとめにとって不安定な要素であった。加えてそれまでの親子関係,とくに母-息子関係(息子が成長してからは,夫の代行者としての息子と母)の緊密さからしても,夫婦関係を軸とする息子と嫁との関係は,息子の母であるしゅうとめにとっていっそうの拮抗関係を生むものであったといえよう。この関係は,しゅうとめの死,あるいは主婦の座の譲渡しが行われるまで続くのであるが,しゅうとめとなった嫁は,今度は自己の息子の妻(嫁)との間に再び緊張関係を展開することになる。このような夫の両親と嫁,とくにしゅうとめと嫁との関係は,強大な家長権や,一子残留による直系家族の形態においては必然の結果であり,それは一対一であるだけにいっそう先鋭化された。
しかし,このような嫁のあり方が日本の婚姻のすべてにあったわけではない。嫡子外の男は,多く両親とは別の世帯をもったのであり,そこでは夫婦を軸とする家族生活が展開された。またいわゆる婿入婚は,婚姻初期には妻方に訪婚し,やがて夫方に引き移る夫方居住の形態をとるのだが,その夫方への引移りに際し,しばしば親子2世代夫婦不同居の原則をとることがみられた。つまり夫方への引移りは,夫の親の死亡,あるいは隠居などによって,嫁が直ちに主婦の座につくことが可能な状態において行われるのであり,そこでは核家族の形態がみられ,しゅうとめも嫁もそれぞれ別個のカマドを所有する主婦として存在できた。嫁入婚では一般に,女はいったん嫁せば〈他家の者〉といった考えが強く,そこでは姻戚結合の媒体としての嫁の存在意義は弱く,むしろ一時的に集中的に婚姻の諸儀礼が行われることにより,嫁は生家とのつながりを断たれ,夫の家への組みこみ強化がはかられた。しかし現在は経済形態や〈家〉制度の変化にともない嫁の意味,立場,役割も大きく変化しつつある。
執筆者:植松 明石
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
家長夫婦からみて息子の妻として他家から嫁いできた女性。娘の夫たる婿に対する。よめとは「吉女」で、盛装した女の意、すなわち婚礼の晴れ姿の印象をとどめる新妻をさしたのが古い用法である。嫁の地位は、婚姻方式や「家」観念の変遷に伴い、大きく揺れ動いた。清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子(まくらのそうし)』に「有りがたきもの、舅(しうと)にほめらるる婿、姑(しうとめ)に思はるる嫁の君」とあり、平安公家(くげ)社会にも入婚者の家族関係がむずかしかったことを示している。しかし当時は婿入り婚が支配的であり、舅と婿に比べて姑と嫁の場合はさほど深刻ではなかったと考えられる。ところが室町時代に至って、武家社会に嫁入り婚が多くなり、婚礼を婿方で催すとともに嫁が婿方に引き移るようになると、嫁の立場は大きく変わっていった。武家社会には厳しい「家」制度があり、婚姻は夫婦関係を結ぶだけではなく、新たに家の嫁、親の嫁として入家することを意味した。つまり新婚の女性は、妻として夫と和合するよりも、まずもって家長夫婦である舅・姑に仕えることが先決であった。とりわけ女性同士である姑との折り合いが重視され、もしもその気に入られなければ、たとえ夫婦関係は円満であっても、家風にあわぬとの理由で一方的に追い出されるというありさまであった。したがって嫁は、主婦になるまではと、ひたすら忍従の日々を過ごし、いったん主婦・姑となれば今度は嫁をいびる側に回るという悪循環ぶりであった。
武家社会に始まった嫁入り婚は江戸時代以降庶民の間にも浸透し、しだいに全国的に普及していった。農漁村では女子も一人前の働き手であり、主婦は家事・家政の担い手として重きをなした。そうした主婦の前に、嫁の座はとかく安定を欠き、嫁入り後も絶えず実家の助力を求め、子供が生まれてやや落ち着き、主婦となって初めて固まるという状況であった。しかしすべてがそんなありさまだったわけではなく、妻訪(さいほう)・夫所(ふしょ)婚や足入れ婚はなおも各地に伝承されていたし、また隠居制も西日本を中心に広く行われ、主婦となるときを待って婿方に移る所もけっして少なくはなかった。これらは親子二世代の夫婦の同居による人間関係の悪化を未然に防いだのであり、逆に二世代夫婦が同居する直系家族に嫁姑問題がおこりやすく、そうした家族形態をもって「家」の理念型とするところに問題がはらまれていたとすることができる。そして近来、核家族化の傾向が強まるとともに、この種の問題も大きく変質した。
[竹田 旦]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…義理の親には,配偶者の父母であるシュウトオヤ,ママオヤと養子縁組による養父,養母がある。シュウトオヤについては実親と同等に扱われる場合とそうでない場合とがあり,とくに嫁の父母と聟との関係は,聟と聟の両親および嫁と聟の両親との関係に比べて低くみられることが多かった。同等に評価される例としては,婚姻の祝言において聟と嫁の両親および嫁と聟の両親とが等しくオヤコサカズキを交わす場合があり,これは両者のまったく同等の義理の親子関係の設定と考えられる。…
…出産にあたって産室に米をまくとか,米俵を持ちこんで妊婦にすがりつかせるのも,米の力によって妊婦を勇気づけるとともに,米の神が出産を助けたことを意味している。結婚の儀式に,椀に高く盛った飯を嫁に食べさせるのも,これまで生家で育ってきた嫁が,婿方の人間として新しく生まれかわるための儀式と考えられる。死者のまくらもとに高盛りにした飯を供える習俗(枕飯)も全国的であるが,この世からあの世へ生まれかわっていくための再生の儀式と考えることができる。…
…一方,江戸時代前半期にはときどきみられるところの後妻を側妾から昇格させることは,1724年(享保9)7月忌服(きぶく)の問題が煩雑になることを理由に制限を加え,ついで33年4月には昇格を禁止した。【上野 秀治】
[妻と嫁]
妻は嫁とは異なる社会的地位と役割を持つ存在である。嫁入婚(よめいりこん)にせよ,また婿入婚(むこいりこん)にせよ,最終的には女性が生家を離れて男側の家族(婚家)の家族員となることが支配的であった状況においては,婚入する女性はヨメ(嫁)として位置づけられた。…
※「嫁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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