日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
救済(きゅうせい、連歌師)
きゅうせい
(1282―1376)
鎌倉・南北朝時代の連歌師(れんがし)。侍従房(じじゅうぼう)、侍公(じこう)ともいう。善阿(ぜんな)の門弟。和歌は冷泉為相(れいぜいためすけ)に学んだ。鎌倉末期、文保(ぶんぽう)(1317~19)のころ、毎年北野社で千句連歌を興行、連歌師として頭角を現し、南北朝時代に入ってまもなく二条良基(よしもと)の信頼を得てその師となるに及び、その門流は連歌界の主流となった。以後、良基を助けて『菟玖波集(つくばしゅう)』(1356)を編集し、『応安(おうあん)新式』(1372)を制定するなど、連歌の文芸性の向上に大きな寄与をした。門人には、良基のほか周阿(しゅうあ)、利阿、永運、素阿などが著名である。良基は、その句風について、「救済は詞(ことば)あくまできゝて幽玄に面白かりき。風情をこめて連歌を作る事はなし。たゞ能(よ)く付きたりし也。(中略)たゞかゝりをむねとし、詞を花香あるやうに使ひしなり」(十問最秘抄)と評している。「思へば今ぞ限りなりける」の前句に、「雨に散る花の夕の山おろし」と付けたのなどは、代表作の一つである。永和(えいわ)2年、95歳で没した。
[木藤才蔵]
『金子金治郎著『菟玖波集の研究』(1965・風間書房)』▽『木藤才蔵著『連歌史論考 上』(1971・明治書院)』▽『伊地知鉄男校注『日本古典文学大系39 連歌集』(1960・岩波書店)』