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松島 まつしま

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松島(宮城県)
まつしま

宮城県中東部の松島湾一帯を示す通称で、安芸(あき)(広島県)の宮島(厳島(いつくしま))、丹後(たんご)(京都府)の天橋立(あまのはしだて)とともに「日本三景」の一つに数えられ、また特別名勝に指定されている。松島という地名は古代の記録に現れている。しかし、中世以前には松島湾の南西端にある塩竈(しおがま)の浦(千賀(ちか)の浦)が歌に詠まれてはいたが、松島湾全体の風景はあまり知られてはいなかった。仙台藩祖伊達政宗(だてまさむね)による瑞巌(ずいがん)寺の再興後、ようやく知られるようになる。松島の風景を全国的に紹介したのは、1669年(寛文9)に訪れた伊勢(いせ)の俳人大淀三千風(おおよどみちかぜ)の『松島眺望集』で、その後、1689年(元禄2)に松尾芭蕉(ばしょう)が訪れ『おくのほそ道』のなかで最大級の賛辞を記している。日本三景の一つにあげられたのは、儒学者林鵞峰(がほう)が1714年(正徳4)に『日本事跡考』のなかに「三処の奇観」の一つとして述べたことに起因するという。
 近世には松島海岸の西にある長老坂により仙台と連絡していた。1890年(明治23)松島海岸の北約3キロメートルに東北線松島駅が開業し、さらに、1927年(昭和2)宮城電鉄松島公園駅(現在JR仙石(せんせき)線松島海岸駅)が開設されてから多くの観光客を集めるようになった。観光地松島は、文化財のある松島町の海岸部と、大小の島がある松島湾とに分けられる。瑞巌寺は松島海岸の観光船発着場の正面にある。838年(承和5)慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)が創建。その後衰微していたが、1609年(慶長14)に伊達政宗が再建し瑞巌円福禅寺と改称した。本堂、庫裡(くり)は後期桃山建築の様式をよく伝える国宝建造物である。その後も、陽徳院、円通院、天麟(てんりん)院など伊達家ゆかりの寺院が建てられた。陽徳院は政宗の正室愛(めご)姫の菩提寺で、愛姫の霊廟である陽徳院霊屋は国指定重要文化財。そのほかに、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の造営と伝えられる毘沙門(びしゃもん)堂を、のちに五大明王像を安置し政宗のときに修理した五大堂、仙台藩主の納涼と観月のための観瀾(かんらん)亭(松島博物館を併設)、僧頼賢(らいけん)の碑(国の重要文化財)のある雄島(おしま)などがある。松島湾内には大小260余といわれる島があり、クロマツ、アカマツが茂り、凝灰岩質の島は波に削られ、仁王島、よろい島などの奇勝を呈する。湾内を巡る定期観光船が就航しているが、高所からの展望もよく、宮戸(みやと)島の大高森(おおたかもり)(106メートル)の壮観、北東部の富山(とみやま)(117メートル)の麗観、北西部の扇谷(おうぎがやつ)山(70メートル)の幽観、南西部の多聞山(たもんざん)(56メートル)の偉観は、「松島四大観」と称される。大高森の頂上からは、奥羽山脈、北上(きたかみ)山系、福島県相馬(そうま)地方までを眺望することができる。四季を問わず観光客が多く、8月の盆には灯篭(とうろう)流しと花火大会が行われる。なお、外洋に面した嵯峨(さが)渓付近の海岸は奥松島とよばれている。[後藤雄二]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

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