国際通貨基金(IMF) 国際金融システムの中核機関。190カ国が加盟し、本部を米首都ワシントンに置く。世界経済の成長予測を公表するほか、定期的に加盟各国の経済状況を点検して助言、監視する。危機に陥った国に対して融資なども実施。ロシアの軍事侵攻後にはウクライナを支援している。トップの専務理事はブルガリア出身のゲオルギエワ氏。(ワシントン共同)
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国際通貨基金International Monetary Fundの略称。国際連合の専門機関。本部ワシントン。加盟国数184ヵ国(2005年9月現在),加盟国割当総額(IMF協定により5年ごとに見直される)は3120億ドル(2005年9月)。1944年7月アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズでの連合国通貨会議において第2次大戦後の通貨体制(ブレトン・ウッズ体制)が合意された。この合意(ブレトン・ウッズ協定)に基づきIMFは45年12月に設立され,47年3月1日に業務を開始した。国際復興開発銀行(世界銀行)とともにブレトン・ウッズ機構と呼ばれ,戦後の世界経済発展のために最も重要な役割を果たした国際機関である。
IMF設立の目的は,1930年代における保護貿易主義と為替切下げ競争の苦い経験にかんがみ,為替相場の安定と為替制限の撤廃をはかることにより,高水準の雇用と実質所得の増進を達成しようとするものであった。安定的為替相場実現のためには,加盟国に金(実際は金との交換性を同意した米ドル)を尺度として平価を設定させて上下1%の範囲内に維持させる固定相場制を採用し,その変更は,国内均衡を犠牲にしなければ国際均衡を回復できないいわゆる〈基礎的不均衡〉にある場合にのみ許されることとした。また国際収支の均衡回復までの期間,国際収支の赤字をファイナンスするために外貨を必要とするとき,IMFが当該国の財政金融政策に注文をつけると同時に,IMFから借入国は自国通貨を代償に,交換可能通貨の購入ができる形をとり,通常3年ないし5年の融資を受けられることとした。
IMFの組織は,加盟国の通常,大蔵大臣または中央銀行総裁によって構成される総務会と,ワシントンにある常設機関である理事会,専務理事,職員によって構成されている(このほか重要事項を討議するための暫定委員会が1974年の総会決議によって設立されている)。その議決方法は,まず各国がすべて基本票250票をもつほか,経済力を反映した出資額に相当する割当額(クオータquota)に比例した票数をもつことが特色で,重要事項の決定は通常85%の同意を必要とするため,アメリカ,EU,発展途上国はそれぞれ実質上の拒否権をもっているといえる。
日本のIMF加盟は1952年であるが,数次にわたる増資における割当増をへて,出資順位は加盟時の9位から99年発効の第11次増資の結果,アメリカに次ぎ2位となった。
IMFは,アメリカが軍事的,経済的に圧倒的優越を示した1950年代までは,きわめて信認の高かった米ドルを基軸通貨key currencyとして,みごとに世界の経済成長に寄与した。しかし,50年代の後半には,それまでIMFを中心的に支えていたアメリカの地盤低下に加え,ヨーロッパ諸国が力強い復興により通貨の交換性を回復し8条国(IMF協定上,戦後の過渡期において国際収支上の理由から例外的に為替制限の維持を認められている国を14条国,協定どおり,これらの制限の除去の義務を受諾した国を8条国という)に移行し,日本も遅ればせながら64年に8条国に移行するに及び,ドルの信認低下に対処するための施策が中心課題となった。かかる背景のもとに先進諸国は,金相場安定協定,金プール協定,中央銀行間のスワップ協定,金の二重価格制,利子平衡税(アメリカ)等をつぎつぎに打ち出したが,IMF自身としても,1962年には従来の資金源の枠外に,主要加盟国10ヵ国(アメリカ,イギリス,西ドイツ,フランス,イタリア,日本,カナダ,オランダ,ベルギー,スウェーデン)による発足時60億ドルのいわゆる一般借入取決め(GAB)によるスタンドバイ形式の資金(スタンドバイ・クレジット)増加を決定し,大口貸出しに対処することにした。この構成メンバーである10ヵ国(G-10)は,その後の通貨制度改革や国際金融上の重要事項決定につき随時会合し(10ヵ国蔵相会議),大きな役割をもつに至った。
さて,国際流動性の主要供給源としては戦後一貫して米ドルの増加に頼ってきたが,そのためにはアメリカの国際収支が赤字にならなければならず,一方,アメリカの赤字はいっそう米ドルの信認を低下させるという〈流動性ジレンマ〉が生ずる。そこで米ドルの流出によらず無条件流動性創出を可能とする補完的新準備資産の必要性が論ぜられ,新たにSDR(特別引出権)の創出が67年に決定された。しかしアメリカ経済は,ベトナム戦争や“グレート・ソサエティ(偉大な社会)”のための財政赤字を反映し,インフレ激化が進み国際収支の赤字が増大し,ドル危機の様相はいっそう深刻化した。かかる背景のもとに71年8月15日ニクソン大統領は新経済計画の一環としてドルと金の交換性を停止し,ドル切下げの実質的意味をもつ10%の輸入課徴金賦課を発表し,世界に大衝撃を与えた(いわゆるニクソン・ショック)。これに対応し西欧主要国,次いで日本も変動相場制に移行し,固定相場制を基礎とするブレトン・ウッズ体制は,アメリカの一片の通告によりもろくも崩壊した。もっとも当時は変動相場制は為替相場の多角的調整のための緊急避難的事態と考えられ,同年12月にはワシントンのスミソニアン博物館において,米ドルの切下げを含む主要国の中心相場が合意され,いちおう固定相場制に復帰した(いわゆる〈スミソニアン合意〉)。しかしそれも長くはもたず,ドル不安の再燃に伴う73年2月の米ドルの第2次切下げを契機として,為替相場は市場の実勢にまかせることを原則とする〈全面フロート制〉の時代に突入した。それと並行してIMFおよびその加盟国は,ブレトン・ウッズ体制を根本的に見直し,新しい国際通貨制度構築のため〈国際通貨制度改革のための委員会〉(通称20ヵ国委員会)を1972年に創立し,固定相場制にもとづく国際収支調整過程の改善および管理可能な国際流動性につき検討を重ねたが,73年秋の石油危機の結果,世界的インフレ格差の増大,産油国の調整不可能な黒字の出現等のため,全面的改革案を見送り,74年6月暫定策を勧告するにとどまった。その後75年11月の先進国首脳会議(ランブイエ・サミット)において,当分の間変動相場制を採用するもやむをえないといういわゆる〈ランブイエ合意〉といわれる米仏間の妥協が成立し,翌76年ジャマイカにおける暫定委員会で新協定が決定され(ジャマイカ合意),78年4月に発効した。改定協定の重要内容は,(1)変動相場制を公認したこと,(2)金の役割を縮小し,SDR本位制としたこと,(3)85%の同意があれば固定相場制に復帰しうること,である。
IMFの役割の変遷は時代の移り変りにより変化してきており,発展途上国のための補足融資supplementary financingの創設(1979)等のほか,発展途上国の累積債務問題についての緊急措置等重要な役割を果たすようになった。とくに1982年に深刻化したメキシコの通貨危機をきっかけとして,中南米諸国など多くの発展途上国で,世界銀行などと協力してその対応に追われた。91年のソ連邦崩壊を契機に旧ソ連構成国もIMFに加盟し,ほぼ全世界の国が参加する機関となったが,ロシアをはじめとする東側諸国への支援も重要な課題となっている。
→国際通貨制度 →ブレトン・ウッズ体制
執筆者:鈴木 秀雄
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(絹川直良 国際通貨研究所経済調査部長 / 2007年)
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国際通貨基金(International Monetary Fund)の略称。ブレトン・ウッズ協定にもとづき国際復興開発銀行とともに1945年設立された国際連合の専門機関。第2次大戦前の自国本位の為替操作の弊害の反省に立ち,固定為替レートの維持,国際収支均衡にむけた短期融資を目的として,47年約77億ドルを資金に業務開始。本部はワシントン。加盟国は一定の出資額を拠出するが,外貨の借入ができる。さらに金1オンス=35ドルの米通貨を基準に自国通貨の為替レートを決定・維持する義務を負う。平価の変更には承認を必要とする。日本は52年(昭和27)加盟を承認された。
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…1944年アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズにおいて連合国通貨金融会議が開催され,通常ブレトン・ウッズ協定Bretton Woods Agreementsと呼ばれる二つの協定が締結された。この協定にもとづいて,46年6月に国際復興開発銀行(いわゆる世界銀行,IBRD)がその業務を開始し,翌47年3月に国際通貨基金(IMF)が同じく業務を開始した。ここに戦後の国際通貨体制を支える中心的機構が確立されたのである。…
…またラテン・アメリカ諸国はこの時期に輸入代替的工業化に着手している。 第2次大戦終了を機にIMF(国際通貨基金),GATT(ガツト)(関税・貿易に関する一般協定),世界銀行(国際復興開発銀行)を3本柱とするブレトン・ウッズ体制が成立した。初期にはそれぞれ十分な機能を果たせず,アメリカの強いドル,片務的な自由貿易促進,巨額の援助によってそれぞれが補われたが,西ヨーロッパの復興が成り,いろいろな統制が撤廃され,貿易や為替の自由化が進んでくると,この体制のもとで世界貿易は第2の拡大期を経験した。…
…単にJC(Japanese Committeeの略)ともいう。1964年5月,国際金属労連日本協議会(IMF‐JC)の名称のもとに,IMF(International Metalworkers’ Federation,国際金属労連)の日本における国際連帯の窓口として発足。75年12月現名称に変更(IMF‐JCという名称はそのまま)。…
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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