大崎(市)(読み)おおさき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大崎(市)」の意味・わかりやすい解説

大崎(市)
おおさき

宮城県の中部から北西部に位置する市。2006年(平成18)古川市(ふるかわし)、志田(しだ)郡松山町(まつやままち)、三本木町(さんぼんぎちょう)、鹿島台町(かしまだいまち)、玉造(たまつくり)郡岩出山町(いわでやままち)、鳴子町(なるこちょう)、遠田(とおだ)郡田尻町(たじりちょう)が合併して成立。奥羽山脈を境にして西は山形県、北は秋田県に接する。北西部の山地に発する江合(えあい)川が中央を、その南を鳴瀬(なるせ)川が南東に流れ、両川中流に大崎平野が開ける。中心地は古川市街で、JRの東北新幹線と陸羽(りくう)東線が通じる。古川市街から国道4号、47号、108号、347号が放射状に延びる。また、東北自動車道が通じ、古川インターチェンジがある。国道47号はJR陸羽東線とほぼ並走し、東部には国道346号が通る。市名は南北朝期以降、市域を含む現在の宮城県北西部を大崎とよんでいたこと、および中心市街が発達する大崎平野に由来。

 江合川流域には縄文時代の中沢目貝塚(なかさわめかいづか)(国指定史跡)や、遮光器土偶(国指定重要文化財)が出土した惠比須田遺跡(えびすだいせき)、装飾古墳を含む山畑横穴群(やまはたよこあなぐん)(国指定史跡)など、多くの遺跡が分布。奈良時代には東北地方最大級の城柵(じょうさく)・官衙(かんが)跡である宮沢(みやざわ)遺跡(国指定史跡)、城柵の瓦を供給した木戸瓦窯跡(きどかわらがまあと)(国指定史跡)、玉造柵跡との説もある名生館官衙遺跡(みょうだてかんがいせき)(国指定史跡)などがあり、律令国家による陸奥(むつ)経営の前衛基地となる。

 戦国時代には大崎氏が名生館を居館とし、古川城ほかの支城家臣を配した。豊臣秀吉による奥州仕置の後、1591年(天正19)には伊達政宗が入封、岩手沢(のち岩出山と改称)城を居城として城下町を築いた。政宗の仙台移居後、岩出山には一族の岩出山伊達氏が入った。奥州街道の三本木、古川、荒谷(あらや)の各宿があった。うち三本木は年貢米を搬送する鳴瀬川舟運の発着地でもあった。また中羽前街道、北羽前街道などの脇街道の会合点である古川は、宿場町として繁栄、周辺農村の商業の中心地として定期市も立ち、400年続く八百屋市(やおやまち)が現在も開かれている。鳴子は銅の採鉱や馬産地として知られた。

 現在、肥沃な大地の大崎耕土ではササニシキや「ひとめぼれ」などの米作、西部丘陵地では畜産や野菜の生産が行われている。北西部の山間地は栗駒(くりこま)国定公園に含まれ、紅葉の見事な鳴子峡や鳴子温泉郷、鬼首(おにこうべ)高原と鬼首温泉郷など観光資源にも恵まれる。鳴子こけし、鳴子漆器は有名。東部にある蕪栗沼(かぶくりぬま)は、ラムサール条約登録湿地となり、国内でも貴重な自然環境が残る渡り鳥の楽園である。近年、市域中南部は仙台、塩竈(しおがま)両市のべッドタウン化が進み、工業団地の造成、自動車関連産業推進室の設置など、積極的な企業誘致を推進している。面積796.81平方キロメートル、人口12万7330(2020)。

[編集部]


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