須恵器(読み)スエキ

デジタル大辞泉 「須恵器」の意味・読み・例文・類語

すえ‐き〔すゑ‐〕【須恵器/陶器】

日本古代の灰色の硬質土器。一部轆轤ろくろを利用して作り、穴窯あながまを用いて1200度くらいの高温で焼く。朝鮮半島から到来した技術により5世紀に誕生し、平安時代におよんだ。祝部土器いわいべどき

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改訂新版 世界大百科事典 「須恵器」の意味・わかりやすい解説

須恵器 (すえき)

青灰色の,堅く焼きしまった土器。中国灰陶の系譜をひき,直接には朝鮮伽倻(かや)地方(加羅)の陶質土器の系統に属する。5世紀中ごろ(古墳時代中期)前後に,伽倻地方から陶工集団が渡来して生産を開始した。大阪陶邑(すえむら)窯に始まり(陶邑古窯址群),生産地はやがて東海,四国,九州などの各地へ拡散していく。奈良~平安時代には〈陶器〉と表したが,釉薬をかけた陶器との混乱をさけ,考古学では須恵器と書き,〈すえのうつわ〉ともいう。

 須恵器の成形法は,粘土紐積上げが基本である。器形の大小にかかわらず,まず粘土紐を積み上げて原型をつくり,その後,叩きや削りの技法を用いて形態を整え,仕上げの段階にいたって轆轤(ろくろ)を用い,調整する。轆轤の水びき技法が採用されるのは,中世末の磁器生産開始の際であり,須恵器,灰釉・緑釉陶器,中世陶器は,いずれも粘土紐積上げの成形法を基本とし,轆轤の使用は成形の最終段階である仕上げの段階に限られていた。

 須恵器は,を用いて焼成した日本最初のやきものである。縄文・弥生土器土師器(はじき)などの酸化炎焼成による赤焼きの土器に対して,須恵器は窯内で還元炎焼成された。須恵器の窯は,焚口から煙出しまで原則としてひとつながりのトンネル状を呈し,一般に窖窯(あながま)と呼ぶ。全長8~10m,床(最大)幅2~3m,天井(垂直)高1.5m前後の大きさを標準とし,時代や地方によって若干の差異がある。床面傾斜については,ほぼ水平のものから40度前後の急傾斜のものまでさまざまだが,構造上の基本は同じであり,床面傾斜角をもって登り窯,平窯などと呼び分けた過去の用語は避けたい。江戸時代から明治にかけて,須恵器は行基(ぎようき)焼,祝部(いわいべ)土器などと呼ばれ,一部の文人,茶人間で関心を呼んだが,学術研究の対象として取り上げるようになったのは大正以後である。器形,用途論に始まった研究も,近年は年代や生産流通などの問題に対する考古学的研究の資料として,本格的な取組みがなされるようになった。

 須恵器はその用途から,貯蔵,供膳(きようぜん),調理などの日用品と,葬祭供献用との二つに大別できる。器形は,壺,瓶,甕,鉢,杯(つき)(坏),高杯(たかつき),盤・皿などの種類があり,形態の大小や口頸部の変化などに対応してさらに細分されている。古墳時代の須恵器は,器形の大半が葬祭供献用に属し,飛鳥・奈良・平安時代には日用品が大多数を占めるようになる。

 大阪陶邑窯を中心に始まった須恵器生産は,数十年の間に東は東北の一部から西は北九州に及ぶ各地へ波及したが,初期の須恵器は器形の組合せや個々の器形の形態に伽倻地方の陶質土器と共通する点が多い。また,樽形壺や耳付四足盤など朝鮮陶質土器には認められるが,その後の須恵器にはみられない特殊な器形があり,陶邑窯と朝鮮陶質土器との密接な関係がわかる。生産地が拡散し,各地で須恵器生産が行われるようになった頃,器形の種類,組合せ,形態などが定型化し,以後日本の陶質土器として変遷を遂げていく。この須恵器の定型化する時期は,ほぼ5世紀末ごろとみられる。

 6世紀を迎える頃,各地に群集墳が出現する。群集墳の形成,盛行に伴い,副葬品としての須恵器に対する需要は増大し,生産地の増加や量産の傾向が強まる。生産工程のなかで,極力仕上げの技法を省略するため,全般に製品は粗略となる。また,高杯の脚部や𤭯(はそう)の口頸部が発達し,葬祭供献用としての装飾的な傾向が著しくなる。群集墳盛期の𤭯は,口頸部が異常に長大化し,逆に体部は極端に小型化して,容器としての機能をまったく失い,供献用の仮器としての役目を果たすにすぎなくなる。さらにこの頃,装飾付脚付壺など供献用の大型器形も盛んに生産されるようになる。

 飛鳥時代に入ると,新たな政治体制の下で宮廷儀礼の形式が定着し,やがてそれは地方へ波及し,さらには官僚貴族の生活にまで浸透していくが,須恵器もそれに伴って大きな変化を遂げる。器形の種類は盤・皿類,瓶などの供膳用が主体となり,古墳副葬用として盛行した高杯や𤭯は急減あるいは消滅する。このほか,仏教に関連した鉄鉢形の器形や浄瓶,水瓶,それに陶硯などが現れるのも,新しい時代の到来を反映している。奈良時代には,地方官衙の整備や国分寺の造営などに伴い,須恵器生産地はさらに増加し,旧一国に1~2ヵ所の生産地が現れる。

 しかし奈良時代の末期には灰釉・緑釉陶器の生産が始まり,その後中国からの輸入陶磁器も徐々に増加する動向の中で,須恵器生産はようやく衰退のきざしを見せる。平安時代に入って,灰釉・緑釉陶器の供給が盛んな畿内中枢部では,須恵器の器形は甕,瓶子などに限られるようになり,各種供膳用の器形は灰釉・緑釉陶器に代る。平安後期に入ると,輸入陶磁器が爆発的に増え,須恵器生産はまったく衰微していく。一方,各地方の須恵器生産は,平安時代に入ってもなお盛んであったが,やがて東北地方の須恵系土器や東海地方の山茶碗(やまちやわん)など,特色ある陶質土器の出現によって衰退する。須恵器の系譜をひくやきものは,中世まで生産されるが,岡山の亀山焼や能登の珠洲(すず)焼などはその類に属する。
瓷器(しき) →新羅土器
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「須恵器」の意味・わかりやすい解説

須恵器
すえき

一般的には、青灰色を呈し、堅く焼け固まった施釉(せゆう)しない素焼(すやき)の焼物であるということができるが、赤褐色を呈するものや、美しい自然釉が認められるものもあり、かならずしも一定しない。古墳時代に朝鮮半島からその製作技術が伝えられたもので、構築した窯(窖窯(あながま))を有し、1000℃以上の高温で焼成することや、ろくろを使用し多量の製品を同一規格でつくりうることなど、従来の土器(土師器(はじき))にみられない画期的な焼物である。とくに保水性に富む利点は貯蔵容器として需要を拡大した。器種には、貯蔵容器たる甕(かめ)、壺(つぼ)、供膳(くぜん)容器たる蓋坏(ふたつき)、高坏(たかつき)、器台、鉢など、煮沸容器として甑(こしき)がおのおのみられる。

 製作技術は、遺物の近似することなどから、朝鮮三国時代の百済(くだら)、新羅(しらぎ)、伽倻(かや)地域からもたらされたとされるが、時期は4世紀末から5世紀後半までの間、諸説があり一定しない。文献史料からは『日本書紀』垂仁(すいにん)天皇3年の一云条に「近江国(おうみのくに)鏡(かがみ)村の谷の陶人(すえびと)は則(すなわ)ち天日槍(あめのひぼこ)の従人(つかいびと)なり」とある。さらに雄略(ゆうりゃく)天皇7年是歳(ことし)条には「新漢陶部高貴(いまきのあやのすえつくりこうき)」の名がみえる。前者は滋賀県蒲生(がもう)郡竜王町所在の鏡窯址(ようし)群を示すものと考えられるが、古くさかのぼる須恵器窯址は確認されていない。後者の故地は不明であり、両記事ともあいまいな点が多く、確たるものとはなりえない。須恵器は北海道を含む全国各地の遺跡から出土しており、その検討が年代、性格推定の重要な資料となっている。とくに規格性に優れる点から、その比較検討が可能で、主たる研究が型式編年の確立に向けられてきた。代表的な生産跡としては、大阪府陶邑(すえむら)窯址群、桜井谷窯址群、愛知県猿投山(さなげやま)西南麓(ろく)窯址群、岐阜県美濃須衛(みのすえ)窯址群、香川県陶邑窯址群、兵庫県札馬(さつま)窯址群などがある。なお平安時代の税、調として須恵器を貢納した国は『延喜式(えんぎしき)』によると、「和泉(いずみ)、摂津(せっつ)、山城(やましろ)、美濃(みの)、讃岐(さぬき)、播磨(はりま)、備前(びぜん)、筑前(ちくぜん)」の各国であった。

[中村 浩]

『中村浩著『須恵器』(1980・ニュー・サイエンス社)』『田辺昭三著『須恵器大成』(1981・角川書店)』『楢崎彰一編『世界陶磁全集2 日本古代』(1979・小学館)』『原口正三著『日本の原始美術4 須恵器』(1979・講談社)』


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百科事典マイペディア 「須恵器」の意味・わかりやすい解説

須恵器【すえき】

古墳時代中頃から奈良・平安時代以後まで作られた灰黒色の陶質土器。古くは〈陶器〉とも記し,祝部(いわいべ)土器とも称した。轆轤(ろくろ),登窯(のぼりがま)を用い,1000℃以上の高温の還元炎で焼き締めたもの。吸水性が少なく,硬い。製作技術は,朝鮮の新羅(しらぎ)土器の流れをくむもので,初期の器形・技術は新羅焼と区別しにくい。代表的器形は,坏(つき),高坏(たかつき),【はそう】,壺,器台など。
→関連項目伊賀焼祭祀遺跡猿投窯陶邑古窯址群瀬戸焼陶棺陶質土器吉見の百穴

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「須恵器」の意味・わかりやすい解説

須恵器
すえき

古墳時代の後半から日本でつくられた陶質の土器。祝部土器(いわいべどき)とも呼ばれた。青黒色,硬質で,弥生土器土師器とはその系統を異にする。『日本書紀』には新羅からの渡来人によってつくられたのが始まりとあり,朝鮮でその祖形がみつかっている。須恵器を焼いたは長さ約 6~7mの窖窯で,今日「すえ」の地名のあるところには,須恵器の窯跡が発見されることが多い(→陶邑古窯址群)。器形には,かめ,高坏,器台などがある。特別なものとしては,大きな高坏に小さな高坏を取り付けたものや,人物像を取り付けたもの,鳥形や家形のものなどがある。食器,祭器として使用された。(→日本工芸

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「須恵器」の解説

須恵器
すえき

古墳~平安時代に製作された青灰色あるいは灰黒色を呈する硬質の土器。壺・甕(かめ)・坏(つき)・高坏(たかつき)・器台・𤭯(はそう)・瓶(へい)類など各種の器形がある。朝鮮半島の陶質土器に直接の源流をもち,5世紀初め頃朝鮮半島南部から製作技術者が渡来して生産が開始されたと考えられる。それまでの土器製作との大きな違いは,轆轤(ろくろ)の使用と窯(かま)による焼成である。轆轤は規格化された製品の生産を可能にし,また大量生産にもつながった。焼成はそれまでの野焼きによる酸化焔焼成ではなく,山の斜面などに築かれた登窯(のぼりがま)を用いた還元焔焼成で行われた。須恵器の生産は専門の工人によったため生産地が限定される。大阪府の泉北丘陵にある陶邑窯跡(すえむらかまあと)群は須恵器生産が開始されたところで,その後日本最大の須恵器生産地として栄えた。初期の須恵器生産地は陶邑などごく限られていたが,6世紀以降,各地に窯が築かれた。当初は主として副葬用や祭祀用に作られたが,8世紀頃から日常雑器として一般に普及する。生産地が限定されており,また編年研究が進んでいることから,遺構の年代決定や,流通を通しての社会組織の解明に有効。

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旺文社日本史事典 三訂版 「須恵器」の解説

須恵器
すえき

古墳時代中期から鎌倉時代ころまで使用された陶質土器
中国の灰陶 (かいとう) の技術が朝鮮を経て伝来。土師 (はじ) 器と異なり,轆轤 (ろくろ) を利用し,登窯 (のぼりがま) により,1200℃くらいの高温で焼成された。黒灰色の硬質の土器。

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防府市歴史用語集 「須恵器」の解説

須恵器

 青い色の土器で、古墳時代に朝鮮半島からもたらされました。ろくろを使って形を作り、窯[かま]で焼きます。専門の工人が作っていたようです。律令[りつりょう]時代にも作られますが、次第になくなります。

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世界大百科事典(旧版)内の須恵器の言及

【須恵器】より

…大阪陶邑(すえむら)窯に始まり(陶邑古窯址群)(図),生産地はやがて東海,四国,九州などの各地へ拡散していく。奈良~平安時代には〈陶器〉と表したが,釉薬をかけた陶器との混乱をさけ,考古学では須恵器と書き,〈すえのうつわ〉ともいう。 須恵器の成形法は,粘土紐積上げが基本である。…

【窯】より

…平安時代の土師器窯に石川県小松市戸津古窯跡群がある。多数の須恵器窯跡群の下方斜面に群在し,幅・奥行きとも1.5~2mの馬蹄形の平面の半地下式窖窯である。床面は水平に近く,なかには溝状の細長い煙道をもつものがある。…

【古墳文化】より

… 大陸から渡来した工人たちは,製陶術のうえにも著しい改革をもたらした。須恵器の製法の移入がそれである。ろくろを使用する量産的方法によって成形し,登窯(のぼりがま)を用いて1000℃以上の高火度で焼成した須恵器は,在来の土師器にくらべて,はるかに堅く吸水性の少ない,すぐれた土器であった。…

【新羅土器】より

…この段階では,洛東江西岸地域に分布する伽耶土器とは,器形,胎土,文様のうえできわだった差異がみられる。日本の須恵器の生産技術はそうした洛東江流域の伽耶地方から伝えられた。このころ新羅土器には顕著な地域性がみられる。…

【陶作部】より

…大化前代の職業部で須恵(陶)器の製作に従事。須恵器の源流は朝鮮半島南部に求められている。…

【陶磁器】より

…九州では突帯文と彩色が,畿内から東海では櫛目文が,関東以北では縄文の伝統を引いた縄目文が卓越するが,こうした地域色も後期には衰退し,全国的に無文化する傾向がみられるようになる。
[古代]
 弥生時代に続く古墳時代から平安時代までの古代850年余の間に登場したやきものには,土師器(はじき),黒色土器,須恵器,三彩・緑釉陶器,灰釉陶器などがある。これらの土器,陶器は古墳時代に入って一斉に出現したものではなく,古代国家の発展に即して相継起して登場したものであり,中国,朝鮮など古代アジアの先進諸国家のやきものにその源流がある。…

【土器】より

…耐熱性の強い素地を用いて1000℃以上(1100~1300℃)の高温で焼き上げた,多孔質でない焼物(たとえば備前焼など)は炻器(せつき)と呼ばれる。考古学では,この種のもの(朝鮮半島の新羅(しらぎ)土器,日本の須恵器)も土器に含めるか,あるいは陶質土器と呼ぶことが多い。陶器は,やはり粘土を材料とし,器壁は多孔質だが器表は釉薬(うわぐすり∥ゆうやく)のガラス質に覆われており,多孔質ではない。…

※「須恵器」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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