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労働党[イギリス] ろうどうとう[イギリス]Labour Party

翻訳|Labour Party

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

労働党[イギリス]
ろうどうとう[イギリス]
Labour Party

保守党と並ぶイギリスの二大政党の1つ。 1900年労働組合会議,独立労働党,フェビアン協会,社会民主連盟などの社会主義団体によって労働代表委員会 Labour Representation Committeeが結成され,06年の総選挙で 29議席を獲得すると同時に現党名に改称。第1次世界大戦の勃発当時は,非戦論を唱える独立労働党派と参戦を主張するフェビアン協会派,労働組合派に分裂したが,18年党憲章を改正し,労働組合や社会主義団体のみの加入に個人加入をも認め,従来の労組中心から組織も政策も拡大された。 23年の選挙で第2党となり,24年自由党の支持を得て最初の労働党内閣 (→マクドナルド ) が誕生したが,同年 11月に崩壊。 29年に単独で第2次マクドナルド内閣を組織したが,世界恐慌への政策をめぐって党内分裂が起り,31年総辞職。 45年再び単独でアトリー内閣を組織。重要産業の国有化,社会保障制度の整備などを掲げ社会主義的政策を推進したが,党内対立のため 51年再び保守党に敗れた。 64年ウィルソン内閣を組織,70年ヒース保守党内閣にその席を譲ったが,74年3月再びウィルソン内閣を樹立。しかし少数与党内閣であったため,同年9月 H.ウィルソンは議会を解散し,同 10月の総選挙で安定的過半数を得た。このあと 75年6月にはヨーロッパ共同体 EC残留当否の採決を求める初の国民投票を実施して圧倒的多数で残留を決めた。しかし 76年3月,ウィルソンが突然辞意を表明したので J.キャラハンを選出し,同4月5日首班指名。その後キャラハン内閣は政局運営に一応の成功を収めていたが,経済の好転とともに大幅な賃上げを要求する労働組合のストライキ攻勢と,これに反対するイギリス世論を背景にした保守党の攻撃に抗しきれず,79年5月の総選挙で敗れ,3年にわたったキャラハン内閣は退陣し,保守党の M.サッチャーに政権を譲った。 89年 10月の党大会では,非現実的と批判され続けていた一方的核廃棄政策を改めて,多国間軍縮交渉を通じて核の廃絶を目指す路線を採択した。 91年選挙では勝利が予想されていながら連敗。 94年,新党首に就任した A.C.L.ブレアは,階級闘争の放棄,国営企業の民営化など政策を保守中道寄りの路線に転換し支持層を拡大,97年5月の総選挙に勝利し首相に就任した。

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