ダービー(伯)(読み)ダービー[はく](英語表記)Derby, Edward Geoffrey Smith Stanley, 14th Earl of

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダービー(伯)
ダービー[はく]
Derby, Edward Geoffrey Smith Stanley, 14th Earl of

[生]1799.3.29. ノーズリー
[没]1869.10.23. ロンドン
イギリスの政治家。首相(在任 1852,1858~59,1866~68)。1820年ホイッグ党に属して議会に入る。1830~33年アイルランド担当大臣。この間 1832年の選挙法改正法(第1次)の成立に尽力。1833~34年陸軍および植民大臣。1834年保守党に移る。1841~44年再び陸軍および植民大臣として西インド諸島の奴隷制廃止を実施した。1852年第1次内閣を組織。1858~59年第2次内閣を組織,インド統治権をイギリス東インド会社からイギリス政府直轄に移管した。1866~68年ベンジャミン・ディズレーリとともに第3次内閣を組織。1867年議会改革法(第2次選挙法改正法)を成立させ,1869年以後保守党党首の地位をディズレーリに譲った。

ダービー(伯)
ダービー[はく]
Derby, Edward Henry Stanley, 15th Earl of

[生]1826.7.21. ランカシャー
[没]1893.4.21. ランカシャー
イギリスの政治家。 14代ダービー伯の長男。 1848~69年保守党の下院議員。 52年父の第1次内閣の外務次官。保守党にあっても自由主義的でパーマストン (子) から入閣を求められたが拒否。 58年父の第2次内閣の植民相,次いでインド監督局総裁。同年インド法成立に伴い最初のインド相に就任。 66~68年父の第3次内閣の外相。 67年フランスとプロシアの間を仲介,ルクセンブルクの中立に関する集団保障を立案した。 69年上院に移り,74年 B.ディズレーリ内閣の外相。中近東地域についての帝国主義政策に反対し,78年辞職して 80年自由党に入党。 82~85年 W.グラッドストン内閣の植民相。アイルランド自治法に反対し自由党から分離し,86年自由統一派に参加,91年まで同派の上院における指導者であった。

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