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保守党[イギリス] ほしゅとう[イギリス]Conservative Party

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

保守党[イギリス]
ほしゅとう[イギリス]
Conservative Party

労働党と相対峙するイギリスの二大政党の一つ。王政復古期におけるトーリー党に起源をもつ。トーリー党指導者ロバート・ピールは,自由主義的改革が避けがたい時代の潮流であることを悟り,党名を「保守党」と改めて,党のイメージ・チェンジをはかった。しかしピールはその後自由主義に傾きすぎたため党内の地主勢力の反発を買い,ついにピール派を率いて脱党した。その後,ベンジャミン・ディズレーリが弱体化した保守党の再建の任を負い,憲法の擁護,労働者の生活向上,帝国の維持を標榜した。また自由党にさきがけて,労働者階級への選挙権付与を断行するとともに,党の近代的組織化にも着手した。この結果保守党はみごとに再建されるにいたった。 1895年ジョセフ・チェンバレンが自由統一派 Liberal Unionistsを率いて保守党に合流し,党勢を拡大した。このとき以来保守党は正式には保守統一党 Conservative and Unionist Partyと呼ばれるようになった。その後チェンバレンは,急進的な帝国主義政策を主張してロバート・ソールズベリーと対立,このため 1906年の総選挙で敗北を喫するにいたった。しかし 1924年以降第2次世界大戦までは,自由党の没落や労働党の未成熟に助けられて,スタンレー・ボールドウィンの指導のもとにほとんどの期間政権を握り続けた。戦後の 1945年7月の総選挙で保守党は労働党に大敗したが,1951年 10月,政権を奪回した。以後,ウィンストン・チャーチル,ロバート・A.イーデン,ハロルド・マクミラン,アレック・ダグラス=ヒュームと4代 13年の政権を維持した。しかし,1960年代に入り,絶え間ないポンド危機,長期政権による国民の倦怠,ヨーロッパ共同体 EC加盟交渉の不首尾,プロフューモ事件などによって 1964年 10月の総選挙でハロルド・ウィルソンの労働党に敗北。その後 1970年6月の総選挙ではダグラス=ヒューム政権を復活させ,ECに加盟するなど一定の成果をあげたが,国内経済運営にみるべきものが少なく,1974年2月再び労働党に敗北した。翌 1975年2月2度目の党首選挙を行ない,初の女性党首マーガレット・サッチャーを選び,私企業育成,減税,景気拡大などを掲げ政権交代を迫っていたが,ついに 1979年4月労働党内閣を信任投票で破ることに成功した。これをうけて同5月4日実施された総選挙で第一党となり,イギリス史上初の女性首相による内閣を組織するにいたった。サッチャー首相は新保守主義の旗手として「スモールでストロングな政府」を目指し,その決然たる態度も人気を博したが,1990年 12月に退陣。大蔵大臣ジョン・メージャーが首相に就任した。 1992年4月の総選挙では過半数を獲得し,メージャーが政権を維持したが,1997年5月の総選挙ではアンソニー・C.L.ブレアの率いる労働党に大敗。同年6月,メージャーに代わりウィリアム・ヘイグが党史上最年少の 36歳で党首に就任したが,2001年の総選挙で再び惨敗。イアン・ダンカン・スミスが党首となり,2003年にはマイケル・ハワードに代わった。

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