丹波(市)(読み)たんば

日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹波(市)」の意味・わかりやすい解説

丹波(市)
たんば

兵庫県の中央部東端にある市。2004年(平成16)氷上郡の青垣(あおがき)、市島(いちじま)、春日(かすが)、氷上柏原(かいばら)、山南(さんなん)の6町が合併、市制施行して成立した。氷上郡は消滅し、旧郡域が市域となった。北から東は京都府に接し、西部には粟鹿(あわが)山(962.3メートル)や三国岳、竜ヶ岳、篠ヶ峰など800メートル級の山が連なる。西部を加古川佐治川)がほぼ南流、東部を由良(ゆら)川の支流竹田川が北流、両川に挟まれる氷上町石生(いそう)は、標高100メートルほどの本州でもっとも低い中央分水界である。JR福知山線、加古川線、国道175号、176号、427号、429号、若狭舞鶴自動車道(わかさまいづるじどうしゃどう)、北近畿豊岡自動車道が通る。

 旧石器時代では春日町地区の七日市遺跡で後期の遺構・遺物が検出されている。山南町地区の梶遺跡からは縄文時代後期・晩期の石棒が採集された。弥生時代には拠点的集落の七日市遺跡があり、春日町地区の野々間(ののま)遺跡からは銅鐸が出土した。古墳時代は氷上町地区、春日町地区、山南町地区などに小規模な前方後円墳を含む後期古墳が営まれている。白鳳期には市島町地区に寺院が建立され(国指定史跡・三ッ塚廃寺)、柏原町地区の波尼(はに)遺跡から奈良時代の瓦が大量に出土した。また、春日町地区の山垣遺跡からは濠を巡らせた奈良時代の掘立柱建物跡や木簡、七日市遺跡からは奈良・平安の大型掘立柱建物跡が検出され、いずれも官衙(かんが)との関係が想定されている。平安時代末期から中世にかけて、山城国石清水(いわしみず)八幡宮領安田園(のち柏原荘)など、市域の大部分荘園が成立する。山南町地区を中心とした栗作(くりつくり)荘は、古代以来の丹波栗の産地として知られた。春日町のほぼ全域を含む春日部(かすかべ)荘は南北朝以降、室町幕府の御料所となった。戦国期には荘内の黒井城(国指定史跡)に拠った荻野氏が織田信長と対抗した。荻野氏滅亡後は丹波を領した明智光秀の家臣斎藤利三が入城し、利三の娘でのちに3代将軍徳川家光の乳母になったお福(春日局)は同地で誕生した。柏原町地区の柏原八幡神社は平安末期に安田園の支配のために石清水八幡宮の別宮として勧請されたが、戦国期には尾張・近江にまで信仰圏が広がっていた。1598年(慶長3)織田信包(のぶかね)が柏原に入り陣屋町を建設。以降、市域は柏原藩領、鶴牧(つるまき)藩領、三田(さんだ)藩領、幕府領、旗本領などで推移した。篠山城下から但馬方面に抜ける京街道(山陰道)が通り、織田氏柏原藩2万石の陣屋町のほか、青垣町地区の佐治(さじ)町などに町場が形成された。加古川上流の佐治川に舟運が開かれ、氷上町地区の本郷には舟座が置かれた。

 東部の妙見山(565メートル)や日ヶ奥(ひがおく)渓谷を中心とした地域は多紀(たき)連山県立自然公園に含まれる。妙見山は丹波比叡とよばれる修験の霊地で、山頂の神池(じんち)寺は法道(ほうどう)仙人の開基と伝える。江戸時代に起源をもつ丹波布は佐治の丹波布技術保存会で保存・伝承が図られている(国の選択無形文化財)。産業はスギ・ヒノキなどの林業、米、野菜、果実、花卉(かき)栽培の農業、肉用牛飼育などの酪農、また丹波栗、丹波ナス、丹波大納言小豆、丹波黒大豆、丹波山の芋、ブルーベリー、黒ゴマ、山南町地区の和田の薬草などに代表される特産品が多い。工業は電気機械器具製造業、化学工業、食料品製造業など(2016)。工業団地も造成されて企業誘致を推進している。釣竿の製造も盛ん。柏原藩陣屋跡は国指定史跡、柏原八幡神社の本殿・拝殿は国指定重要文化財。面積493.21平方キロメートル、人口6万1471(2020)。

[編集部]


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