高宗(中国、唐)(読み)こうそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高宗(中国、唐)」の意味・わかりやすい解説

高宗(中国、唐)
こうそう
(628―683)

中国、唐朝第3代の皇帝(在位649~683)。姓名は李治(りち)。太宗の第9子。4歳で晋(しん)王に封ぜられる。16歳の年、長兄承乾(しょうけん)太子が謀反の理由で廃されると、外戚(がいせき) 長孫無忌(ちょうそんむき)の後援と仁孝の評判によって兄たちを差し置いて皇太子にたてられた。太宗の死によって22歳で即位永徽律令(えいきりつりょう)格式(651)、律疏(りつそ)(653)の選定や『五経正義』の頒行(はんこう)(653)などにより、国制の整備を推進し、ついに666年には泰山で封禅(ほうぜん)を挙行した。他方、父太宗の失敗した高句麗(こうくり)に対する侵攻も668年平定に成功し、西域(せいいき)にも進出して唐の武威は四囲に広がった。しかし、655年王后を廃し武氏(則天武后)を后(きさき)にたててからは、漸次武后が権を握るようになり、やがて長孫無忌が殺され、皇族も次々と実権を奪われた。33歳のとき発病してからは、政務いっさいは武后の処断にゆだねられ、統治の実質は武后時代と認められる。乾陵(けんりょう)に葬られ、のちに武后もここに合葬された。

[池田 温]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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