奈良盆地(読み)ナラボンチ

デジタル大辞泉 「奈良盆地」の意味・読み・例文・類語

なら‐ぼんち【奈良盆地】

奈良県北西部の盆地。東を大和高原、西を生駒・金剛山地に囲まれる。古代に都城の置かれた地で、藤原宮跡・平城宮跡などがある。大和盆地

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百科事典マイペディア 「奈良盆地」の意味・わかりやすい解説

奈良盆地【ならぼんち】

奈良県北西部の盆地。大和盆地とも。東は春日山断層崖,西は生駒・金剛山地に限られる地溝盆地で,面積約300km2,盆地底は標高100m以下。流入する諸河川天井川をなし,大和川に合流。古代文化は低湿地を避けて周辺部に発達,現在の主要都市も周辺に分布,県の行政・産業・交通の中心をなす。溜池(ためいけ)が多く,米,スイカ・モモ・花卉(かき)栽培が盛ん。条里制遺構や史跡が多い。
→関連項目安堵[町]橿原[市]上ッ道・中ッ道・下ッ道河合[町]川西[町]上牧[町]広陵[町]御所[市]桜井[市]新庄[町]高取[町]田原本[町]天理[市]奈良[県]奈良[市]奈良坂三宅[町]大和郡山[市]大和政権大和高田[市]

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改訂新版 世界大百科事典 「奈良盆地」の意味・わかりやすい解説

奈良盆地 (ならぼんち)

奈良県北西部にある盆地。大和平野,大和盆地ともいう。また古代に藤原京平城京が造営された地で,大和国の中心をなしてきたため現在でも国中(くんなか)の称がある。《古事記》景行天皇条に〈青垣 山ごもれる 大和しうるはし〉とうたわれるように,東は笠置山地(大和高原)と春日断層崖,西は生駒・金剛両山地,北は奈良山丘陵,南は竜門山地によって囲まれる。盆地は東西約13km,南北約30kmで,面積は県域の1/10強でしかないが,奈良市のほか橿原(かしはら)市,大和郡山市,天理市,大和高田市,桜井市,御所(ごせ)市など主要都市域の大部分が含まれ,人口の集中が著しい。盆地底は南端にある大和三山(天香久(あまのかぐ)山,畝傍(うねび)山,耳成(みみなし)山)以外は標高40~80mとほぼ平たんで,中央部へごく緩やかに傾斜しており,河合町川合付近で佐保川富雄川,秋篠(あきしの)川,竜田川,飛鳥川,曾我川,葛城川と初瀬(はせ)川などの河川が合流し,大和川となって大阪平野に流れ出る。かつて盆地中央部には奈良湖とでも称すべき湖沼地が広がっていたと推定されるが,洪積世以来河川の堆積作用によって埋積され陸化した。多くの河川があるにもかかわらずいずれも小規模なうえ,年降水量1400mm内外の寡雨地域のため灌漑用水を十分まかなえず,1万以上に及ぶ溜池や多くの横井戸,かくし井戸などがつくられてきた。また水田二毛作の先進農業地域であった盆地一帯では,用水不足に対して田畑輪換方式が採用され,かつてのワタやスイカ,第2次大戦後のイチゴのような商品作物栽培も行われてきた。しかし1950年代以降,吉野熊野特定地域総合開発事業の一環としての吉野川分水事業の完成(1984)によって,盆地の大部分で水不足は解消されつつある。

 盆地底には平城宮址,藤原宮址,石舞台古墳,高松塚古墳などの史跡や東大寺,春日大社などの古社寺が集中している。また古代の条里制の遺構や,南北方向の山辺(やまのべ)の道,上ッ道,中ッ道,下ッ道,東西方向の横大路などの幹線道路がその痕跡を残しており,京都,難波,中京方面との交流が盛んであったことを物語る。現在もJR,私鉄,高速道路など県内の交通路が著しく集中した地域で,1960年代以降生駒山地,金剛山地の東麓などで大規模な宅地化や工業用地化が進行し,かつての田園風景は急速に姿を変えている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「奈良盆地」の意味・わかりやすい解説

奈良盆地
ならぼんち

奈良県北西部にある構造盆地。面積約300平方キロメートル。南北に長い長方形で、肥沃(ひよく)な沖積層に覆われ、盆地底の標高は40~80メートルである。東方は春日(かすが)断層崖(がい)によって盆地と画される大和(やまと)高原、西方は大阪平野との間に断層地形の特徴を示す生駒(いこま)・金剛(こんごう)山地が南北に走り、北方は京都盆地と境をなす奈良山丘陵、南方は低山性の竜門山地など四周を青垣の山々に囲まれる。面積は県全体の8%にすぎないが、平坦(へいたん)で肥沃な沖積層は水田耕作に適し、古代は平城京などが造営され政治・文化の中心であった。現在も京阪神大都市圏との交通に恵まれ、奈良市のほか主要都市が立地し県内でもっとも集落・人口密度の高い地である。

 地質時代の第三紀鮮新世末に準平原状の地盤が地溝状に陥没し、他方、断層によって画された周囲の山地は隆起していった。沈降する盆地部は、隆起する山地から流出する土砂で埋積され、山麓(さんろく)に扇状地が形成された。大和高原南東隅から流れ出る主流の大和川は、盆地内の諸支流をあわせて西流し、亀ノ瀬峡谷を経て大阪平野から大阪湾に注ぐ。気候は温暖少雨で、寒暑の大きい内陸性を呈する。

[菊地一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「奈良盆地」の意味・わかりやすい解説

奈良盆地
ならぼんち

大和盆地ともいう。奈良県北西部にある断層盆地。面積約 300km2。北は奈良山丘陵,東は大和高原,南は竜門山地,西は生駒・金剛両山地に限られる。盆地底は標高 40~80mの平坦な沖積地で,大和川の諸支流が集る。五條市を除く奈良県内のすべての市が盆地上に立地し,古代から大和文化の中心地。気候はやや内陸性で寒暑の差が大きい。降水量が少いため,古くから多くのため池が造られ,灌漑用水に利用されている。近郊農業が盛んで,果樹,花卉,野菜を栽培。古代の条里制,中世の環濠集落の遺構や奈良,斑鳩,明日香,当麻,山の辺の道など史跡に恵まれ,盆地全体がさながら史跡公園の観を呈しているが,近年は宅地化,都市化が著しい。

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世界大百科事典(旧版)内の奈良盆地の言及

【田】より

…斑鳩(いかるが)宮が作られたころ,周辺の道路や耕地は後の条里制の方位とは違った基準に従っていた。その後,奈良盆地の耕地は東西南北に従って作られた道路を基準に条里制の形をとっていき,藤原京,平城京もその基準に従って作られる。722年(養老6)には墾田万町歩開墾が計画され,墾田開発の諸法も公布され,寺社の格,諸臣の位に応ずる墾田面積も定められた。…

【奈良[県]】より

…北半部が主として平地と丘陵性の山地からなるのに対して,南半部は壮年山地からなるという対照をみせる。北半部の中央には地溝性の奈良盆地が開け,周辺には東に笠置山地(大和高原),西に生駒山地,金剛山地など,主として花コウ岩からなる標高400~600m程度の丘陵性の山地が南北に連なる。奈良盆地は日本の古代史の主舞台で,6世紀末からの100余年間,南東部の飛鳥・藤原地区に初期の宮都が置かれ,続いて北部の現在の奈良市に710年(和銅3)平城京が営まれ約70年間繁栄した。…

※「奈良盆地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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