津山(市)(読み)つやま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「津山(市)」の意味・わかりやすい解説

津山(市)
つやま

岡山県中北部にある市。1929年(昭和4)苫田(とまた)郡津山、津山東の2町と西苫田、二宮、院庄(いんのしょう)の3村、久米(くめ)郡福岡村が合併して市制施行。1941年東苫田村、久米郡佐良山(さらやま)村、1954年苫田郡田邑(たのむら)、一宮(いちのみや)、高野、神庭(かんば)、高倉、高田の6村と勝田郡河辺(かわなべ)、大崎、広野、滝尾(たきお)の4村を編入。さらに2005年(平成17)苫田郡の加茂町(かもちょう)と阿波村(あばそん)、勝田郡勝北町(しょうぼくちょう)、久米郡久米町を編入。

 市域は、吉井川とその支流加茂川が合流する津山盆地の中心を占め、北部は中国山地で鳥取県と接し、南部は吉備高原北縁である。JR姫新(きしん)線、津山線、因美線、国道53号、179号、181号、429号の交点である。また中国自動車道の津山、院庄のインターチェンジがある。

 弥生(やよい)時代の沼(ぬま)遺跡、津山盆地最大の前方後円墳の二宮美和山1号墳などにみられるように開発の歴史が古く、『和名抄(わみょうしょう)』にも多くの郷名が出ている。美作(みまさか)国府総社(そうじゃ)地区に置かれた。鎌倉時代から戦国時代末期には院庄に守護館が置かれた。戦国時代には尼子(あまご)、毛利(もうり)、宇喜多(うきた)各氏の争奪の地であった。

 中心の津山は1603年(慶長8)森氏が入封して鶴山に築城して津山藩の城下町となり、やがて松平氏にかわり、明治まで続いた。津山県、北条県を経て岡山県に編入。現在は岡山県美作(みまさか)県民局の所在地。古くから出雲(いずも)往来の中継点でもあり、津山往来、片上往来、倉敷往来、倉吉(くらよし)往来、因幡(いなば)往来があり、吉井川水運も発達していた。美作地方の商業中心地であるとともに軽工業が発達し、木材、木製品、和紙、製糸、雑貨品などの生産があったが、1974年(昭和49)の中国自動車道の開通を契機に内陸工業地域として草加部(くさかべ)、綾部(あやべ)、院庄の3工業団地などに弱電、機械などの工場が立地している。1998年には津山総合流通センターが完成した。市の北部では稲作や果樹栽培、酪農が行われている。

 国指定史跡には、津山城跡、児島高徳(こじまたかのり)の伝説のある院庄館跡、蘭学(らんがく)者箕作阮甫(みつくりげんぽ)旧宅、美作国分寺跡、三成(みつなり)古墳がある。また津山藩2代藩主森長継が造営した庭園衆楽園(しゅうらくえん)、津山洋学資料館、つやま自然のふしぎ館などの博物館、武家屋敷や旧街道のおもかげを残す町並みがある。城東地区は県の町並み保存地区に指定されている。美作大学・同短期大学部のある学園都市でもある。面積は506.33平方キロメートル、人口9万9937(2020)。

[由比浜省吾]

『『津山市史』全7巻(1972~1995・津山市)』


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