精選版 日本国語大辞典 「俳句」の意味・読み・例文・類語
はい‐く【俳句】
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〈俳諧の句〉を縮約した〈俳句〉という語は,俳諧集《尾蠅(おばえ)集》(1663),上田秋成の《胆大小心録》(1808)などに用例がある。しかし,江戸時代には一般化せず,この語が5・7・5音の組合せを基本にした定型詩を指すようになったのは,明治時代,すなわち正岡子規による俳句革新が行われた過程においてである。それまでは発句(ほつく)という言い方が普通であった。発句とはもともとは連句における最初の句だが,江戸中期以降,発句のみが単独に作られることが多くなっていた。1895年,子規は,〈俳句は文学の一部なり〉とはじまる《俳諧大要》を発表したが,彼の俳句革新とは,俳句を同時代の文学として把握することであった。従来の俳人たちの句を月並(つきなみ)と称してその文学性の貧しさを批判し,また,歌仙(かせん)などの連句を〈文学に非ず〉(《芭蕉雑談》1893)と否定した。近代文学の条件であるテーマの一貫性が連句にはないと見たのである。以上のような経過のうちに定着した俳句は,子規にはじまる近代の定型詩とみなしてよい。発句と俳句はその形式は同一だが,俳句はもはや連句の最初の句ではなく,それ自体で自立した詩となった。
子規のもとには,河東碧梧桐(へきごとう),高浜虚子,内藤鳴雪,夏目漱石らが集い,新聞《日本》や雑誌《ホトトギス》(1897創刊)を中心にその活動を展開した。こうして近代の文学として歩みはじめた俳句は,しかし,季語や切字(きれじ)を用いる点でも発句と同様であり,そのために前衛派と伝統派が生じた。子規は1902年に死去するが,その子規の死後に〈新傾向俳句〉を唱えて俳壇をリードした碧梧桐はその最初の前衛派であった。当時の自然主義に影響を受けて現実感を重視したこの派の流れは,荻原井泉水,種田山頭火らの〈自由律〉に至る。31年,水原秋桜子の虚子批判に端を発して〈新興俳句〉が生じたが,これもまた前衛派の運動であり,山口誓子,日野草城,石田波郷,西東三鬼,富沢赤黄男(かきお),渡辺白泉らがこの運動を担った。〈新興俳句〉でも現実感がなによりも重視され,篠原鳳作の〈しんしんと肺碧(あお)きまで海のたび〉のような無季句が書かれ,また,高屋窓秋の〈頭の中で白い夏野となつてゐる〉などの口語的作品が登場した。無季にしても口語にしても,俳句に現実感(時代性)をとりこもうとする試みであった。60年前後には,社会との主体的なかかわりを強調した金子兜太,鈴木六林男(むりお),能村登四郎,赤尾兜子らが活躍し,金子や赤尾の現代的なイメージを追求した作品は〈前衛俳句〉と呼ばれた。多行形式によって独自の俳句美を書きとめた高柳重信,〈昼顔の見えるひるすぎぽるとがる〉などの句で日本的風土とは異質の言語美をもたらした加藤郁乎,彼らもまた金子らとともに今日の前衛派をなしている。一方の伝統派は,俳句を〈花鳥諷詠〉と規定した高浜虚子に代表される。《虚子句集》(1928)の序によると,その〈花鳥諷詠〉とは四季の変化によって起こる自然界の現象,ならびにそれに伴う人事界の現象を諷詠することであり,俳句は古典的な季節詩ということになる。こうした俳句観は,評論《挨拶と滑稽》(1946)で俳句に〈滑稽〉〈挨拶〉〈即興〉の3要素を指摘した山本健吉などの理論に支えられている。山本が芭蕉などの発句を介してその理論を引き出したように,伝統派は発句と俳句をほぼ同一視している。虚子もさきの《虚子句集》の序で〈俳諧の発句,即ち今日いふところの俳句〉と述べている。
飯田竜太は,俳句は〈日本人なら誰もが持っている感性〉(《山居四望》1984)を基本とする詩だと説いているが,前衛派と伝統派の相克を通して,俳句はそうした共通の感性を不断に形成しているといえよう。中村草田男の〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉,加藤楸邨(しゆうそん)の〈鮟鱇(あんこう)の骨まで凍ててぶちきらる〉などは,俳句による日本人の感性の刻印であった。
執筆者:坪内 稔典
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
五七五の17音からなる日本独特の短詩。季語・切字を特徴とするが,季語を排した無季俳句や,定型を破って散文的な表現法をとる自由律俳句の主張もみられる。俳句は「俳諧の句」の略で,江戸時代には発句と連句の両方をさしたが,一般的ではなかった。明治期に正岡子規が「発句は文学なり。連俳は文学に非ず」(「芭蕉雑談」)として,付句を切り離して独立した発句を俳句とよび,これが定着した。子規没後はその門の双璧といわれた河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)・高浜虚子(きょし)が俳壇を二分して活動を継承。昭和期には新興俳句運動とよばれる新たな改革がおこった。第2次大戦後は俳壇も賑やかさをまし,俳句人口も広がって現在に至る。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…一定の季節と結びつけられて,連歌,俳諧,俳句で用いられる語を季語(または季題)という。少数の語の季語化は,《古今和歌集》以下の勅撰和歌集でなされていたが,季語化の意識が強くなったのは,四季の句をちりばめて成立する連歌においてである。…
※「俳句」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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