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パリ条約 Paris Convention for the Protection of Industrial Property

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ブランド用語集の解説

パリ条約

パリ条約(工業所有権の保護に関するパリ条約)とは特許、実用新案、意匠、商標などの国際的保護のための国際条約のことをいう。1883年成立。日本は1899年に加盟。

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知恵蔵2015の解説

パリ条約

産業財産権の保護を目的に1883年パリで締結された同盟条約産業財産権に関する国際的な憲法に相当し、日本は1899年加盟。数次の改訂が行われているが、内国民待遇優先権制度及び特許独立の原則が三大原則。同条約での産業財産権としての保護対象は、特許、実用新案、意匠、商標からサービスマーク、商号、原産地表示、原産地名称、不正競争防止に関するものにまで及んでいる。三大原則のうち、内国民待遇とは、同盟国国民は他の同盟国において内国民同様平等に取り扱われること。優先権制度とは、同盟国内での出願は、一定期間内であれば、他の同盟国でも最初の出願日に出願したものとみなして優先的に取り扱われる制度。現在、その優先期間は特許及び実用新案は12カ月、意匠及び商標は6カ月。特許独立の原則とは、各同盟国内で出願された特許は、それぞれの国での特許成立、不成立に関係なく独立して審査、判断される原則である。

(桜井勉 日本産業研究所代表 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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デジタル大辞泉の解説

パリ‐じょうやく〔‐デウヤク〕【パリ条約】

パリで締結された国際条約。
1763年、七年戦争の結果、イギリスフランススペインとの間に結ばれた条約。
1783年、アメリカ独立革命の結果、イギリスがアメリカの独立を承認した条約。
1814年、ナポレオンワーテルローで敗れたのち、フランスと対仏大同盟諸国との間で結ばれた条約。第一次パリ条約。
1815年、ナポレオンの百日天下ののち、フランスと対仏大同盟諸国との間で結ばれた条約。第二次パリ条約。
1856年、クリミア戦争の結果、ロシアとイギリス・フランス・オーストリアトルコとの間に結ばれた条約。トルコの領土保全を内容とし、ロシアの南下政策が阻止された。
1898年、アメリカ‐スペイン戦争の結果、米国とスペインとの間で結ばれた条約。キューバの独立、フィリピンの米国への譲渡を決めた。
1947年、第二次大戦の結果、連合国イタリアルーマニアハンガリーブルガリアフィンランドとの間で結ばれた条約。
1960年、OECD-NEAで採択された原子力損害賠償に関する国際条約。1968年発効。フランス・ドイツ・イタリア・英国などが加盟。賠償責任限度額は7億ユーロ。→CSC

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百科事典マイペディアの解説

パリ条約【パリじょうやく】

(1)1763年結ばれた七年戦争講和条約。これにより,英国はカナダルイジアナ東部をフランスから奪い,フランスの勢力を北米から一掃し,またインドにおける優位を確立した。
→関連項目サン・ピエール[島]セントルシアヨーロッパ市場統合ロンドン条約

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世界大百科事典 第2版の解説

パリじょうやく【パリ条約】

パリで締結された国際条約は多いが,歴史的に著名な条約として以下のものがあげられる。(1)1763年2月10日,七年戦争の終結にあたりイギリス,フランス,スペインの間に結ばれた条約。この条約により,フランスは,北アメリカではカナダ,ミシシッピ川以東のルイジアナおよび西インド諸島の多くをイギリスに譲り,インドではポンディシェリーシャンデルナゴルを除いて他の植民地を放棄した。アフリカでもフランスはセネガルをイギリスに譲ったが,代りにゴレ島を返還された。

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大辞林 第三版の解説

パリじょうやく【パリ条約】

1763年、七年戦争終結の際にイギリスとフランス・スペインが結んだ条約。イギリスがカナダ・フロリダなどを獲得し、海外進出の優位を確立した。
1783年、アメリカ独立革命を終結させた条約。イギリスがアメリカ独立を承認。
ナポレオン戦争後に、フランスと対仏大同盟諸国との間に締結された条約。1814年に第一次条約、ナポレオン百日天下後の15年に第二次条約が結ばれた。 → ウィーン会議
1856年、クリミア戦争を終結させた条約。オスマン帝国の領土保全をはじめ、ロシアの南下を阻止するための取り決めが行われた。
1898年、アメリカ-スペイン戦争を終結させた条約。スペインはキューバ独立を承認、アメリカはフィリピン・グアム島などを獲得した。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

パリ条約
パリじょうやく
Treaties of Paris

(1) 1763年2月10日,イギリス,フランス,スペイン間に結ばれ,七年戦争を終結させた平和条約。イギリスはフランスからカナダとミシシッピ川以東のルイジアナを,スペインからフロリダを得,スペインはそのかわりにミシシッピ川以西のルイジアナを獲得。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

パリ条約
ぱりじょうやく

フランスのパリで締結された国際条約は多数あるが、ここでは一般にパリ条約とよばれる主要なものをあげる。(1)1763年2月10日、七年戦争の終結に際してイギリスとフランス、スペインとの間に結ばれたもの。これによって、フランスはカナダとルイジアナ(ミシシッピ川以東)をイギリスに割譲して、若干の島々と権益のほかには北アメリカ大陸における領土を失った。インドでは、フランスはシャンデルナゴルなどを除く全植民地を放棄した。イギリスはスペインからフロリダを獲得し、スペインはかわりにフランスからルイジアナ(ミシシッピ川以西)を得た。(2)1783年9月3日、アメリカの独立戦争を終わらせた講和条約。イギリスはアメリカ植民地の完全独立を承認し、さらにアメリカの領土としてカナダ、フロリダを除くミシシッピ川以東の土地を認めた。(3)1814年5月30日、ナポレオンと戦ったヨーロッパ諸国とフランスのルイ18世の政府との間に結ばれたもの。フランスはナポレオンの占領地を放棄し、1792年1月1日の国境に復することになったが、賠償は課せられなかった。イギリスはフランスから若干の島、オランダからセイロン島ケープ植民地を得た。またマルタ島はナポレオンとイギリス・ロシアとの争奪戦の対象であったが、この条約の結果、イギリス領となった。なお、この条約の施行の細目に関してウィーン会議の開催が約された。しかし、ウィーン会議の開催中にナポレオンの百日天下があったために、1815年11月20日、改めて第二次パリ条約が調印された。これは第一次パリ条約よりも条件がフランスにとって厳しく、フランスの国境は1790年当時のものとなり、7億フランの賠償を課せられた。なお、同盟軍は5年間北フランスを占領することとなった。(4)1856年3月30日、ロシア、イギリス、フランス、オーストリア、トルコ、プロイセンおよびサルデーニャの間に調印され、クリミア戦争を終結させたもの。そのおもな条項は、トルコの独立と領土保全の保障、ボスポラス、ダーダネルス両海峡の外国軍艦の航行の禁止、ドナウ川航行の自由ベッサラビアのロシアからモルダビアへの割譲、モルダビア、ワラキアおよびセルビアの自治権の獲得。この条約は、ロシアの南下政策とトルコ領内への勢力浸透を阻止しようとしたものである。(5)1898年12月10日、アメリカ合衆国とスペインとの間に調印されたアメリカ・スペイン戦争(米西戦争)の講和条約。スペインはキューバの独立を認め、プエルト・リコ島、他の西インド諸島の島々、グアム島フィリピン諸島をアメリカに譲ることになった。(6)1947年2月10日、第二次世界大戦において枢軸陣営に属したイタリア、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、ハンガリーの五か国と連合国21か国との間に結ばれた講和条約。これによってイタリアは海外の植民地をすべて放棄し、ヨーロッパで若干の領土を割譲し、軍備を制限され、3億6000万ドルの賠償を課せられた。その他の各国も軍備制限や賠償を課せられ、国境の多少の変更を被った。(7)1954年10月20~23日、パリで調印された西ドイツの主権回復に関する諸条約の総称。普通はパリ協定という。これにより西ドイツは主権回復を認められ、占領状態が終了した。西ドイツは北大西洋条約機構NATO(ナトー))に加盟した。西ヨーロッパ連合を拡大して、イタリアとともに西ドイツを加え、西ドイツはこの機構のなかで再軍備をすることになった。[斉藤 孝]

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世界大百科事典内のパリ条約の言及

【アメリカ】より

…しかしフランス人は,その後もミシシッピ川を下ってテキサス湾岸に砦を築き,1718年にはニューオーリンズを建設した。スペインは,このルイジアナ植民地を制圧するため同じ18年にテキサスのサン・アントニオを建設したが,七年戦争の結果,63年のパリ条約においてミシシッピ以西のルイジアナの地とニューオーリンズの領有を認められた。 イギリスの北アメリカ植民は,16世紀後半におけるロアノーク植民の失敗後,しばらく間をおいて,1607年のバージニア,ジェームズタウンの建設以後本格化した。…

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