パリ‐じょうやく ‥デウヤク【パリ条約】
[二] アメリカ独立戦争の結果、イギリスとアメリカの間に結ばれた
条約。一七八二年に
調印、
翌年に批准された。イギリスがアメリカの独立を認め、カナダ、フロリダを除くミシシッピ以東の地を与えたもの。
[四]
ナポレオンの百日天下の後、一八一五年に対仏同盟諸国とフランスとの間に結ばれた条約。フランス領をさらに制限して一七九〇年の国境とし、新たに
賠償、その他の負担を課した。
[五] 一八五六年、
クリミア戦争を終結させ、ロシアの
南進を阻止した条約。ロシア・
トルコ・フランス・イギリス・
オーストリア・
プロイセン・
サルデーニャ間に結ばれたもの。トルコの独立と領土の保全、ボスポラス・ダーダネルス両海峡閉鎖の原則の確認、黒海の中立化、ドナウ川の自由航行などを定めた。
[六] 一八九八年の米西戦争を終結させた条約。キューバの独立、プエルトリコ、グアム、フィリピンのアメリカへの譲渡を決めた。
[七] 一九四七年、第二次世界大戦後に連合国とイタリア・ルーマニア・ハンガリー・ブルガリア・フィンランドとの間に結ばれた講和条約。イタリアはエチオピアの独立を承認し、海外の全植民地を放棄した。
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デジタル大辞泉
「パリ条約」の意味・読み・例文・類語
パリ‐じょうやく〔‐デウヤク〕【パリ条約】
パリで締結された国際条約。
1763年、七年戦争の結果、イギリスとフランス・スペインとの間に結ばれた条約。
1783年、アメリカ独立革命の結果、イギリスがアメリカの独立を承認した条約。
1814年、ナポレオンがワーテルローで敗れたのち、フランスと対仏大同盟諸国との間で結ばれた条約。第一次パリ条約。
1815年、ナポレオンの百日天下ののち、フランスと対仏大同盟諸国との間で結ばれた条約。第二次パリ条約。
1856年、クリミア戦争の結果、ロシアとイギリス・フランス・オーストリア・トルコとの間に結ばれた条約。トルコの領土保全を内容とし、ロシアの南下政策が阻止された。
1898年、アメリカ‐スペイン戦争の結果、米国とスペインとの間で結ばれた条約。キューバの独立、フィリピンの米国への譲渡を決めた。
1947年、第二次大戦の結果、連合国とイタリア・ルーマニア・ハンガリー・ブルガリア・フィンランドとの間で結ばれた条約。
1960年、OECD-NEAで採択された原子力損害賠償に関する国際条約。1968年発効。フランス・ドイツ・イタリア・英国などが加盟。賠償責任限度額は7億ユーロ。→CSC
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パリ条約
ぱりじょうやく
フランスのパリで締結された国際条約は多数あるが、ここでは一般にパリ条約とよばれる主要なものをあげる。(1)1763年2月10日、七年戦争の終結に際してイギリスとフランス、スペインとの間に結ばれたもの。これによって、フランスはカナダとルイジアナ(ミシシッピ川以東)をイギリスに割譲して、若干の島々と権益のほかには北アメリカ大陸における領土を失った。インドでは、フランスはシャンデルナゴルなどを除く全植民地を放棄した。イギリスはスペインからフロリダを獲得し、スペインはかわりにフランスからルイジアナ(ミシシッピ川以西)を得た。(2)1783年9月3日、アメリカの独立戦争を終わらせた講和条約。イギリスはアメリカ植民地の完全独立を承認し、さらにアメリカの領土としてカナダ、フロリダを除くミシシッピ川以東の土地を認めた。(3)1814年5月30日、ナポレオンと戦ったヨーロッパ諸国とフランスのルイ18世の政府との間に結ばれたもの。フランスはナポレオンの占領地を放棄し、1792年1月1日の国境に復することになったが、賠償は課せられなかった。イギリスはフランスから若干の島、オランダからセイロン島、ケープ植民地を得た。またマルタ島はナポレオンとイギリス・ロシアとの争奪戦の対象であったが、この条約の結果、イギリス領となった。なお、この条約の施行の細目に関してウィーン会議の開催が約された。しかし、ウィーン会議の開催中にナポレオンの百日天下があったために、1815年11月20日、改めて第二次パリ条約が調印された。これは第一次パリ条約よりも条件がフランスにとって厳しく、フランスの国境は1790年当時のものとなり、7億フランの賠償を課せられた。なお、同盟軍は5年間北フランスを占領することとなった。(4)1856年3月30日、ロシア、イギリス、フランス、オーストリア、トルコ、プロイセンおよびサルデーニャの間に調印され、クリミア戦争を終結させたもの。そのおもな条項は、トルコの独立と領土保全の保障、ボスポラス、ダーダネルス両海峡の外国軍艦の航行の禁止、ドナウ川航行の自由、ベッサラビアのロシアからモルダビアへの割譲、モルダビア、ワラキアおよびセルビアの自治権の獲得。この条約は、ロシアの南下政策とトルコ領内への勢力浸透を阻止しようとしたものである。(5)1898年12月10日、アメリカ合衆国とスペインとの間に調印されたアメリカ・スペイン戦争(米西戦争)の講和条約。スペインはキューバの独立を認め、プエルト・リコ島、他の西インド諸島の島々、グアム島、フィリピン諸島をアメリカに譲ることになった。(6)1947年2月10日、第二次世界大戦において枢軸陣営に属したイタリア、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、ハンガリーの五か国と連合国21か国との間に結ばれた講和条約。これによってイタリアは海外の植民地をすべて放棄し、ヨーロッパで若干の領土を割譲し、軍備を制限され、3億6000万ドルの賠償を課せられた。その他の各国も軍備制限や賠償を課せられ、国境の多少の変更を被った。(7)1954年10月20~23日、パリで調印された西ドイツの主権回復に関する諸条約の総称。普通はパリ協定という。これにより西ドイツは主権回復を認められ、占領状態が終了した。西ドイツは北大西洋条約機構(NATO(ナトー))に加盟した。西ヨーロッパ連合を拡大して、イタリアとともに西ドイツを加え、西ドイツはこの機構のなかで再軍備をすることになった。
[斉藤 孝]
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パリ条約【パリじょうやく】
(1)1763年結ばれた七年戦争の講和条約。これにより,英国はカナダ,ルイジアナ東部をフランスから奪い,フランスの勢力を北米から一掃し,またインドにおける優位を確立した。(2)1783年結ばれたアメリカ独立戦争(アメリカ独立革命)の講和条約。英国は米国の独立を認め,フロリダをスペインに返した。(3)1814年,ナポレオン戦争の終結に伴い対仏大同盟諸国とフランスが結んだ条約。フランスは1792年当時の国境を保有,英国はセイロン,ケープ植民地,マルタ島を獲得。またドイツ連邦創設とウィーン会議開催を決定。百日天下の後,1815年に第2次条約が結ばれ,フランスは国境を1790年当時のものに縮小され,賠償金支払等の義務を課された。(4)1856年結ばれたクリミア戦争の講和条約。トルコの独立・領土の保全,黒海中立化,ドナウ川自由航行等を決定。ロシアの南下政策が阻止された。(5)1898年結ばれた米西戦争の講和条約。米国はスペインからプエルトリコ,フィリピンを奪い,キューバ独立を承認させた。(6)1947年連合国と敗戦国たるイタリア,ハンガリー,フィンランド,ブルガリア,ルーマニアの間で結ばれた第2次世界大戦の講和条約。イタリアは全海外植民地を失い,他の敗戦国も領土を割譲,軍備制限・賠償金を課された。(7)1954年パリで開かれた14ヵ国外相会議で採択された諸協定。ドイツ問題が中心になり,この協定に基づいて西独は主権を回復した。(8)工業所有権保護同盟条約の別名。
→関連項目サン・ピエール[島]|セントルシア|ヨーロッパ市場統合|ロンドン条約
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パリ条約
パリじょうやく
Treaties of Paris
(1) 1763年2月10日,イギリス,フランス,スペイン間に結ばれ,七年戦争を終結させた平和条約。イギリスはフランスからカナダとミシシッピ川以東のルイジアナを,スペインからフロリダを得,スペインはそのかわりにミシシッピ川以西のルイジアナを獲得。フランスはインドでも,若干の都市を除く全植民地を放棄し,イギリスは世界制覇の第一歩をしるした。
(2) 1783年9月3日,イギリスと北アメリカ諸邦との間で調印され,翌 1784年批准された条約。これによってイギリスはアメリカ合衆国の独立を認め,ミシシッピ川以東がアメリカ領になった。
(3) 1814年5月30日,ナポレオン戦争の終結に伴い,連合諸国とフランスとの間に結ばれた条約。フランスは 1792年1月1日時点の国境を認められ,イギリスはセイロン島(スリランカ),マルタ島,ケープ植民地を獲得。またウィーン会議の開催を決定した。
(4) ナポレオン1世による百日天下ののち,1815年11月20日に結ばれた連合国とフランスとの第2次条約。フランスはその国境を 1790年1月1日時点のものに縮小され,7億フランという多額の賠償金を課せられた。
(5) 1856年3月30日,クリミア戦争を終結させた平和条約。トルコの主権と領土の保全,ボスポラス海峡とダーダネルス海峡の閉鎖,黒海の中立化,ドナウ川の自由航行,ロシアはベッサラビアをモルドバ公国に譲ること,セルビアに自治権を認めることなどを定め,ロシアの南進を阻止した。
(6) 1898年12月10日に調印されたアメリカ=スペイン戦争を終結させた条約。スペインの敗北により,カリブ海や太平洋の旧スペイン植民地はアメリカの管理下に置かれることになった。キューバの独立,フィリピンのアメリカへの譲渡などが定められた。
(7) 1947年2月10日,第2次世界大戦の連合国と,枢軸国のイタリア,ルーマニア,ハンガリー,ブルガリア,フィンランドとの間で結ばれた条約。敗戦諸国は賠償と領土の割譲を課せられた。
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パリ条約(パリじょうやく)
①〔1763〕イギリス,フランス,スペインの間で結ばれた植民地七年戦争(フランスおよびインディアンとの戦争)終結の条約。(1)イギリスはフランスからカナダとミシシッピ川以東のルイジアナを,スペインからフロリダを得,スペインは代わりにフランスからミシシッピ川以西のルイジアナを獲得。(2)インドでは,フランスは若干の商業都市を除き全植民地を放棄。
②〔1783〕イギリス,アメリカ間で結ばれたアメリカ独立戦争の講和条約。イギリスはアメリカの独立を認め,これにミシシッピ川以東の地を与えた。
③〔1814〕ナポレオン戦争の終結に伴い,同盟国とフランスとの間で結ばれた条約。フランスは1792年時点の国境を保有,イギリスはセイロン,ケープ植民地,マルタ島を得,またウィーン会議の開催を決定。
④〔1815〕ナポレオンの百日天下ののちに結ばれた同盟国とフランスとの第2次条約。フランスの国境を1790年時点のものに縮小し,フランスに賠償を課した。
⑤〔1856〕クリミア戦争を終結させロシアの南進を阻止した条約。(1)トルコの独立と領土の保全。(2)トルコは宗教的差別をしないこと。トルコに対する内政不干渉。(3)ダーダネルス,ボスフォラス両海峡閉鎖の原則の確認。黒海の中立化。(4)ドナウ川の自由航行。(5)ロシアはベッサラビアをモルドヴァに譲渡。モルドヴァ,ワラキア両州はトルコの主権下に自治。セルビアの自治権の確認。
⑥〔1898〕アメリカ‐スペイン戦争を終結させた条約。キューバの独立,フィリピンのアメリカへの譲渡を決定。
⑦〔1947〕第二次世界大戦後に連合国とイタリア,ルーマニア,ハンガリー,ブルガリア,フィンランドとの間で結ばれた講和条約。敗戦諸国は軍備の制限と賠償を課せられ領土を割譲した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
パリ条約
パリじょうやく
①1763年,北米大陸とインドにおける七年戦争を終結させた条約
②アメリカ独立戦争の結果,1783年にイギリスがアメリカの独立を承認した条約
③ナポレオン戦争を終結させた条約
④1856年,クリミア戦争を終結させた条約
⑤1898年,米西(アメリカ−スペイン)戦争を終結させた条約
⑥第二次世界大戦後の1947年に結ばれた講和条約
イギリス・フランス・スペイン間に結ばれ,イギリスはカナダなどを獲得し,植民帝国としての地位を決定づけた。
アメリカはミシシッピ川以東のルイジアナを獲得した。
第1次は1814年に結ばれ,ナポレオン1世をエルバ島に流し,フランス領を1792年当時の状態に制限した。第2次は1815年百日天下のあとに結ばれ,領土をさらに1790年当時のものに制限,7億フランの賠償も課した。
ロシア・イギリス・フランス・オーストリア・トルコ・プロイセン・サルデーニャの6か国間に結ばれ,トルコの領土保全に関する列強の利害を調整した。
アメリカ・スペイン間に結ばれ,アメリカはフィリピン群島・グアム島などを獲得した。
連合国21か国とイタリア・ルーマニア・ハンガリー・フィンランド・ブルガリアとの間に結ばれた。
以上6つのほか,パリで定められた国際的取決めは多く,1925年の第一次世界大戦後のドイツの賠償支払いに関するアメリカ・ドイツ間の協定,28年の不戦条約(パリ協約),1930年の連合国のオーストリア・ハンガリー・ブルガリアとの賠償に関する協定,1954年の西ドイツの北大西洋条約機構(NATO)加入を定めたロンドン−パリ協定などがある。
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知恵蔵
「パリ条約」の解説
パリ条約
産業財産権の保護を目的に1883年パリで締結された同盟条約。産業財産権に関する国際的な憲法に相当し、日本は1899年加盟。数次の改訂が行われているが、内国民待遇、優先権制度及び特許独立の原則が三大原則。同条約での産業財産権としての保護対象は、特許、実用新案、意匠、商標からサービスマーク、商号、原産地表示、原産地名称、不正競争防止に関するものにまで及んでいる。三大原則のうち、内国民待遇とは、同盟国国民は他の同盟国において内国民同様平等に取り扱われること。優先権制度とは、同盟国内での出願は、一定期間内であれば、他の同盟国でも最初の出願日に出願したものとみなして優先的に取り扱われる制度。現在、その優先期間は特許及び実用新案は12カ月、意匠及び商標は6カ月。特許独立の原則とは、各同盟国内で出願された特許は、それぞれの国での特許成立、不成立に関係なく独立して審査、判断される原則である。
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パリじょうやく【パリ条約】
パリで締結された国際条約は多いが,歴史的に著名な条約として以下のものがあげられる。(1)1763年2月10日,七年戦争の終結にあたりイギリス,フランス,スペインの間に結ばれた条約。この条約により,フランスは,北アメリカではカナダ,ミシシッピ川以東のルイジアナおよび西インド諸島の多くをイギリスに譲り,インドではポンディシェリーとシャンデルナゴルを除いて他の植民地を放棄した。アフリカでもフランスはセネガルをイギリスに譲ったが,代りにゴレ島を返還された。
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パリ条約
パリ条約(工業所有権の保護に関するパリ条約)とは特許、実用新案、意匠、商標などの国際的保護のための国際条約のことをいう。1883年成立。日本は1899年に加盟。
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世界大百科事典内のパリ条約の言及
【アメリカ】より
…しかしフランス人は,その後もミシシッピ川を下ってテキサス湾岸に砦を築き,1718年にはニューオーリンズを建設した。スペインは,このルイジアナ植民地を制圧するため同じ18年にテキサスのサン・アントニオを建設したが,七年戦争の結果,63年のパリ条約においてミシシッピ以西のルイジアナの地とニューオーリンズの領有を認められた。 イギリスの北アメリカ植民は,16世紀後半におけるロアノーク植民の失敗後,しばらく間をおいて,1607年のバージニア,ジェームズタウンの建設以後本格化した。…
※「パリ条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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