ベネズエラ(英語表記)Venezuela

翻訳|Venezuela

精選版 日本国語大辞典 「ベネズエラ」の意味・読み・例文・類語

ベネズエラ

  1. ( Venezuela ) 南アメリカ北部の国。カリブ海に面する。一四九八年コロンブスが到達以来スペインの植民地となり、一八一〇~二一年の独立戦争の勝利の結果、三〇年に独立国となる。石油のほか、金・ダイヤモンド・鉄鉱石などを産出。一九九九年、正式国名をベネズエラ共和国からベネズエラ‐ボリバル共和国に改称。首都カラカス

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ベネズエラ」の意味・わかりやすい解説

ベネズエラ
Venezuela

基本情報
正式名称=ベネズエラ・ボリバル共和国República Bolivariana de Venezuela 
面積=91万2050km2 
人口(2010)=2883万人 
首都=カラカスCaracas(日本との時差=-13時間) 
主要言語=スペイン語 
通貨ボリーバルBolívar

南アメリカ大陸最北端にある共和国。北はカリブ海に面し,東はガイアナ,南はブラジル,西はコロンビアに接している。面積は日本の約2.4倍。スペインの征服者たちが先住民のマラカイボ湖での湖上生活風景を見て,小ベネチアと命名したのが国名の由来である。スペイン語では〈ベネスエラ〉と発音する。1999年12月,国名をベネズエラ共和国からベネズエラ・ボリバル共和国と変更した。

地理的には,ベネズエラ高地マラカイボ低地,リャノ,ギアナ高地の4地域に区分される。

(1)ベネズエラ高地はアンデス山脈の北端を形成する一支脈で,さらに四つの地域に細分される。(a)中央高地 最も稠密(ちゆうみつ)な農業人口を有し,首都カラカスをはじめ大規模な都市がある。海岸から直ちに標高1000~2000mになる高地部は,温暖多雨で農業に適し,カカオ,コーヒー,綿花,豆類,サトウキビが栽培されている。また工業の中心地域でもあり,繊維,皮革,機械,セメントなどの産業がある。(b)北東部高地 中央高地の東方にあり,東部は標高2000mに達しカカオが栽培され,比較的乾燥した西部では,牧畜,タバコ栽培などが行われている。(c)セゴビア高地 マラカイボ湖の東側でカカオ,コーヒーなどの熱帯農産物を産する。(d)メリダ山脈地帯 コロンビア国境を越えてアンデス山脈に連なり,標高4000~5000m。夏季は多雨だが,冬季は乾燥する。山間盆地では早くから農業が行われ,多くの欧米系住民が居住する。標高1000mまでの低地部はサトウキビ,2000mまでの中間部はコーヒー,3000mまでの高地部では穀類やジャガイモが栽培され,それ以上の地域では牧畜が行われる。

(2)マラカイボ低地は高温多湿で,メリダ山脈付近でのみコーヒー,カカオが栽培されている。湖沼部では漁業が行われ,北部一帯では石油の採掘が行われている。

(3)リャノオリノコ川の北側に広がる広大な平原で,冬季は極端に乾燥し,夏季は大洪水となるため,牛の放牧が行われるほかは,ほとんど未開発であった。最近,水力資源とオリノコ重質油地帯の開発が始まり,ギアナ高地の鉱物資源とあいまって,近い将来シウダード・グアヤナを中心に新工業地帯を形成するものと期待されている。

(4)ギアナ高地は国土の約半分を占め,台地状をなしていて,雨季と乾季の差もそれほど極端ではない。古くから金,ダイヤモンドなどを産出したが,近年豊富な鉄鉱脈が発見され,採鉱が進んでいる。

人種構成は,欧米系20%,混血70%,アフリカ系8%,先住民2%で,欧米系の比率が高いのは,1936年以来有色人種の移民の入国を禁止し,欧米人のみを受け入れたからである。混血はカリブ地域型で,メスティソ(先住民と白人の混血)よりもパルド(白人とアフリカ人との混血)が若干多い。これは元来,この地域の先住民人口が希薄であったうえに,征服早々に消滅したこと,多くのアフリカ人が労働力として輸入されたことによる。アンデス山系の山間盆地に欧米系,海岸地域や内陸部低地にアフリカ系,ギアナ高地,オリノコ川流域などに先住民が主として居住し,混血系は都市を中心に全国的に分布している。

 社会的には欧米系や一部の混血系が大土地所有者,大資本家,高級官僚として上層部を独占し,圧倒的多数の混血,アフリカ系および先住民が下層部を構成している。しかし,今日では石油産業の顕著な発展により急速に社会の階層分化が進行し,大土地所有者の地位が低下し,人種的要素が必ずしも階層決定の絶対的な基準ではなくなりつつある。第2次大戦後,とくに1960年代,各種の社会経済的改革が遂行される中で,新たな中間層(技術者,管理者,中小商工業者,公務員,教員)が都市に,中小の自営農牧業者が農村部に発生してきた。こうした変化は徐々に下層部に波及し,彼らは従来の社会構造に動揺を与え,その変革を追求するようになっている。

 大規模な労働者組織として,1947年創設のベネズエラ労働者同盟,ベネズエラ農民同盟,石油労働者同盟などがある(政党との関係については後述)。また教育については,60年代にベタンクール大統領のもとに,積極的な教育内容の改革や拡充がなされ,現在は国家予算の約20%を教育関係に充てている。5~15歳の10年間が義務教育で,1987年には成人教育の結果,非識字率が10%まで低下した。国民の大部分はカトリック教徒である。

ベネズエラは,20州,2連邦領,1連邦属領,1連邦区から成る共和国で,三権が分立しており,二院制の議会をもつ。主要な政治組織として,次のものがある。(1)民主行動党(AD) 1930年代後半に結党された国家民主党の民族主義的部分がR.ベタンクールを中心に41年に結成し,農民や金融,建築,運輸,石油などの労働者層,ホワイトカラーに支持基盤をもつ。強力な支持団体としてベネズエラ労働者同盟や農民同盟を有する。キリスト教社会党民主共和連合とともに第2次大戦後の国政を指導する政党である。(2)キリスト教社会党(COPEI) 1930年代にカトリック系の学生組織で結成された国民行動党(AN)の流れをくむ政党で,46年R.カルデラを中心に結成された。都市の新興ブルジョアジーとカトリック教会勢力を主要支持基盤としているが,58年以降,労働者同盟系の労働組合や農民同盟の青年部の中で勢力を伸張している。62年以降,学生組織の圧倒的な部分をその支配下に置いた。とくに60年代に入り,民主行動党や民主共和連合の急進的部分を吸引している。また未組織労働者層にもその勢力を拡大している。カラカスのほかに,メリダ,タチラ,トルヒーヨに強力な基盤をもつ。(3)民主共和連合(URD) 都市の中小企業家,知識層,報道関係者などを結集して1946年に結成された。60年代前半まで上記2政党に迫る勢力を保持していたが,党内の若年層を他党に侵食され,弱小政党に転落した。(4)ベネズエラ共産党 農民,石油労働者を中心に1941年結成された。前身は1926年にメキシコで結成されたベネズエラ革命党である。46年ごろまで労働者の諸組織を支配していたが,戦後の政治過程で上記3党に支持基盤を崩され,勢力を失った。(5)社会主義運動党(MAS) 労働者や学生,知識人,農民を基盤に1971年に共産党から分裂して結成された。以上の5政党のほかに民主行動党左派が独立して結成した人民選挙運動党(MEP)や革命左派運動(MIR),人民正義運動(MPJ)など多くの左翼政党がある。

 ADおよびCOPEIによる二大政党政治は,93年6月のペレス政権の崩壊により終焉した。とくに経済の自由化により現出した政治経済状況は,既成政党政治のもとでの国民大衆の政治的利害関係を完全に覆した。そこで新たな状況のもとに新たな利害関係と調整を求めて,元COPEIのカルデラは新党〈国民統一党〉を結成し,94年の大統領選で勝利し,政権の座に就いた。

 外交面では,石油を中心とする経済関係に強く規制され,アメリカに対する外交を基軸に展開されるが,OPECにおいてはC.A.ペレス大統領以来きわめて活発にその資源外交をリードしている。非同盟諸国やラテン・アメリカ諸国に対する外交も活発であり,アンデス諸国との近隣外交はとくに積極的である。また〈コンタドーラ・グループ〉の一員として,ニカラグアなど中米紛争の平和的解決に取り組んだ。最近,経済面において,エネルギー資源をカードに,カリブ海地域の諸国との関係の緊密化を進め,この地域のサブ経済圏の主導権の掌握に大いに関心を示している。また,リオ・グループの主要な一員として対米関係における自立的なラテン・アメリカ経済圏の確立にブラジル,アルゼンチンなどとともに努力している。日本との関係は,政治経済の両側面において良好である。

ベネズエラは石油が発見されるまでは農業国であった。植民地時代から,大土地所有制のもとにココア,砂糖,コーヒー,綿花,皮革などの輸出用産物がベネズエラ高地の各地で生産されていた。独立(1830)後の自由主義経済のもとでも,熱帯性農産物は主要な輸出品として位置づけられ,その生産増進のために耕地の大規模な開発が行われた。その過程で公有地,先住民共有地,中小農地は大土地所有者や大資本家の手に渡った。19世紀末から20世紀前半にかけては,アメリカ合衆国市場が拡大したため,ココア,コーヒー,砂糖の生産が増大し,外国資本が流通部門のみならず生産部門にも進出して,新しくバナナ産業が興った。一方,牧畜業は,16世紀半ばにはリャノで牛の放牧が始まり,19世紀末には牛の保有数は1200万頭を数えるほどの重要産業であった。

 ところが,1910年代に欧米系の国際石油資本の手によってマラカイボ湖畔の石油資源が開発されるようになると,ベネズエラの経済構造は一変した。新しい石油産業は農牧業の衰退をもたらす一方で,国家財政を豊かにした。また商業が発達し,農村人口の都市への集中が始まった(人口の84%が都市人口。1989)。1987年の同国労働人口の内訳は農業13.6%,石油などの鉱業1.0%,製造業17.0%,商業19.1%,サービス業26.0%などである。しかし,農業は同年の国内総生産の5.9%を占めるにすぎず,石油は8.8%であった。

 しかし,石油の価格は国際市場の動向に左右されるため,収入も大きく変動する。そのため極端な外部依存の経済構造を是正する必要が叫ばれてきた。自立的な国民経済を創出する試みは,1945年に民主行動党政権が初めて実行した。農地改革によって農牧業を再興し,消費財生産工業を興し,経済の多様化を図ろうとするものであったが,保守派の反対でこの試みは失敗し,60年代にようやくある程度の成果をあげることができた。60年代の経済政策は,まず国家が積極的に産業経済部門に介入して外資を規制し,総合的経済開発計画に即した外資利用を企図するものであった。農業部門においては,1960年の農地改革法によって,土地を分配し,灌漑施設の拡充,農業銀行や農業公社の創設などの近代化を促進し,牧畜産業部門にあっては,防疫体制の確立,冷凍・屠殺施設の整備,融資制度の確立などの政策をとった。工業部門においては勧業公社,グアヤナ公団,石油化学公団などを創設する一方,工業銀行を設立して工業生産の増進と多角化を図った。1948年には工業生産全体の50%を食品,繊維などの伝統的部門が占めていたが,これらの部門は70年には金属,肥料,木材などの部門の発展によって10%弱を占めるのみとなった。

 70年代も,これら国家的諸政策が継承され,鉄鉱,天然ガスが新たに国有化された。開発資金を捻出するため,貿易公社を創設して貿易を拡大・促進する一方,関税制度を改革し,税収入の増加措置をとった。76年8月には石油国有化法が公布され,石油産業のほぼ完全な国家管理と運営が行われるようになった。鉄鉱・水力資源・石炭などの開発,輸送および電気通信網の整備拡張,石油化学・アルミニウム・金属機械などの工業の振興などを中核とする第5次全国開発政策が推進され,経済の〈民族化〉・民主化政策が進展している。

 しかし,依然として克服すべき重大な問題点も残されている。それは国家財政がなお大きく石油産業に依存していること,多額の対外債務(89年末で341億ドル)を抱えていること,国民生活に密着した各種生産財,あるいは消費財生産部門,とくに工業生産部門が外国企業に掌握されていること,また農業部門においては,農業生産の80%を占める大土地所有者が国民の消費生活を無視した投機的生産を行っていることなどである。したがって,政府の積極的な自立化政策にもかかわらず,物価上昇が続いており,1980-87年の消費者物価上昇率は年平均11.4%,89年は約80%を記録した。89年からのペレス政権は国家経済再建のため,従来の経済政策を転換して一気に自由化政策を採り,インフレ抑制,債務問題の解消,国際収支の改善などを図ろうとした。その結果,債務は減少したものの,物価の上昇,公共料金の引上げなどで国民生活に打撃を与えるとともに国内産業,とくに輸入代替産業が自由化により大打撃を受け,失業者が増大した。カルデラ政権になっても,多少自由化政策は修正されたものの,IMF主導の自由化政策は変わらず,国内の深刻な経済状況には変化はない。

ベネズエラは18世紀初めに創設されたヌエバ・グラナダ副王領(現在のコロンビア,エクアドル,パナマにわたるスペインの植民地)に属していたが,18世紀後半にはカルロス3世の改革でベネスエラ総監領となり,熱帯性農産物の輸出によって繁栄する新興の経済発展地であった。貿易の完全自由化を求めるカラカスのクリオーリョ(新大陸生れのスペイン人)たちの中に,ヨーロッパの啓蒙思想の影響を受けた革命家が現れた。南アメリカ最初の独立運動が1806年F.deミランダによって起こされたが,失敗に終わった。08年にナポレオンによってスペイン本国のブルボン王朝は消滅し,ミランダやS.ボリーバルに指導されたカラカス市民は,11年7月5日独立を宣言し,アメリカ合衆国憲法の影響を強く受けた憲法を制定した。しかし,市民権を拒否された黒人やパルドたちの反乱を王党派が利用し,さらに12年の大地震による動揺のため,最初のベネズエラ共和国は崩壊してしまった。17年,ボリーバルはリャネロス(リャノ)を味方につけて,アンゴストゥーラ(現在のシウダード・ボリーバル)を奪取し,独立ベネズエラの主都とした。19年12月同地でボリーバルの提唱するグラン・コロンビア共和国が成立し,ベネズエラはその一部を形成した。しかし,ベネズエラの大半はまだ王党派の手中にあり,21年のカラボボの戦でようやく独立派の勝利が決定的となった。10年に及ぶ独立戦争のため,ベネズエラは人口の4分の1を失い,国土は荒廃した。

1830年1月ベネズエラはグラン・コロンビアから分離独立した。新憲法に基づき,カラカスが首都に定められ,J.A.パエスが初代大統領に任命された。独立戦争で活躍した将兵や,彼らに資金援助をしたカラカスの商人たちは植民地政府側の諸勢力の旧所有地の払下げを受け,さらに公有地や先住民共有地の売却は彼らに土地集中の好機を与えた。彼らは輸出用農畜産物の生産に専念し,経済権力を伸ばした。また,独立戦争は欧米列強からの多額の借款のもとに遂行されたため,列強に対して多くの経済特権が付与され,実質的には国家財政の支配も許すことになった。

 独立後のコーヒー・ブームによって,カラカスの商業資本家は軍事力を握るパエスと結合して保守党寡頭政治と呼ばれる中央集権政治を行い,国家経済は急速に回復した。しかし,コーヒー価格の下落をきっかけに,政府に対する反対勢力が生まれ,大土地所有者を中心に1840年,自由党が結成された。パエスの権力はしだいに弱まり,保守党と自由党の対立が激化した。ついに58年連邦戦争が開始された。自由党は連邦制を主張し,保守党は中央集権を掲げて5年間戦いが続いた。63年連邦主義者が勝利し,ファルコンJuanC.Falcón(1820-70)が大統領に就任した。しかし経済政策の失敗で敗退し,70年グスマン・ブランコAntonio Guzmán Blanco(1829-99)が登場した。88年まで続く彼の時代には,再びカラカスの商業ブルジョアジーと結合した中央集権化と,外資の浸透が強まった。経済的には回復したものの,国民大衆の生活はまったく改善されなかった。この過程をさらに徹底して推進したのは,1908年に大統領になったJ.V.ゴメスであった。彼の在任中に石油採掘が開始されたが,外資は石油などの一部産業を発展させたのみで,全般的な産業発展へと連動せず,国内経済の跛行的発展を促しただけであった。彼は石油によって潤った国庫収入をもって道路,通信を整備し,秘密警察を創設し,反対勢力を圧殺しつつ,35年まで政権を維持し続けた。石油産業の発展は一部支配者層の富裕化と新たな社会階層(石油労働者,技術者,その他の専門職)および高度に訓練された軍部を創出した。

1945年10月,労働者,農民大衆の不満と反感を体した青年将校集団と民主行動党(AD)とによるクーデタで,部分的ではあるが国民大衆の国政参加の道が建国以来初めて開かれ,47年新憲法によってADのR.ガリエゴス政権が発足した。新政権は農地改革法を公布し,各種公団を設立して産業の育成と発展を図り,国民経済の確立を志向する一方,社会の諸制度の民主的改革を推進して民主国家建設を企図した。しかし,特権の喪失を恐れる保守勢力とアメリカ合衆国と意を通じる軍部が48年にクーデタを起こし,ガリエゴス政権は倒れた。その後,52年に誕生したヒメネスMarcos Pérez Jiménez(1914- )の政権下で,再び政治的・経済的側面の対米従属が始まった。各種産業部門へのアメリカ資本の大量流入が相次いだ。外資は物価を高騰させ,インフレを招来し,国民大衆の経済生活を圧迫するとともに国内産業を停滞させ,失業者と社会不安を増大させた。年2.5~3%の割合で増加する人口が社会経済状況の悪化に拍車をかけた。

 58年1月,進歩的将校と民主的諸政党から成る愛国委員会がヒメネス政権を打倒した。59年2月,AD党首R.ベタンクールが大統領に就任し(1964年まで在任),農地改革,農民用住宅の建設,石油の国有化,教育改革,オリノコ地域開発などに着手した。しかし外資に大きく依存する経済開発は一方では物価の高騰を招来し,農民や労働者大衆の生活を圧迫した。AD政権は,この緊迫した政治経済情勢を労働組合運動の弾圧や左翼政党の非合法化などで打開しようとした。そのため全国各地で反政府運動が起こる一方,与党内部でも分裂が生じた。

後継のレオニRaúl Leoni(1906-72)の政権は,主要問題を解決しないまま,69年キリスト教社会党(COPEI)のカルデラRafael Caldera(1916- )に政権を委譲した。選挙による平和裏の政権交代は国政上初めてのことであった。カルデラ政権は農業および鉱業面で,国家介入を強めるなど若干の進歩的政策をとったが,国民経済の育成発展および民生の安定を図る政策は不十分であった。72年彼の消極的政策に対して,人民選挙運動党,共産党,無党派の進歩的な人々が人民戦線を結成し,反政府運動に立ち上がった。

 74年こうした不満分子を取り込んだADのペレスCarlos Andrés Pérez(1922- )の政権が生まれた。前年末に全世界を襲った石油危機によって,ベネズエラは世界有数の産油国として,ラテン・アメリカ随一の豊かな国となった。同政権は特別組織法を公布し,賃金の25%引上げ,物価の統制などの政策をとる一方,石油・鉱物の国有化を推進し,76年には農工業開発五ヵ年計画を発表した。79年に発足したCOPEIのカンピンスLuis Herrera Campins(1925- )政権は前政権の開発計画を若干修正した第6次全国開発政策を策定し,教育の拡充,住宅建設,道路の整備拡張など,国民生活に密着した経済産業部門の開発,発展に努めた。84年に登場したADのルシンチJaime Lusinchi(1924- )政権も,経済拡大と民生安定の政策を打ち出したが,国内産業のほとんど全部門の経済権を掌握する多国籍企業は,政府に価格統制の撤廃や外資優遇政策を要求した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「ベネズエラ」の意味・わかりやすい解説

ベネズエラ

◎正式名称−ベネズエラ・ボリバル共和国Bolivarian Republic of Venezuela(1999年12月ベネズエラ共和国が改称)。◎面積−91万6445km2。◎人口−2723万人(2011)。◎首都−カラカスCaracas(194万人,2011)。◎住民−混血(メスティソ,パルド)70%,白人20%,黒人8%,インディオ2%など。◎宗教−大部分がカトリック。◎言語−スペイン語(公用語)が大部分。◎通貨−ボリーバル。◎元首−大統領,ニコラス・マドゥロ・モロスNicolas Maduro Moros(2013年4月就任,任期6年)。◎憲法−2000年1月施行。◎国会−一院制(167議席,任期5年)。最近の選挙は2010年9月。◎GDP−3138億ドル(2008)。◎1人当りGDP−6070ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−7.2%(2003)。◎平均寿命−男71.7歳,女77.7歳(2013)。◎乳児死亡率−16‰(2010)。◎識字率−95%(2007)。    *    *南米北端の共和国。南東部にギアナ高地が広がり,北部および西部はオリノコ川流域の低地。南西端からアンデス山脈の支脈メリダ山脈が北東に走ってマラカイボ低地(マラカイボ湖)をいだき,カリブ海岸を東西に走る海岸山脈に続く。熱帯にあるが北部の高地は住みやすい。世界有数の石油産出国であり,輸出の大部分を石油が占める。鉄,ボーキサイト,金などの産もある。オリノコ川流域などで小麦,トウモロコシ,バナナ,サトウキビなどを産し,牧牛も盛ん。森林が国土の20%以上を占める。 1498年コロンブスが来航,のちスペイン植民地となった。1811年独立を宣言したがスペイン軍に破れ,1819年ボリーバルの指導下に現在のコロンビア,エクアドル,パナマとともにグラン・コロンビア(コロンビア共和国)として独立した。1830年分離しベネズエラ共和国となった。独立後クーデタが何度も繰り返され,軍人が政権を独占した。1958年ペレス・ヒメネスの独裁政権が打倒されて後,立憲制が確立し,ベタンクールらの民主行動党とキリスト教社会党という穏健二大政党の大統領が交互に就任した。1975年以来鉱山,石油産業を国有化,原油価格の高騰で経済力が強化され,対米自立,第三世界重視の外交を打ち出した。しかし1980年代に入って石油不況の大波に見舞われ,また現行の生産水準を保てば西暦2000年ころには国内の石油が枯渇するとされたため,産業多角化による脱石油政策を進めている。1993年ペレス大統領が公金横領疑惑で失職したあとをうけた大統領選では,二大政党への不信から17の小政党連合のカルデラ候補が当選した。1998年大統領選でチャベスが当選し,1999年12月国名をベネズエラ共和国から現名に変更。反米を掲げた急進的民族主義のチャベス政権は,貧困層を中心に大きな支持基盤を持ち,2006年7月には南米南部共同市場(メルコスール)に加盟した。2006年12月の大統領選では,チャベスが圧倒的な支持を受けて再選。さらに2009年には,大統領を含む公職者の再選制限(大統領は無制限再選)を撤廃する憲法の修正案を国民投票で問い,勝利した。2010年9月の選挙でチャベス政権は,改選前の議席を大幅に減らし,2011年6月には自身の癌を告白したが,2012年10月の大統領選で再び勝利し4選を果たした。同年12月チャベスは癌の再発を公表,キューバで癌治療に専念していたが,2013年2月帰国,3月5日に逝去した。2013年4月の大統領選では,チャベスに後継指名されていたマドゥロと,野党統一候補のカプリレス(ミランダ州知事)が争ったが,接戦の末,僅差でマドゥロが勝利した。マドゥロはチャベスの政策を基本的に引き継ぐと宣言している。2014年2月,深刻な治安状況や,高いインフレ率など経済状況への不満が高まり,与野党間の対立が先鋭化,両勢力による集会,大規模デモ,衝突が頻繁に起こり,多数の死者が出た。
→関連項目コロ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ベネズエラ」の解説

ベネズエラ
Venezuela

南アメリカ大陸北部に位置し,カリブ海に面する共和国。首都カラカス
国名は“小ヴェニス”を意味。1498年コロンブスが第3次航海で到達,翌年スペイン領となる。1811年,同地出身のシモン=ボリバルらの指導で独立を宣言したが失敗。1813年共和国を樹立するが,再び失敗。1819年コロンビア・エクアドルとともに大コロンビア共和国として独立。1830年分離・独立したが,その後,20世紀前半まで軍事独裁支配に終始した。この間,20世紀初め,外債支払い拒否宣言から,イギリス・ドイツ・イタリア諸国による海岸封鎖(ベネズエラ干渉)を受けたが,アメリカ合衆国の介入でこれを乗り切ったのちは,対米従属が強まった。1945年クーデタで改革政権が樹立されたが,48年から軍事独裁支配が復活,58年以降は2大政党制による政治が続いている。また,石油輸出国機構(OPEC)には1960年の結成時から加盟,石油産業は76年から国有化された。しかし,石油価格の低迷で,1980年以来景気が後退し,89年には国際通貨基金(IMF)の指導を受け入れ,緊縮財政を導入した。1993年ペレス大統領に公金流用疑惑が発生し,同年12月の大統領選で国民連合のカルデラが当選し,2大政党制が崩壊。1994年には前大統領の汚職による混乱,銀行倒産続発などによる金融危機とインフレから,社会不安が高まった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ベネズエラ」の解説

ベネズエラ
Venezuela

現地音ではベネスエラ。南アメリカ最北部の共和国。スペイン植民地時代サントドミンゴアウディエンシア統治下にあったが,1717年ヌエバ・グラナダ副王領に編入され,42年ベネズエラ総督領となった。カカオその他の熱帯性農産物の生産が経済を支えたが,中南米の独立に際しては,ボリーバルの指導のもとに最も早く反応して,1819年12月大コロンビアとして独立し,のち30年9月にそこから分離してベネズエラ共和国になった。独立後コーヒー・ブームがあり,20世紀からは,マラカイボの石油採掘によって潤った国庫収入で,ゴメスの独裁時代(1908~35年)に公共投資が進んだが,社会的不平等はかえって増大した。石油の価格がたえず国の経済を左右し,第二次世界大戦後の政治は安定していない。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

ゲリラ豪雨

突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...

ゲリラ豪雨の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android