まり

精選版 日本国語大辞典 「まり」の意味・読み・例文・類語

まり

  1. 〘 連語 〙 ( 「まれ」の変化したもの ) 中世の抄物に見られる語。多く「でまり」の形で用いられる。…(で)あろうと。
    1. [初出の実例]「何とまり立身せうと思ふたこは物ぢゃほどに」(出典:寛永刊本蒙求抄(1529頃)七)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「まり」の意味・わかりやすい解説

マリ(国)
まり
Republic of Mali 英語
République du Mali フランス語

西アフリカ内陸部の国。正式名称はマリ共和国République du Mali。スーダン地方西部にある乾燥内陸国で、北はアルジェリア、東はニジェール、南はブルキナ・ファソコートジボワール、ギニア、西はセネガル、モーリタニアと接している。国名は、13~15世紀西アフリカに栄えたマリ帝国に由来する。面積は124万0192平方キロメートルとアフリカでも広い国の一つだが、サハラ砂漠部分が広い面積を占め、人口1221万4000(2006推計)、1452万8662(2009センサス)の大半は、ニジェール、セネガル両川流域と、南部のサバナ地域に居住する。古くから北アフリカ、スーダン地方、ギニア湾岸地域を結ぶ交易の中心地として栄えたが、近世以降衰微し、1960年代以後のたび重なる干魃(かんばつ)でも大きな被害を受けた。首都はバマコ(人口181万0366、2009センサス)。

[藤井宏志]

自然

国土は全体として標高300~400メートルの台地と盆地からなる単純な地形を示す。例外的な高地は、北東のイフォラ山地、ギニア国境のフータ・ジャロン山地、そしてブルキナ・ファソ国境に近いドゴン高原の3か所である。このうちドゴン高原は壮大な断崖(だんがい)に囲まれており、独自のドゴン民俗文化を保持してきた。河川は南西端から中東部にかけてニジェール川の中・上流部1500キロメートルが貫流し、西部をセネガル川上流部100キロメートルが流れている。ニジェール川のセグー―トンブクトゥ間には、巨大な網流地帯を有する内陸デルタがあり、マシナ大湿原とよばれている。トンブクトゥとニジェール川河岸のジェンネ旧市街はユネスコの世界遺産に登録されている。国の北半は不毛の砂漠地域であるが、南部のサバナ地域も表土が固いラテライト皮殻(キラス)に覆われ、農耕の障害となっている。

 気候は、北部が砂漠気候、中部がステップ気候、南部がサバナ気候と、緯度により明確に分かれている。いずれも夏が雨期、冬が乾期であるが、砂漠地域の降水量はきわめて少なく、ステップ地域も近年しばしば大干魃(かんばつ)にみまわれている。これに対してサバナ地域では年間700~1100ミリメートルの降水量がある。気温は夏は全体に高温で、とくに砂漠地域では日中40℃を超える。冬はかなり涼しくなり、12月にはサバナで20℃、砂漠で10℃以下になることがある。また冬はサハラ砂漠からの北東風の砂嵐(すなあらし)ハルマッタンが吹き荒れるのも特徴である。

[藤井宏志]

歴史

主としてマリの領土となっているニジェール川上・中流域は、古くから北、西アフリカ交易の十字路で、この地域を中心に西アフリカ史上重要な大国が興亡した。2010年時点で明らかにされているもっとも古い王国はガーナ帝国で、9世紀から栄えたとされている。13世紀から発展したマリ帝国は、西アフリカ一帯を支配して金、塩の交易で繁栄した。その栄華はヨーロッパにも知られ、トンブクトゥはイスラム教(イスラーム)と学術の中心地であった。続いて15世紀に興ったソンガイ帝国も広い範囲に勢力を伸ばしたが、16世紀末モロッコの侵入を受けて崩壊し、その後は小国が乱立する群雄割拠の時代となった。18世紀後半からはマンゴ・パークやルネ・カイエRené Caillié(1799―1838)などヨーロッパ人探検家が来訪するようになり、19世紀後半セネガルから内陸に進撃してきたフランス軍により、この地域はフランス領スーダンとして植民地化された。フランス領スーダンはその後セネガルと併合されたり、領土の一部がフランス領ギニアに編入されたりなどしたが、1920年領域が確定し、フランス領西アフリカ連邦の一員となった。

 第二次世界大戦後、独立運動が盛り上がり、1960年6月セネガルとともにマリ連邦として、いったん独立を達成した。しかし同年8月セネガルが連邦を離脱したため、9月単独のマリ共和国となった。初代大統領モディボ・ケイタは8年間政権を担当したが、社会主義政策が成果をあげず、経済は苦境に陥った。このため1968年軍事クーデターが起き、ムッサ・トラオレMoussa Traoré(1936―2020)を議長とする民族解放委員会が政権を握り、以後10年間軍政が続いた。1979年民政に移管し、トラオレが大統領選に出馬して当選し、第2代大統領に就任した。

[藤井宏志]

政治

1974年の民政移管で大統領となったトラオレは、1991年3月、中佐トゥーレAmadou Toumani Touré(1948―2020)によるクーデターで逮捕され、マリ人民民主同盟(UDPM)の一党独裁は終わった。同年4月、複数政党制と直接選挙を定めた新憲法が国民投票で成立した。1992年3月議会選挙が行われ、マリ民主同盟(ADEMA)が多数を占め、翌月の大統領選挙でADEMA党首のコナレAlpha Oumar Konaré(1946― )が当選した。1995年、北東部イフォラ山地のベルベル系遊牧民トゥアレグの独立を要求するゲリラ活動があったが、1996年コナレと和解、反政府活動は収まった。1997年5月コナレ再選。コナレの任期満了に伴い、2002年5月に行われた大統領選挙ではトゥーレが当選、6月に就任した。トゥーレは2007年11月の大統領選挙で再選された。

 外交は非同盟中立であるが、旧宗主国フランスとの関係が緊密である。地方行政は、八つの地方行政区からなる。司法は地方裁判所のほか、バマコに最高裁判所、特別控訴院がある。軍は徴兵制(2年)で、総兵力7350人、陸軍6900人、海軍50人、空軍400人(2009)である。

[藤井宏志]

経済・産業

かつてはアラブ世界とのサハラ縦断交易で繁栄したが、ヨーロッパとの海を通じての接触に重点が移ると、内陸にあることから開発に後れをとった。現在も農牧業に有利な商品がなく、工業化も遅れており、1人当り国民総所得は580ドル(2008)ときわめて低い。社会主義政策の失敗から、1982年、23の国営企業は10に整理された。また1964年以降西アフリカ通貨同盟から離脱していたが、1984年復帰した。1990年代に入り、IMF(国際通貨基金)・世界銀行の構造調整計画を受け入れた。

 農牧業は就業人口の40%(2004)が従事する基幹産業であるが、乾燥地域が広く灌漑(かんがい)も不十分なことから収量は低い。近年の干魃(かんばつ)と人口増もあって主食用作物(トウモロコシ、アワ、米など)をはじめ食糧は不足しており、外国の援助を受けている。商品作物にはニジェール川流域で栽培される綿花、セネガル河谷地域のラッカセイなどがあり、ギニア湾岸諸国向けの家畜とともに重要な輸出品となっている。おもな農産物の生産高はアワ118万トン(2006)、ラッカセイ32万トン、米108万トン、トウモロコシ90万トン、綿花7万6000トン、綿実(めんじつ)18万トン。家畜の頭数はウシ84万頭、ウマ10万頭、ロバ738万頭、ヒツジ887万頭、ヤギ967万頭、ラクダ96万頭、ニワトリ3300万羽である。

 農牧業以外の産業ではニジェール、セネガル両川の淡水漁業が重要である。モプティ、セグー、ガオを中心に10万トンの漁獲をあげ、干し魚が輸出されている。鉱産資源は、サハラ砂漠のタウデニで古くから岩塩を産するほか、セネガル川流域に石灰石、大理石、鉄鉱石、セグーにボーキサイトがあり、開発が進められている。近年、日本によるイフォラ山地のウラン鉱探査など、外国資本による資源調査が活発に行われ、金、リン鉱石の産出が多い。工業は、ラッカセイ油、綿花処理、タバコ、製糖など農産物加工が中心で、ほかにはセメント、ビールの工場がある。

 貿易は、農畜産物を輸出し、石油、工業製品を輸入する典型的な非産油途上国型の貿易構造を示し、貿易収支は慢性的に大幅な輸入超過である。現在でも旧宗主国フランスとの関係が強い。主要輸出品目(2007)は、綿花(13.8%)、家畜(5.4%)、一般機械(1.0%)、ラッカセイ、干し魚。主要輸入品目は、石油製品(21.5%)、機械・車両(10.2%)、電気機械、化学製品。主要輸出相手国は、南アフリカ(67.1%)、スイス、セネガル、コートジボワール、主要輸入相手国は、セネガル(19.8%)、フランス、コートジボワール、中国、ベナンである。

 交通網のうち道路は総延長1万8000キロメートル(1992)だが、雨期にも使えるのは半分にしかすぎない。バマコとガオを結ぶ幹線道路も未整備なため飛行機が利用されることが多い。鉄道はセネガルのダカールからバマコの外港のクリコロまで通じている。空路は空港が10あり、うちバマコとモプティは国際空港で、パリ、ダカール、コートジボワールのアビジャンなどと結んでいる。ニジェール川は水上交通路として利用され、バマコとガオ間には汽船が定期運航されている。

[藤井宏志]

社会・文化

古くから交通の十字路であったため多数の部族が住む。主要部族は遊牧・牧畜民と農耕民に大別される。遊牧・牧畜民には、サハラ砂漠のオアシスを中心に遊牧するトゥアレグ、モールと、内陸デルタで牧畜を行うフルベ(フラニ、プール)がいる。農耕民は、モーリタニアに近い北西部のサラコレ、トンブクトゥからガオにかけてのソンガイ、南東部ドゴン高原のドゴン、バマコからセグーにかけてのバンバラ、西部のカソンケ、トクルール、マリンケ、南部のセヌフォ、ボボである。このうちバンバラが33%といちばん多く、フルベ、セヌフォ、サラコレがそれぞれ10%でこれに次ぐ。各部族には独自の伝統文化がある。なかでもドゴンは特異な神話と二元論的宇宙観、世界観をもち、仮面ダンスが世界芸術祭で大賞を得たことで知られる。公用語はフランス語で学校教育にも使用されているが、日常生活には部族語が用いられている。そのうちバンバラ語は広く通用し、アルファベット化も進められている。宗教は、人口の65%がイスラム教徒(ムスリム=イスラーム信者)で、30%が伝統宗教を信じ、キリスト教徒は5%である。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産として前出の「ジェンネ旧市街」「トンブクトゥ」のほかに、「アスキア墳墓」(以上、世界文化遺産。すべて危機遺産リスト入り)「バンディアガラの断崖(ドゴン人の地)」(世界複合遺産)が登録されている。

 人口の年平均増加率は2.4%(2000~2005)で、近年は都市へ集中する傾向にある。またセネガル、コートジボワールに35万人、フランスに2万人の労働移民者が出ている。医療水準は低く、総合病院はバマコにしかない。教育は小学校、中学校、リセ(後期中等教育の高校にあたる)の上に、高等師範、技術専門学校などがあるが、総合大学はなく、大学進学者は海外に留学する。小学校の就学率は80%(2006)である。識字率向上のため全国に1300以上の教育センターが設置されているが、成人識字率はまだ男34.9%、女18.2%(2007)である。

[藤井宏志]

日本との関係

マリにとって日本は重要な貿易相手国で、2008年(平成20)の対日輸出はゴム手袋、打楽器、トカゲ、装飾品を中心に2166万円、対日輸入は米(24.6%)、タイヤ、自動車、一般機械、鉄鋼を中心に7億8468万円であった。1975年日本の動力炉・核燃料開発事業団(のちの核燃料サイクル開発機構、現・日本原子力研究開発機構)が、北部のウラン探鉱でマリ政府との協定に調印、マリのウラン鉱開発は日本の独占となった。経済協力として日本は食糧援助、地下水開発、砂漠化防止などを行っている。

[藤井宏志]

『ケイタ慎子著『マリ共和国・花嫁日記』(1980・徳間書店)』『中村弘光著『アフリカ現代史Ⅳ 西アフリカ』(1982・山川出版社)』『川田順造編『ニジェール川 大湾曲部の自然と文化』(1997・東京大学出版会)』『岩田拓夫著『アフリカの民主化移行と市民社会論』(2004・国際書院)』『岩田拓夫著『アフリカの地方分権化と政治変容』(2010・晃洋書房)』



マリ(民族)
まり
Mari

ロシアに住むウラル系少数民族の一つで、ボルガ川中流のロシア連邦マリ・エル共和国の主要な住民である。チェレミス人Cheremisともよばれていた。周りのロシア語とはまったく別なボルガ・フィン語派のマリ(チェレミス)語を使用していて、隣接する同連邦内のモルドビン(モルドバ)共和国のモルドビン(モルドバ)人に近く、6世紀中ごろの東ゴート王国の年代記に出てくるスレムニスカンが彼らのことであるといわれている。その居住地域によって「山地」「草地」「東」などに分けられるが、農民として「山地」住民が比較的裕福なのに比べて、「草地」の人々はボルガ川北岸の低湿地帯に長く恵まれない状態で置かれたまま今日に至っている。「東」は、帝政時代に過酷な税から逃れて移住した人々の子孫が住み着いた場所であるという。自然の採集法で知られる蜂蜜(はちみつ)や蜜蝋(みつろう)は19世紀初めごろまでは重要な交易物資であり、また貢納品でもあった。最近では森林地帯での製材やパルプ工業に従事する人々が多く、女性の間では伝統的な装飾品に飾られた衣装が伝えられ、音楽ではバグパイプ、チター属の半円型弦楽器、白樺(しらかば)の皮でつくった笛などの民族楽器が知られている。恵まれた口承文芸からは民族文学も生まれている。現在では2種類の文章語による新聞が発行されていて、首都ヨシカル・オラの民族科学研究所からは歴史、経済、民俗学などの研究成果が刊行されている。最近は、旧ソ連内の同系族であるエストニアなどとの交流が盛んである。

[菊川 丞]


マリ(シリアの都市遺跡)
まり
Mari

ユーフラテス川中流右岸、イラク国境に近いシリア領、アブ・カマル近郊の古代の都市遺跡。1933年以降(1935~38、1951~54)、A・パロの指揮するフランスの調査隊が、都市遺跡を掘り起こした。その遺跡・遺物は、ジェムデト・ナスル期(前3000前後)からササン朝時代にわたっている。同地は、交易および軍事上の拠点として発展し、とくにシュメール初期王朝時代とハンムラピ(ハムラビ)の治世(前18世紀)にもっとも繁栄した。遺跡からは、シュメールの影響を受けて建造されたイシュタル神殿、シャマシュ神殿や、各時代の宮殿跡、ジッグラト(神殿塔)などが発見され、注目をひいた。彫刻など美術品にはシュメールの伝統が保存されているのに対し、言語は早くからセム語が使用されていた。なかでも紀元前18世紀の宮殿の壁画や美術品はエーゲ文明圏との緊密な関係を伝える貴重な史料である。マリ王国は、アッシリア王シャムシ・アダド1世(在位前1813~前1781)に征服され、同王のもとで繁栄、同1世の子ヤスマク・アダドをマリ王に任じマリを支配(~前1781)、ついでマリの王子ジムリリムがマリを再建し、ハンムラピの援助を得て交易活動はクレタ島まで及んだが、ハンムラピに滅ぼされた(前1761/51)。シュメール時代の神殿やジムリリム王の王宮付属文庫から発見された外交文書を含む2万5000枚余の楔形(くさびがた)文字アッカド語で記された『マリ王室文書』(1946~67公刊)は、ハンムラピの治世年代を決定するうえに役だったのみならず、前19~前18世紀の国際関係および社会経済史を解明するうえに重要な史料である。

[高橋正男]


まり
まり / 鞠

球形の遊戯具。まるい形という古語「まろ」(まる)からきている名。皮革、糸布、ゴム、プラスチック製などがある。奈良時代、すでに蹴鞠(けまり)が中国から伝えられ、平安時代以後も京都の公家(くげ)階級を中心に行われた。その後、手を用いる手まり遊びが生まれた。最初は手玉式にまりを投げ上げ、それを地面に落とさないように受け止める遊びであったが、この曲芸をしてみせる品玉(しなだま)づかいという旅芸人も現れた。江戸時代、弾力性をもつ木綿糸の普及から、下方について遊ぶ糸まりがつくられた。糸まりは、ぜんまい、おがくずなど弾力のあるものを綿や布で包み、芯(しん)にしてその上に絹糸などを巻き、美しい模様に仕上げたもので、少女たちの玩具(がんぐ)として親しまれた。現在も郷土玩具として各地にみられる。1882、1883年(明治15、16)ごろからドイツ製ゴムまりが輸入され、1898年ごろから国産品が出回った。その後野球、テニスなどの登場で需要が激増、広く愛用されている。

[斎藤良輔]



マリ(John Middleton Murry)
まり
John Middleton Murry
(1889―1957)

イギリスの批評家。女流作家キャサリン・マンスフィールドの夫。月刊文芸誌『アデルフィ』を主宰(1923~48)するかたわら広い分野にわたって著述。玉石混交といわれる乱作にもかかわらず、処女評論『ドストエフスキー』(1916)をはじめ、キーツとシェークスピア、D・H・ローレンス、ブレイクらを論じたロマン主義的立場からの論著、広い文学的素養を示す『文体の問題』(1922)などの好著がある。

[土岐恒二]


マリ(ロシアの地名)
まり
Марий/Mariy

ロシア連邦西部にあるマリ・エル共和国Республика Марий Эл/Respublika Mariy Elの旧称。1990年にマリ自治ソビエト社会主義共和国Марийская АССР/Mariyskaya ASSRからマリ・エル共和国となった。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「まり」の意味・わかりやすい解説

マリ
Mali

正式名称 マリ共和国 République du Mali。
面積 124万1238km2
人口 2112万(2021推計)。
首都 バマコ

アフリカ大陸西部の内陸国。北はアルジェリア,東はニジェール,南はブルキナファソ,コートジボアール,ギニア,西はセネガル,モーリタニアに国境を接する。国土は東部のイフォラス高原以外は大半が平地。北部はサハラ砂漠とそれに南接するサヘル地帯,南部のニジェール川流域は森林を含むサバナとなる。熱帯気候で,年平均気温はバマコで 27.6℃。年降水量は南部に多く 500~1000mm。先史時代から人類が居住,多くの文明の遺物が発見されている。8~13世紀モーリタニア南東部からマリ国境地帯を中心にサラコレ族のガーナ王国が繁栄,次いで 13~16世紀ニジェール川流域一帯にマリンケ族によるイスラム文化のマリ帝国,15世紀ソンガイ族ソンガイ王国,17~18世紀バンバラ王国などが栄えた。その間,1591年にモロッコが侵攻,14世紀に「黄金の都」と称されたトンブクトゥは以後2世紀間モロッコ軍の支配下におかれた。 19世紀末からフランスが進出,1920年フランス領スーダンとしてフランス領西アフリカの一部,1946年海外領,1958年フランス共同体内の自治国となり,1960年6月セネガルとともにマリ連邦として独立したが,同年8月連邦は解体,同年9月セネガルと分離,あらためてマリ共和国として独立。農業と牧畜を主とし,綿花,ナンキンマメ,畜産物を輸出するほか,自給用として米,ミレット,トウモロコシ,イモ類などを産する。鉄鉱石,ボーキサイト,マンガン,金,ウランなどの地下資源があるがほとんど未開発。工業は食品加工,マッチ,繊維関係などの軽工業が中心。 1982~84年大干魃に見舞われるなど,サハラ砂漠の南下に苦しむ。サハラおよびサヘル地帯では白人系のトゥアレグ族,アラブ系のムーア人 (→ベルベル人 ) などが遊牧を営み,南部のスーダン地帯とニジェール川河谷ではバンバラ族をはじめマリンケ族,ソンガイ族など人口の大部分を占める黒人系の民族が農業を営む。国外への移住者も多い。イスラム教徒が約 80%を占める。公用語はフランス語であるがバンバラ語,マリンケ語,トゥアレグ語なども広く用いられる。

マリ
Marie, Pierre

[生]1853.9.9. パリ
[没]1940.4.13. パリ
フランスの神経科医。神経病学者ジャン=マルタン・シャルコーの弟子。1885年パリのサルペトリエール病院で医師となり,1907~25年パリ大学の神経学教授。1886年と 1889年に公刊した先端巨大症の記述は近代内分泌学の発端となるものであり,この病気の原因が下垂体の腫瘍と機能障害であることを詳述した。1893年には小脳の遺伝病で重い平衡障害を起こす遺伝性小脳性運動失調症(マリ病,マリ失調症)を初めて報告した。また肺性骨関節症,進行性筋萎縮症の一種であるシャルコー・マリ・トゥース病(CMT。共同研究)などを発見。失語症についても業績が多い。第1次世界大戦中には戦傷による神経系の障害について重要な研究を残した。

まり

飲食物を盛る器の一種で,今日の椀に相当するものをさすが,土器であるわんのほか,木製の椀,陶磁器の碗,金属性の鋺の区別があった。ともに坏の深いもので,高台やふたをつけたり,花形につくったりしたものもある。

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デジタル大辞泉プラス 「まり」の解説

まり

谷川俊太郎、広瀬弦による絵本作品。2003年刊行。

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