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アルプス アルプス Alps

翻訳|Alps

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アルプス
アルプス
Alps

フランスイタリア国境からスイスオーストリアを走る大山系の総称。ドイツ語ではアルペン Alpenフランス語ではアルプ Alpesイタリア語ではアルピ Alpi主として中生代古地中海であるテチス海に堆積した厚い地層が,古第三紀に激しい褶曲を受けて形成された。

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デジタル大辞泉の解説

アルプス(Alps)

ヨーロッパ中南部の褶曲(しゅうきょく)大山脈。フランス・スイス・イタリア・オーストリアにまたがり、長さ1200キロ。最高峰モンブランの標高4808メートルをはじめ、マッターホルンユングフラウなど四千メートル級の高峰がそびえる。
にならって、山脈状に連なる高山の称。日本アルプスニュージーランドアルプスなど。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
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大辞林 第三版の解説

アルプス【Alps】

フランス・スイス・イタリア・オーストリアの国境に連なって東西に走る新期褶曲しゆうきよく山脈。長さ約1000キロメートルで、西は地中海沿岸から東はウィーンの近くにまで達する。最高峰モンブラン(海抜4807メートル)をはじめマッターホルン・ユングフラウ・アイガーなど、4千メートル 級の高峰がそびえる。南北ヨーロッパを分ける大分水界をなし、氷食地形が多く世界的な観光地。別名、アルペン(ドイツ)、アルプ(フランス)、アルピ(イタリア)。 〔「亜力伯」とも当てた〕

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アルプス
あるぷす
Alps

ヨーロッパの中部、南部に、弧状に連なる大山脈。「アルプス」は英語読みでドイツ語ではアルペンAlpen、フランスではアルプAlpes、イタリアではアルピAlpiとよばれる。ケルト語で山を意味するalbまたはalp、ラテン語で白を意味するalbが語源といわれ、氷雪に覆われた白い山という意味で名づけられたようである。ヨーロッパでは森林限界をぬきんでたアルプスのような山岳だけが高山とよばれたため、アルプスは高山の代名詞となり、ヨーロッパ以外でもアルプスと類似した景観を示す山岳にはアルプスの名がつけられた。たとえばニュージーランド・アルプス、日本アルプスなどがそれである。また「アルプスの」という形容詞(英語ではアルパイン)も高山や山岳をさすことばとなり、アルパイン・フローラといえば高山植物アルパイン・クラブは山岳会を意味する。[小野有五]

自然

アルプスはヨーロッパの地中海岸に始まりフランス―イタリア国境に沿って北に延び、フランス―スイス国境付近からは東に方向を変え、スイスとオーストリアの大部分を占めてウィーン西郊まで及ぶ。長さは約1200キロメートル、幅は130~200キロメートル以上に達し、最高峰のモンブラン(4808メートル)はヨーロッパでもっとも高い。
 アルプスの東への延長はドナウ川の谷を隔ててカルパティア山脈に連なり、また南東にはアドリア海に沿うディナル・アルプス、ギリシアのピンドス山脈へと続く。この山系はさらにトルコのトロス山脈を経て、カフカス山脈とイランのアルボルズ山脈、ザーグロス山脈などに分岐したあと、ヒマラヤ山脈の西端をなすヒンドゥー・クシ山脈でふたたび一つにまとまり、長大なアルプス・ヒマラヤ山系を形づくっている。
 東西に長く延びるアルプスは、気候の境界となるだけでなく、ヨーロッパの歴史や文化に大きな影響を与えた。とくにアルプスの南側に広がるラテン的世界と、北側のゲルマン的世界の対照は著しい。しかし、更新世(洪積世)の氷期に幾度も氷河の侵食を受け、広いU字谷や低い氷食鞍部(あんぶ)(峠)をもつアルプスの通過はけっして困難なものではなく、アルプスの谷には有史以前から人々が住み着き、ブレンナー峠をはじめとするアルプスの峠はヨーロッパの南北を結ぶ古くからの交通路であった。しかしアルプスを大きく発展させたのは、18世紀なかば以降のアルピニズムと、その後に続くウィンタースポーツとしてのスキーの発展であり、トンネル、自動車道、ロープウェーなど交通網の整備と、ホテルや民宿など宿泊施設の充実によって、アルプスは世界屈指の観光地、保養地として繁栄するに至っている。[小野有五]
地質
アルプスは中生代から新生代第三紀にかけてのアルプス造山運動によってつくられた地質構造をもち、山脈を構成する岩石は山脈の走る方向にほぼ平行する明瞭(めいりょう)な帯状分布を示す。それらは、北側(または西側)より南側(または東側)に向かって、外帯、中央帯、内帯に区分され、西部アルプスから中部アルプスにかけては外帯と中央帯が、東部アルプスでは内帯が広く露出する。全体として南側(東側)の地塊が北側(西側)に向かって大規模に衝上(しょうじょう)した複雑な褶曲(しゅうきょく)構造をもっており、北側(西側)では、南側(東側)から数十キロメートルにもわたってほぼ水平に移動してきた地層が、本来はそれより新しい地層の上にのしあがっている。これは、かつての地中海の海底に次々と堆積(たいせき)した地向斜堆積物が、北上してきたアフリカ大陸のプレートと北側にあるユーラシア大陸のプレートとの間に挟まれて圧縮され、巨大な力で北(または西)へ押し上げられたことを示すものと考えられている。北側(西側)に凸面を向けたアルプスの外形も、こうした押し上げを裏づけるものである。山脈のもっとも高い部分(モンブラン山群、ペルブー山群、ベルナー・アルプスの一部など)にはアルプスの著しい隆起によって、アルプスの基盤をなすヘルシニア(バリスカン)造山期の花崗岩(かこうがん)や片麻岩(へんまがん)が露出するが、そのほかは、褶曲・衝上構造をもつ石灰岩、結晶片岩などの堆積岩や変成岩が山地をつくっている。[小野有五]
地形
アルプスが急激に隆起して、現在みるような平均高度2500メートル程度の山脈となったのは第三紀末ごろと考えられており、第四紀に入ると氷期にはアルプス全体が氷河に覆われ、その侵食を受けた。氷河は谷を流下して山麓(さんろく)にまで及び、ミュンヘンやリヨン、コモ湖などの周辺で山麓氷河をつくっていた。アルプスの地形はその地質構造をよく反映しており、山脈に平行した細長い谷(縦谷)は、帯状に分布する侵食に弱い岩石が、氷河によって選択的に削られて生じた谷であり、山脈を横切る谷(横谷)は、山脈を横断するような断層や断裂の方向に沿う侵食によるものである。[小野有五]
景観・植生
アルプスの景観は、氷河によって削られた険しい岩壁や尖峰(せんぽう)(ホルン)、針峰(エギュイーユ)、深いU字谷、氷河湖、カール(圏谷)などの氷河地形と、現在もなお山地の高所を覆う氷河、森林限界の上に広がる高山草原などによって特徴づけられる。高山草原はドイツ語でアルムalm、フランス語でアルプalpとよばれ、夏季の放牧地として重要である。氷河によって広げられたU字谷は、上流―下流方向にはいくつもの急傾斜部と緩傾斜部とをもつ階段状地形(氷食谷階段)を呈するが、谷底は平坦(へいたん)で開けている。そこに広がる牧草地や畑のなかに、教会の尖塔(せんとう)を中心として密集した家々からなるアルプスの村の景観は、真っ赤なゼラニウムの鉢を窓際のバルコニーに飾った伝統的な木造や石造の家屋とともに、アルプスの景観の重要な要素となっている。
 東西方向に延びる縦谷では、南向きの日向(ひなた)斜面と北向きの日陰斜面の対照が著しく、日向斜面では森林が伐採されて集落や牧草地となり、日陰斜面は森林となっていることが多い。したがってアルプスの植生や森林限界は、気候と人為的な作用の両者によって決められているといえる。気候的な植生の垂直分布帯は、丘陵帯(標高500~1200メートル)、山麓帯(800~1700メートル)、亜高山帯(1600~2400メートル)、高山帯(1700~2800メートル)の四つに区分される。丘陵帯は大部分が耕地化されており、自然植生はほとんどみられない。山麓帯はブナを主体とする落葉広葉樹林帯、亜高山帯はトウヒ、モミ、カラマツなどの針葉樹林帯に相当し、高山帯は森林限界と氷河や岩屑(がんせつ)斜面との間に広がる高山草原からなる。
 6月から8月にかけて、高山帯は色とりどりの高山植物の花で飾られる。雪解けとともに咲きだすのは白や紫色のクロッカスやピンクのサクラソウ、薄紫のイワカガミなどであり、ついでキンポウゲやハクサンイチゲが一面のお花畑をつくる。なかでも、白いウスユキソウ(エーデルワイス)、青いリンドウ(エンチアン・ブルー)、赤いシャクナゲ(アルペンローゼ)はアルプスの三名花として知られている。高山帯にはカモシカのほか、地面に穴を掘ってすむマーモット、夏冬で体色を変えるウサギやライチョウなどの動物が生息し、お花畑にはアポロチョウの名で知られるウスバシロチョウやミヤマモンキチョウが訪れる。[小野有五]
気候
アルプスは、南側の地中海性気候、西側の西岸海洋性気候、東側の大陸性気候の三つの気候の境界をなし、地域によってそれぞれの気候の影響を異なった割合で受けている。イタリア側では地中海性気候の影響が強く、夏の著しい乾燥と晴天、冬の降雪や降雨によって特徴づけられる。大陸性気候の影響が大きくなる東部では、夏に激しいにわか雨が降るが蒸発も早く、冬は著しく寒冷である。大西洋からの湿った風を受ける西部ではもっとも雨や雪が多く、内陸に入るにしたがって乾燥する。春先にアルプスを南から北へ越える熱く乾いた山越え気流はフェーンとよばれる。北側でフェーンの吹き下りる谷はほぼ決まっており、フェーンの通る谷は雪解けが早いので農業に適し、人口も多い。しかしアルプスを越える局地風には、ミストラル(南フランス)やボラ(アドリア海沿岸)のように冷涼な北風もある。アルプスではほぼ3000メートルより高い所では気温が低いために夏でも雪が降り、氷河が形成される。現在のアルプスの全氷河面積は約4000平方キロメートルで、これはアルプスの全面積の2%にすぎないが、大西洋からの湿った風を受ける西部アルプスや中部アルプスでは氷河が広く分布している。[小野有五]

地域区分と主峰


 アルプスは長大な山脈であるが、明瞭(めいりょう)な縦谷や横谷によっていくつもの山塊に分けられている。地質的には、ライン川の谷からシュプリューゲン峠を越えてコモ湖に至る谷を境として西部アルプスと東部アルプスに区分されるが、一般にはフランス―イタリア国境からフランス領内に広がる部分を西部アルプス、スイス・アルプスを中部アルプス、オーストリア・アルプスを東部アルプスとする区分が用いられている。ただし、西部アルプスと中部アルプスの境をシンプロン峠、中部アルプスと東部アルプスの境をスイス―オーストリア国境に近いレジア峠とすることもある。[小野有五]
西部アルプス
地中海岸から北へ、東に凸面を向けながら弧状に延び、フランス、スイス、イタリア国境で中部アルプスに連なるほぼ南北の山脈で、地形の非対称性が顕著である。西側(フランス側)が広い幅をもち、緩やかに低下するのに対して、東側(イタリア側)は幅が狭く、急傾斜でポー川の平原に落ち込んでいる。
 最南部の海岸アルプス(マリティーム・アルプス)はアルジャンテラ山群ともよばれ、主峰のアルジャンテラ山(3297メートル)を除くと大部分は3000メートル以下にすぎない。その北方にはイタリアのモンテ・ビーゾ(3841メートル)を主峰とするコチエンヌ・アルプスが続き、デュランス川の支流ユバイ川に沿って、エギュイーユ・ド・シャンベロン(3411メートル)など3000メートル級の山々が連なっている。デュランス川の谷の南東に位置するこれらの山脈はフランス南部アルプスともよばれ、地中海性気候の影響が強いために氷河は小さく、植生もまばらで荒涼とした山岳景観を呈する。アルジャンテラ山群だけは外帯の古い花崗岩(かこうがん)類からなる。デュランス川の西側ではこの花崗岩類が隆起によって広く露出し、ペルブー(エクラン)山群をつくっている。主峰はバール・デゼクラン山(4102メートル)で、ほかにもモン・ペルブー(3946メートル)、ラ・メージュ山(3983メートル)などの高山がそびえ、氷河も多い。ペルブー山群からコチエンヌ・アルプスにかけてはドフィーネ・アルプスともよばれ、発展が遅れていたが、近年は別荘地やスキー場の開発が盛んである。観光や産業の中心地はグルノーブルとデュランス川上流のブリアンソンで、後者はイタリア国境に近いことから軍都としての性格も備えている。デュランス川中流には巨大なダムと人造湖(セル・ポンソン湖)がある。
 ペルブー山群の北端はグルノーブルとブリアンソンを結ぶロータレ峠(2058メートル)で終わり、その北にはグランド・カッス山(3852メートル)を主峰とするバノワーズ山群と、イタリア側のグラン・パラディーゾ山(4061メートル)を主峰とするグレ・アルプスが続く。バノワーズ山群、ペルブー山群はその西端をグルノーブルのあるイゼール川の谷で限られ、イゼール川の西には外帯のもっとも外側(西側)に位置するフランス石灰岩アルプス(ベルコール山地、グランド・シャルトルーズ山地)が2000メートル級の山々を南北に連ねてアルプスの西を限っている。
 西部アルプスの最北端にあるモンブラン山群は、プチ・サン・ベルナール峠(2188メートル)の北側に連なり、最高峰のモンブラン、急な北壁をもつグランド・ジョラス山(4208メートル)のほか、エギュイーユ・デュ・ミディ山(3842メートル)、エギュイーユ・ベルト山(4122メートル)などの花崗岩類からなる針峰群がそびえている。高度が大きいために氷河も雄大で、メール・ド・グラス氷河は古くから観光地として名高い。モンブランのボソン氷河のように、急な山腹を1200メートル付近まで森林帯の中に流下している氷河もみられる。山麓(さんろく)のシャモニー・モンブランはアルプス最大の観光地であり、イタリア側とはロープウェーやモンブラン・トンネルで結ばれている。フランス石灰岩アルプスの北への延長は、シャンベリとレマン湖の間でダン・デュ・ミディ山(3257メートル)を最高峰とする2000メートル級のサボア・アルプスをつくっている。[小野有五]
中部アルプス
中部アルプスに入ると、アルプスはその向きを東西方向に変える。ほぼ北東―南西に延びるライン川とローヌ川の縦谷を挟んで、北側には外帯(ヘルベチア帯)のベルナー・オーバーラント山群(ベルナー・アルプス)とグラリス・アルプス(グラナー・アルプス)、南側には中央帯(ペニン帯)のワリス・アルプス(ペニン・アルプス)とテッシン・アルプス(レポンティエンヌ・アルプス)、アドゥラ・アルプスが連なる。
 ベルナー・オーバーラント山群はスイス平原にもっとも近く、いきなり4000メートル級の山々がそびえ立っているために古くから開けた。北麓のグリンデルワルトは有数の観光地であり、ユングフラウ山(4158メートル)の肩(ヨッホ)まで登山電車が通じている。主峰はフィンスターアールホルン山(4274メートル)で、北壁で名高いアイガー山(3970メートル)、シュレックホルン山(4078メートル)、ウェッターホルン山(3701メートル)など多くの名山があり、またアルプス最大のアレッチ氷河もここにある。グラリス・アルプスはベルナー・オーバーラント山群の東の延長で、テディ山(3614メートル)を主峰とするほぼ2000メートル級の山地である。ローヌ川の縦谷の南側に連なるワリス・アルプスには、西からグラン・コンバン山(4314メートル)、ダン・ブランシュ山(4357メートル)、マッターホルン山(4478メートル)、ワイスホルン山(4505メートル)、最高峰のモンテ・ローザ(4634メートル)など4000メートル級の高峰がずらりと並び、西部アルプスの中心をなしている。マッターホルン北麓のツェルマットは有名な観光地で、ゴルナー氷河への登山電車も通じている。モンテ・ローザは中央帯の花崗岩類からなるが、マッターホルンやダン・ブランシュ周辺は、内帯から北へ衝上してきた結晶片岩などの根無し山塊(クリッペ)である。
 ワリス・アルプスの東の延長は3000メートル級の山々からなるテッシン・アルプスで、フォーダー・ライン川の谷に沿うアドゥラ山群に連なっている。アドゥラ山群の主峰ラインワルトホルン山(3402メートル)はライン川の水源の山である。シュプリューゲン峠(2113メートル)から東の中部アルプス(グラウビュンデン・アルプス)は、地質的にはすでに東部アルプスの性格をもち、山容もまた、豊かな氷河をもつ中部アルプスの山々とはやや異なってくる。しかしコモ湖からイン川の上流、エンガディンの谷へ連なる縦谷の南側に連なるベルニーナ・アルプス(レーティック・アルプス)は、主峰ピッツ・ベルニーナ山(4049メートル)を抱き、氷河も多い。北麓のサン・モリッツは有名なスキー場であり、また付近はアルプスを描いた画家セガンティーニのいた所でもある。エンガディンの谷の北側では、レーティコン山群とシルブレッタ山群がほぼ3000メートル内外の峰々を連ねてオーストリアとの国境をなしている。山麓にあるダボスはサナトリウムやスキー場で知られ、トーマス・マンの小説『魔の山』の舞台となった。[小野有五]
東部アルプス
東部アルプスは、ほぼオーストリア―イタリアの国境に沿って東西に延びる主として花崗岩類からなる主脈と、その南側と北側を並走する南北の石灰岩アルプスの三つの山列からなる。主脈は西から、イタリア領内にあるオルトレス・アルプス(主峰はオルトレス山、3899メートル)、エッツタール・アルプス(主峰はウィルトシュピッツェ山、3774メートル)、シュトゥバイ・アルプス(主峰はツッカーヒュットル山、3511メートル)と続き、ブレンナー峠(1370メートル)の東でホーエ・タウエルン山脈に連なる。ホーエ・タウエルン山脈は、西からチラータール・アルプス、フェネディガー山群、グロックナー山群、ゾンブリック山群など、3500メートルを超える山々が東西に連なり、東アルプスの最高峰グロースグロックナー山(3798メートル)もここにある。タウエルン峠の東では山地高度が2900メートル以下となり、ミュール川の縦谷によって山脈は北側のニーデレ・タウエルン山脈と、南側のケルントナー・アルプス、シタイリッシェ・アルプスに分けられる。
 北部石灰岩アルプスはオーストリア西部のアルゴイ・アルプスとレヒタール・アルプスに始まり、イン川の北側に延びる北チロール石灰岩アルプスと、ドイツ南部にまたがるバイエルン・アルプスに連なる。バイエルン・アルプスのツークシュピッツェ山(2963メートル)はドイツ領内の最高峰である。イン川の東ではホッホケーニッヒ山(2938メートル)、ダッハシュタイン山(2996メートル)などをもつザルツブルク・アルプスとなり、さらに東側で高度を減じるとオーストリア石灰岩アルプスとよばれ、最後はウィーン西郊の丘陵(ウィーンの森)で終わっている。
 南部石灰岩アルプスはイタリア側にある。それはコモ湖の東、ベルニーナ・アルプスの南に広がる2000メートル級のベルガマスク・アルプスに始まり、ブレンナー峠に続くアディジェ川の谷の東側でドロミーティ山地に連なる。ただし、ベルガマスク・アルプスとアディジェ川の間にあるアダメルロ山群(主峰アダメルロ山、3554メートル)は新期の花崗岩類からなる山地で、南部石灰岩アルプスよりもやや高い。ドロミーティ山地は南部石灰岩アルプスの中心で、最高峰マルモラーダ山(3342メートル)をはじめ、ドロマイト(苦灰岩(くかいがん))の侵食による垂直な岩壁を巡らした奇怪な岩峰が連なっている。その東方への延長はカーニック・アルプスで、さらにスロベニア北西端のカラワンケン山脈とユーリッシェ・アルプスへと続いている。東部アルプスの西半(東・西チロール州)と、現在はイタリア領になったドロミーティ山地周辺(かつての南チロール州)はチロール地方とよばれ、世界的な観光地、スキー場となっている。[小野有五]

生活と産業


生活
アルプスの住民はドイツ系、フランス系、イタリア系に分かれ、それに伴ってスイス中部以東ではドイツ語、以西ではフランス語、スイス南部以南ではイタリア語が用いられる。以上三つの主要言語のほかに、スイスのグラウビュンデン州だけで用いられている、ラテン語とイタリア語の混合したレト・ロマン語、クロアチア共和国のクロアチア語がある。宗教はカトリックが多いが、スイスではプロテスタントがほぼ同じくらいの勢力をもっている。
 アルプスの伝統的な生活様式は移牧を中心とする有畜農業であるが、その生活形態は交通機関や観光の著しい発展によって崩されつつある。しかし観光と結び付いているとはいえ、それぞれの谷に固有な民族衣装やダンス、ヨーデル、伝統的な家屋などがよく残されていることは、アルプスの大きな特色である。本村(冬村)は広いU字谷底や平坦地のあるU字谷の肩につくられ、夏の間家畜を放牧する夏村は、さらに高い高山草原につくられる。アルプへの家畜の移動とそこでの管理は村や協同組合を単位とする共同作業で行われ、数人の男たちが夏村の小屋(シャレ)に泊まり込んで、チーズやバターづくりを行い、それぞれの地域に特産のチーズがある。スイス、オーストリアではウシが多く、フランス、イタリアではヒツジが多い。ウシやヒツジの首につけられた鈴の音色は、アルプスの音楽の重要な要素であり、巨大なアルペンホルンやヨーデルも、夏の放牧生活のなかから生まれたものといわれている。冬村の周囲は牧草地となって、冬季の飼料としての干し草がつくられるほか、麦類、ジャガイモ、野菜などがつくられ、リンゴなどの果樹園も多い。ローヌ、アオスタなどの谷では夏の気温が上がるのでブドウの栽培も行われている。[小野有五]
産業
アルプスでは古くからある製紙業や繊維業、小規模ながら産出する石炭、無煙炭、鉄を利用した製鉄業、製錬業などが行われてきたが、近年では水力発電と交通機関の発展により、電気化学工業やボーキサイトの製錬業などが盛んになった。フランスではグルノーブル周辺やイゼール川の谷、スイスではワリス、アール、テッシンの谷、イタリアではアオスタの谷やボルツァーノ周辺などがその中心である。アルプスの水力発電は、起伏が大きくまた河川が氷河によって涵養(かんよう)されるために流量の変化が少ないなどの利点をもっており、各地に巨大なダムがつくられている。繊維業はアルプス南麓(なんろく)のトリノとミラノ、および西麓のリヨンが中心である。[小野有五]

アルプスの歴史


 アルプスの歴史は、ヨーロッパ南北を結ぶ峠の歴史でもある。ケルト人が全スイスに居住していたローマ時代以前に、すでにアルプス各地に10以上の峠道が存在していた。しかし、峠が歴史的に脚光を浴びるようになるのは、ローマ人によるガリア征服からである。カエサル麾下(きか)の猛将ガルバは、グラン・サン・ベルナール峠を越え、ワリス地方を征服したが、征服後に峠には神殿が建てられ、守備隊が配置された。アルプス以北にローマ植民市が次々と建設されると、ローマ軍道の西アルプスの主ルートはグラン・サン・ベルナール峠を、東アルプスの主ルートはサン・ベルナルディーノ峠を含んだビュンドナー峠を通った。これ以後、アルプス地域はヨーロッパの十字路となった。
 ゲルマン諸部族の進出、フランク王国成立後も、アルプスの峠は重要な地点であった。峠の維持は、神聖ローマ皇帝のイタリア政策の基本柱であり、また、キリスト教の進展に伴い、峠は巡礼の道にもなった。10世紀には、イスラムの勢力がアルプスにまで及び、峠越えは危険を伴った。972年、大諸侯をしのぐ地位にあったクリュニー修道院長さえ、グラン・サン・ベルナール峠越えの道でイスラム人に襲われ、莫大(ばくだい)な身代金をとられる始末であった。
 イスラムの後退後、峠はふたたび安全を取り戻し、峠には修道院が建てられ、宿坊も完備された。イスラムの後退は「商業の復活」を引き起こし、西ヨーロッパ各地に都市が勃興(ぼっこう)すると、アルプスの峠は重要な商業路となった。11、12世紀ごろより、ツェーリンク家をはじめとする封建諸侯がアルプスの谷間に植民活動をおこし、開発を行った。その結果、中央アルプスのサン・ゴタルド(サン・ゴタール)峠が1200年ごろ開削された。南ドイツと北部イタリアを最短距離で結んだこの峠は、商業の勃興により重要な峠となった。この峠の北の登り口にあったウリ、シュウィーツが、スイス国家誕生の地となったのは、峠の開削と無関係ではなかった。
 アルプスの峠がふたたび歴史の脚光を浴びるのは19世紀に入ってからである。ナポレオンはイタリアを支配する必要から峠道の道幅を広げて改修し、軍道として利用した。その結果、シンプロン峠には時刻表に基づく郵便馬車が走るようにもなった。ついで鉄道交通の時代を迎えると、1882年にサン・ゴタルド峠、1906年にはシンプロン峠の鉄道トンネルが完成し、スイス経済および観光の動脈が走ることになった。自動車交通の時代になって、20世紀後半に各峠に自動車トンネルもつくられた。1980年にはサン・ゴタルド峠にも自動車トンネルが完成し、冬に雪で閉ざされることもない一大動脈が南北ヨーロッパを最短距離で結ぶことになった。これは、アルプスの歴史の新しい幕開きとなるだろう。[森田安一]

アルプスの登山


 紀元前218年カルタゴの勇将ハンニバルが2万の歩兵、6000の騎兵、38頭のゾウを率い、アルプスを越えてローマ帝国に攻め入っている。しかし、一般には長い間アルプスは魔神のすみかとして恐れられ、登山の対象となったのは自然と人間の再発見がうたわれたルネサンス期に入ってからである。1388年アルプスの万年雪を踏破した記録に始まり、1492年にはドフィーネ・アルプスのモンテギュイーユがアントアーヌ・ド・ウィルらによって登頂されており、このときザイルが用いられたという。さらに1511年にはレオナルド・ダ・ビンチがモンテ・ボーに登っている。[徳久球雄]
近代登山の幕開き
アルプスの近代登山は、1786年スイスの学者オーラス・ベネディクト・ド・ソシュール(1744―1790)が、シャモニーのミッシェル・パッカールとジャック・パルマーの2人にモンブランを初登頂させ、翌年自らも第2登をしたことに始まる。科学調査や狩猟による登山ではなく、登山そのものを目的とした近代スポーツ登山はここに端を発した。1800年グロースグロックナー山が、1811年にはユングフラウ山が登頂され、やがて1854~1865年にわたるアルプス登山の黄金期を迎えて、アルプスの未踏峰が次々に征服された。A・ウィルスのウェッターホルン山(1854)、チャールス・バリントンのアイガー山(1858)、ハーディらのリスカム山登頂(1861)などイギリス登山家の活躍が注目された。1857年、世界最初の山岳会として英国山岳会が発足、続いてスイス、ドイツなどの山岳会が結成されていく。しかし、さしものアルプス黄金期も1865年のE・ウィンパーらによるマッターホルン山初登頂を最後に幕切れを迎えた。一行はJ・カレルらと先陣を争いながら9回目の挑戦でようやく登頂に成功するが、下山の途中スリップによるザイル切断のため7人のパーティー中4人が遭難死。このため登山が社会問題視され、一般の登山熱が一時期冷却した。[徳久球雄]
ママリズム
初登頂の時代が終わると、アルプス登山はA・W・ムーアらによるモンブランのブレンバ稜の初登攀(とうはん)(1865)をきっかけに、より困難なバリエーションルートによる登攀、より困難な冬季登攀にアルピニストの興味が移っていく。この思想的背景となったのはママリーで、彼はグレポン山、マッターホルン山のツムット稜(りょう)など難コースを登り、自然に挑む人間の意志と力の限界にまで登山活動を高めようとし、その思想はママリズムとして後の登山者に大きな影響を与えた。第一次世界大戦と第二次世界大戦の中間期、バリエーションルートの登攀はマッターホルン山、アイガー山、グランド・ジョラス山の三大北壁によって象徴されるといえよう。マッターホルン北壁は1931年シュミット兄弟により、グランド・ジョラス北壁は1935年ペーター、マイヤーらにより、アイガー北壁は1938年ヘックマイヤーらにより初登攀された。第二次大戦後はこれら北壁の冬季登攀が注目を浴び、1962年、1963年に次々と試みられ登攀に成功している。1965年になるとハーリン、ロビンスらにより、いかに困難であっても頂上目がけて直登する直登主義(ディレッティシマ)が提唱され盛んになっていった。
 アルプス登山の歴史はすなわち世界登山史の縮図で、これと同じ状況がいまやヒマラヤで展開されているといえよう。一方、アルプスでは、ユングフラウヨッホまでの鉄道(1912年完成)が通じており、美しい氷雪の山に、先鋭的アルピニストばかりでなく多くの観光客が登山できる施設とガイドが用意され、アルプスは世界の登山のメッカとして親しまれている。[徳久球雄]
アルプスと日本の近代登山
日本における近代登山の展開はアルプス登山によって触発されたもので、1921年(大正10)槇有恒(まきありつね)がアイガー東山稜初登攀成功後、近代登山技術や装備が日本に伝えられた。さらに7年後の1928年、浦松佐美太郎のウェッターホルン西山稜初登攀がある。そのほか松方三郎らの活躍も見逃せない。第二次大戦後も多くの日本登山家がアルプスで登山技術を磨き、世界の登山界に活躍している。[徳久球雄]
『佐貫亦男著『佐貫亦男のアルプ日記』(1973・山と渓谷社) ▽風見武秀著『カラー・ヨーロッパアルプス』(1971・山と渓谷社) ▽ガストン・レビュファ著、近藤等訳『モンブラン山群・特選100コース』(1974・山と渓谷社) ▽阪口豊著『ウィーンと東アルプス』(1973・古今書院) ▽G・グラエルトゥ著、佐々木博他訳『アルプス――自然と文化』(1980・二宮書店) ▽大場達之著『ヨーロッパの高山植物』(1973・学習研究社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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