グリーン(読み)ぐりーん(英語表記)Shawn David Green

デジタル大辞泉 「グリーン」の意味・読み・例文・類語

グリーン(green)

緑色。
草地。緑地。芝生。(観葉)植物。

㋐ゴルフ場で、ホール(穴)の周囲の、芝を短く刈って整備した区域。
ゴルフコース。「グリーンに出る」
他の語の上に付いて複合語をつくる。
㋐環境保全の。自然保護の。また、自然保護運動の、の意を表す。「グリーンエネルギー」「グリーン家電」
㋑若々しい、の意を表す。「グリーンエージ」
[類語](1エメラルドグリーン黄緑深緑浅緑緑色りょくしょく翠緑すいりょく深緑しんりょく草色くさいろ萌葱もえぎ柳色松葉色利休色オリーブ色エメラルド

グリーン(Julien Green)

[1900~1998]フランスの小説家。精神と肉体の相克、信仰と罪などの問題をカトリックの立場から追究した。小説「幻を追う人」「閉された庭」「アシジの聖フランチェスコ」など。

グリーン(Thomas Hill Green)

[1836~1882]英国の哲学者。新ヘーゲル主義の立場から自我実現説を説いた。主著「倫理学序説」。

グリーン(Graham Greene)

[1904~1991]英国の小説家。カトリックの立場から、現代人の不安と虚無とを描く。作「権力と栄光」「情事の終わり」など。

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精選版 日本国語大辞典 「グリーン」の意味・読み・例文・類語

グリーン

  1. [ 一 ] ( John Richard Green ジョン=リチャード━ ) イギリスの歴史家。聖職者・司書を経て、歴史研究に没頭。主著「イギリス国民小史」は、英国民の社会的文化的発展を生き生きと描く。ほかに「イングランドの成立」「イングランドの征服」など。(一八三七‐八三
  2. [ 二 ] ( Thomas Hill Green トマス=ヒル━ ) イギリスの哲学者。オックスフォード大学教授。ドイツ観念論哲学の影響を受けて、自我実現説を説き、個人は自発的な自由意志をもってその本性の実現につとめねばならないとした。主著「倫理学序説」。(一八三六‐八二
  3. [ 三 ] ( Graham Greene グレアム━ ) イギリスの小説家、劇作家。カトリック作家として、現代人の不安と虚無、宗教的倫理的主題を追究。代表作に「ブライトン‐ロック」「権力と栄光」「事件の核心」「第三の男」など。(一九〇四‐九一
  4. [ 四 ] ( Julien Green ジュリアン━ ) フランスの小説家、劇作家。パリで生まれ育つが、両親はアメリカ南部出身。二〇世紀フランスの代表的なカトリック作家の一人で、精神と肉体の相克、信仰と罪などの問題を追究した。著「アドリエンヌ・ムジュラ」「幻を追う人」「モイラ」など。(一九〇〇‐九八

グリーン

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] green )
  2. 緑。緑色。
    1. [初出の実例]「少女帽〈略〉グリーン、ブリューなど専ら喜ばる」(出典:風俗画報‐三三二号(1906)流行門)
  3. 芝生。特にゴルフで、パッティングのために整備してある芝生の区域。パッティング‐グリーン。
    1. [初出の実例]「グリーンの中の奈奈江の姿を探してゐたが」(出典:寝園(1930‐32)〈横光利一〉)
  4. 植物。特に、インテリア、ガーデニングなどで扱うもの。「グリーンハウス」「室内にグリーンを置く」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「グリーン」の意味・わかりやすい解説

グリーン(Shawn David Green)
ぐりーん
Shawn David Green
(1972― )

アメリカのプロ野球選手(左投左打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のトロント・ブルージェイズロサンゼルス・ドジャースアリゾナ・ダイヤモンドバックスニューヨーク・メッツで外野手、一塁手としてプレー。打撃に波があるものの、強力なパワーをもち、1998年から2001年まで4年連続20本塁打以上、20盗塁以上を記録した。

 11月10日、イリノイ州デスプレインズで生まれる。タスティン高から1991年、ドラフト1巡目(全体16番目)指名を受けてブルージェイズに入団、2年目の1993年には大リーグへデビューした。その後、1994年は打率3割4分4厘でマイナー・リーグのAAA級で首位打者となり、翌年からブルージェイズでレギュラー、右翼に定着、強肩で鳴らし、守備面で高い評価を受けた。1998年には、ホームラン35本、打点100、盗塁35をマークして、「30本30盗塁」を達成した。1999年にはホームラン42本、打点123で、打率は3割9厘と3割を超え、初のゴールドグラブ賞も受賞した。FA(フリーエージェント)で2000年にドジャースに加入、01年は自己最多のホームラン49本と打点125を記録した。また2002年5月23日のミルウォーキー・ブリュワーズ戦では史上14人目の1試合ホームラン4本を含む19塁打の新記録を樹立、6月14日と15日のアナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)戦では大リーグタイ記録となる4打席連続ホームランの離れ技(わざ)も演じた。2004年オフに交換トレードでダイヤモンドバックスに移籍した。2005年は中軸打者としての活躍を期待されたが、ホームラン22本に終わり、06年8月にはパワーの衰えもあってニューヨーク・メッツにマイナー・リーグ投手との交換で移籍。打撃では目だつ活躍はできなかったが、堅い守備でチームのプレーオフ進出に貢献した。

[出村義和]

2007年以降

2007年は130試合に出場。130安打を放ち、通算2000本安打を達成した。しかし、打率こそ2割9分1厘で前年を上回ったものの、ホームランは10本、打点も46にとどまった。

 2007年までの通算成績は、出場試合1951、安打2003、打率2割8分3厘、本塁打328、打点1070。獲得したおもなタイトルは、ゴールドグラブ賞1回。

[編集部]


グリーン(Graham Greene)
ぐりーん
Graham Greene
(1904―1991)

イギリスの小説家。ロンドン北西バーカムステッドの生まれ。オックスフォード大学卒業後新聞記者となる。カトリック教徒の婚約者の影響を受けてカトリックに改宗。1929年、密輸業者の世界を背景に暴力と良心の問題を追究する『もう1人の自分』でデビュー、作家生活に入る。彼は現代の政治的動乱の中心地を次々に舞台にしながら、映画やスリラー小説の手法を取り入れた。ベストセラーの『スタンブール特急』(1932)のほか、『ここは戦場だ』(1934)、『英国が私を作った』(1935)、『拳銃(けんじゅう)売ります』(1936)、『恐怖省』(1943)などがこの系列の初期作品。次に38年の野心作『ブライトン・ロック』によって世俗的倫理と宗教的倫理の鋭い対立を描き、現代でもっとも注目されるカトリック作家の一人となる。『権力と栄光』(1940)、『事件の核心』(1948)、『情事の終り』(1951)、『燃えつきた人間』(1960)などが彼の代表作で、罪人こそが真の信仰者であるという宗教的逆説を徹底して展開したため、教会当局との間にしばしば問題を起こした。その後のグリーンはカトリック教義を正面から扱うことがまれになり、世界中の内乱、革命、戦争の地域を舞台に独自の皮肉でペシミスティックな人間観を核にした作品を書くようになった。『おとなしいアメリカ人』(1955)、『ハバナの男』(1958)、『喜劇役者』(1966)、『名誉領事』(1973)、喜劇的な『叔母との旅』(1969)、スパイものの『ヒューマン・ファクター』(1978)、核競争を風刺した『ジュネーブのフィッシャー博士あるいは爆弾パーティー』(1980)など。短編作家としても優れ、ほかに5編の戯曲、自伝的断編『ある種の生涯』(1971)がある。

[海老根宏]

『野崎孝・田中西二郎訳『グレアム・グリーン選集』全15巻(1955・早川書房)』


グリーン(George Green)
ぐりーん
George Green
(1793―1841)

イギリスの数学者。ノッティンガムの製粉屋に生まれ、独学で数学を勉強し、ケンブリッジ大学に入学を許され、1837年学位を授けられた。1839年以降、ケンブリッジのケイウス・カレッジのメンバーとなった。ラプラスの大著『天体力学』を愛読し、これを模範として「数学解析の電磁気学への応用の試論」を発表した。そこで導入した「ポテンシャル関数」は、ガウスがラプラス方程式の解をポテンシャルとよんだことに対比される。また「面積分と線積分との関係」として得た「グリーンの定理」と同じ結果はガウスも得ていたものであった。ところがグリーンの研究成果は、1846年にケルビンがグリーンの試論を『クレレ誌』Crelle's Journalに再録するまで、ガウスを含むドイツ学派に伝わらなかったという。なお、「微分方程式の境界値問題」で基本的な「グリーン関数」はグリーンの業績を顕彰する呼称である。

[吉田耕作]


グリーン(Julien Green)
ぐりーん
Julien Green
(1900―1998)

フランスの小説家。パリで生まれ育つが、両親はアメリカ南部の出身で、そのアングロ・サクソンの血統が彼をフランス文学においては異色の幻想的な作家にし、また、母親譲りのピューリタニズムは彼の人生と文学に決定的な影響を与えた。霊・肉の相克と信仰の苦悶(くもん)、それが日記12巻、自伝4巻を含む彼の全作品に貫通する主題である。1916年カトリックに改宗。修道士を夢みるが、断念。リセ卒業後、軍務につく。19年、渡米しバージニア大学に留学。3年後パリに戻り、初めは短編および評論を書く。『フランスのカトリック信者に対するパンフレット』(1924)で、微温なカトリシズムを激しく攻撃。処女長編『モン・シネール』(1926)に次ぐ『アドリエンヌ・ムジュラ』(1927)でその地位を固める。以後、77年の『悪所』に至るまで12冊の長編、2冊の中・短編を書くが、すべての小説が日記と同じく作者内面の鏡である。『レビアタン』(1929)を頂点とするリアリズムに徹した作品群も、幻想への傾斜を強める中期の傑作『幻を追う人』(1934)や『真夜中』(1936)なども、みな悪夢のように作風は暗い。何度かの宗教的危機を乗り越えた後期の作品も絶望や狂気を描きながら、しかし文体は明澄になり、『モイラ』(1950)や『他者』(1971)のように、救いへのかすかな希望を暗示している。劇作3編もある。ほかにもエッセイ、紀行文など多彩な活動で知られ、83年聖人伝『アシジの聖フランチェスコ』も有名。

[小佐井伸二]

『福永武彦他訳『ジュリアン・グリーン全集』全14巻(1979~83・人文書院)』


グリーン(Aleksandr Stepanovich Grin)
ぐりーん
Александр Степанович Грин/Aleksandr Stepanovich Grin
(1880―1932)

ロシア・ソ連の作家。本名はグリネフスキーГриневский/Grinevskiy。幼少のころから職を転々とし流浪の生活を送り、のち社会革命党に入党、三度の流刑を体験する。1906年『兵士パンテレーエフの手柄』で文壇に登場、ポー、ホフマンらの影響を濃く受けたロマンチックな冒険・幻想小説によって革命前にすでに文名を確立する。架空の国「グリンランド」を舞台に繰り広げられるエキゾチックでファンタスチックな作品は、ソビエト文学史に特異な位置を占め、ときには強い批判にさらされたこともあった。代表作『深紅の帆』(1923)、『輝く世界』(1923)、『荒野の心』(1924)、『波の上を駆ける女』(1928)は、いずれも愛と美、人間性の理想的な姿を深く追求している。ことに『深紅の帆』はオペラや映画にもなり広く知られている。

[安井侑子]

『原卓也訳『深紅の帆』(『少年少女世界の文学22』所収・1967・河出書房)』『安井侑子訳『波の上を駆ける女』(『文学のおくりもの7』1972・晶文社)』『沼野充義訳『輝く世界』(1972・月刊ペン社・妖精文庫)』


グリーン(Thomas Hill Green)
ぐりーん
Thomas Hill Green
(1836―1882)

イギリス・ヘーゲル学派の哲学者。オックスフォード大学教授。経験論、進化論、自然主義の倫理学を批判して、カントとヘーゲルの影響のもとに、認識の根源として普遍的絶対意識を想定する。批判的自由主義者の立場から、人間の行為が善を志向する「動機」に根ざしていることを強調し、自我実現説を唱えた。また、国家は共同意志に基づく道徳的共同体であると考えることによって、スピノザの克服を目ざした。主著は『倫理学序説』。

[宮下治子 2015年7月21日]


グリーン(Paul Eliot Green)
ぐりーん
Paul Eliot Green
(1894―1981)

アメリカの劇作家。ノース・カロライナ州立大学卒業。母校で哲学、劇作を教え、演劇団体「カロライナ・プレイメイカーズ」にも協力。民俗劇推進者コーク教授門下で、南部の黒人や貧しい白人を題材に、写実から幻想に至る多様な様式のなかに社会的関心と詩情を盛り込む作品を発表。混血の教育者の悲劇『エイブラハムの胸に』(1926。ピュリッツァー賞受賞)、没落豪農一家をめぐる南部の新旧両世代のドラマ『コネリー家』(1931)、反戦悲喜劇『ジョニー・ジョンソン』(1936)などのほか、『失われた移住者たち』(1937)をはじめとするトータル・シアター風の国民的大叙事劇「交響劇」の野外上演を夏ごとに主宰し、地域演劇発展に貢献した。

[森 康尚]


グリーン(Robert Greene)
ぐりーん
Robert Greene
(1558―1592)

イギリスの物語作家、劇作家。ケンブリッジ、オックスフォードの両大学に学んだのち、文筆だけを頼りに生き、放蕩三昧(ほうとうざんまい)の一生を送った。初めおもに伝奇的散文物語を書き、そのなかにはシェークスピアの『冬物語』に原話を堤供した『パンドストー』(1588)などが含まれる。戯曲ではロマンチックな喜劇を得意とし、『僧ベーコンと僧バンゲイ』(1589)など5編がある。彼はまた自伝的文章や世相観察の文章を小冊子で数多く発表している。そのなかの一つ、遺作となった『後悔万両知恵一文』(1592)には、シェークスピアを「他人の羽根毛で飾り立てた成り上がり者のからす」とののしっている箇所がある。

[冨原芳彰]


グリーン(John Richard Green)
ぐりーん
John Richard Green
(1837―1883)

イギリスの歴史家。オックスフォード大学卒業後牧師になったが、肺疾のため辞任し、1869年ランベス宮(カンタベリー大司教邸)図書室司書となり、以後歴史研究に専念した。主著『イギリス国民小史』(1874)は、小史とはいえ1000ページに及ぶ大作で、その生彩に富む叙述により名声を博した。著書はそのほかに『イギリスの成立』(1882)、『イギリス征服』(1883)などがある。

[松村 赳]

『中村祐吉訳『イギリス国民史』(1968・鹿島出版会)』


グリーン(Henry Green)
ぐりーん
Henry Green
(1905―1973)

イギリスの小説家。本名はヘンリー・ビンセント・ヨークHenry Vincent Yorke。イートン校からオックスフォード大学を経て、家業のバーミンガム機械工場に勤め、のちに同社の専務取締役となる。イートン在学中に処女作『盲目』(1926出版)を書く。ほかに、労働者階級の生活を描く『生きる』(1929)、象徴的手法の『集団旅行』(1939)、『捕らえられて』(1943)、『愛する』(1945)など。象徴的、印象派的文体は一般にはなじみにくいが、死後なお高い評価を得ている。

[佐野 晃]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グリーン」の意味・わかりやすい解説

グリーン
Greene, Graham

[生]1904.10.2. バーカムステッド
[没]1991.4.3. スイス,ブベー
イギリスの小説家。オックスフォード大学卒業後,カトリックに改宗,ジャーナリズムに入り映画批評を手がける。初期の小説『内なる私』 The Man Within (1929) などは心理分析を用いたアクション小説だが,彼は自作を「本格的小説」と「エンターテインメント」に分けてそれぞれの特色を生かそうとした。前者には少年ギャングを主人公とする『ブライトン・ロック』 Brighton Rock (1938) ,メキシコ革命中の司祭を通してカトリック信仰の問題を扱う『権力と栄光』 The Power and the Glory (1940) や,『事件の核心』 The Heart of the Matter (1948) ,『情事の終り』 The End of the Affair (1951) などがある。「エンターテインメント」としては,『スタンブール特急』 Stamboul Train (1932) ,『恐怖省』 The Ministry of Fear (1943) ,『ハバナの男』 Our Man in Havana (1958) などがあり,スピード感のある会話とアクションを特色とし,その多くは映画化された。また,映画『落ちた偶像』 The Fallen Idol (1948) ,『第三の男』 The Third Man (1949) のシナリオがある。 1952年インドシナ,アメリカに旅行,『おとなしいアメリカ人』 Quiet Americans (1955) を発表。ほかに『喜劇役者』 The Comedians (1966) ,『名誉領事』 The Honorary Consul (1973) ,戯曲『居間』 The Living Room (1953) ,短編集『現実感』 Sense of Reality (1963) ,自伝『ある種の人生』A Sort of Life (1971) など。現代イギリスの最も重要なカトリック作家。

グリーン
Greene, Robert

[生]1558頃.ノーフォーク,ノリッジ
[没]1592.9.3. ロンドン
イギリスの劇作家,物語作家,詩人,パンフレット作家。「大学出の才人」の一人。放縦の果て悲惨な死をとげた。文筆で生計を立てた最初の職業作家で雑多な作品を書いた。 J.リリーや P.シドニーをまねて『パンドスト』 Pandosto (1588) など多くの伝奇物語をものし,マーローにならって『アルフォンサス』 Alphonsus (88頃作,99刊) を書き,ロマンス仕立ての傑作喜劇『ベーコン修道士とバンゲー修道士の栄光の物語』 The Honorable Historie of Friar Bacon and Friar Bungay (91頃作,94刊) などによってエリザベス朝の民衆演劇を確立したが,より有名なのは,当時のロンドンの暗黒面を描いた写実的なパンフレットや自伝的な一連の散文で,そのなかの一つ『一文の知恵』A Groathworth of Wit (92) には,劇壇の新進としてのシェークスピアに関する誹謗的言及が見出される。

グリーン
Green, Thomas Hill

[生]1836.4.7. ヨークシャー,バーキン
[没]1882.3.26. オックスフォード
イギリスの哲学者。オックスフォード大学ベイリオル・カレッジで学んだ。 1860年同大学フェロー,78年同大学道徳哲学教授。当時支配的であった H.スペンサーの経験論的自然主義,J. S.ミルの感覚論に反対し,ドイツ観念論,ことにカント,ヘーゲルの影響を受け,新カント学派,新ヘーゲル学派の立場から,いわゆる自我実現論 self-realization theoryを提唱した。主著"Introduction to Hume's Treatise of Human Native" (1874) ,A. C.ブラッドリー編『倫理学序説』 Prolegomena to Ethics (83) ,R. L.ネットルシップ編"The Works of Thomas Hill Green" (85~88) ,B.ボーザンケト編"Theory of Political Obligation" (95) 。

グリーン
Green, Julien Hartridge

[生]1900.9.6. パリ
[没]1998.8.13. パリ
フランスの作家。両親はアメリカ南部出身の海外移住者。 1919年渡米,バージニア大学卒業後,フランスに定住した (国籍はアメリカ) 。 22年頃からイギリスの作家についての評論を雑誌に発表して文壇にデビュー,以後多くの小説,評論,戯曲,日記を刊行した。 F.モーリヤックの影響を受け,作品にはカトリックの問題が色濃く出ているが,夢想や幻想の領域を探究することによって,より広い視野を獲得することに成功している。主著『閉ざされた庭』 Adrienne Mesurat (1927) ,『幻を追う人』 Le Visionnaire (34) ,『真夜中』 Minuit (36) ,『モイラ』 Moïra (50) 。自伝『夜明け前の出発』 Partir avant le jour (63) のほか,10巻の『日記』がある。アカデミー・フランセーズ会員 (71~96) 。

グリーン
Green, George

[生]1793.7.14. スナイントン
[没]1841.3.31. スナイントン
イギリスの数学者。前身はパン屋で,数学を独学で勉強し,40歳でケンブリッジ大学に入った。 1837年に卒業するとき,数学の成績は最高であった。 39年にケンブリッジの2つのカレッジの評議員に選ばれた。その著『数学解析の電気,磁気理論への応用』 (1828) において「ポテンシャル」という言葉を導入し,いわゆる「グリーンの定理」を述べている。しかし独特の書き方のため,当時は一般に理解されず,46年に W.トムソン (→ケルビン ) が取上げて,初めて世に知られるようになった。この著作は,19世紀のイギリスの数理物理学の始りを告げるものである。このほか,n 次元空間における流体の平衡の法則について (32) ,また楕円体の振動によって生じる流体の運動について (33) の論文を書いている。

グリーン
Green, Paul Eliot

[生]1894.3.17. ノースカロライナ,リリングトン
[没]1981.5.4. ノースカロライナ,チャペルヒル
アメリカの劇作家。黒人や貧しい白人の生活を描いた作品が多い。『アブラハムの胸に』 In Abraham's Bosom (1927) でピュリッツァー賞受賞。代表作『コネリー家』 The House of Connelly (31) ,表現主義的反戦劇『ジョニー・ジョンソン』 Johnny Johnson (36) 。その後植民地時代の移民を主題とした野外劇に興味を示し,『われらが父祖の信念』 Faith of our Fathers (50) その他を発表している (→シンフォニック・ドラマ ) 。

グリーン
Greene, Nathanael

[生]1742.8.7. アメリカ,ロードアイランド,ポトウォマット
[没]1786.6.19. アメリカ,ジョージア,マルベリーグローブ
アメリカ独立戦争期の軍人,将軍。 1770年ロードアイランドのコベントリーに定住し,独立戦争勃発とともに G.ワシントンを助けて 75~76年ボストン攻囲戦に参加,76年ニューヨーク市付近の戦闘を指揮。 78年 10月 G.ワシントンの要望により H.ゲーツに代って南方軍司令官に就任し,南部作戦を指揮し,独立軍の最終的勝利に貢献した。

グリーン
Green, Marshall

[生]1916.1.27. マサチューセッツ,ホリオーク
[没]1998.6.6. ワシントンD.C.
アメリカの外交官。エール大学卒業。外交官として各国在勤ののち 1959~60年国務次官補代理。 65~69年インドネシア駐在大使。 69年1月ベトナム和平会談 (パリ会談) 代表。 69~73年国務次官補 (東アジア・太平洋地域担当) 。 73~75年オーストラリア駐在大使,75~79年人口問題対策委員。

グリーン
Green, John Richard

[生]1837.12.12. オックスフォード
[没]1883.3.7. マントン
イギリスの歴史家。オックスフォード大学に学び,1860年聖職についたが,69年病身のため聖職を退き,ロンドン,ランベスのカンタベリー大主教邸図書室司書をつとめながら歴史研究に従事。『イギリス国民小史』A Short History of the English People (1874) で名声を博した。

グリーン
Green, Valentine

[生]1739
[没]1813
イギリスの版画家。初めライン・エングレービング (彫刻銅版) を修得し,1765年ロンドンに出てからメゾチントの技法を用い,J.レイノルズや B.ウェストなどの絵に基づく版画を多数制作。イギリスのメゾチントの最高の版画家の一人。作品には婦人の肖像が多い。

グリーン
Green, Henry

[生]1905.10.29. グロスターシャー,テュークスベリー
[没]1973.12.13. ロンドン
イギリスの小説家。本名 Henry Vincent Yorke。小説技巧に関心が強く,象徴的手法による細かい心理描写を特色とする。『生きる』 Living (1929) ,『愛する』 Loving (45) ,『結論する』 Concluding (48) などの小説がある。

グリーン
Green, William

[生]1873.3.3. オハイオ,コショクトン
[没]1952.11.21. オハイオ,コショクトン
アメリカの労働運動指導者。 16歳で炭鉱労働者となり,のち統一炭鉱労働者組合 UMWAで活躍して頭角を現した。 1913年アメリカ労働総同盟 AFLの執行部の一員となり,24年 AFL会長に就任。保守的な面が強かったが,30年代以降の労働運動の発展に貢献した。

グリーン
Greene, Daniel Crosby

[生]1843.2.11. マサチューセッツ,ロックスベリ
[没]1913.9.15.
アメリカの組合派教会宣教師。ダートマス大学出身。明治2 (1869) 年 11月,ボストンのアメリカン・ボード最初の日本派遣宣教師として来日,1913年まで神戸で伝道にあたった。

グリーン
Green, Frederick Lawrence

[生]1902
[没]1953
アイルランドの小説家。代表作は若い独立運動の闘士を主人公とする『邪魔者は消えろ』 Odd Man Out (1945) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「グリーン」の意味・わかりやすい解説

グリーン
Graham Greene
生没年:1904-91

イギリスの小説家。オックスフォード大学時代は一時共産主義に共鳴したが,まもなく幻滅し,1926年カトリックに改宗した。初めはジャーナリストの道に進んだが,密輸団を逃げ出した男を主人公にして,一種スリラー仕立てながら,近代心理小説の手法も十分に活用して倫理的宗教的問題を提示した小説《内なる私》(1929)で認められた。この後《ここは戦場だ》(1934),《英国が私をつくった》(1935)のような本格的な小説や,もっとスリラー性の濃い,グリーン自身が〈娯楽物〉と名づける《スタンブール特急》(1932),《拳銃売ります》(1936),《密使》(1939),《恐怖省》(1943)などを次々と発表し,一種痛烈な文明批判を見せた。しかし彼が本格的にカトリック的主題と取り組み出したのは,すさまじい少年ギャングを描いた《ブライトン・ロック》(1938)からで,政治権力に対する信仰の超越性を示した《力と栄光》(1940),純粋な信仰のゆえにかえって破滅するカトリック信者の悲劇《事件の核心》(1948),情欲の苦悩の中から神の存在を発見する《情事の終り》(1951)などを次々と発表した。その後も旺盛な筆力を示し,50年代からは戯曲にも手を染めている。

 彼のカトリシズムはE.ウォーなどのカトリック作家同様,人間の悪の意識に強く結びついているが,ウォーと比べると,罪,信仰,慈悲といったテーマが,はっきりと描かれている。また,キャロル・リード監督《落ちた偶像》(1948),《第三の男》(1949),エドワード・ドミトリック監督《情事の終り》(1954)など,映画化された作品が多い。なおグリーンの主要作品はほとんど邦訳されている。
執筆者:


グリーン
Robert Greene
生没年:1558-92

ルネサンス期のイギリスの作家。ケンブリッジ大学を出てイタリア,スペインを旅行したのち文筆生活に入ったが,無頼放蕩の生活を続け,そのもようと間欠的に彼を襲う改悛の衝動とを自伝風に書き綴った小説やパンフレットを数多く残した。初期に属するいく編かのボッカッチョ風の奇想をこらした散文物語は,ほとんどが教訓的内容をもち,J.リリーの《ユーフュイーズ》の文体を模している。それ以外にも《パンドストー》(1588)や《メナフォン》(1589)など抒情的な小曲をちりばめた牧歌的ロマンスを書き,また窃盗・詐欺百般の手口を克明に描いた風刺譚や対話編のシリーズをものして人気を博した。その一つ《三文の知恵》(1592)は〈成り上がり者〉シェークスピアに関する言及で有名。晩年に筆を執った数編の劇作品のうち,魔術を主題とする幻想的な恋愛喜劇《修道士ベーコンと修道士バンゲー》(1589ころ),および道徳劇的史劇とロマンスをないまぜにした劇中劇仕立ての悲喜劇《ジェームズ4世》(1591ころ)は,構成の弱さにもかかわらず,その甘美な抒情性と魅力的な女性像によって,シェークスピアのロマンティック・コメディにも影響を与えたと考えられる。
執筆者:


グリーン
Julien Green
生没年:1900-98

フランスの作家。両親ともアメリカ南部の出身で,生粋のアメリカ人であるが,パリに生まれ,厳格な新教徒である母の教育,アイルランド系の人種的要素,フランス的教育,鋭い感受性と夢想性が複雑な資質をつくりあげた。14歳で母を失い,宗教的不安のなかでカトリックに改宗,第1次大戦後,バージニア大学に学び,帰国後文筆活動に入る。《アドリエンヌ・ムジュラ》(1927),《レビアタン》(1929)などの小説で,孤独な人間の不安,苦悶,狂気を描いて文壇に地歩を固め,ついで,《幻を追う人》(1934),《真夜中》(1936)などで幻想的かつ神秘的な作風を確立する。第2次大戦中はアメリカに亡命したが,帰国後,《バルーナ》(1940)などの宗教的模索のあと,カトリックの信仰を深め,《モイラ》(1950),《他者》(1971)などを発表した。ほかに,戯曲,自伝,克明な日記がある。
執筆者:


グリーン
Aleksandr Stepanovich Grin
生没年:1880-1932

ロシア・ソビエトの作家。グリーンは筆名で,本名はグリネフスキーGrinevskii。父は政治犯としてシベリアに流刑になったポーランド人である。幼いころから欧米の冒険小説を耽読した彼は冒険に憧れ,10代の半ばから放浪の旅に出て,船乗り,漁師,金鉱探し,志願兵などの職を転々とし,軍隊ではエス・エル党の感化を受けてその活動家となり,3度投獄された。ソビエト文学にはまれな幻想的でロマンティックな作風が,作者自身の特異な経歴とあいまって一世を風靡した。《真紅の帆》《輝く世界》(以上1923),《波の上を駆ける女》(1928)などの代表的中・長編のほかに,数多くの短編がある。スターリン時代には現実離れした幻想作家として批判され,いまだに正統的な文学史で大きく扱われることはまれだが,自由を求めてやまなかった幻想・冒険小説は現代でもロシアの若者の強い支持を得ている。
執筆者:


グリーン
Thomas Hill Green
生没年:1836-82

イギリス新理想主義学派の哲学者。オックスフォード大学に学び,同大学道徳哲学教授となって生涯を過ごした。プラトンをはじめギリシア哲学を研究するとともに,ドイツ観念論哲学に深く学び,主著《倫理学序説》(1883)などで自我実現を核心とする人格的自由主義の哲学を説いた。それは,当代の経験主義的自然主義,実証主義的現実主義の思潮を批判して,精神的価値の積極的実現を求める自我の完成を,個人の人格形成の目的とするとともに,これを促進するのが社会の義務と考える哲学であった。そこから彼は,この目的実現のための国家の積極的干渉を認め,放任的自由主義に代わる社会改良主義的な新しい自由主義の政治哲学を説いた。彼の哲学は,日本でも西田幾多郎や河合栄治郎などによって学びとられ,日本の自由主義の思想的基盤の形成に影響した。
執筆者:


グリーン
Henry Green
生没年:1905-73

イギリスの小説家。実業家ヘンリー・ビンセント・ヨークHenry Vincent Yorkeの筆名。オックスフォード大学を出て家業を継ぎながらひそかに文筆に従事。バーミンガムの労働者の生活を描いた《生きること》(1929),ロンドンの中産階級の恋愛を描いた《溺愛》(1952)などのほか《パーティ行》(1939),《愛すること》(1945)などがある。題材の範囲は広く,V.ウルフの流れを汲む心理小説的なものに風俗喜劇的な要素をもちこみ,凝った文章で〈生(せい)の状態〉そのものを伝える。
執筆者:


グリーン
Daniel Crosby Greene
生没年:1843-1913

アメリカの宣教師。マサチューセッツ州生れ。シカゴ神学校,アンドーバー神学校に学び,アメリカ外国伝道委員会(アメリカン・ボード)の日本最初の宣教師として1869年来日。神戸で伝道し,74年神戸公会を設立,同年より横浜で新約聖書の翻訳に従事,81年より同志社で神学を教え,その赤煉瓦建築を設計した。90年より東京で伝道,社会事業に携わり,日本宣教師同盟の活動を推進し,アジア協会,平和協会の会長などを歴任した。
執筆者:


グリーン
John Richard Green
生没年:1837-83

イギリスの歴史家。1860年オックスフォード大学卒業後,国教会の聖職についたが,病弱のため辞任し,69年以降ランベス宮(カンタベリー大主教のロンドン邸)の図書室司書となり,歴史の研究・叙述に専念した。主著《イギリス国民小史》(1874)は小史と称しながら1000ページを超す大著で,代表的なイギリス通史として,日本でも愛読された。ほかに《イングランドの形成》(1882),《イングランドの征服》(1883)などの著書がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

図書館情報学用語辞典 第5版 「グリーン」の解説

グリーン

1837-1918.米国マサチューセッツ州ウスター生まれ.ウスター公共図書館長で,レファレンスサービス概念の提唱者.1858年ハーバード大学卒業.1876年11月30日発行のLibrary Journalの記事,「図書館員と利用者の人的関係」において,図書館員は人的サービスを提供することによって利用者が適切な本を選び出すための手助けをすべきであると述べた.この論文がきっかけになって,19世紀末までに図書館でレファレンスサービス組織を作ることが普及した.アメリカ図書館協会創設メンバーのひとりで,1891年会長就任.

出典 図書館情報学用語辞典 第4版図書館情報学用語辞典 第5版について 情報

色名がわかる辞典 「グリーン」の解説

グリーン【green】

色名の一つ。JISの色彩規格では「あざやかな」としている。一般に、黄色の中間の色のこと。ブルーレッドとともに光の三原色の一つ。日本語では和名の「緑」と訳されるが、JISの色彩規格で緑は「明るい緑」で、グリーンよりも少し薄い色をさしている。ただし、草木の葉の色をイメージしているのはどちらも同じ。ゴルフ場の芝生をグリーンという。また派生した色が数多いのも共通している。

出典 講談社色名がわかる辞典について 情報

百科事典マイペディア 「グリーン」の意味・わかりやすい解説

グリーン

英国の哲学者,オックスフォード大学教授。新理想主義哲学の指導者で,ドイツ思潮の代表者受容者。伝統的な経験論,実証主義に反対して,カントの人格倫理,ヘーゲルの弁証法に学び,〈自我実現説〉を立てて人格的自由主義の哲学を提唱した。主書《倫理学序説》(1883年)。
→関連項目政治学ボーザンケト

グリーン

英国の小説家。ジャーナリズムにも関係。長編《内なる私》(1929年),《ブライトン・ロック》(1938年)の後,《権力と栄光》(1940年),《事件の核心》(1948年)《情事の終り》(1951年)でカトリック作家として名声を確立。ほかに《おとなしいアメリカ人》(1955年),戯曲《居間》(1953年)など。第三世界の現実を扱った作家としても再評価されている。
→関連項目ラング

グリーン

フランスの作家。両親は米国人で敬虔(けいけん)なピューリタン。その母の死後カトリックに改宗。小説《地上の旅行者》(1924年)がジッドに認められ,《モン・シネール》(1926年),《閉ざされた庭》《真夜中》《運命》《遠き地》《モイラ》,戯曲《南部》などのほか,《日記》がある。死ぬべきものとして生きる苦しみと不安を,後期からは夢や幻覚の要素をとりいれながら追求した。

グリーン

米国の労働運動指導者。炭坑夫出身。1913年AFL中央執行委員,1924年ゴンパーズ死後AFL会長となり,1949年AFLを率いて国際自由労連に参加。典型的な反ソ・反共主義者で労使協調に重点を置いた。

グリーン

ロシア(ソ連)の作家。本名グリネフスキーGrinevskii。幻想性とエグゾティシズムの色濃い特異な作風で知られる。代表作に《真紅の帆》(1923年),《波の上を駆ける女》(1928年)など。作品の非政治性・幻想性のためにスターリン時代には評価されなかった。

グリーン

英国の数学者。家業の製粉業のかたわら数学を独学。1828年電磁気学への数学解析の応用に関する論文を発表,ポテンシャルの語を使用,グリーンの定理,グリーン関数を導入したが,1846年ケルビンが再刊行するまで価値を認められなかった。

グリーン

英国の歴史家。オックスフォード大学に学んだ聖職者。1868年病身のため聖職を退き,ロンドンのカンタベリー大主教邸(ランベス宮)図書室司書として歴史研究に従事。主著《イギリス国民小史》(1874年)で名声を獲得。妻アリス・ストップフォード〔1847-1929〕も歴史家。

グリーン

米国の劇作家。ノース・カロライナ大学教授を務めた。南部の黒人問題を扱った悲劇《アブラハムの胸に》(1926年)のほか,野外劇《失われた植民地》や,民謡をとり入れた交響劇《栄光をともに》などもある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「グリーン」の解説

グリーン Greene, Daniel Crosby

1843-1913 アメリカの宣教師。
1843年2月11日生まれ。明治2年アメリカン-ボードから日本に最初に派遣され,7年摂津第一公会(現神戸教会)を創立。横浜にうつり,13年J.C.ヘボンらと日本語訳「新約聖書」を完成させた。のち同志社英学校教授,日本アジア協会会長。大正2年9月15日神奈川県葉山で死去。70歳。マサチューセッツ州出身。アンドーバー神学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「グリーン」の解説

グリーン

生年月日:1837年12月12日
イギリスの歴史家
1883年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のグリーンの言及

【グレート・バリア・リーフ】より

…オーストラリアの代表的な観光地で,年間30万人以上の観光客が訪れる。とくにグリーン島(ケアンズ沖合)やヘロン島(グラッドストン沖合)などが知られ,本土側の主要都市を基地とするヘリコプター,小型飛行機,船の便がある。【谷内 達】。…

【ゴルフ】より

…国内では福島晃子のような大型選手も生まれ,日本ツアーをリードしている。
【ゴルフコース】
 各ホールの構造(図1)は,ティーグラウンド(ボールの打出し場所),フェアウェー(芝を刈り込んだ正しい順路),ラフ(雑草の生えた地域),ウォーターハザード(海,池,川などの障害物),バンカー(砂をしいたくぼ地の障害物),グリーン(直径10.79cmの穴をそなえ,ボールがころがりやすいように芝を刈り込んだ場所)からなり,これを1区画とし,原則的には18ホール(1ラウンド)を一単位としている。各ホールには距離に応じて基準となる打数(パーpar)が定められている。…

【河合栄治郎】より

…戦時中沈黙を強いられたまま病気で急死した。イギリス留学中T.H.グリーンを研究し,理想主義哲学の上に独自の社会思想を樹立した。すなわち,カント的認識論の上に人格成長を最高善とする道徳哲学を説き,人格成長の条件として政治的には自由民主主義,経済的には社会主義を主張した。…

【国家】より

…ヘーゲル的立場は,工業化の進展に伴う社会問題の拡大と帝国主義の成立に伴う国際緊張の増大に伴って,国家権力の積極的意義が評価されはじめるとともに,ドイツ以外の国でも注目されるようになった。たとえば,イギリスでもT.H.グリーン,F.H.ブラッドリー,B.ボーザンケトらが,ヘーゲルの影響の下に,国家の倫理性を強調しつつ,国家が社会問題に積極的に介入することを正当化したのである。ヘーゲル的立場は,のちに著しくゆがめられた形で,ナチズムやファシズムの国家観に現れたが,しかしそこでは少なくともヘーゲル哲学の合理性は完全に排除され,国家一元論は著しく非合理的かつ神話的な形をとることになったといえよう。…

【新自由主義】より

…このような条件の変化に応じて自由主義を再解釈する試みを新自由主義という場合がある。T.H.グリーンは資本主義の生む不平等の下に真の契約の自由はありえないとして,労働者の立場を強化するために国家の積極的な政策が不可欠であると説いた。ルソーやヘーゲルを援用する彼の新理想主義は,自由の実現のために国家の果たすべき積極的役割を示して,イギリス自由主義に新たな展開をもたらした。…

【新ヘーゲル学派】より

…しかし世紀末から再び生まれてきた〈精神〉を重視する立場が強くヘーゲルの影響を受けていたために〈新ヘーゲル学派〉と総称され,ファシズム期の終りまで影響を残した。イギリスのT.H.グリーン,F.H.ブラッドリーは,ヘーゲル以上に〈精神〉を超越的なものと解していたために,G.E.ムーアの経験主義の反発を招き,B.A.W.ラッセルの経験主義的原子論の成立を促す結果となった。イタリアのクローチェ,ジェンティーレは,ラブリオーラを経由して,人間の能動性の再評価を促して,マルクス主義に影響を与えた。…

【アメリカン・ボード】より

…1810年にマサチューセッツとコネティカットの会衆派の牧師たちによって設立され,アジアの各地に宣教師を派遣した。日本には69年D.C.グリーンがボード最初の宣教師として訪れたが,ボードがとくに援助したのは同志社と神戸女学院の設立である。会衆派と福音改革派の合同で,現在はUnited Church Board for World Ministriesと呼ばれている。…

【第三の男】より

…アントン・カラスのチターの演奏だけによる哀感あふれる音楽と,オーソン・ウェルズが演じたハリー・ライムという強烈な人物像によって世界中のファンを魅惑し,キャロル・リード監督の名を一躍高からしめたスリラー映画の名作。〈冷戦〉をテーマに作家のグレアム・グリーンが敗戦直後(1947)の米英仏ソ4ヵ国管理下のウィーンの闇市(ブラック・マーケット)を描いたオリジナルストーリーから,グリーン自身が脚色。後半の見せ場になる下水道の追跡シーンは,リード監督の証言によれば,ウェルズがカメラマンのロバート・クラスカーと話し合ってみずから演出したものという。…

【冒険小説】より

…彼らは挫折を経験し,正義とは何かという懐疑に襲われて悩み,ときには抹殺されることさえあるから,読者はただの熱狂や興奮ではなく人間対社会の非情な関係に対する関心や絶望も与えられる。ダシール・ハメット,グレアム・グリーンの作品などがその典型例である。未知なるものの探究・征服は,例えばかつてのアメリカ西部開拓物語やアフリカ探検物語の場合には,文明の名による未開人の教化であるとして素朴に是認されていたが,今日ではインディアンを悪者として安易に処理する西部劇は,だれからも信用されない。…

※「グリーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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