デジタル大辞泉 「コート」の意味・読み・例文・類語
コート(court)
2 建物・塀などで囲まれた場所。中庭。
3 一区画。「フード
[類語](1)競技場・運動場・野球場・グラウンド・コロシアム・スタジアム・トラック・フィールド・サッカー場・ピッチ・ゴルフ場・スキー場・ゲレンデ・競馬場・馬場・パドック・スケートリンク・サーキット・ホームグラウンド
翻訳|coat
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
最も外側に着用する,袖のついた長い丈の衣服。日本では外套ともいう。語源は,西ヨーロッパ中世に着用されたコットcotteに由来する。外側に着る同種のガウン,ローブ,マント,ジャケットなどとの区別は歴史的に明らかでないが,今日では丈の短い上衣のジャケットとは区別して使われる。一般にはオーバーコート,レインコートなど防寒,防塵,防雨または装飾としても着用されるものを指すが,モーニングコート,フロックコートなどのように表着(うわぎ)化したものもある。素材,形は時代や目的,性別,流行などによって異なる。
外衣という点では,古代ギリシアでキトンの上からまとったヒマティオンや,古代ローマのパラpallaもその一種にあげられるが,今日のコートに当たるものが登場するのは,中世後期に男女の間でコットの上に用いられた,シュルコ(英語でサーコート)と呼ばれるゆったりした袖なしの外衣からであろう。16世紀には外衣の形は袖,衿など多様になり,丈も長短さまざまであった。乗馬用,狩猟用など用途別に作られ,素材は毛織物,皮革などであった。17~18世紀に貴族から庶民までの男性に用いられた,胴にぴったりとして丈が長く裾の広がったジュストコルは,ベストと半ズボンの上に着用した表着であったが,同時に外衣でもあった。貴族のものはベルベット,絹,上質の毛織物で作られ,金糸のししゅうや高価なボタンがついていたが,庶民のものは粗悪な毛織物製であった。軍人用には水牛の皮革も使われた。ジュストコルはフランス革命後裾が短く後ろも燕尾状にカットされ,さらに19世紀中ごろにはフロックコートへと変化した。18世紀中ごろにはジュストコルの上に着るルダンゴトredingote(英語名ライディングコート)があらわれた。後ろに割れ目(ベンツvent)のある乗馬用コートのルダンゴトは,しだいに男女間に普及し,19世紀には広く着用された。オーバーコートの呼称は18世紀に起こったとされ,男女ともに戸外で用いる外衣の総称であった。19~20世紀には地名や人名などを冠したさまざまな形のコートがあらわれ,さらに流行も加わって用途別にも細かく分けられてきた。
(1)形によるもの (a)ゆったりとし裾の開いた女性用のスポーティなスワガー・コートswagger coat。(b)全体に箱状のボックス・コート。(c)クリミア戦争時のイギリスの将軍ラグランにちなんで名づけられた,いわゆるラグラン袖のラグラン・コートraglan coat。(d)裾の開いた丈の短い防寒用のトッパー・コート(トッパーともいう)。(e)フードつきで丈は短くダブルの打合せ,ボタンの代りにひもでとめるダッフル・コートduffle coat。ダッフルという粗い毛織物で作られ,イギリス海軍の防寒コートとして第2次世界大戦中に用いられた。(f)ダブルの打合せでボタンがなく,ベルトを締めて身ごろを合わせるタイロッケンtielocken。(g)ダブルの打合せで,本来はベルトを締めるアルスターulster。19世紀後半,アイルランドのアルスター地方で生産される織物で作られた。(2)用途によるもの (a)イブニングドレスの上に着るゆったりしたイブニングコート。燕尾服のこともいう。(b)おもに冬期の防寒用として着用するオーバーコート。(c)春秋に用いる薄手のスプリング・コート。(d)ちりよけ用に着用するダスター・コートduster coat。20世紀初めに自動車に乗るためのファッションが誕生,オープンカー用として考えられた。
なお,燕尾服(スワロー・テールド・コート),フロックコート,モーニングコート,タキシード,背広服(サック・コート),トレンチコート,レインコート,チェスターフィールドについては,それぞれの項を参照されたい。
執筆者:池田 孝江
防寒・防雨上の外衣としては,江戸時代に入ってから用いられていた袖のついた前を打ち合わせる形式のものと,古来より用いられていたみの(蓑)のような袖のないマント形式のものがある。前者は雨羽織,じうりん,木綿合羽などと呼び胴服から起こった。ラシャ,琥珀(こはく),斜子(ななこ)織,芭蕉布などで作られ,袖合羽,長合羽,半合羽,鷹匠合羽などがあった(合羽)。外出着ではないが,室内で老人や子どもの用いていたものに被布(ひふ)があった。マントの系列には,明治時代に男性に用いられたラシャのとんび,二重回し,インバネスなどがあった。はじめてコートの名で呼ばれたものは,明治末に流行した東(あずま)コートで,ラシャや黒八丈で作られ,袖,衿がつき対丈であった。これに似た外衣はすでに江戸時代に女合羽として用いられていた。東コートは繻子(しゆす)地の雨コートや小幅物のおしゃれコートの出現とともにすたれた。男物では同じような形のものを角袖と呼んだ。第2次世界大戦後は,広幅物(洋服地)のコートが素材とデザインの豊富さから流行した。
現在では女物のコートは小幅物が主で,綸子(りんず),ちりめん,紋意匠,白紬(しろつむぎ)などの染下生地に無地染やぼかし,型染,手描き,絞り,ししゅう,箔,刺子などを加工したものや,紋織,唐桟(とうざん),紬などの織のもの,また毛皮やスエード,ウールなど素材は多種である。礼装,準礼装にはししゅう,箔,型染の絵羽のコートや紋織を,社交着には絞りや小紋,紬,御召などには更紗(さらさ),ろうけつ,小紋,唐桟,紬など着物に合わせて装う。無地のコートはどんな柄にも幅広く合わせられるが,先染は織の着物を中心に,後染は社交着や礼装として用いられる。紗や羅のコートは5月ごろから盛夏にかけて用いる。コートの長さはほとんど六分丈であるが,対丈の長いコートもある。雨コートには繻子地,紬,綸子などがあり,長コートと上下の分かれる二部式がある。衿の形には道行衿,都衿,千代田衿,被布衿,道中衿などがあるが,用布の経済性から道行衿と道中衿が多い。
執筆者:山下 悦子
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…この鋼はるつぼに原料を密閉し加熱して溶かすので,るつぼ鋼とも呼ばれる。一方,18世紀ころから鋳鉄の製造法として反射炉が用いられはじめ大砲などが鋳造されていたが,イギリスのコートHenry Cort(1740‐1800)は,反射炉をさらにくふうして銑鉄の溶融だけでなく,溶融した銑鉄をかくはん(攪拌)することによって半溶融状の可鍛鉄をつくることに成功した。この反射炉はとくにパドル炉と呼ばれるが,19世紀後半W.シーメンズ,P.E.マルタンの努力によって反射炉はさらに改良され,溶融状態の鋼を容易に製造できる平炉がつくられた。…
…しかし,石炭に対する需要が圧倒的に高まり,石炭鉱業が工業国の基幹産業となっていったのは,製鉄業および蒸気機関との結合によってである。18世紀初頭にA.ダービーが発明したコークス製鉄法や同世紀後半のH.コートによるかくはん式精錬法(パドル法)などによって,あらゆる種類の鉄が石炭を燃料として生産されるようになった。18世紀後半以来の産業革命が〈鉄と石炭の革命〉と呼ばれるひとつの理由がここにある。…
… 錬鉄製造にも革命のときがきた。H.コートが従来の木炭精錬炉に代わって,すでに鉄の鋳造に利用されていた石炭たきの反射炉を銑鉄を錬鉄に変える炉にすることに成功したのである。ロストル(火格子)で自然送風によって石炭を燃やし,できる長い炎は火橋を越えて溶解室の銑鉄を溶かし,煙突に抜ける。…
…この鋼はるつぼに原料を密閉し加熱して溶かすので,るつぼ鋼とも呼ばれる。一方,18世紀ころから鋳鉄の製造法として反射炉が用いられはじめ大砲などが鋳造されていたが,イギリスのコートHenry Cort(1740‐1800)は,反射炉をさらにくふうして銑鉄の溶融だけでなく,溶融した銑鉄をかくはん(攪拌)することによって半溶融状の可鍛鉄をつくることに成功した。この反射炉はとくにパドル炉と呼ばれるが,19世紀後半W.シーメンズ,P.E.マルタンの努力によって反射炉はさらに改良され,溶融状態の鋼を容易に製造できる平炉がつくられた。…
※「コート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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