シューベルト(英語表記)Schubert, Franz (Peter)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シューベルト
Schubert, Franz (Peter)

[生]1797.1.31. ウィーン近郊ヒンメルフォルトグルント
[没]1828.11.19. ウィーン
初期ドイツ・ロマン派の代表的作曲家の一人。「歌曲の王」と呼ばれる。 600をこえる歌曲は,ロマン派の抒情詩との完全な融合を果し,彼以後の歌曲史に一つの方向を記した。小学校教師やピアノ教師をして生計を立てながら「シューベルティアーデ」の仲間をはじめ多くの友人に囲まれて,ウィーン市民の日常的な情感を映す作品を書いた。主要作品は歌曲集『美しき水車小屋の娘』『白鳥の歌』『冬の旅』など。器楽曲では,『楽興の時』『即興曲』などのピアノ小品,『ます』『死と乙女』などの室内楽。『未完成交響曲』『第9交響曲ハ長調』が特に有名。

シューベルト
Schubert, Gotthilf Heinrich von

[生]1780.4.26. ホーエンシュタイン
[没]1860.7.31. グリューンワルト近郊ラウフツォルン
ドイツの哲学者。自然哲学の立場に立った。シェリングの哲学を継承。自然界の意識と無意識との関連を人間の心に見出そうとした。 1819年エルランゲン,27年ミュンヘンの各大学教授。主著"Ahnungen einer allgemeinen Geschichte des Lebens" (3巻,1806~21) ,"Die Symbolik des Traumes" (14) 。

シューベルト
Schubert, Hans von

[生]1859.12.12. ドレスデン
[没]1931.5.6. ハイデルベルク
ドイツの神学者。ライプチヒ,ボン,ストラスブール,チューリヒで学ぶ。ストラスブール大学,キール大学,ハイデルベルク大学の教授を歴任。教会史家として著名。主著『教会史概説』 Grundzüge der Kirchengeschichte (1904) ,『偉大なキリスト者たち』 Grosse christliche Persönlichkeiten (21) 。

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百科事典マイペディアの解説

シューベルト

オーストリアの作曲家。ウィーンで一生を送る。1808年,11歳で王室礼拝堂の少年聖歌隊員に採用され,国立神学校で音楽を学ぶ。宮廷楽長サリエリにも指導を受けてその早熟な才能を開花させ,17歳で《交響曲第1番》(1813年)を,さらに翌1814年にかけて《糸を紡ぐグレートヘン(グレートヒェン)》《野ばら》《魔王》(以上,詩はゲーテ)などのリートを完成。歌曲作曲家としての天性の資質を早くも示した。以後,父の経営する初等学校の手伝いやエステルハージ伯家での音楽家庭教師以外は,もっぱら作曲によって生計を立てた。ウィーン古典派(古典派音楽参照)の最後の大作曲家とみなされるが,その交響曲や室内楽にはシューマンらのロマン派音楽に連なる特質も際立ち,また数多くのリートはのちのH.ウォルフらに至るドイツ・リートの豊かな水脈の源流となった。代表作として,《ピアノ五重奏曲・》(1819年ころ),《未完成交響曲》(1822年),歌曲集《美しき水車小屋の娘》(1823年),《弦楽四重奏曲・死と少女(死と乙女)》(1824年),交響曲《ザ・グレート》(1825年−1826年,初演1839年),歌曲集《冬の旅》(1827年),《弦楽五重奏曲》(1828年),歌曲集《白鳥の歌》(出版1829年)などが広く知られ,ほかにも数多くの室内楽曲やピアノ・ソナタ,《幻想曲ハ長調(さすらい人幻想曲)》《楽興の時》などのピアノ独奏曲,ミサ曲などの名作を残した。チフスのため31歳で夭折(ようせつ)。作品には,オーストリアの音楽学者O.E.ドイッチュ〔1883-1967〕による作曲年代順のドイッチュ番号(略してD)が作品番号(Op.)と一般に併用される。→アルペッジョーネレーウェ
→関連項目歌の本ウーラントエコセーズキリスト教音楽クラウディウスディースカウデシャンノーマン白鳥の歌バラードライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団ロマン主義

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

シューベルト

ヴィーンの作曲家。あらゆるジャンルに作品を残したが、歌曲とピアノ曲は音楽史においてきわめて重要である。生活のため長く学校教師を務めながら作曲し続けたが、彼の才能を認める多くの友人に恵まれ、生前から音楽 ...続き

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世界大百科事典 第2版の解説

シューベルト【Franz Schubert】

1797‐1828
オーストリアの作曲家。初等学校を経営するモラビア出身の父フランツと,母エリーザベトの第4子としてウィーン市外のリヒテンタールに生まれた。早くから楽才を示し,11歳で王室礼拝堂の少年聖歌隊員に採用され,国立神学校で音楽教育を受けた。彼はすでにこの時期にサリエリに才能を認められ,演奏と作曲に腕をふるった。16歳の変声と共に神学校を去り,教員養成課程に進み,父の学校の助手として働きながら作曲を続けた。17歳のときに《交響曲第1番》ニ長調を,そして《糸を紡ぐグレートヘン》を,さらに翌1814年,《野ばら》《魔王》《たゆみなき愛》等のリートの名作を作り,歌曲作曲家としての将来を決定づけた。

シューベルト【Gotthilf Heinrich Schubert】

1780‐1860
ドイツの医者,自然科学者,自然哲学者。《自然科学の夜の面についての見解》(1808)や《夢の象徴学》(1814),《魂の歴史》(1830)などの著作で知られる。自然,夢,魂,神話の問題を,ベーメサン・マルタンの自然神秘思想,ノバーリスバーダーらのロマン派自然哲学に基づき,当時の生理学,精神医学をも利用して探求し,クライストやE.T.A.ホフマンに影響を与えた。【中井 章子】

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大辞林 第三版の解説

シューベルト【Franz Peter Schubert】

1797~1828) オーストリアの作曲家。ドイツ歌曲(リート)の王。ロマン派初期を代表する。抒情性豊かな美しい旋律で知られ、歌曲を芸術的に高度な分野として確立。「魔王」「野ばら」、歌曲集「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」など六〇〇以上の歌曲と、ピアノ五重奏曲「ます」、交響曲第七番「未完成」などの室内楽・交響曲などがある。

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精選版 日本国語大辞典の解説

シューベルト

[一] (Gotthilf Heinrich von Shubert ゴットヒルフ=ハインリヒ=フォン━) ドイツの自然科学者、自然哲学者。シェリングの影響の下に出発し、後に神秘主義的傾向を帯びる。ロマン派の作家に影響を与えた。主著「魂の歴史」など。(一七八〇‐一八六〇
[二] (Hans von Shubert ハンス=フォン━) ドイツのプロテスタント神学者。初期ゲルマンおよび宗教改革期の教会史で知られる。主著「教会史綱要」など。(一八五九‐一九三一
[三] (Franz Peter Schubert フランツ=ペーター━) オーストリアの作曲家。王室礼拝堂の少年歌手を経て十代から作曲家としてウィーンで活躍。ドイツ歌曲(リート)を六〇〇曲以上作曲し、芸術的に高めた功績は特筆される。ほかに室内楽曲、交響曲など数々の作品を残し、素朴な美しい抒情性でロマン派の先駆となった。代表作は歌曲集「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」、ピアノ五重奏曲「ます」、弦楽四重奏曲「死と乙女」、交響曲第七番「未完成」など。(一七九七‐一八二八

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世界大百科事典内のシューベルトの言及

【美しき水車小屋の娘】より

…シューベルトの連作歌曲集(作品25)。1823年5月に作曲が開始され,初版の5分冊の楽譜は,24年3月から8月にかけて出版された。…

【歌曲】より

…このほか芸術歌曲には,有節形式を枠組みとしながら,詩節の気分の推移に従って音楽が部分的に変化する変化有節形式や,同一の曲調がまったく繰り返されることなく,詩節の全体を通じて作曲される通作形式に属するものもある。F.シューベルトのリートを例にとれば,《野ばら》が第1の型,《菩提樹》が第2の型,《魔王》が第3の型の実例である。 西洋音楽の歴史では,早くも中世のトルベールやミンネジンガー(ミンネゼンガー)など騎士歌人の作品に有節形式の歌曲が現れる。…

【交響曲】より

…特に絶対音楽的性格と標題音楽的性格,単一動機による全曲の統一,新しい楽器と声部の導入などは,以後の交響的作品に決定的な影響を及ぼした。 ほぼ同時期にウィーンで活躍したシューベルト(完成7曲。未完,断片,スケッチ数曲。…

【即興曲】より

…形式上の規則はなく,リート形式,ソナタ形式などさまざまである。早い例は1822年に出版されたチェコの作曲家ボジーシェクJan Václav Voříšek(1791‐1825)の《即興曲集》で,シューベルトが1827年に作曲した8曲(作品90と作品142の《四つの即興曲》)によって不朽のものとなった。シューベルト以後はショパン,シューマン,フォーレの作品が有名である。…

【ドイツ音楽】より

…この方向はやがてハイドンモーツァルトベートーベンらのウィーン古典派の交響曲や室内楽に結集され,ドイツ的なものを中心にイタリアや東欧の要素を内に含んで,全ヨーロッパに通用するドイツ音楽の頂点を形成した。しかし,われわれはウィーン古典派の純粋器楽のうちに,シュッツやバッハが開拓したドイツ的音楽語法が生きていること,そしてまたこのドイツ音楽とドイツ語の深い内的結びつきが,シューベルトに始まり,ロマン派の時代に展開するドイツ・リートの世界を支えていることを忘れてはならない。さらに従来最もおくれていた分野であるオペラが,モーツァルトのイタリア・オペラやドイツ語のジングシュピールにおいて開花し,やがてウェーバーのロマン主義的ドイツ国民オペラの確立を促し,ついには19世紀後半のR.ワーグナーの楽劇にまで達するのを見る。…

【白鳥の歌】より

F.シューベルトの晩年の遺作を集めて,1829年ウィーンの出版社ハスリンガーが歌曲集として出版したもの。 H.F.L.レルシュタープの詩による7曲,ハイネの詩による6曲に,J.G.ザイドルの詩による《鳩の郵便Die Taubenpost》を加えた14曲からなる。…

【冬の旅】より

W.ミュラーの詩にF.シューベルトが1827年に作曲した歌曲集(作品89)。2部に分かれ,24曲のリートを含む。…

【未完成交響曲】より

シューベルトが1822年に着手し,最初の2楽章を完成し,以下を未完に放置した《交響曲第7番ロ短調》(D(ドイッチュによる作品整理番号)759)。66年ヘルベックJohann Herbeck(1831‐77)がウィーンで初演するまで完全に埋もれていた。…

【ロマン派音楽】より

…したがって音楽にロマン主義が浸透すると,それが果たす役割は他の芸術に比べても著しいものがあった。広い意味でロマン主義の音楽というなら,19世紀の音楽史は,ひと口にシューベルトからマーラーまで,その視野に収められてしまう。この世紀のすべてをロマン主義からとらえることはできないが,少なくともほとんどの事象はこの概念をぬきにしてはとらえられない。…

※「シューベルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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